冒頭、10行ばかりあった「屈原的イントロ」を削除。「心の内の雑念をちと言うてみただけじゃ」by丹下典膳。(2019年4月6日記)
多分、この人物の紹介の仕方としては「フラナリー・オコーナーの研究者」というのが最も適切なんだろうとは思うんだけど、ただ調べたところ、現在は愛知教育大学で「教育ガバナンス講座」なるものを担当されているとか。ちょっと専門とは関係がないように思えるのだけど……。ともあれ、その現愛知教育大学教授である尾崎俊介氏が2002年に上梓した『紙表紙の誘惑:アメリカン・ペーパーバック・ラビリンス』はワタシがペーパーバック屋だった頃によーくお世話になった本。当時やっていたブログでは何度も〝虎の巻〟として活用させていただいたものです。そのため、腰巻きなんかは相当にくたびれてしまっているのだけど、ま、本は読んでもらってナンボ。これはこれで、本というもののあるべき姿ではあるはず。まあ、アレですよ、時折、刊行から何十年も経っているのに〝ミント状態〟で市場に現れるヴィンテージ・ペーパーバックなんてものがありますが、なんて不幸な本なのか……と、これは元ペーパーバック屋としてはあるまじき発言? ともあれ、その『紙表紙の誘惑:アメリカン・ペーパーバック・ラビリンス』なんだけど、一言で言うならば、「アメリカ製ペーパーバックのヤクザな性分」(カギ括弧で括っておりますが、決して同書からの引用ではなく、ワタシが勝手な解釈で要約したもの)について考察したもので、もう少し具体的に記すならば、「フラナリー・オコーナーの研究者」である尾崎氏が、敬愛する夭折の女性作家(フラナリー・オコーナーは紅斑性狼瘡という難病で39歳で亡くなっている)の作品が、その高い文学性とは裏腹な通俗的な表紙絵(のサンプルとして氏が挙げておられるのがコレ)に飾られていることに対して、義憤に駆られるのではなく(ここが素晴らしい)、むしろそれがきっかけとなってアメリカ製ペーパーバックの虜となった氏が図らずも足を踏み入れることになった「ペーパーバックの魔界をめぐる探検記」――と、腰巻きだとか「序章」だとかに綴られていることを元に記すなら、そういうことになる。
ただ、今日、ワタシがこの本について紹介するのは、その内容をモンダイとしたいからではない。ワタシがモンダイにしたいのは、その表紙。そう、臈長けた〝お女性〟(なんでもこの語は往年のハードボイルド専門誌『マンハント』の造語らしい)が淫蕩な笑みを浮かべて読者を誘惑しているGGA(Good Girl Art。ヴィンテージ・ペーパーバックのコレクターの間で使われている用語)。実はこれはフラナリー・オコーナーの本の表紙ではない。いかにアメリカ製ペーパーバックがヤクザなシロモノであっても、さすがにフラナリー・オコーナーの本の表紙にはこんなGGAは使わない。このGGAは1958年にGold Medal Booksの1冊として刊行されたJohn McPartlandという、おそらく日本ではほとんど知られていないであろう作家(さすがは小鷹信光と言うべきか、『マンハント』1961年5月号掲載の「行動派探偵小説史5 〈1950〜55〉H・B派の戦国時代」では「自称・史上最高の秩序を保ったという米駐留軍を題材にしたあやしげな東洋趣味(この傾向は今日まで続いています)を盛り込んだジョン・マックパートランド "Tokyo Doll(53)" などの東洋もの」などと紹介。なお、「行動派探偵小説史」は「小鷹信光PBスクラップブック」で閲覧可能)のRipe Fruitというハードボイルド小説の表紙。まあ、尾崎氏としては、数あるペーパーバックの表紙の中でも、「アメリカ製ペーパーバックのヤクザな性分」を考察した本の表紙として、これ以上ふさわしいものはないと判断したということなんだろう。ところが――だ、実はこれは同書には一切記されていないことではあるんだけれど、このGGAには少しばかり意外な来歴がある。本来ならばこの絵は「アメリカ製ペーパーバックのヤクザな性分」を考察した本の表紙を飾るはずのないものだったのだ。以下、そういう話を少しばかり。
ということで、まずはこの表紙絵の原画(と思われるもの)がとあるギャラリーのウェブサイトで公開されているので、それを見ていただくことにしましょう。一見してこれがGold Medal Book #732の表紙絵の原画であることは明らかですよね。ただ、Gold Medal Book #732の表紙絵として使われるに当って相当の改変が施されている。原画を見るとこれは沐浴の後にタオルで髪を拭いている場面を描いたものであることがわかるのだけれど、そのタオルはきれいサッパリ消し去られている。そして〝お女性〟の耳にはイヤリングが垂れ下がり、手にはタバコを持たされ、淫蕩さをきわだたせるためなのか、ホクロまで描き加えられている。さらにはより上から見下ろす感じにするためなんだろうなあ、絵全体を若干左に傾けている。こうすることで、プロスティチュートが得意の決めポーズで男を誘っている、みたいな図柄に仕上がっている(背景の花柄のカーテン? からは、そこが寝室であることも想起させる)。一方、原画を見ると、確かにこれも相当にエロい絵ではあるのだけれど、そこまでの淫蕩さは感じられない。むしろ、しゃがみ方などには女性らしい慎みが見てとれて、ぎりぎり上品と言えないこともない。また足元を見ると芝生のようなものが描かれているのがわかるので、場所は屋外であることがわかる。とすると、背景の青は青空を表したものだろうし、そう思ってみるとなかなか健康的で、エロくはあるけれど、大らかなお色気、とでも言うのか。夏の保養地での一場面――、そんな想定ができないこともない。こうなると、Gold Medal Book #732の表紙絵に使われるに当って施された改変の中で最も効いているのは、意外と背景を花柄のカーテンに変えたことかも知れない。これによって、密閉された空間ならではの隠微さが演出されているのは間違いない。
