生島治郎について書いた流れで、先週、泉町にある「源氏鶏太文学碑」を見に行ってきたことを書こうか。なぜ生島治郎について書いた流れで「源氏鶏太文学碑」を見に行ってきたことを書くことになるのか? それについてはおいおい説明するとして……
泉町も――「も」とは、こちらの記事を踏まえたものです――おれが通っていた富山市立東部中学校の校区に含まれており、親しい友人が住んでいたこともあって、それなりの土地勘もおれにはある。そして、その某所(いたち川の畔)に「源氏鶏太文学碑」なるものがあることもかねてより知ってはいた。しかし、訪ねたことはなかったし、訪ねようと思ったこともなかった。そもそも、読んだことがないし。いや、かつてペーパーバック屋をやっていた頃にこの人の書いた「英語屋さん」をネタにブログ記事を書いたことがあって、それは今でもアーカイヴとして残してある(こちらです)。だから、全く読んだことがないわけではないんだが……ただ、なんたってこの人は「サラリーマン小説」の第一人者だから。おれのような無頼漢とは住む世界が違う。だから、読まないのは当然というか、読んでいたとしたら、むしろ、ヘン。ただ、最近になって知ったんだが、この人は作家キャリアの後半にはそれまでとは相当に毛色の異なるものを書きはじめたそうで……
言っとくが、おれは河野典生を読むよ、これからも。それから、生島治郎も読む――、そう宣言(?)した通り、生島治郎を読んでいる。読んでいるのは、久須見健三シリーズの内、雑誌に発表されたきりになっているもので、全部で何編あるのかは不明ですが、当の生島治郎は1976年に読売新聞社から刊行された『自選傑作短篇集』巻末の「私の推理小説作法」で「この主人公を登場させた中篇シリーズを十数篇書いている」と明かしており、その内、本になっているのは、おそらくは6編(『死はひそやかに歩く』所収の4篇と『熱い風、乾いた恋』所収の2篇)。残りが雑誌に発表されたきり、ということになるわけで、10+𝒳−6だから……いずれにしたって、結構な数、ではあるよね。で、こんなことを思うにつけても、久須見健三シリーズというのは、つくづく、不幸なシリーズだなあ、と。「男か? 熊か?」でも書いたように、久須見健三シリーズはある種の〝焚書〟の対象になってきたという現実がある。1984年、旺文社は生島治郎の短編集3冊を文庫化するに当たって久須見健三シリーズに属する作品を(1編を残して)削除した。その理由は、作中に含まれる「びっこ」「かたわ」「唖」などのかつては普通に使われていた言葉(ただし、おれの小学校時代の同級生に足の不自由な子がいて、当然のことながら綽名は「びっこ」だった。で、おれが彼を「びっこ」と呼んだら、先生から注意された、という記憶がある。多分、3、4年生ころのことだと思うので、1967、8年。奇しくも「淋しがりやのキング」(『別冊文藝春秋』1967年9月号)や「死にゆくもののために」(『オール読物』1968年6月号)が書かれたころ。その当時、既に「びっこ」を使用を控えるべき言葉とする価値観が台頭しはじめていた、ということだと思う。でも、まだ社会に定着するには至っていなかった――、そういう認識で間違いないだろう)が1980年代という時代の価値観にそぐわなかった、というのがおれが「男か? 熊か?」で披瀝した仮説ではあるんだが……
話がリドル・ストーリーに及んだからには、やはりあの問題作(?)を避けて通ることはできないだろう。それは、河野典生の「ゴウイング・マイ・ウェイ」。河野典生のデビュー作であります。ハードボイルド作家のデビュー作がリドル・ストーリーである、というのは、かなり意外ではあるんだけれど、河野典生は1973年に刊行された角川文庫版『陽光の下、若者は死ぬ』の「年譜風あとがき」でこの小説について「リドル・ストーリー(結末がどちらともとれる小説)」と説明しており、明確にリドル・ストーリーを意図して書かれたものであることが裏付けられる。しかも、書かれたのは中村能三訳「女か熊か」が『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』に掲載された翌年(1959年)なんだから。「女か熊か」に触発されて書かれた、と見て間違いないでしょう。で、この河野典生版リドル・ストーリーなんだけどね……難しくってねえ。正直、おれは、いまでも分析し切れていない。だから、自信を以て書けないところがあって、これまでおれはこのブログでも触れたことがなかった。まあ、避けてきた、というのが、本当のところです。
