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〈殺し屋〉について考える③

 大和屋竺――。

 「〈殺し屋〉について考える」というのなら、どうしたってこの人の存在をスルーすることはできない。大和屋竺こそはとことん〈殺し屋〉にこだわりぬいた映画人であると言っていい。大和屋竺にとっては師とも言うべき鈴木清順が日活を解雇されるきっかけとなった『殺しの烙印』では脚本家グループ「具流八郎」の中心メンバーとして「殺し屋の世界ランキング」というケッタイなアイディアを提案。またナンバー4の殺し屋である「スタイリストの高」として映画にも出演。さらに主題歌の「殺しのブルース」まで唄ってみせた。その後、この「高」なる殺し屋は大和屋竺の監督作品である『荒野のダッチワイフ』にも登場するし『毛の生えた拳銃』にも登場する。また『愛欲の罠』(原題は『朝日のようにさわやかに』。『愛欲の罠』は日活で配給される際に付けられたタイトル)には「高川」という組織の幹部(これまた演じるのは大和屋竺)が登場。これって、一介の殺し屋から幹部に出世して日本名を名乗ることにしたかつての「高」のこと? なんて妄想もめぐらしたくなるほどで、とにかく大和屋竺の「殺し屋・高」へのこだわりはハンパない。それが一体何に由来するのか? これがなんとも難易度の高い謎で……

 まず言えるのは、大和屋竺の殺し屋映画を「戦争の記憶」をキーワードにして解読することはできないということ。藤原審爾の殺し屋小説と違って大和屋竺の殺し屋映画には「戦争の記憶」と呼び得るものはほとんど認められない。大和屋竺自身は幌内小学校2年の時に終戦を迎えており、終戦直後、幌内町の炭坑で働かされていた中国人捕虜が暴動を起こし、町が無政府状態に陥るという事態も体験しているそうだ。『荒野のダッチワイフ 大和屋竺ダイナマイト傑作選』(フィルムアート社)巻末に収録された「大和屋竺聚成」(年譜+全監督作品・全脚本作品の製作背景ならびにストーリーを紹介した労作。そのヴォリュームたるや編纂者の熱量に合致する3段組50ページ!)では「この時の体験は大和屋のいくつかの作品に大きな影を落としている」としており、もしかしたら「高」という中国籍と思しき人物造形にもこの時の体験が反映しているのかも知れない。また『殺しの烙印』では旧陸軍の塹壕やトーチカが残っている丘陵地帯(どうやらロケ地は横須賀にある旧花立台保塁砲台跡のようだ。映画に出てきたのと同じ建物が確認できる)で銃撃戦が繰り広げられたりもする。しかし、大和屋竺の殺し屋映画に見出せる「戦争の記憶」というのはこの程度。これが、たとえば藤原審爾の「殺し屋」だと駿(二人組の殺し屋の片割れ)は戦災孤児という設定だし、「前夜」の塩沢は「軍人上りの殺し屋」とされている。その塩沢が再登場する「太陽が沈んだから」には元特務機関の男だとかその参謀を務めている陸士卒の男だとかが出てくる。そして「よるべなき男の仕事・殺し」の主人公・加倉井浩の姉は進駐軍にレイプされたことを苦にして自殺したという設定……。藤原審爾の殺し屋小説には随所でこうした「戦争の記憶」が顔を出す。これに対し、大和屋竺の殺し屋映画に見出せる「戦争の記憶」というものは、ホント、「この程度」と言うしかないような頻度。ワレワレは、花田五郎の生い立ちなんて、知りようもないのだ。そんな状態なのだから、大和屋竺の殺し屋映画を「戦争の記憶」をキーワードにして解読することはできないということ。

