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工藤ちゃんの秘密
〜松田優作とハードボイルドをめぐる「独自研究」①〜

 現在、ウィキペディア日本語版の記事編集に参加している人数(登録者数ではなく、実際に活動中の人数)は約15,000(「ウィキペディア日本語版の統計」参照)。この人数をめぐっては特に感慨もないのだけれど、ただ5月以降に1000人単位で増えているのは、なるほどなあと。これがStay Homeの影響であることは明らかなので。今、世間では「コロナベイビー」なんてことが言われておりますが(ちなみに、今のところウィキペディア日本語版には「コロナベイビー」という記事はない模様)、ウィキペディア的にはさしずめ「コロナ記事」とか「コロナ編集」とか……?

 さて、もしかしたら『探偵物語』のファンの方々からは、余計なことすんじゃねーよ――とお叱りを受けることになるかもなー、と思いつつ、つい出来心で(ちゃうちゃう、十分に考えた上です……)やっちゃいました、ウィキペディアの『探偵物語』の記事の編集。従来、ウィキペディアの『探偵物語』の記事では「概要」として次のように記されていた(旧版への固定リンク)のだけれど――

私立探偵の工藤俊作が、街の仲間達の協力を得たり、彼を邪魔者扱いする刑事たちを手玉に取りつつ、様々な事件を捜査していく様を描いたドラマ。

作品の企画に伴い、プロデューサー山口剛の早稲田大学在学時代からの友人でハードボイルド評論家・翻訳家である小鷹信光を招いてハードボイルド講習会を主催するなど、企画段階では小鷹自身のハードボイルド論に基づいて本格的な主人公の設定が提案されている。しかし、実際の映像ではアドリブが頻発するなど、本気と冗談が入り混じった独特の世界観が築かれた。

口数が多くコミカルな演技と、吹き替えなしのアクションシーンのギャップ等、松田が演じる本作品の主人公は、それまでのシリアスでニヒルなハードボイルドのヒーロー像を一変した。

 これを読んで、おいおい、違うだろうよと。特に、最後の部分。「松田が演じる本作品の主人公は、それまでのシリアスでニヒルなハードボイルドのヒーロー像を一変した」――というのは、全然違うだろうよと。松田優作が『探偵物語』で演じた工藤俊作(工藤ちゃん)は確かにユニークなキャラクターで、一般的なハードボイルドのヒーロー像とは相当に毛色が異なっていた。しかし、ああいうタイプのヒーローがそれまで存在しなかったわけではないんだ。むしろ、1950年代から60年代にかけては、ああいう「口数が多くコミカルな」探偵の方が主流で、逆に「シリアスでニヒルなハードボイルドのヒーロー」なんてのは絶滅危惧種もいいところだった。ためしに『マンハント』を紐解いてみればいい(と言ったって、そんじょそこらに転がっているものではないけれどね)。そこに出てくるのは「工藤ちゃん」みたいなやつばっかりですよ。ということで、ちょっとばかり迷ったんだけどね(なにせ、『探偵物語』には偏執的なファンがおりますので。昔、『タモリ倶楽部』で「第1回YOUSAKU選手権」なんて企画があって、爆問の太田と当時はまだ海砂利水魚だっかな? の上田が「日本一の松田優作マニア」をめぐってバトルを繰り広げるというね。で、上田が太田に対して松田優作が自らやっていた『探偵物語』の予告編のナレーションを第何話でもいいから言ってみろ、と振ったところ、太田が第7話だかのナレーションを見事に諳んじてみせたのにはドン引きしたものです。しかし、『探偵物語』にはこんなちょっと一般人が引いちゃうような〝信者〟がついているということは、この時点でワタシの〝灰色の脳細胞〟にインプットされることに……)、でも気に食わないんなら元に戻してもらっても結構なので。ということで、↑に引いた部分、ワタシは次のように書き直した(修正版への固定リンク)のだけれど――