暑い。とにかく、暑い。あまりに暑くて、アタマがヘンになりそうだ……
かつて旺文社から刊行されていた旺文社文庫はどういうわけかハードボイルドにすこぶる熱心で、生島治郎の本が8冊も出ていた。で、この8冊の内、2冊(『冷たいのがお好き』と『逆転』)は旺文社の独自編集で、残る6冊は既存の短編集の文庫化だった。ただし、そのすべてが既存の短編集をそのまま文庫化したものではなかった。中には収録作品の異同があるものがあったし、書籍タイトルが異なるものもあった。収録作品に異同があり、書籍タイトルが異なればもう別の短編集のようなものだが……ともあれ、かつて旺文社文庫からは生島治郎の本が8冊も出ていた。もっとも、旺文社文庫で生島治郎を読んだって人がどれくらいいるものか? 旺文社といえば、誰もが学生時代にお世話になった出版社のはずで、つまりは学習参考書の出版社ですよ。そんな出版社から刊行されている文庫本で生島治郎を読む……、それはあまりあらまほしきシチュエーションとは言えないような? 事実、おれも、本は持っているけれど(かつてヤフオクで箱買いした本の中に入っていた)、あの黄色で統一されたカバーにどうにもなじめないというのもあって、まあ、敬して遠ざける、というのかな。要するに、読んだことはなかった。しかし、過日、あまりの暑さに音を上げつつ、とりあえず暑さのピークが過ぎる夕方まで何か読んで時間をやり過ごそう……と、深く考えずに手に取ったのが旺文社文庫版『死は花の匂い』だった。で、この『死は花の匂い』こそは↑で書いた、既存の短編集の文庫化でありながら「収録作品に異同があり、書籍タイトルが異なる」本。そのことをおれはとうに承知しており、それもまたおれがこの本を敬遠する理由ではあったのだが……そんな本をおれは無意識に手に取っていた、ということになる。まあ、それだけ、暑かったということで(だから、十分に知恵が回らなかった)。
YouTubeで考えさせられる動画を見た。飛騨を拠点とする若い猟師が自前のチャンネルを開設して猟の模様を紹介しているのだが、おれが見たのは「寝熊猟」についてのもので(あえてリンクは貼りません。興味のある方は自分で探して下さい。さして苦もなく見つかるはずなので)……
「寝熊猟」、聞いたことがありますか? 一般的には「穴熊猟」とか「穴熊狩り」とか呼ばれているようで、ウィキペディアでも「マタギ」についての記事の中で「猟の実態」としてこう記されている――「また、クマの冬眠期である冬~初春にかけては「穴熊猟」と呼ばれる猟も行われた。これは雪が降る前にクマが越冬しそうな穴(越冬穴)を探しておき、いざ冬となったら中に眠るクマを強制的に追い出して仕留める猟である。この場合、クマは冬眠中であるために毛皮の状態が良く、また何よりも消化に必要な胆汁が使われておらず目方のある熊胆が獲れるため、第二次世界大戦前までは盛んに行われた」。件の動画でも「昨年見つけた熊穴に親父を引き連れて向かいました」と説明されており、この動画で言う「寝熊猟」が「穴熊猟」のことを指しているのは明か。だから、この動画で紹介されているのは「(冬眠中の熊を)強制的に追い出して仕留める猟」ということになるのだが……この猟法がはたしてフェアと言えるのだろうか? 何しろ、熊は冬眠中なのだ。そんな熊を「強制的に追い出して」寝ぼけ眼で出てきたところを猟銃で仕留めるというのは、およそフェアな猟法とはおれには思えない。この猟師親子が熊を仕留めるや合掌して「山の神」に感謝を捧げ、「腹を割って内蔵も仕分けて全てを持ち帰ります」――と「命」に対する敬意を見せていることを了とするにしても(動画に寄せられたコメントでは、このことに触れたものが多い。でも、獲った熊の肉を「余すことなくいただく」のは、当然だから)、そのことが免罪符になり得るのだろうか? 実は動画の中ではこんな字幕も表示される――「生きています!いつ襲ってくるかわかりません」。これを見た瞬間、いやいや、襲っているのはキミの方だろう、と。熊は、襲われているんだよ……。
