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セイタカアワダチソウの歌
〜侵略的外来種と『となりに脱走兵がいた時代』〜

 そういえば、かつては「ベトナム草」などと呼ばれたこともあったんだっけ? そう思って手元の野草図鑑(林弥栄監修・平野隆久写真『野に咲く花』)を開くと――「北アメリカ原産の多年草。観賞用に栽培されていたものが野生化し,戦後急速に全国に広がった。炭鉱の閉山の時期や,ベトナム戦争のころふえたので,閉山草とかベトナム草とも呼ばれた」。しかし、よもやあの歌にそんなエイリアスとシンクロするストーリーが隠されていたなんて……。

 セイタカアワダチソウという野の花がある。野草図鑑が記すごとく、北アメリカ原産で、「戦後急速に全国に広がった」ことは周知の事実と言っていい。そして、すこぶる評判が悪いことも。その理由は、生態にある。この野草は根茎から周囲の植物の成長を抑制する化学物質(cis-DME)を排出するのだ。1977年にこの事実をはじめて明らかにした沼田眞「植物群落と他感作用」(『化学と生物』1977年7月号)の一節を紹介すれば――

 そこで,筆者らは,2年目以降にブタクサ期と交代して優占するヒメジョオンなど(Erigeron spp.)とセイタカアワダチソウに重点をおいて検討した.(略)地上部,地下部ともに10ppm以上で急激な阻害作用が認められた.トキナシダイコンの芽生えではさらに敏感で,0.1〜10ppmの間で阻害作用があらわれた.この範囲の濃度での発芽阻害は,イネ,トキナシダイコンともに寒天ゲル上では認められなかったが,セイタカアワダチソウ自身の種子は強い発芽阻害をうけた(とくに10〜20ppmで).その後,ブタクサやススキについてもイネと同様の実験を行なったところ,いずれも1〜10ppmの範囲で顕著な発芽後の生育阻害があらわれた.(略)要するに,セイタカアワダチソウから排出されるcis-DMEは,遷移の前段階の優占種ブタクサにも,次の(あるいは同時期の)段階のススキにも阻害的に働き,かつ自らの発芽にも阻害的であるということになる.このことは,わが国の各地域にこの帰化植物が拡がったことに深く関係する.結局,セイタカアワダチソウの生えていない(cis-DMEに汚染されていない)場所に種子散布すればそこに健全な発芽が期待されるし,ブタクサの生えている裸地化後第1年目の場所へ根茎で侵入すれば,cis-DMEの排出によってブタクサの発芽を抑えることになる.

 根茎から化学物質を出して周囲の植物の成長を抑えた上で自らは恣(ほしいまま)な大繁殖を遂げる。しかもそれが外来種となると……まるでエイリアンのようではないか。すわ、一大事! このまま放置しておけばいずれ日本の野原という野原はこの外来種に占領されてしまう……そんな懸念からかつては「セイタカアワダチソウ撲滅運動」なんてものが繰り広げられたりもしたんだけど――でも実はそこまでこの外来植物を怖れる必要はなかったのだ。というのも、これは↑の引用部分にもチラリと触れられてはいるのだけど、セイタカアワダチソウが排出する化学物質は一定の濃度(10ppm)を超えるとなんと自らの種子に対しても強い発芽障害を引き起こすのだ。つまり、たとえcis-DMEのおかげで一旦はある地域の優占種となっても、それがために排出されるcis-DMEの濃度が10ppmを超えるようなことになると繁殖の勢いは急速に衰え、せっかく占領した陣地(?)も数年もすればススキなどの日本固有種に取って代わられる結果に。いずれは日本の野原という野原を占領してしまうのではとまで怖れられた〝エイリアン〟のなんとも意外な自滅――。そんなこともあって、確かに今でもこの時期になるとあちこちでこの野花の群落を見かけることがあるのだけど、かつてのような大群落というのはとんと見かけることがなくなった。またサイズもずいぶん日本ナイズされたようで、もう今ならことさらセイタカアワダチソウと強調する必要もないくらい。こんなふうに外来種がその土地の気候・風土に適応して体質が変化することを「馴化」と言うらしいんだけど、セイタカアワダチソウも見事に日本の環境に「馴化」したということなんだろうね。それにしても、過度にその〝脅威〟を煽り立てて、過激な〝排斥運動〟を繰り広げる――、これをゼノフォビアと言わずして何と言う⁉ ということは、この際、ぜひ書いておこうかなと……。