 だったら、大和屋作品における〈殺し屋〉なるものをあの時代特有のラディカリズムのシンボルと見なすことはできないだろうか? 大和屋竺の第1回監督作品である『裏切りの季節』は若松孝二のプロデュースによって製作された。また『毛の生えた拳銃』も若松プロ製作。この当時の若松プロは設立当初のピンク映画の制作会社からは様変わりしており、演劇の世界におけるアングラ劇団のような存在だったと言っていい。実際、状況劇場などとの人的交流もあった(『毛の生えた拳銃』で殺し屋コンビを演じた麿赤兒と大久保鷹はともに当時の状況劇場の看板俳優)。そして、作る映画はといえば当時の新左翼運動に同調(あるいは加担)してひたすら過激化の一途をたどり、遂には『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』なるプロパガンダ映画(という言い方が必ずしもネガティブな意味合いでなされたわけではなかったという事実こそはあの時代の「空気」を表していると言えるか?)まで作るに至る。大和屋竺は、その若松プロの一員だった。彼がこだわった〈殺し屋〉なるものがたとえば『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』の最後に表示される「武器をとれ!」「銃」「銃弾」「武器」「銃口」(と反転して表示される。「銃口」は観客に向けられているという暗喩?)等々の字幕と承応しているようにも感じられる。

 ただ、大和屋作品に描かれる〈殺し屋〉をラディカリズムのシンボルとするにはコミカルすぎるんだよなあ。『殺しの烙印』の花田五郎は米飯の炊ける匂いにエクスタシーを覚えるという性癖(?)の持主だし(ちなみに、脚本にはこう書かれている――「湯気を吹いている飯炊き釜。泣き笑いのような顔で深く息を吸い込み、飯の炊ける匂いを嗅ぐ花田。/急に眼がらんらんと光る」)、『愛欲の罠』の星は殺し屋としては二流で高川から「君が殺し屋のナンバーワンだ」とおだてられてすっかりその気になっていると「うぬぼれるな。お前は所詮アングラのナンバーワンなんだ」。ま、演じてるのが荒戸源次郎なんでね。ここは観客席からどっと笑いが起きるところでしょう。しかし、それにも増してケッサクなのは『毛の生えた拳銃』の高と商のコンビ。これがなんと組織に対して月給制を要求しているという設定で――

■抱き合う裸
  司郎と女
  女、ペチャクチャ喋ったり笑ったり、しがみついたり。
  司郎、女の口を塞ぐ。
  女、司郎のホクロに接吻する。
  照準鏡のマークがかぶる。
■或る安宿の一室
  窓際で消音望遠装置をつけたライフルを構えている商。
 ヒッ……ヒャッ……
 見せてくれよ
  高、交代する。
■照準鏡の中
  うねっている裸の二人。
  マークの中心が司郎のあっちこっちを狙う。
 ケッ……束にしてぶっとばす……心臓……ハラワタ……ハラ……
  電話が鳴る。
■元の部屋
  商、電話の受話器をとる。
 東京出たぞ
 月給の方は、どうしてくれるんだって言ってやれ
 月給の方は、どうしてくれるんだ……
菅野の声 何をう? 誰だきさま
 あ、すいません。司郎の係のもんですがね
菅野の声 何だ商さんか
 へ。あの月給ですけどね……
菅野の声 早いとこやってくれないと困るじゃないか
 今やるとこなんで
菅野の声 でたらめ言うなよ
 本当でさ。今窓の下で女といちゃついてるとこなんで
菅野の声 何で女といちゃついてるんだ!
 月給よこすのかよこさねえのか!
 月給よこすのかよこさねえのか! って高がそう言ってます
菅野の声 女とイチャついてるヒマがあったら司郎を追え
 女とイチャついてるヒマがあったら司郎を追え!
 何をう?
 何をう?
菅野の声 馬鹿野郎!
 バカヤロ!
  切れる。
 アッ……
■照準鏡の中
  抱き合った二人。もつれ合って床に転がり、見えなくなる。
高の声 畜生め
  バスッ、バスッと音がし、空っぽのベッドにあなが開く。

 もうね、完全なコメディですよ。つーかね、鈴木清順が日活をパージされるきっかけとなった『殺しの烙印』で披露した悪ふざけがここに至ってピークに達したという印象さえワタシは持ってしまう。それほどこの月給制云々は人を食っている。一体全体、「月給制の殺し屋」なんてものをどんな理由があって描く必要があるというのか? その謎を解き明かす鍵は、意外や意外、「涙」、なのかもしれない――。

 今回、ワタシは大和屋竺の殺し屋映画について考えるに当たって『荒野のダッチワイフ 大和屋竺ダイナマイト傑作選』をテキストとしたわけだけれど、その巻末に収録された「大和屋竺聚成」の1968年の項には「清順解雇事件」として次のように記されている――

