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人生という無理ゲーを「生きる」

 小説を書きました。
 奇妙な小説です。
 これで小説として成立しているのかどうか、はなはだ疑問ではありますが、さしたる才能があるわけでもなし、「書けるもの」を書く以外にないじゃないか――、そう自分で納得しているところです。
 既にさる文学賞に応募済みですが、当該文学賞では応募規定として「応募者が作品に関する諸権利を有する限り、ブログ等で発表されている作品でも問題ございません」としており、それならばと拙サイトでも公開することとしました。
 拙サイトで公開するのは全15話中の第1話のみとしますが、末尾に用意したリンクからGoogleドライブに保存されているPDFファイルへアクセスしていただければ全文をお読みいただくことができます。
 ただし、長いです。
 文字数にして33万字を超えます。
 これを、全文、読み通すモノがそういるとは思えませんが……そんな変わり者が1人や2人はいると信じて。
 それにしても、「生きる」というのは、ムズカシイ。
 こんなものを書かなければ「生きられない」なんて。「生きる」とはほとんど無理ゲーだよ……。


有合亭ストーリーズ
第1話◉総曲輪一五八番地

 かつての総曲輪一五八番地は今の総曲輪一丁目四番地に当たる。大正二年刊行の『富山市街及附近圖』と現在の地図を照らし合わせるとそうなる。
 その総曲輪一丁目四番地にはいくつかのテナントビルが犇めいていたが、ざっと見たところ、南西の角に建っているテナントビルがお誂え向きと思えた。名前は朱實ビル。ビルの一階にはPENNY BLACKというディスコ・バーが口を開いて(閉じて?)おり、おれみたいな小心者からすれば、金輪際、足を踏み入れることはなかろうというような。しかし、ビルの側面から張り出した袖看板を見ると大いに期待が持てた。袖看板。調べたところ、そう言うことがわかった。本のカバーの折り返しのことを「袖」と言うわけだが、そのモノのエクステンションという意味では共通しているのかな?
 朱實ビルのエクステンションである袖看板にはいずれもそれなりに個性的なロゴでキメた六軒ばかりの店名が浮かび上がっていた。そして、同じくらいの空きがあった。空きがあるのならば、あってもいいということになる――おれが迷い込むはずの「レ・ミゼラブル」が。
 ビルの西側に回りこむと、まるで物資の搬入口のような飾り気のない入口が口を開いていた。
 エレベーターはなかった。
 階段を上って、三階まで行った。
 どうやら三階が最上階のようだった。ほの暗い廊下が続いていて、その先に関門よろしくドアが待ち構えていた。ドアには小さなプレートが貼り付けられており、セリフのついた古風な欧文が彫られていた。Les Misérablesと読めた。おれが迷い込むはずの「レ・ミゼラブル」があった。
 おれはそのドアを開けた。
 暗い、しかし、不思議と落ち着ける空間が待ち受けていた。
 落ち着ける、と感じたのは、きっと音楽のせいで、確か「その夜(共に飲もう)」のはず。ミュージカル『レ・ミゼラブル』の第二幕で歌われる曲。それが落ち着いたインストルメンタルで奏でられていた。極上のホスピタリティと言えた。
 その割には、店内は閑散としていた。いや、有り体に言えば、ただ一人の客もいなかった。バーテンダーの姿さえ見えない。おれは足音を立てないように店内に入るとカウンターの中ほどのスツールに腰を下ろした。
 しばらく音楽に耳を傾けていた。
 ふと人の気配がして顔を上げると、バーテンダーが立っていた。まだ二十代とおぼしき若い男だが、不思議と場になじんでいた。眼尻のあたりに親愛の情が滲んでいるように感じられた。ふりの客だというのに、バーテンダーは常連客を遇するようにカウンターにグラスを置くとボトルの酒を注ぎ始めた。見慣れないボトルだった。
「キングウィスキーです」
「キングウィスキー?」
「昭和の初めによく飲まれた酒です」
「昭和の初め?」
「ほら、あそこ」
 バーテンダーはそう言うとカウンターの右手を顎で示した。そこには時代掛かったポスターが貼られており、「本格キングウィスキー」という文字が躍っていた。