――と、こう見てくると、この原画がたどった〝転落〟の軌跡はまるで1人の貞淑な人妻が娼婦に転落する過程のようでもあり、まさに「アメリカ製ペーパーバックのヤクザな性分」を物語るサンプルとしては十分と言えそうなのだけど――でも、読者は疑問に思われないだろうか? なぜこの原画はここまで改変されなければならなかったのか? もしかしたらこの小説のために描かれたものではなかった? 実は、そうなのだ。この原画はRipe Fruitという小説のために描かれたものではない。いや、それどころか、そもそもペーパーバックの表紙絵として使うために描かれたものですらない。え、なんでそんなことが言い切れるのかって? それを示す証拠があるのだ。ここでもう一度、原画をよーく見て欲しいのだけれど、洗面器の下あたりに作者のサインと思しきものが認められるはず。記されているのは、こんな文字――
E. CHIRIACKA
このサインの主はアーネスト・チリアカ(Ernest Chiriacka。ファミリーネームに関しては2つ目のcを省いたChiriakaと綴られることもある)という人物で、1950年代から60年代にかけて主にスリック(高級誌の意。大衆誌をパルプと呼ぶのに対して、こう呼ばれる)を舞台に活躍したコマーシャル・アーティスト。ここでは彼の死後、2012年になって刊行されたThe Sketches of Ernest “Darcy” Chiriackaに記されたその経歴の一節を紹介するなら――
Ernest began his professional career painting signs in his neighborhood and taking photos for driving licenses. His talent was quickly recognized by publishers, and his paintings began to grace the covers for pulp magazines. He eventually became an illustrator for national magazines. The Saturday Evening Post, Cosmopolitan, Argosy, and American Magazine were just some of the magazines that carried his illustrations. In the early 1950's he began painting the coveted Esquire “Pin-Up” calendar girls and continued to do so for five years. He was also commissioned to paint portraits of many leading film stars and created movie posters for major movie studios.
で、問題の原画にE. CHIRIACKAとサインされていると、なぜそれがペーパーバックの表紙絵として使うために描かれたものではないと言えるのかというと――確かにアーネスト・チリアカはスリックを主な活躍場所とする一方、相当数のペーパーバックの表紙絵も描いていることが知られてはいるのだけど、彼はペーパーバックの表紙絵にはE. CHIRIACKAとはサインしていないのだ。ではどうサインしているかというと――
DARCY
そう、The Sketches of Ernest “Darcy” ChiriackaのDarcy。ダブルクォーテーションで括られていることからも想像がつくように、これはアーネスト・チリアカのニックネームだったそうで、実はその由来について自ら語ったインタビューが存在する。2003年にアメリカで発行されているIllustration Magazineというデザイン専門誌に掲載されたもので、インタビュアーのデイヴィッド・サンダース(David Saunders。父はパルプ雑誌全盛期の名物絵師、ノーマン・サンダース。数は多くないものの、ペーパーバックの表紙絵を手がけたこともあって、弊サイトのトップページで表示しているコレなんかがそう)に尋ねられるままに答えたその由来とは――
DS: What was that full name?
EC: “Anastassios Darcy.”
DS: Where did you get that name from?
EC: Well, we're Greek, and my name, “Ernest,” is actually Anastassios, and that was shortened for my nickname, “Tasso,” which is pronounced, “Dah-so,” or as they say, “Darcy.” That's how we got “Anastassios Darcy!”