私立探偵の工藤俊作が、街の仲間達の協力を得たり、彼を邪魔者扱いする刑事たちを手玉に取りつつ、様々な事件を捜査していく様を描いたドラマ。

作品の企画に伴い、プロデューサー山口剛の早稲田大学在学時代からの友人でハードボイルド評論家・翻訳家である小鷹信光を招いてハードボイルド講習会を主催するなど、企画段階では小鷹自身のハードボイルド論に基づいて本格的な主人公の設定が提案されている。しかし、実際の映像ではアドリブが頻発するなど、本気と冗談が入り混じった独特の世界観が築かれた。第12話「誘拐」では工藤俊作がアドリブでカメラに向かって「日本のハードボイルドの夜明けはいつ来るんでしょうかね、小鷹信光さん」と問いかける一幕もあった。

こうした口数が多くコミカルな演技は、サム・スペードやフィリップ・マーロウに代表されるシリアスでニヒルなハードボイルドのヒーロー像とは相当に毛色が異なっており、むしろリチャード・S・プラザーが生み出した海兵隊上がりの私立探偵、シェル・スコットやヘンリー・ケインが生み出したプレイボーイ探偵、ピーター・チェンバーズなど、いわゆる「通俗ハードボイルド」に登場する私立探偵に近い人物造形となっている。

 これが、ファクトです。決してオカムラ・トシユキという一個人がそう解釈する、というような次元の話ではなく、ハードボイルドなるものの発展の経緯を正しく理解するならば――そして、その上で『探偵物語』というテレビドラマを位置づけるならば――こうなる。ただ、太田や上田みたいなカルト的なファンからするならば、面白くないだろうね。だって、ワタシの修正版に従うならば、松田優作が作り出した工藤俊作というキャラクターは決して松田優作の独創ではなく、既に存在していたものの焼き直しだった、ということになるのだから。そりゃあ、松田優作を崇拝するものからするならば、受け入れられないでしょう――事実だとしてもね。加えて、もしかしたら、通俗ハードボイルドってなんだよと。オレたちの松田優作に向かって通俗とは……⁉ と、そういう反応もありうるかもネ。でも、そーじゃないんだよ。むしろ、松田優作が演じた工藤俊作がいわゆる「通俗ハードボイルド」に登場する私立探偵に近い人物造形となっているという、このことに大きな意味があるんだよ。それは、松田優作がいかに真剣に「ハードボイルド」について考えていたかという証しでもあるので。彼は「ハードボイルドのヒーロー像」というものを考えに考えた上で、あえてああいう「通俗ハードボイルド」に登場する私立探偵に近い人物造形を目指すことにしたのだ――きっと。そのことを『探偵物語』のカルト的信奉者にこそ知って欲しいんだけどねえ。ただ、ウィキペディアの場合、「独自研究」と言って、我流の解釈を披瀝するのはご法度とされている。まあ、確かにそれをやりだしたらキリがないのでね。だから、編集するにしたって、客観的な事実を(それこそ「ハードボイルドな」文体で)書き加えるに止める必要がある。そのため、ああいうかたちにはなったのだけれど、ワタシ的には書き足りないにもほどがある。ということで、以下、何を書こうがどこからも文句をつけられる筋合いのないこの場所(サイト)でウィキペディアには書けなかった松田優作とハードボイルドをめぐる「独自研究」の成果を披露することにいたしましょう。