かつて「〈殺し屋〉について考える」という通しタイトルで記事を3本書いたことがある。①では「殺し屋」という言葉が文芸用語として使われるようになったのは意外と新しく、1958年以降であることを「国立国会図書館サーチ」の検索結果を元に示した。で、そのきっかけとなったのは前年に刊行された高村勝治訳『ヘミングウェイ傑作選』ではないか? と。同書には、傑作と誉れ高い「殺し屋」が収録されているのだが、原題のThe Killersに「殺し屋」という邦題をつけたのはこの高村訳が最初なのだ(1953年刊行の大久保康雄訳『ヘミングウェイ短編集』では「殺人者」とされていた)。で、当該記事でおれはこんなことを書いているのだけれど――「まあ、原題がThe Killersなんだから、邦題を「殺人者」としたっておかしくはない。でも、別に物語の中で例の二人組は殺人を犯すわけではないんだから。そういう触れ込みの人物であるというだけで。だから、タイトルが「殺人者」では重すぎるというか、物語の世界観とは微妙にずれている。その点、高村勝治が付けた「殺し屋」はこの物語に漂うそこはかとないウソ臭さ(つーか、ワタシは「殺し屋」ってシャギー・ドッグ・ストーリーだと思ってるんですが、どんなもんでしょう。「アンチクライマックス的もしくは意味不明な結末を迎える」というシャギー・ドッグ・ストーリーの定義に合致しているのは間違いないでしょう。もっとも、当の高村勝治の受け取り方は違うようで、「殺し屋にねらわれているかつての拳闘家は下宿の部屋のベッドに大きな身体を横たえ、壁に向って、もうどうにもならないのだ、とくりかえす。その姿は絶望そのものである」。へえ、そんなふうに読むのかあ。そんなふうに読んだ上でこの邦題を付けているのかあ……)まで感じられるようでハマっている。今日、この短編が「殺し屋」という邦題で流布しているのだって「殺し屋」という言葉につきまとう独特の作りものめいた感じ(軽み)がこの物語にはマッチしていると多くの人が受け取ったからではないか。「殺し屋」というのは、そういう抜群の邦題ですよ」。自分で書いた文章ながら、この〝読み〟には「いいね」を付けたいな……。
もう少し貸本に関係したことを書く。これは一つ前の記事でも書いたことではあるんだけれど、日本における貸本文化の全盛期(それは、1950年代後半から60年代前半にかけて、ということになる)は奇しくも日本におけるハードボイルドの草創期と重なる。日本におけるハードボイルドの草創をめぐってはいろいろ言われているけれど、おれとしてはその「嚆矢」は鷲尾三郎が『探偵倶楽部』1954年4月号に寄稿した「俺が法律だ」だと思っている。で、これが一の矢だとしたら、二の矢を放ったのは高城高で、江戸川乱歩が責任編集を務める『宝石』1955年1月増刊号に寄稿した「X橋附近」こそはその作品(ちなみに、池上冬樹は『X橋付近 高城高ハードボイルド傑作選』(荒蝦夷)の巻末解説「原石の輝き」で「X橋附近」を「国産ハードボイルドの嚆矢と考えることも可能だろう」と書いている。同解説では大藪春彦や河野典生への言及はあるものの、鷲尾三郎への言及はない。あえて高城高を上げるために鷲尾三郎を無視した――とするならば、とてもじゃないがフェアとは言えないよなあ……)。さらに三の矢を放ったのは大藪春彦で、早稲田大学教育学部の同人誌『青炎』創刊号(1958年3月刊行)に「野獣死すべし」を寄稿。これがワセダミステリクラブの会長である千代有三の手を経て名誉顧問の江戸川乱歩に紹介され、『宝石』7月号に転載、センセーションを巻き起こす――と、概ねこんな流れだと思っている。だから、この1954年から58年にかけての4年間ほどが日本におけるハードボイルドの草創期、という捉え方で間違いないと思う。