で、実は1950年代から60年代にかけて主にスリックで活躍していたアーネスト・チリアカというコマーシャル・アーティストが同じ時代、Darcyという変名でペーパーバックの表紙絵も描いていた、ということが判明したのはこのインタビューによって。それまでは、相当数のペーパーバックの表紙絵にDarcyとサインされたものがあることは知られていたのだけど、それがあのスリックの花形絵師(アーネスト・チリアカはThe Sketches of Ernest “Darcy” Chiriackaの経歴にも記されているように1952年から57年までEsquireの新年号の附録カレンダーのイラストを担当しており、当時は花形絵師と言っていい人気を誇っていた)であるアーネスト・チリアカの変名であることは知られていなかった。実際、この世界ではバイブルと目されているピート・スフリューデルスのPaperbacks, U.S.A.(『ペーパーバック大全』というタイトルで邦訳も出ている)に掲載されているWho's Who in Cover ArtではDarcyについて――
DARCY
Probably a pseudonym. He (or she) produced covers for Avon, Dell, Perma Books and Pocket Books during the late '50s.
記されているのはこれだけ。ピート・スフリューデルスにして、この程度のことしか書けなかった。まあ、正体不明の〝謎の絵師〟だったわけだからそれも無理はない。それが、2003年、Illustration Magazineのインタビューによって初めてアーネスト・チリアカの変名であったことが判明したという次第。もっとも、Illustration Magazineの記事にはアーネスト・チリアカがペーパーバックの表紙絵も手がけていたことは一切記されていない。これはインタビュアーのデイヴィッド・サンダースがその事実を把握していなかったのか、それともペーパーバックの表紙絵の仕事はアーネスト・チリアカのキャリアの中では決してメインとなるものではなかったので特に言及する必要がないと判断したからなのか、その辺はわからない。ただ、このインタビューによってアーネスト・チリアカが自らのニックネームであるDarcyという変名を使っていたことが判明したので、あのDarcyとサインされた数々のペーパーバックの表紙絵もアーネスト・チリアカが手がけたものであることが判明した――ということにはなる。
しかし、なぜ彼はスリックから発注を受けたイラストとペーパーバックの表紙絵ではサインを変えたのか? なんでも当初から彼の目標はスリックで仕事をすることだったとかで、コマーシャル・アーティストとしてのキャリアの振り出しがパルプ雑誌であったのも、いずれスリックで仕事をするための踏み石(stepping stone)という考えだったとか。そして、将来的にパルプ雑誌の挿絵画家だったという過去がコマーシャル・アーティストとしてのキャリアアップの妨げとならないよう、「覆面を被る」ようにしたというのだ。ここはデイヴィッド・サンダースが記すところを引くなら――
Like most young artists of his generation, Chiriacka's sole intention was to be as big as Leyendecker or Rockwell. Haddon Sundblom and Gil Elvgren had also grown from working-class illustrators into “stars” of the popular culture, and Darcy was determined to follow. To preserve his good name for his anticipated career in the slicks, the artist masked his work for the pulps behind aliases, fictitious signatures, and unsigned work. This strategy allowed him to earn good money from the plentiful pulp jobs, while he looked for the next stepping stone to the slicks. Artists needed agents to get into the slicks, but agents would not represent artists who only did low-paying pulp art career. He never signed his covers for Popular publications. For Thrilling he assumed the initials “A.D.” The full name was never actually spelled out, but this allowed the fictitious “Anastassios Darcy” to moonlight for the opposition. He signed his covers for Sweetheart Stories “E. C. AckA,” and he left work for other Dell publications unsigned or even masked his style, and yet the inherent flair of his draftsmanship always belied these masquerades.
ただ、これは彼がまだスリックで仕事をするようになる前の話で、ペーパーバックの表紙絵を手がけるようになったのは、既に彼がスリックの花形としてバリバリと仕事をしていた1950年代。その時代にも本名ではなく、Darcyというニックネームでサインするという、いわば「覆面を被る」行為が必要だったのにはもう1つ別の理由があったらしい。これもまたデイヴィッド・サンダースが記すところを引くなら――
Darcy was always a fast painter, but story illustrations for the slicks required a composition with a cast of specific characters, and that doesn't just happen as effortlessly as his paintings appear. Each finished job would take about a week. His slick prices were high, but the preparatory work was much harder and contracted jobs were far less plentiful than pulps, so the artist soon noticed that his annual salary in the slicks would actually be lower, thanks to his exclusivity clauses. Chiriacka realized that survival in the post-war slicks was still financed by unsigned work and aliases, as much as it was in the pulps. “There was always a clash between the Post and Collier's. They'd tell us, ‘If you want to work for the Post, you can't do any Collier's work!’ And the Collier's people would say the same thing. ‘If you want to do Collier's stuff you're not going to be doing any Post!’ In my case, I gave a different name on them. I don't remember which is which, but I did have two names. One for each!’ For financial reasons, the Mendelssohns also encouraged Chiriacka to accept freelance work from rival slick magazines, or even to sign new “exclusive” contracts under assumed names.