国立研究開発法人・国立環境研究所の「侵入生物データベース」のスクリーンショット。クリックすると当該ページにジャンプ。

 さて、そんなセイタカアワダチソウなんだけど、ワタシはクルマでの移動の際などにこの花の群落を見かけると決まってある歌のことを思い出すというのが仕様(?)となっている。その歌というのがなんと「セイタカアワダチ草」というんだけど――ご存知の方はいらっしゃいますかねえ。かれこれ今から40年前の歌で、歌っていたのは十朱幸代。当時を代表する美人女優です。決してヒットしたわけではないし、かく言うワタシも聴いたのは1度きり(聴いたのは確か、TBSがやっていた「ハッスル銀座」というお昼の番組。あの林美雄が珍しくTV番組のMCを務めていた)。そのため、歌詞の内容もメロディーも全くと言っていいほど記憶には残っていないのだけど、ただそのタイトルが「セイタカアワダチ草」だったということと、歌っていたのが十朱幸代だったということだけは今でも忘れようのない衝撃(おすぎが突然、何やら泣き叫んで「パックインミュージック」を途中退席した場面に勝るとも劣らない? いや、それほどでもないか……)としてワタシの灰色の脳細胞に刻み込まれている。え、何がそれほどの「衝撃」なのかって? だって、「セイタカアワダチ草」ですよ。確かに野の花をタイトルに冠した歌は沢山ある。「曼珠沙華」とか「雪割草」とか「吾亦紅」とか「ダンデライオン」とか。でも、そういう花々とは全然違うじゃないか、セイタカアワダチソウは。なにしろ「日本の侵略的外来種ワースト100」なんだから。そんな花のことを、しかも1970年代という、この野の花が最も嫌われた時代に(「セイタカアワダチ草」がリリースされたのは1977年。奇しくも「植物群落と他感作用」が発表されたのと同じ年)、わざわざ歌にする? しかも、歌っていたのは十朱幸代という当時を代表する美人女優。一体何がどうしてどうなったのやら。確かに1970年代というのは何でもありの時代ではあったのだけど、それにしてもなあ……。

 ということで、「セイタカアワダチ草」はワタシにとってあの1970年代という理解不能な時代の標本のようなものでもあるんだけど、でもきっと〈意味〉はあったはずなんだ、あんな時代にも。そして、「セイタカアワダチ草」という歌にも。そう思って、聴いてみることにしたんだ。幸いにも某動画共有サービスで検索したら、あったんでね。しかも十朱幸代が歌うアナログ音源をデジタル化したもの以外にも素人がカバーした弾き語りバージョンまで。さらに驚いたのは、十朱幸代版以外にもセイタカアワダチソウのことを歌った歌があって、八神純子の「せいたかあわだち草」とかThe SALOVERSとかいうバンドの「セイタカアワダチソウ」とか。おいおい、セイタカアワダチソウだぞ。「日本の侵略的外来種ワースト100」だぞ。みんな、わかってるのか⁉

 ――と、そんなこともありつつ、とにもかくにもワタシは実に40年ぶりに十朱幸代歌う「セイタカアワダチ草」を耳にすることになったわけなんだけど――へえ。あれってこんな歌だったんだ! 確かにこれは1970年代の歌だ。そして、十朱幸代という当時を代表する美人女優が歌っておかしくない……。

 もっとも、すんなりとこういう結論に達したわけではない。なにしろ、歌詞が難解で。やっぱり1970年代は一筋縄では行かない……。ともあれ、まずはその歌詞を紹介することにしましょうか。書いたのは、あの吉岡治。そう、石川さゆりの「天城越え」を書いた(あるいは、都はるみの「大阪しぐれ」を書いた。あるいは、石川セリの「八月の濡れた砂」を書いた。しかし、「天城越え」を書いたのと「八月の濡れた砂」を書いたのが同じ人物とはねえ……。なお、歌詞の引用に関しては、あのJASRACも「著作権法上の要件を満たす場合は、歌詞の一部を引用することができます」と不承不承ながら認めています。その上で、文化庁では歌詞の引用に関して「引用の要件に合致するものであれば、必ずしも一節を超える(場合によっては全部の)引用が許されないものではないと考えられます」との判断を示しています。本サイトではこの文化庁の判断に従い、要件を守った上で全文を引用することとします)――