 まずは、ワタシの修正版を読んでほとんどの人が思うであろうギモンにお答えすることから始めましょう。つまり、リチャード・S・プラザーやヘンリー・ケインって、誰? ま、これは断言してもいいんだけれど、『探偵物語』のマニアでリチャード・S・プラザーやヘンリー・ケインを読んでいる、なんて御仁はまずおらんでしょう。それもムリはない。リチャード・S・プラザーもヘンリー・ケインもウィキペディア日本語版には記事がない――つーか、ヘンリー・ケインなんて英語版にも記事がないんだ。これには驚きました。日本語版に記事がないのはある程度納得ですが、英語版にもないなんて……。ま、そういう状況なんだから、太田や上田(やウィキペディアの記事の執筆者)が知らなくっても当然。そうなると、当然のことながら、彼らが生み出したシェル・スコットやピーター・チェンバーズなんて知っているわけがない。畢竟、ハードボイルドといえば、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーであり、サム・スペードやフィリップ・マーロウである、ということになる(実際に読んでいるかどうかは別)。そして、松田優作が『探偵物語』で演じた工藤俊作がそうした「シリアスでニヒルなハードボイルドのヒーロー」とは相当に異なっており、つまりは松田優作は『探偵物語』においてそうした出来合いのヒーロー像を「一変」してみせた――という評価につながるわけだけれど……事実は違うんだな。あの種のキャラクターは既に存在したんですよ。むしろ、1950年代から60年代にかけては、ああいう「工藤ちゃん」みたいな「口数が多くコミカルな」探偵の方が主流で、逆に「シリアスでニヒルなハードボイルドのヒーロー」なんてのは絶滅危惧種もいいところだったのだ。それが今では逆にシェル・スコットやピーター・チェンバーズのようなタイプの方が絶滅危惧種――つーか、完全に絶滅種となってしまっているので、なかなかそんなふうには思えないだろうけれど(ちなみに、なぜシェル・スコットやピーター・チェンバーズのようなタイプは絶滅したのか? 定説では、それは、ベトナム戦争の影響である、ということになっている)。

 じゃあ、シェル・スコットやピーター・チェンバーズって一体どんなやつだったんだ? そして、本当に「工藤ちゃん」はソイツらに似ているのか? これについては、もしアナタの手元に『マンハント』があればテもなく割り出すことができるのだけれど、まあ、↑にも書いたように、そんじょそこらに転がっているものではないのでね(と言っても、ブツは豊富にあって、「日本の古本屋」でも1冊800円から1000円程度。『マンハント』が『新青年』のように高値で取り引きされるようになることはまずないでしょう)。ということで、以下、ワタシの手元にある『マンハント』をテキストに、かつてわが国でも一世を風靡した「通俗ハードボイルド」に登場する私立探偵とはどのようなものだったのか? ということをお示しすることにいたしましょう。まずはワタシの修正版の記載に従ってシェル・スコットから行くなら、『マンハント』1962年9月号掲載の「キじるしブルーノ」(山下諭一訳)からこんな場面をご紹介――

 となりのテーブルにいた男のことを、おれはもう少し考えてみた。キ印野郎のブルーノが、仲間をつくるなんてちょっと考えられない。これまでに聞いた話から判断すると、ブルーノって男、焼きもちのためにますます頭にきちまったキ印だと考えていいだろう。ますます頭にきたということは、つまりますます危険になったということだ。おれのささやかな経験からいっても、焼きもちってやつは、殺人の最高の動機のひとつといっていい。だけど痴情沙汰から起こる犯罪は、たいていがいやに直接的で、どぎついものだ。とにかく、ブルーノって男のことを、もっとくわしく調べたい。それに、ぼつぼつこんなところからとび出したくなってきた。
「出かけたほうがよさそうだね、エレン。もしなにか起こるにしても、こっちだって用意はできてるんだから」エレンから電話がかかって、ラグーナ・ビーチから出かけるときに、おれは愛用のコルト三八スペシャルを、ちゃんとホルスターにおさめて脇の下につってきたんだ。
「だって、シェル、お酒を飲んでしまわなくちゃ。あなたといっしょなら、少しもこわくはないわ。あなたって――いっしょにいるのに最高の男性ね」なんともうれしいことを言ってくれて、エレンはおれの手をぐっとにぎった。ずいぶん力がこもっている。「それに、一回くらいは踊ってちょうだいよ。ダンスでもすれば、気分がもっと落ちつくかもしれないわ」
「ふーん。だけどね、ぼくはどうも落ちつけそうにないな」ダンス・フロアの暗やみで、すてきなエレンの体にぴったりくっていてきたとしたら、どんなことに相なるか、考えなくてもわかっている。だがエレンのほうは、さっさと腰をあげ、おれの手をひっぱった。おれも立ちあがらざるをえない。
 エレンの体は、おれの腕のなかへやわらかくとけこんで、血管のなかにまでしみこんできた。一方の手を、おれのうなじにそっとおき、静かにかつ休みなくまさぐっている。体がいよいよぴったりとくっついてきた。リズムにのって揺れながら、エレンの体はやわらかく、あったかい。いささか大胆すぎるくらいだ。そのまま一分間ばかり、おれはもう我慢ができなくなって、口を開いた。「ねえ、こうしてるの、とっても楽しくって、てんですてきだけどさ、だけど、ぼくは、その、つまりだね、これは少々――」
「シーッ、いったいどうしたの?」
「どうしたのって、そんなこと聞かなくたってわかるだろう。冗談じゃないんだぜ。きみは新婚旅行の最中で――」
「ちょっと待って」エレンはダンスをやめて、両腕をおれのくびにまきつけた。いよいよもって冗談じゃない。(略)