(...)
Over the next 13 years, the artist flourished among the slick magazines under contract and freelance, by the names Darcy, d'Arcy, E.Chiriaka, and James Fennimore Darcy Jr., continuing his chameleon habit of sacrificing his name for freelance employment with a variety of competing publishers. After a lifetime of aliases, Darcy had succeeded in becoming wealthy by working like a dog for every available publisher, but in so doing he forfeited any expectations that “Chiriaka” would become a household-name, along with his rightful place in the history of American illustration.
スリックのペイは確かに恵まれたものではあったようなんだけれど(なんでもパルプ雑誌の挿絵は1枚$60から$75だったのに対して、スリックに最初に売れたイラストは$1,500だったという)、パルプ時代のように大量の発注があるわけでもない。そのため、トータルの収入としては必ずしも高くはなかった。でありながら、出版社側はアーティストたちに対しては契約に含まれる独占条項を盾に他社の仕事をすることを許さない。これでは食って行けない。ということで、エージェント(Celia Mendelssohn)は変名を使って他社の仕事をすることを、むしろアーティストに勧めていたと。結果、アーネスト・チリアカは本名でSaturday Evening Post? Collier's? どっちがどっちだったかは覚えていないと言っているのは、まあ、一種のおとぼけかな? の仕事をする一方、それ以外のさまざまな変名で〝アルバイト〟をしていた(最初の引用部分では「アルバイトをする」という意味の俗語であるmoonlightという単語も使われている)。そんな変名の1つがDarcyだったということが記されているのだけど、それはペーパーバックの表紙絵を描くために使われたものだとは、デイヴィッド・サンダースは記していない。しかし、残された数々の表紙絵の存在によって、それがまさにペーパーバックの表紙絵を描くために使われた変名だったことが裏付けられる。できればそういうこともデイヴィッド・サンダースには書いておいて欲しかったんだけどなあ。
ともあれ、こうした事情がわかれば、Gold Medal Book #732の表紙絵に使われた(と思われる)原画がそもそもはペーパーバックの表紙絵とするために描かれたものではないことは明らか。なにしろ、そこにはハッキリとE. CHIRIACKAとサインされているのだから。ただ、現にその絵はGold Medal Book #732の表紙絵として使われている。しかも、あんなにも無残な改変まで施されて……。一体何があった? まあ、ここからは全くの想像になるのだけど、おそらく件の絵はもともとはEsquireあたりのピンナップのために描かれたものだろう。実際、現在、この原画を公開しているギャラリー(Casweck Galleries。なんでもアーネスト・チリアカを専門に扱っているそうで、ウェブサイトでは他にもアーネスト・チリアカのイラストや油彩画などが数多く紹介されている)では件の画像に111107_Pinup.jpgというファイルネームを付けている。またIllustration Magazineの記事には件の原画と同じようなセミヌードの女性を描いたものが4点ばかり紹介されているのだけど、それらにはOriginal pin-up illustarionというキャプションが付されている。こうしたことから見て件の「髪を拭く女」(ドガの「背中を拭く女」に倣ってこう名付けることにしましょうか。また絵の構図自体、若干、似ていないこともない?)はEsquireあたりのピンナップ用に描かれたものと考えて間違いないだろう。しかし、何らかの理由でその絵は出版社側に買い取りを拒否された。もしかしたら、いささかお色気が過ぎると判断されたのかもしれない。しかし、アーネスト・チリアカとしては(あるいは、エージェントとしては?)、せっかくの作品をボツにするのは忍びない。そこで、その絵をGold Medal Booksの編集部に持ち込んだ(その時点でアーネスト・チリアカは既に何点かの表紙絵をGold Medal Booksに提供していた。何を隠そう、デイヴィッド・グーディスのThe Wounded and the Slainも表紙絵はアーネスト・チリアカ)。ところが、Gold Medal Booksの編集部の判断としては、件の絵はペーパーバックの表紙絵とするには、逆に上品すぎたのではないか? ということで、買い取りに当ってはその絵にしかるべき改変を施すことを条件とした。かくて青空の下で健康的なお色気を振りまくピンナップガールは密閉された寝室で淫蕩な笑みを浮かべて男を挑発するプロスティチュートに生まれ変わってGold Medal Book #732の表紙を飾ることになった――。
そして、その表紙絵は、それから40年ばかりを経て日本のとある学究が「アメリカ製ペーパーバックのヤクザな性分」を考察した本の表紙に採用されるという思いがけない展開となったのは――うん、当の研究内容に照すならば、1つの必然だったと言うしかなく……。