セイタカアワダチ草
by 吉岡治

誰かとどこかへ 折合いつけて
ポップ・コーンみたいに はじけたか
それとも生活に 見切りをつけて
帰っていったか 故郷へ

それはないじゃない
あいつに惚れて あずけた夢を
わかってくれとは 言わないが
あたしにゃ沖縄 遠すぎる
あたしにゃ沖縄 遠すぎる

コバルト・ブルーの あいつの街に
燃えるか セイタカアワダチ草
手紙のひとつも 出したいけれど
基地(ベース)の区別も つきゃしない

それはないじゃない
あいつに尽くし 疲れた夢を
わかってくれとは 言わないが
あたしにゃ沖縄 遠すぎる
あたしにゃ沖縄 遠すぎる

 何やら歌詞のそこかしこに今という時代にも通底するものが含まれているような気がしないでもありませんが、それはそれとして――まず言えるのはこれは男に捨てられた女の気持ちを歌った歌であるということ。それは1番の歌詞からも明らかなんだけど、しかもその男というのは、なんとなんと、在日米軍所属の軍人、いわゆるG.I.であるらしいことが2番の歌詞で示唆されている。すなわち――「手紙のひとつも 出したいけれど/基地(ベース)の区別も つきゃしない」。逃げた男に手紙でも出して恨み言のひとつも言ってやりたいところなんだけど、どこの基地(ベース)に所属しているかもわからないのでそれもできやしない……と歌っているわけですね。とするなら、相手は在日米軍所属のG.I.と考えるしかない。この時点で、へえ、ですよ。これはやっぱり1970年代の歌だ。

 ただ、ちょっとねえ。ちょっと、この詞、おかしいんじゃないの? たとえば、女は「それはないじゃない/あいつに尽くし 疲れた夢を/わかってくれとは 言わないが/あたしにゃ沖縄 遠すぎる」――と、今は沖縄にいるやと思しき男への思いを吐露しているのだけど――でも、女は1番では「それとも生活に 見切りをつけて/帰っていったか 故郷へ」――と歌っているわけだから。米兵が帰るべき故郷といえば、それは当然、アメリカ国内のどこか。沖縄ってことはありえない。だったらなんで「あたしにゃ沖縄 遠すぎる」? もう1つ。女は2番では「コバルト・ブルーの あいつの街に/燃えるか セイタカアワダチ草」とも歌ってるんだけど、これもねえ。確かにこの歌がリリースされた1977年当時、既にセイタカアワダチソウは日本全土に勢力を広げていた。しかしこと沖縄に関してはその勢力の圏外だったのだ。これについては1976年に琉球大学農学部が沖縄県内におけるセイタカアワダチソウの繁殖調査を行っていて、その報告書「沖縄におけるセイタカアワダチソウ(Solidago altissima L.)に関する研究」(『琉球大学農学部学術報告』第23号)によれば「那覇市天久外人住宅周辺の金網沿いと具志川市平良川県道10号線沿いの2カ所に分布していることがわかった」。これは「沖縄本島の港付近,飛行場周辺,基地およびその周辺,主要道路沿線,河川敷地,倉庫周辺,公園等」ときわめて広範囲に行った調査の結果なのだから、分布はごく限定的だったという理解でいい。で、これはその後も大きな変化はないようで、国立環境研究所の「侵入生物データベース」の分布図を見ても琉球列島は白地のまま。こうなると歌詞にあるような「コバルト・ブルーの あいつの街に/燃えるか セイタカアワダチ草」という状況は、こと沖縄に関してはありえないということになる。また、そもそもだ、普通、沖縄に思いを馳せるなら、思い浮かべるのはデイゴとかサンダンカでしょう(これにオオゴチョウを加えて「沖縄三大名花」と呼ぶ由)。まさか「燃えるか デイゴ」じゃ字足らずだから、なんて理由じゃ……?