 おれはポスターを眺めやりながら、一口、グラスの酒を口に含んだ。昭和の初めによく飲まれた酒と聞いたせいか、どこか懐かしさを感じさせる味がした。いろんな思い出を呼び覚ましてくれそうな予感がした。
 おれはグラスをカウンターに置くと、おもむろにこう言った――「ぼくはきみの名前を知っていますよ」
 バーテンダーは驚いたようにおれを見た。
「佐伯くんでしょ?」
「よくご存知で。以前、どこかでお会いしましたか?」
「いや。お会いするのは今日が初めてです。でも、総曲輪一丁目四番地に建っているテナントビルにはレ・ミゼラブルというバーが入居していて、そのバーでバーテンダーをしている人物は佐伯という名前であるべきなんです。佐伯というのは、立山開山・佐伯有頼に由来する姓です。この地で超歴史的存在となりうるのは佐伯氏以外にはありえません。そして、これから起こる「時間を超えた憑依現象」の立会人となりうるのも――」
 そう言っておれはバーテンダーを見た。
 バーテンダーは口許に不思議な笑みを浮かべておれを見返した。さあ、どんなふうに応対してやろうか。そんなプロのバーテンダーらしい計算を働かせつつ。どうやら答えはノンシャランを装うことだったらしい。で、こう言った――「ちょっと話の筋が見えないんですが……小説か何かのお話ですか?」
「そうです。ぼくが書いている小説の話です」
「へえ、面白そうですね。で、ぼくはどうなるんですか?」
「どうもなりません。どうかなるのは、ぼくの方なんです」
「え?」
「この朱實ビルが建っている一画は今の住所で言えば総曲輪一丁目四番地ですが、かつては総曲輪一五八番地でした。そして、その総曲輪一五八番地には有合亭という西洋料理店がありました」
「そう……なんですか?」
「突き止めるのはなかなか苦労したのですが、大正二年刊行の『富山市街及附近圖』と現在の地図を照らし合わせるとそうなります。もっとも、総曲輪一丁目四番地と言っても結構広いので、有合亭があったのはピンポイントでここだとは言いきれませんが、まあ、南西の角という立地も良いし、ここということにしても問題ないでしょう」
 そう言っておれはグラスの酒を飲み干した。
 バーテンダーはそつなく酒を注ぎ足した。そして、こう話を続けた――「で、そのゆーごーていというのは、有名な店だったんですか?」
「有名な店、だったようです。『富山市史』にもこんなふうに書かれています――「桜木町の廓のなかに「有合亭」というのがあった。昭和に入ってトンカツを出したところが大評判で「有合亭の西洋料理」ともてはやされた」。「有合亭の西洋料理」には「ゆーごーていのせーろーろーる」とルビが振られているので、きっとみんなそんなふうに言い触らしたんでしょうね」
「へえ、そんな有名な店がここにあったなんて全く知りませんでした」
「いや、きみは知っていたはずです」
「なぜですか?」
「きみは佐伯氏だからです」
「……」
「佐伯氏は超歴史的存在です。越中で繰り広げられる歴史のすべてに超越的に関係する存在です。そんな佐伯氏に知らないことがあるはずはない」
 奇妙な、間。
 おれとバーテンダーがその間を測り合っていた。
 やがて、バーテンダーが口を開いた。
「さきほどあなたはどうかなるのはご自分の方だと仰いましたが、一体どうなるんですか?」
「ぼくはぼくという肉体を離れて大杉獏という少年に憑依することになるのです」
「憑依、ですか」
「憑依、です。しかも、時間を超えた憑依現象」
「時間を超えた憑依現象……」
「大杉獏は現代の人間ではありません。生まれたのは、明治四十三年です。そして、昭和四年に死にました。いや、死にそうになった。しかし、生き返った、別人格として。その人格こそがぼくです。現代人であるぼくが昭和四年に死んだ(死にそうになった)少年に憑依して、以後はその少年として生きて行くことになるのです。そして、この「時間を超えた憑依現象」を引き起こす場所が、ここです」
「なんか……すごい話ですね。でも、なぜここなんですか?」
「言ったでしょ、かつてこの場所には有合亭という西洋料理店があったと。大杉獏は、その有合亭のオーナーの一人息子です」
「なるほど。なんとなく話が見えてきたような気もしますが……ひとつ伺ってもいいですか?」
「どうぞ」
「なんであなたは大杉獏に憑依することになるのですか? あなたと大杉獏という少年には何かつながりがあるのですか?」
「つながりは、ありません。そもそも大杉獏は実在の人物ではありません」