 ね、一体どこが「シリアスでニヒル」だってんだ……。ちなみに、シェル・スコットは海兵隊上がりという設定で、「身長が六フィートと二インチ、つっ立った短い髪は、ほとんどまっ白、ふとい眉毛が、これも白、顔のほうは、もと海兵隊のつわものといえばかんたんに想像がつくだろう」。ところが、そんなご面相にもかかわらず〝お女性〟には人気がある。この辺が、まあ、斎藤美奈子女史から「ハードボイルドとは男性用のハーレクインロマンス」と揶揄されるユエンだろうね。あと山下諭一訳について一言だけ述べておくなら、地の文では一人称を「おれ」としながら、会話文では「ぼく」。「通俗ハードボイルド」やその亜種である「軽ハードボイルド」(都筑道夫の命名)の特徴の1つはセクシズムにあると言っていいと思うのだけど(『マンハント』なんてミステリー雑誌でありながら、ヌード・ピンナップのおまけ付き。で、裏話的な話をすれば、このヌード・ピンナップは『マンハント』の版元である久保書店の久保藤吉社長に対するアピールだったという。新保博久著『ミステリ編集道』で『マンハント』編集長の中田雅久がインタビューに答えて――「結局エロティックなもの、セックスの本で売り出してきた本屋さんですから、そういうものが売れるんだという固定観念があるんです。お色気もある雑誌だからって言って版権取ってもらったんだから、そういう顔も立てなきゃいけない」。久保書店はあの高橋鐵が主筆を務めた性風俗誌『あまとりあ』の版元でもあった)、地の文と対女性の会話文で一人称を変えるあたり、翻訳者の山下諭一個人は女性に対して至ってピュアな思い(ある種の女性恐怖症)の持ち主だったのでは……?

 さて、お次はピーター・チェンバーズ。実はワタシは、もしかしたら松田優作はピーター・チェンバーズを参考にしてあの工藤俊作というキャラクターを作り上げたのではないか? と思っている。多分、こんなことを言ったヤツはこれまで誰もいないと思うけどね。また、『探偵物語』のファンにとってはお宝本となっている『甦れ! 探偵物語』増補決定版(この本には小鷹信光の「企画原案」が収録されている。そういう意味では、小鷹さんに私淑するワタシのような立場の人間にとってもお宝本)のどこをどう嘗め回してもピーター・チェンバーズのピの字も見当たらない。でも、ピーター・チェンバーズの言動には「工藤ちゃん」を彷彿とさせるものが間違いなくある。ここは論より証拠、『マンハント』1961年9月号掲載の「ドライ・ジンと殺人と」(中田耕治訳)より、まずは冒頭部分(なお、本作ではピーター・チェンバーではなくピーター・チェンバーとされている。しかし、権田萬治編『海外ミステリー事典』などではピーター・チェンバーとされていて、本稿でもそれに従っておりますが、でもハード・バップ時代のジャズ・ベーシストはポール・チェンバーだし。あと、ジェームか、ジェームか、というのもあるし。ま、本稿には何の関係もない話だけどね)――