 ということで、この歌詞、ちょっとどうなの? 少なくともセイタカアワダチソウという花の生態についてはあまりご存知ないような……と、そうダメ出ししたくなるところではあるのだけど、ただ忘れちゃいけない事実がある。それは、これを書いたのが吉岡治だってこと。ワタシは決してこの作詞家について云々できるほどの知識を持ち合わせているわけではないのだけど、それでもたとえば「天城越え」をめぐっては伊豆・湯ヶ島の旅館(調べたところ、白壁荘という旅館だそうです)に3日間泊まり込んであのドラマチックな歌詞を書き上げた――というようなよく知られたエピソードについても承知はしていて、詞(ことば)に魂を込める職人――、そんな理解。なによりも「八月の濡れた砂」を書いた人なんだ。もうそれだけでもリスペクトを捧げるには十分。

 で、そういう思いで、もう一度、歌詞と対峙してみたんだけど――ああ、そーか、女が「あたしにゃ沖縄 遠すぎる」と歌っているのは、決して自分が居る場所(=日本国内のどこか)と男が居る場所(=沖縄)が遠すぎる、と言っているわけではなく、自分が居る場所(=日本国内のどこか)と自分が居た場所(=沖縄)が遠すぎる、と言っているという、そういう可能性もあるのかと。つまり、この女の故郷が沖縄。そして、男と出会ったのも沖縄。2人は手に手をとって沖縄から出てきた――東京あたりへ。しかし、今は男に捨てられてひとりぼっち。だからといって、今さら沖縄には帰れない。それが「あたしにゃ沖縄 遠すぎる」……。この場合、「遠すぎる」というのは、物理的な距離感ではなく、心理的な距離感を言っているということになる。確かにその方が表現としては深い。

 ただ、この場合、新たなギモンが浮上する。それは、米兵が勝手に日本人の女と日本国内をあちこち移動できるのかという問題。普通、できない。てゆーか、そもそも米兵が日本人の女と「生活」をともにしているという状況がおかしいんだけど……いや、そういう状況が可能となるシチュエーションがありうる(その可能性が思い浮かんだ瞬間、ワタシ、ガバと跳ね起きましたね。ええ、それまでふて寝を決め込んでいたんだけど、ガバと)。それは、男が脱走兵である場合

 この歌がリリースされた1970年代はベトナム戦争の時代だった。そして在日米軍基地からはベトナム送りとなるのを忌避した数多くの脱走兵が出た。あるものは日本国外に逃亡し(それを手助けするための組織が日本国内に存在した。それが「反戦脱走米兵援助日本技術委員会」。ベ平連を母体に誕生した組織で、通称「ジャテック」)、あるものは日本国内で人目を忍ぶように暮らしていた。関谷滋・坂元良江編『となりに脱走兵がいた時代』(思想の科学社)には、その最初期と思しき(一般に在日米軍基地からの脱走兵の第1号は1967年に横須賀入港中の空母イントレビッドから脱走した4人とされているものの、このケースはそれよりも早い)ある脱走兵のケースについて記されているのだけど、これがなかなか興味深い――

 神奈川県厚木基地のジョセフ・クメッツ(一九四一・二生、海兵隊伍長=コーポラル)は、一九六五年六月七日、南ベトナムへの派遣命令を受けた。わざと遅刻して三度まで輸送機をすっぽかしたが、ついに上官に寝込みをおそわれ拉致されて、六月九日、南ベトナム・ダナン基地に送られて工作隊に編入された。

 八月一六日、五日間の休暇でダナンから岩国(山口県)にやってきた彼は、八月二一日のダナン行きの輸送機に乗らなかった。そして、彼は二度とベトナムに戻らなかった。

 厚木基地の兵隊クラブのウエートレスの妻(日本人)に迷惑がかかることをおそれた彼は、九月二九日に出頭して逮捕されダナンに向かうべく岩国に送られたが、飛行機に空席が無く、二往復して結局厚木に戻された。