「実在の人物ではない?」
「ええ。かつてこの場所に有合亭という西洋料理店があったのは事実です。またそのオーナーが誰だったのかもわかっています。そうしたファクトは可能な限り踏まえつつ、ただ実際に小説で描かれるのはフィクションです。そういうものとして、考えています」
「なるほど。で、その有合亭のオーナーというのは?」
「大杉㰉吉という人物です」
「おおすぎしんきち……」
「大杉㰉吉についてはわかっていることとわからないことがある。まずわかっていることからお話すると、明治二十七年に当時の東砺波郡蓑谷村、現在の南砺市蓑谷で生まれています。そして、昭和十六年刊行の『越中人物誌』という本によれば「曾つて北海道小樽市で西洋料理業を営み、斯業に自信を得る伎倆を体得し大正二年富山市一流の地を選んで開業するに至つた」。それが有合亭だというのですが、この説明は少し妙でしてね。大杉㰉吉が生まれたのが明治二十七年なら、有合亭を開業した大正二年の時点では数え年でちょうど二十歳。二十歳で総曲輪という「富山市一流の地」で西洋料理店を開店するというのもなかなかですが、それ以前にも小樽市で西洋料理業を営んでいたというのですから。そのとき、大杉㰉吉はいくつだったんでしょうか?」
「さあ、ぼくに聞かれても」
 それはそうだ。
 なんとなくこそばゆいような感覚に捕らわれたおれはグラスの酒を呷った。
 最前より酒の味は良くなっているような気がした。
 そして、話を続けた。
「妙なのはそれだけではない。実は有合亭という店は大杉㰉吉が西洋料理業を始める何年も前から既に営業していたのです。場所は札幌区北二条町西二丁目一番地。昭和五十四年刊行の『札幌事始』という本にはこんなふうに書かれています――「札幌にコーヒーが初めてお目見えしたのは、明治三十九年(一九〇六)に開店したレストラン有合亭からである。北二西二、いま三博ビルのところ。あるじの岩井安栗は「有り合わせものを召しあがっていただく」つもりで「ありあい亭」と名付けたものの、『レ・ミゼラブル』でその文名を世界に知られていたビクトル・ユーゴーに当てて誰もが「ユーゴー亭」と呼んでいたのは面白い」。この「ユーゴー亭」は、当時、札幌でも指折りの高級西洋料理店だったようで、今度は『札幌食物誌』という本の記載を紹介するなら――「大正三年豊平館のチーフコックに東京凮月堂から入江兵吉を迎えた。そして有合亭岩井徳松長男安栗が三年間の横浜でのフランス料理修業から帰札、有合亭をモダンな三階建てレストランに改築、帝国農科大学御用達の標札で、七品八〇銭、五品六〇銭、特別にコーヒーを吟味して、豊平館と並ぶ高級洋食店となった」。有合亭が、当時、札幌でも指折りの高級西洋料理店だったことは有島武郎の『愛する人々へ』に登場することでも裏付けられます。東京の凮月堂がそうだったように、札幌の有合亭も文化人の憩いの場、だったのでしょう。ともあれ、大杉㰉吉が西洋料理業を始める何年も前から既に有合亭という店は営業していたのです。そうなると、大杉㰉吉が大正二年に総曲輪一五八番地で始めた有合亭とは何なのでしょうか?」
「札幌の有合亭の……支店とか?」
「その可能性も、あります。支店というか、暖簾分けを受けたということですね? でも、それならそうと『越中人物誌』あたりに書かれていてもよさそうなものですが。札幌でも指折りの名店で修業し、その暖簾分けを受けて富山で開業した、ということならば、格好の売りとなるところだと思いますが。ところが『越中人物誌』に書かれているのは「曾つて北海道小樽市で西洋料理業を営み、斯業に自信を得る伎倆を体得し大正二年富山市一流の地を選んで開業するに至つた」ということだけ。札幌の有合亭の暖簾分けを受けて開店したにしてはいささか腑に落ちない」
「まあ、そうですね」
「とするなら……札幌の有合亭には断りなく勝手に有合亭と名乗った」
 そう言うと、おれはバーテンダーを見た。
 バーテンダーは、よくアメリカ人がやるように、両の手のひらを上に向けて見せた。自分の方からは言うべきことはない、というサイン。
 再びの、間。
 しかし、気まずい間ではない。むしろおれは気持ちよく酔い始めていた。言いたいことはまだまだあった。
 グラスの酒をぐいと空け、話を続けた。
「ぼくが有合亭という店に興味を持ち、その所在地を突き止め、その現在地を「時間を超えた憑依現象」を引き起こす場所にしようと決めたのは、有合亭にまつわる人間臭さに惹かれたからです」