 事件が起こったところを見ちゃったし、何ともハヤ、へんなぐあいに捲きこまれちまったものだから、警察の連中は、まさに小生を訊問する権利があった。
 この刑事は速記者(男デス)をつれていて、普通の警官みたいな訊問の仕方はしないで頭のきれる弁護士のような反対訊問スタイルで訊問するのだが、頭のヨワイ警察のやつが頭のいい弁護士みたいな気のきいた訊問をすると、こっちの頭にきちゃんだね、これが。
 そこで俺は話すの、やめた。
 そしたら俺は殴られた。おかげで弁護士よりもずっと刑事らしくなった。俺はそいつの手をひょいっとつかまえて、そいつの力の大部分を削いでやったが、全部というわけにはいかなかった。
 この刑事、ニュー・ヨーク市警の殺人課、警部、ルイス・パーカー。いつもはいいやつだし、身長は普通だが身体つきはピアノ。
「わかったよ、ピート。俺がわるかった。しかし、貴様、俺をナメてるぞ」
 誰がナメるかい、こんなやつを。
「話せ」と、おっしゃる。
 鼻が薄赤くなってるくせに顔色の青い速記者がジロリと俺を眺めて、ゾッとしない笑いを見せた。
「このサルをつまみ出してくれ」と、小生。「それから、俺に阿呆らしい質問を浴びせて記録にとろうなんて了見は起こすなよ。俺には俺のやりかたがある。なんならあんたと協力してもいいぜ」
 パーカーがいった。「仕方がない。出て行ってくれ、オルドリッジ」速記係はメモを閉じて、うっそりと出て行った。
「いつから速記者なんてつれて歩くようになったんだい?」
「話せ」パーカー。しつっこいんだ、こいつは。

 いやー、「何ともハヤ」。松田優作が主演した『野獣死すべし』のキャッチコピーで「こんなハードボイルドがあるのか?」てのがありましたが、別の意味で「こんなハードボイルドがあるのか?」――ですよ。ちなみに、ワタシはウィキペディアの『探偵物語』の記事では『タモリ倶楽部』の「第1回YOUSAKU選手権」でも話題となっていた予告編に関連して「ピーター・チェンバーズのシリーズを多く手がけた中田耕治の訳文を彷彿とさせるものがあった」ということも追記しているんですが、その根拠としているのがまさにこの冒頭部分。思いっきり早口でこの冒頭部分、特に最初の6行を読み上げれば……ね、まさにあのユニークな予告編のまんまでしょ? ワタシだって、決して根拠もなくウィキペディアの記事を編集しているわけではゴザイマセン。

 で、それなりの信用を勝ち取ったところで(?)、さらにもう1コ、サンプルとしてお示ししましょう。ピーター・チェンバーズといえば、世間では(というか、歴史的には? 今の「世間」でピーター・チェンバーズを知っているニンゲンなんて……)プレイボーイ探偵として通っているわけですが、そんな色男の面目躍如という場面――

 カーティスがいった。「ピーター・チェンバース。ミス・イーディス・ワイルド」
 俺は立った。
 彼女の掌は冷やっとしてやわらかだったが、人柄が感じられないような冷たさではなかった。顔の表情は叮重で、とりすましていて美しかった。
 カーティスがいった。「どうぞおかけください、ミス・ワイルド」
 彼女がいった。「あなたがピーター・チェンバースですのね、お噂はうかがいましたわ」
「はあ」こっちはせいぜいインテリらしく答えた。
 カーティスは不意にいった。「私はこれから下町に行く同伴がありましてね」立ちあがって俺に手をさしのべてきた。「これでこちらの知っていることはだいたいおわかりですな。今夜またおめにかかった上でお話しましょう。六時半の約束は忘れないでください」
 かくて、ミス・イーディス・ワイルドとミスタ・ピーター・チェンバースが二人だけが残った。ワルいねえ。