 一一月九日に基地を脱出して、彼は妻のアパートに行った。六六年一月九日から彼は近くの焼鳥屋で働いている。家の近くの森で眠り、家を監視しているMPの交代時に戻って、あわただしく食事、洗面、着替えをすますという日々を送っていたが、三月九日午前三時に海兵隊のMPと日本の警察に急襲されて捕まり、横須賀へ送られて軍事裁判にかけられた。三か月の強制労働、伍長から二等兵(プライヴェイト=最下級)への降格、五六ドル×三か月の罰金(減給二分の一〜三分の一、三か月といったところか)であった。

 六月一六日に刑期を終えたクメッツは、ベトナム行きを命じられて岩国経由、沖縄のキャンプ・ハンセンに送られた。翌一七日に給料を受けとった彼はコザで部屋を一週間借りた。二〇日に普天間から日本行きを企てて見つかり行動制限を言い渡されたが、直後に塀を乗りこえてアパートに戻り、二七日にもう一度試みた。移動する部隊に紛れこみ、岩国に着いた。朝になってクメッツは飛行機で大阪へ、列車に乗りかえ藤沢駅(神奈川県)で降り、タクシーで妻のもとに戻った。

 彼には合衆国に、後に離婚されることになる妻と子どもがいたが、この時期日本の妻だけが彼の支えであった。

 六六年七月半ばまでは基地に出入りしていたが、その後はアパートにひそんだ。イントレビッドの四人の衝撃的なニュースをうらやましく思いながら、妻(日本人)と別れる決心がつかずにいた。そしてベ平連に連絡をとる六八年二月一日までの一年半余の間、歯痛でガマんできずに一度医者に行ったほかは、毎朝妻が外から鍵をかけて出かける明かりを消した部屋の中で、音量を極端にしぼったテレビとウィスキーだけをなぐさめに、アパートから一歩も外に出なかった。

 「セイタカアワダチ草」に登場する男は、このジョセフ・クメッツのような脱走兵ではなかったのか? そして、そんな脱走兵を匿い、生活の面倒を見ていたのが女――おそらくはクメッツの〝妻〟のように水商売でもしながら。いつMPに発見され、逮捕されるかもわからない男との生活は気の休まる暇もないものではあっただろう。それでも充実した日々であったには違いない。なんたって、惚れた男と一緒にいられるのだから。しかし、男の方はと言えば、知らない国で、人目を忍ぶように暮らす日々に気持ちは落ち込むばかり。いつしか男はそのような生活に疲れ(あるいは「生活に 見切りをつけて」)、軍事裁判にかけられるのも覚悟で原隊に復帰することを決めた――。

 確かにこういうシチュエーションを想定するなら、すべてのつじつまが合う、とは言えないか? 問題の「コバルト・ブルーの あいつの街に/燃えるか セイタカアワダチ草」にしても、アメリカのどこかの、男の故郷の情景、ということで説明がつく。もしかしたら女は寝物語に聞かされたのかもしれない、ミーの田舎では秋になるとセイタカアワダチソウ(アメリカでの呼び名はカナディアンゴールデンロッド)が燃えるように咲き誇るんだ……。セイタカアワダチソウは日本人にとっては厄介者の外来植物ではあるけれど、アメリカ人からするならば故郷を思い起こさせる懐かしい花には違いないだろうし。それに加えてセイタカアワダチソウと在日米軍、どちらも日本国内では嫌われ者という共通項もある。男が心情を託す理由としては十分。きっと男はセイタカアワダチソウの花を見るにつけ、故郷への思いを募らせていったのだろう。そして遂にひとりそういう情景の中に帰っていったのだ――女を捨てて。後に残された女は、毎年、セイタカアワダチソウが咲く季節になると男のことを思い出すだろう。そして男が寝物語に語ってくれた情景を思い浮かべるんだ、コバルト・ブルーの空の下で燃えるように咲き誇るセイタカアワダチソウの大群落を――。こう考えるならば、この歌のヒロインは現代の蝶々夫人。であるならば、十朱幸代のような美人女優が歌うのに何の不思議もない……。


セイタカアワダチソウ

付記 もしくは少し長めのキャプション 最近ではとんと見かけることがなくなったセイタカアワダチソウの大群落ではあるけれど、あるところにはあるもんだねえ。立山町の休耕田で発見。しかし、この兇暴なまでの繁殖力を見せつける大群落も遠からずススキなどの日本固有種に取って代わられるか、宅地開発によって消え去る運命……。(2019年10月28日撮影)