「人間臭さ、ですか」
「人間臭さ、です。なんでも大杉㰉吉はさまざまな団体の役員を務め、富山商工会議所の一号議員にも選出されていたようなんです。『越中人物誌』によれば「氏は青年団、在郷軍人会、防護団等の役員に推され、誠心誠意自治公共のために奉仕し第一線に立ちて大いに尽瘁する所ありまた商工会議所議員、方面委員に挙げられて市の向上発展を策して功績があり」云々。ざっくり言えば「地方の名士」ということになるんでしょうが、そんな人物のキャリアの振り出しである有合亭が何とも言えない怪しさを漂わせている、というのはぼくにはとても人間臭く思えます。かつてこの総曲輪一丁目を含む桜木町界隈には他にも名の知れた旅館や料亭はあった。でも、こんな突っ込みどころ満載の人間的な店は他にありませんよ。で、ぜひとも有合亭を――あるいは、かつて有合亭があったこの総曲輪一丁目四番地を「時間を超えた憑依現象」を引き起こす場所にしたいと」
「なるほど」
 そう言ってバーテンダーは少し考えるような表情を見せた。おれに気持ちよく話をさせるためにはここでどういうボールを投げればいいのか、検討しているのだろう。果たしてバーテンダーはとっておきの笑みを披露してこう言った――「なんか、ぼくも大杉㰉吉という人物に興味が湧いてきましたよ」
「それは、よかった」
 要するに、彼はもう少し大杉㰉吉について語れと言っているのだ。
 おれはそのご要望にお応えすることにした。
「先ほど、ぼくは、大杉獏は有合亭のオーナーの一人息子だと言ったのですが、実在の大杉㰉吉には息子が三人、娘が二人いたようです。でも、ぼくが書いている小説では一人です。そういう密な親子関係の方がぼくがイメージする少年像に合っているような気がするので。また名前は獏としたのですが、これは東砺波郡蓑谷村で生まれ、若くして北海道に渡った大杉㰉吉は大いなる夢追い人だったというぼくなりの理解に基づくものです」 「大いなる夢追い人、ですか。確かにそんな感じはしますね。あの時代の北海道は夢の大地だったでしょうから 」
「大いなる夢追い人、ですか。確かにそんな感じはしますね。あの時代の北海道は夢の大地だったでしょうから」
 いいリアクションだ。
 おれはすっかり気分が良くなった。
「あと大杉㰉吉の妻で大杉獏の母は、貞子、としました。これにも曰くがある。まず、大杉㰉吉という名前なんですが、㰉吉の「㰉」は「はんのき」を意味するそうで、一般的な漢字だと「榛」となります。実際、大杉榛吉と表記した文献も認められます。しかし、正しい表記は大杉㰉吉です。で、こんな滅多に見かけることのない漢字――いや、滅多に見かけることがないどころか、MS明朝やヒラギノ明朝といった一般的なフォントには含まれていないんですよ。そんな超レアな漢字を含む名前なんだから何らかの曰くがあるに違いないと考えた。で、彼が生まれた東砺波郡蓑谷村について調べてみたのですが、ここは真宗大谷派東本願寺の別院という格式を誇る廓龍山善徳寺、通称・城端別院善徳寺がある東礪波郡城端町、現在の南砺市城端のすぐ近くであることがわかった。で、大杉㰉吉が生まれたのは明治二十七年なので、その当時の住職について調べたところ、第十八世・大谷勝道であることがわかった。この人物、和歌と蹴鞠を家職とする飛鳥井家の出身、なんですよ。さすがは東本願寺の別院という格式を誇るだけのことはある。そんな名家の出身ならば「㰉」なんて字を知っていたとしても不思議はない、ですよね? で、大杉㰉吉が生まれた大杉家は善徳寺の門信徒で、「㰉吉」という名前は大谷勝道の命名、というストーリーを思いついた」
「ストーリー、ですか」
「ストーリー、です。ファクトに基づいたものではありません。ただ、「㰉吉」という不思議な名前について考えた時、案外、信憑性は高いのでは? という気はしているのですが……」
「ぼくもそんな気はします」
「そうですか。そう思っていただけるのなら、話を続けやすいんですが……先ほど、ぼくは、大杉㰉吉の妻で大杉獏の母は、貞子、と言いましたね?」
「はい」