 このミス・イーディス・ワイルド、「髪が赤。みごとなブロンド・レッド。眼は緑。眼じりがキリッとつりあがっている。人を催眠術にかけるような表情。赤と緑はどういう場合でもグッとくるがミス・ワイルドの場合、赤と緑は何か特殊なもので訴えている。それにその身体(からだ)つき……」。そんな〝お女性〟と2人きりになったものだから、「ワルいねえ」。で、実はですね、この最後の「ワルいねえ」は、原文にはないのだ。多分、そうじゃないかなあ、という見当はついたのだけれど、そう書くからにはウラを取る必要がある。ということで、今日になって本作のオリジナルであるMartinis and MurderのKindle版を入手(ちなみに、本作のオリジナルは元々はA Halo For Nobodyというタイトルだった。それをAce Booksがペーパーバック化するに当ってMartinis and Murderと改題。このペーパーバック用に改題されたタイトルを中田耕治はさらに「ドライ・ジンと殺人と」に改題したわけだけれど、そのココロは――「ごらんのとおり、原題は頭韻がふんであります。邦訳は『ドライ・ジンと殺人と』、つまり脚韻をふんだわけ。おツムよりおミアシのほうが好きなんだろうって? いえ、それはミスタ・チェンバースのお好みなんでして、はあ」。もうたまりませんですよ)。最後の1行は単純にこうなっている――

And then Miss Edith Wilde and Mr. Peter Chambers were all alone.

 このあとに「ワルいねえ」と付け加えるのが中田流、ということになる。ヤルねえ。しかし、ピーター・チェンバーズは(あるいは、中田耕治は)誰に対して「ワルいねえ」と言っているのか? それはもう読者に対してでしょうね。そうとしか読めない。これはもう端倪すべからざるワザと言わざるをえない。なかなか思いついたって、そこまではできないよねえ。もしかしたら中田耕治はそれこそドライ・ジン(あるいはマティーニ)でも呑みながら翻訳に当ったのでは? さしずめ、「酔拳」ならぬ「酔訳」(笑)。しかし、松田優作はピーター・チェンバーズを参考にして工藤俊作というキャラクターを作り上げたのではないか? という観点でこの「ワルいねえ」を捉えると、なかなか面白い。というのも、松田優作も『探偵物語』で読者――ならぬ視聴者(しかも、ある特定の)に語りかけるという遊びを披露しているので。それがカメラ=視聴者に向かって「日本のハードボイルドの夜明けはいつ来るんでしょうかね、小鷹信光さん」と問いかけてみせた第12話「誘拐」の一幕。当の小鷹信光が『甦れ! 探偵物語』に寄稿した「日本にハードボイルドの夜明けはくるのか」によれば(ちなみに、この一文、1993年11月20日に市ヶ谷の法政大学55年館531教室で行われた講演会の話から始まるのだけれど、ワタシ的には「何ともハヤ」。バカな後輩たちで申し訳ありません……)、小鷹信光はちょうどこの第12話の撮影現場を見学に行き、松田優作とも「ひことこふたこと」言葉を交わしているという。ま、「ひことこふたこと」ならそれほど突っ込んだ〝ハードボイルド論〟に発展することもなかったんだろうと想像できるのだけれど、とはいえ松田優作としてもなかなか刺激的な出来事ではあったはず。その高揚感があのアドリブとして帰結した……。それにしてもだ、これは小鷹さんも書いているんだけれど、「この場面は、当時もそのまま放映されたし、ビデオ版にもちゃんと収録されている。とんでもない私的なアドリブを押し通してしまった優作のワンマンぶりも偉いが、その遊びをあえて目をつむって通させてしまったスタッフ陣もみごとなものだ」。まったく同感。ただ、それを言うなら、中田耕治の「酔訳」を許した『マンハント』の編集部もエライ、ということになるよね(『マンハント』創刊号の編集後記では「この雑誌は乙にとりすましたホンヤク雑誌じゃありません。珍訳誌、超訳誌とでも申しましょうか、アメリカ人が〈マンハント〉を読んでエキサイトするのと同じくらい、いやその何倍がゾクゾクして、面白く読んでいただけるようにしました」――と、言うならば方法論としての「珍訳」「超訳」であったことが明かされている。オソレイリマシタ……)。いずれにしても、ピーター・チェンバーズと工藤俊作には、突如、読者/視聴者に語りかけるという共通点がある……。