清順解雇事件 「いわゆる鈴木清順解雇事件のとき、ぼくは自宅でその知らせを受け、今までの生涯でただ一度大声を出して泣いたんです」(「流れた企画も生きている」映画芸術77年六月号)。鈴木清順の解雇と全監督作の貸し出し停止に反対して、鈴木清順共闘会議が結成されるが、具流八郎はこの間に次回作の企画を練る。この時に鈴木清順は内田百閒の「サラサーテの盤」を、田中は泉鏡花の「陽炎座」を、大和屋は魯迅の「鋳剣」を企画として提案。この中からまず「鋳剣」が選ばれ、メンバーは脚本の執筆にとりかかった(なお六八年以後、具流八郎の名は使われてはいないが、便宜的に清順グループのことを具流八郎と呼ぶことにする)。

 その後、「鋳剣」は具流八郎作として『映画芸術』1970年8月号に掲載されることになるものの、結局、映画化されることはなかった。一方、「サラサーテの盤」は『ツィゴイネルワイゼン』として1980年に、「陽炎座」も1981年に映画化されることになるわけだけれど(だから「流れた企画も生きている」というのは本当なんだよね)――ただ、ここでの注目はその前段。大和屋竺が「いわゆる鈴木清順解雇事件のとき、ぼくは自宅でその知らせを受け、今までの生涯でただ一度大声を出して泣いたんです」と語っていること。なんとなんと、大和屋竺は鈴木清順解雇の知らせを受けて「大声を出して泣いた」というのだ。これは……。

 『殺しの烙印』は大和屋竺を含む脚本家グループ「具流八郎」の脚本ではあるものの、大和屋竺のカラーが非常に色濃い作品であると言っていい。「殺し屋の世界ランキング」というケッタイなアイディアも彼のものだし、花田五郎が米飯の炊ける匂いにエクスタシーを覚えるという設定も大和屋竺の発案である可能性が高い(『殺しの烙印』の脚本執筆をめぐってはウィキペディアでも「中心人物だった大和屋竺が「殺し屋の世界ランキング」というアイディアをまず立ててハードボイルド・タッチの前半部分を書き、他のメンバーがそれに話を加えていくという方式をとった」とされており、花田五郎の性癖をめぐるエピソードは前半部分に含まれる)。そして、当時の日活社長・堀久作が完成した作品を観て激怒したとされるのもこうした度を過ぎた悪ふざけの数々に原因があったのはセンサクするまでもない(ワタシ自身の評価としても、あの花田と大類の〝共生生活〟は理解不能。なにしろ、井伏鱒二の「山椒魚」みたいに身動きがとれなくなって、大類なんて小便を漏らしてしまうのだから――「大類のズボンが濡れてくる。/靴にたまった小便があふれる」。で、「大和屋竺聚成」によれば、このパートも「大和屋が書いたとする説もある」そうだ)。オレの悪ふざけが過ぎたせいで鈴木先生(と呼んでいたかどうかは知りませんが)は首になった。すべてはオレの悪ふざけのせい……。つまり、彼にとっては師とも言うべき鈴木清順を襲った悲運の責任は自分にある、と。それゆえの号泣だったのではないか?

 ただ、そうであるとしたら、普通、人は態度を改めるよね。要するに「反省」というやつです。しかし、大和屋竺は「反省」するどころか、いよいよその悪ふざけの度は増して遂に『毛の生えた拳銃』に至っては「月給制の殺し屋」なんてものを作りだしてしまう……。大和屋竺に「反省」の2文字はない? いや、「反省」もしたし、「後悔」もしただろう。しかし、だからこそやめられなかったのではないか? やめてしまったら、それこそ鈴木清順は〝無駄死に〟になってしまう。ここは意地でもつづけて『殺しの烙印』のあれやこれやのケッタイな設定にはすべて「意味があった」ことにせざるをえない。だからこそ性懲りもなく悪ふざけをつづけた。かくて、「映画の極北で輝き続けた異端の巨星」(1993年3月、大和屋竺が日本映画プロフェッショナル大賞特別賞を授与された際の授賞理由の一節)は誕生した……。