まあね、ワールドカップがただのスポーツイベントではないことはおれとしてもわかっていたつもりではあるんだが、こうも露骨にその〝実態〟を晒されたのではもう没入することなんてできやせんよ(トランプが直電してFIFAの決定を覆したこともさることながら⦅なんと、フォラリン・バログンに対する処分の見直しは規律委員会の委員長を務めるモハマド・アル・カマリが17人いる他の委員には諮らずに「単独で行った」ものだそうだ。ここにワレワレは別の意味でサッカーにおける「個の力」の偉大さを見せつけられた、ということに……?⦆、アルゼンチン―エジプト戦がね。審判団は明らかにアルゼンチンを勝たせようとしていた。「レフェリーは良くなかった。不公平だった。その不公平さは明らかだ。試合開始から私たちを追い詰めていた。私たちの勝利を望んでいなかった。八百長だ。サポーターに喜びを届けたいと思っていたが、申し訳ない。叶わなかったし、それは私たちのせいではない」――、そう試合後に言い放ったモスタファ・ジーコの思いはおれの思いでもある)。かくて、おれにとってのFIFAワールドカップ北中米大会はラウンド16で終わった。そう、今度こそ本当に「パーティーは終わった」のだ……。
えー、「パーティーは終わった」つもりだったんですが、次の対戦相手がブラジルと決まって、ちょっとね……。実はおれはスウェーデンには負けると思っていたんだよ(かつてアジア予選を勝ち抜くことにすら四苦八苦していた時代を知るものからするならば、日本が本選でヨーロッパの国に勝てるなんて、イメージできない)。で、3位通過となって(既に勝ち点4を確保していたので、3位通過は固いという読み)、その場合の対戦相手までは頭にありませんでしたが、どの国と当たるにしたってグループリーグの1位には違いない。こうなると、スウェーデンにさえ勝てるイメージが持てないおれが明るいイメージを持てるはずがない。だから、事実上、チュニジア戦が日本の今大会のハイライトだろうと。ところが、スウェーデンと引き分けて(上出来!)、2位通過となって(上出来!)、決勝トーナメント1回戦で当たる相手が(やはりグループリーグ1位ではあるものの)ブラジルと決まって、おお! と。ブラジルと、やる。これは、勝てる/勝てない、は別にして、単純に、楽しいじゃないか! 今の世界ランキングがどうだろうが(FIFAのランキングなんて信じるに値しない。当然、日本の17位という順位も)、サッカーと言えばブラジル、だから。そのブラジルとワールドカップの(まだアイドリング状態のグループリーグではなく)決勝トーナメントで当たるっていんだから、こんなに楽しいことはない!
先週の木曜日にチョリソーを買ってきた時点では、一切、こういうシチュエーションは想定していなかったんだが……昨日、日本がチュニジアに大勝。4得点は日本のワールドカップ史上の最多得点だそうだ。しかし、わからんもんだな。特にオーラを発している選手も見当たらないってのに。元オランダ代表のファン・デル・ファールトが言ったという「(日本選手は)みんな同じように見える」という〝失言〟はおれも同意するところ。カズや中田や本田という強烈な個性を有するカリスマもいない、合宿を抜け出して女といちゃついているような不届きものもいない(あの「急にボールがきたので」という〝名言〟を発した人です)、そんなコンプライアンスにも適った〝優等生チーム〟に物足りなさを感じるサッカーファンは少なくないと思うんだが……でも、4点だから。これは、もう、黙るしかないね。とにかく、日本は勝った。だったら、今夜はパーティーだろう……ということで、木曜日に買ってきたチョリソーでチリコンカーンを作ろうと思い立った。いや、正確に言えば、チリコンカーンのカーン(はスペイン語で「肉」の意)をチョリソーに置き換えた、言うならばチリコンチョリソー。そういうものを作ってみようかなと。で、なんでチリコンチョリソーなのかについては後述するとして……大事なのは、ビールだよ。ここは、やっぱり、メキシコビールだろう。食べるのがメキシコ料理のチリコンカーンをアレンジしたチリコンチョリソーだし、日本―チュニジア戦が行われたのがメキシコ第三の都市モンテレイだし。もうね、メキシコビール以外には考えられんでしょう。これは、なんちゃってドイツ料理であるジャーマンポテトをドイツビールのエッティンガーで味わったのと同じリクツ。幸いなことに、エッティンガーを買ったやまやではメキシコビールも扱っているのだ。やまやのHPで確認したところ、扱っていのはテカテ、コロナ・エキストラ、モデロ・エスペシアルの3種。この内、チリに合いそうなのはテカテかなと。商品説明によれば「ほのかな酸味とフルーティなアロマが感じられ、スパイシーな料理にもよく合うメキシコ産ビールです」。だから、チリにはお誂え向きだろうと。