 で、もしかしたら松田優作はピーター・チェンバーズを参考にしてあの工藤俊作というキャラクターを作り上げたのではないか? ということに関しては、これだけでも相当、有力な傍証を示しえたと思うのだけど、さらに強化する意味でもう1コだけ紹介すると――

 数区劃(ブロック)行ってからタクシイを呼ぼうとして手をあげたら、意外や意外、エリック・ゴーリン教授が俺にぴったりと寄り添ってくれた――手に拳銃を持って。
「家まで行こう」
「五十九丁目、六番街」運転手にいった。それからエリック・ゴーリンに向かって「何でむかついているんだ?」
「話がある」
「その拳銃(しなもの)を俺にくッつけとく必要があるのかね?」
 教授は、あるとおっしゃった。
「いったいどういうことデス?」小生が訊く。
 エリックがいった。「一日じゅう、あんたを尾行してたんだ」
「そりゃまたドウシテ?」ポーズを作った。「植物学者がナンデまた俺のあとを尾けまわすンだ? 俺は歩きまわる植物テナ珍種かな」
「おもしろいね、ミスター・チェンバース」
「小生、タイムリイに冗句(ジョーク)をとばす趣味があるんでね」

 このふざけた感じ。これって、もう丸っきり工藤ちゃんでしょう。工藤ちゃんそのものじゃないか。だから、ワタシは、松田優作は『マンハント』に掲載された中田耕治訳の「ピーター・チェンバーズ」シリーズに触発されて工藤俊作というキャラクターを作り上げた、というふうに強く思うんですけどねえ。そして、そんな松田優作の気持ちがワタシにはよーくわかるのだ。というのも、ワタシも中田耕治訳の「ピーター・チェンバーズ」シリーズにすっかりやられちゃったクチなので。拙サイトの他の記事を読んでいただいた方ならばおわかりいただけると思うのだけれど、ワタシはハードボイルド小説(あるいは、ハードボイルドなひと・こと・もの)を愛しつつも、こと自分が紡ぐ文章にあってはハードボイルドとは真逆――というか、ハードボイルドはハードボイルドでも「通俗ハードボイルド」の線を強力に追求しておりまして。なにしろ、一人称は「ワタシ」だもんね。「通俗ハードボイルド」の中に一人称を「ワタシ」としたものがあったかどうかまでは承知しておりませんが(ま、ないだろうね)、極力その路線に寄せていこう、というワタシなりの強い思いがこの一人称には込められている(少なくとも、「ワタシ」を「タワシ」と誤読されても甘んじて受け入れる、という覚悟はできている?)。そう、実はワタシは「通俗ハードボイルド」の大ファンなのだ。あるいは、村松友視ふうに言うならば――「ワタシ、通俗ハードボイルドの味方です」。そして、そのきっかけになったのが中田耕治訳の「ドライ・ジンと殺人と」。これを読んで、「こんなハードボイルドがあるのか?」と。必然的に翻訳者である中田耕治にも興味は向かう。すると、『宝石』1963年9月号に「ハードボイルドは死滅する」という刺激的なタイトルの一文を寄稿していることがわかった。これは、苟も「ハードボイルド派」を自認するものは必読ですよ。というのも、中田耕治はこう書いているのだ――「私自身は、ハードボイルド派と呼ばれることは好まない。なるほど、私が書き、今後も機会があれば書きつづけるはずの作品は、ハードボイルド派の作品に近いものだろうと思う。にもかかわらず、私自身は、しばらくのあいだは通俗ハードボイルドしか書かないだろうし、また、書けないだろう。(略)何故か。答はきわめて簡単である。われわれの国に於いてハードボイルド小説の可能性はまったくないか、あってもごくかぎられたものにすぎないからである」。これは〝ハードボール〟ですよ……。もっとも、ワタシの読解力に問題があるのか、中田耕治がなぜ「われわれの国に於いてハードボイルド小説の可能性はまったくないか、あってもごくかぎられたものにすぎない」と言っているのかはいまいちよくわかんないんだけどね。ただ、中田耕治はこの論考でヴァン・ダインの『僧正殺人事件』の終章とハメットの『血の収穫』の冒頭の一節を並べた上で(どちらも1929年に書かれている)、前者から読み取れるのは「極度に排他的(エクスクルーシブ)な世界観、家柄に重きを置く社会的排他性、貴族的な基準」、後者から読み取れるのは「無教育な階層、貧困、社会的な緊張」であると指摘している。まあ、そんなところかなあ、とはワタシも思う。で、ここでどうしても思わざるを得ないのは、両者の間には時代と斬り結ぶという意味でおよそ比較するのも憚られるような覚悟の相違があったということ。端的に言うならば、前者は時代に背を向け、後者は時代に向き合っている。そして、この姿勢の違いがハードボイルド・ミステリーに決定的なアドバンテージを与えることとなった。いわゆる「本格派」が古色蒼然たる過去の遺物と見なされる一方、ハードボイルド・ミステリーはまぎれもない「現在(いま)」を代表するものと見なされたのだ。そんなハードボイルド・ミステリーが日本には第2次世界大戦の影響もあって1950年代になって紹介されることとなったわけだけれど――さて、ここでもう一度、中田耕治が述べるところに戻るなら、彼は『血の収穫』から読み取れるのは「無教育な階層、貧困、社会的な緊張」であると指摘していた。その中でも「社会的な緊張」は特に重要なキーワードではないか? なぜなら、ハードボイルドを生み出したものとは、突き詰めれば、この「社会的な緊張」だったと見なすことも可能なので。ハメットが生きたのは「禁酒法」と「大恐慌」の時代であり、社会には緊張感が充ち満ちていた。ハードボイルドという異端の文学はそうした「社会的な緊張」を培地として生まれてきた……。これは、ハードボイルドなるものに対する基本的認識として十分に妥当性のあるものであるはず。で、そう捉えるならばだ、中田耕治が「われわれの国に於いてハードボイルド小説の可能性はまったくないか、あってもごくかぎられたものにすぎない」と言うのも十分に得心が行くではないか。そりゃあねえ、1964年の東京オリンピック開催に向けて社会全体が浮かれ果てていたこの当時の日本にハードボイルドが生まれてくるような「社会的な緊張」なんて一体どこにあったのかと。「われわれの国に於いてハードボイルド小説の可能性はまったくないか、あってもごくかぎられたものにすぎない」――とは、つまりはこういうこと……? さらに、こうした認識を踏まえるならば、松田優作の「日本のハードボイルドの夜明けはいつ来るんでしょうかね、小鷹信光さん」という問いかけもにわかに鮮明な意味を見せ始めたような。そう、ハードボイルドが生まれてくるような「社会的な緊張」なんてどこにもなかったという意味では『探偵物語』が作られた1979年も全く同じだったのだから。

 ――と、いろいろ書いては来たのだけれど、要するにだ、松田優作も中田耕治と同じ思いだったのだ、きっと。そう、「われわれの国に於いてハードボイルド・ドラマの可能性はまったくないか、あってもごくかぎられたものにすぎない」。ならば、せいぜい道化を装って(ちなみに、小鷹信光は『マンハント』1961年2月号で「通俗ハードボイルド」について記すに当って「道化探偵小説、あるいは通俗ハード・ボイルド」と書いている。「通俗ハードボイルド」の本質は「道化」にあり、という導師のご託宣?)コミカルに演じてみせるしかないではないか。それが「通俗ハードボイルド」であり、あの「工藤ちゃん」だったのだと……。