「実は、貞子は、大谷勝道の娘の名前なんです。この貞子、父が飛鳥井伯爵家の出身ならば母は久我公爵家の出身。だから、本当のお姫さま。その存在は城端の町にとっては特別だったようで、『城端町史』では「長女貞子姫は佳人として城端婦人景仰の的であったことは、今も語り草となっている」。いや、貞子姫にあこがれたのは女性門信徒だけではなく、男性門信徒もでしょう。ちなみに、貞子が生まれたのは明治二十三年。だから、大杉㰉吉にとっては四つ年上のお姫さまということになる。㰉吉少年がどういう眼で貞子姫を見つめていたかは容易に想像がつくというものです。そんなあこがれの君と同じ名前の女性と彼は出会うんです、北海道で」
「なるほど」
「場所は札幌としましょう。『越中人物誌』は「曾つて北海道小樽市で西洋料理業を営み、斯業に自信を得る伎倆を体得し大正二年富山市一流の地を選んで開業するに至つた」と書いているだけで大杉㰉吉が札幌にいたということは資料の上では裏付けられません。でも、現に有合亭という店を開いているんですから。そして、有合亭という店があったのは札幌なんですから。大杉㰉吉は、まちがいなく、札幌に行っています。ぼくのストーリーでは、大杉㰉吉は牧場で働くつもりで北海道に渡ったものの、たまたま札幌で食べた西洋料理の美味しさに感動して、その店――有合亭で住み込みで働き始めた、ということになっています。そして、ほどなく一人の女性と出会います。それが、貞子。狸小路の遊戯場で昔の矢場女みたいなことをやっている。本当はカフェーの女給にしたかったのですが、札幌でカフェーが流行するのは大正九年以降とか。で、いろいろ考えて遊戯場で昔の矢場女みたいなことをやっている、ということにしました。調べると狸小路には射的も楽しめる遊戯場があったので。矢場女も女給もいわゆる〝イット〟を売りにするという意味では同じでしょう。いずれにしても、清楚で気品にあふれた貞子姫とは似ても似つかない。でも、大杉㰉吉にとっては「貞子」だったんです。大杉獏はそんな大杉㰉吉と貞子の子です」
 そこまで言って、おれは言葉を切った。バーテンダーの反応をうかがう、というよりも、自分自身で「ストーリー」の出来栄えを吟味しているようなところがあった。悪くはないかな、というのが、おれの判定だった。
「ところで、貞子姫をめぐっては、悲しい話があります」
「というと?」
「明治三十三年、大谷勝道が三十三歳という若さで亡くなると善徳寺では貞子姫に婿を迎え善徳寺を継がせようとするのですが、その婿として選ばれたのが大谷瑩琇。東本願寺第二十二世・大谷光瑩の七男ですが、正妻の子ではなく、春榮という妾の間に生まれた庶子。とはいえ、大谷一門の連枝には違いない。従って、東本願寺別院の院主としての資格は十分。それが第十八世・大谷勝道の娘と結ばれて寺を継ぐのですから申し分ない話と言えた。ところが、両者の結婚式が行われたのは大谷瑩琇の就職から九年後の大正二年。このタイムラグは何を意味するのか? 実は大谷瑩琇は聖職者でありながらすこぶる人間的なキャラクターの持ち主だったようなのです」
「また「人間的」ですか?」
「はい。だって「瑩琇師は年正に壮青春の血燃ゆるが如く心の駒の止めん山もなく京都に在りて身持好からず転じて東京なる慶応大学に入りし後も父光瑩伯の霞ケ関邸に在る妹久子附添の田中しげなる縹致好き女中と馴染めるなど身持の改まる模様なき」だから」
「何ですか、それは?」
「当時の朝日新聞の記事の一節です」
「へえ、朝日新聞にそんなことを書かれていたんですか。そりゃ、なかなかだ」
「ですよね。まあ、ぼくとしては、かえってその人間性に興味を惹かれるところではあるのですが、そんなのは責任のない第三者だから言えること。当の門信徒からすればたまったものではないでしょう。で、朝日新聞の表現を借りるなら「俗僧の其間に策を弄するありて悶着絶ゆる隙なかりし」という状況に陥った。しかし、大谷瑩琇と貞子姫の婚儀が破談となることはなかった。それによってもたらされる影響はあまりにも大きすぎたんでしょう。で、今風に言うならば「仮面の夫婦」の誕生となった。これだけでも、貞子姫という人、同情を誘わずにはいないんですが、なんと婚姻からわずか七か月後の大正三年四月に亡くなるんです。肺の病だったと言われている。ところが、ある文献によれば、大谷瑩琇は病身の妻を尻目に廓通いに明け暮れていたというのです。しかも善徳寺の宝物を持ち出しては金に替え遊興費に当てていたとも言われている。ことここに至って門信徒らの堪忍袋の緒が切れたようです。というのも、大谷瑩琇は貞子姫の死後、京都に戻っているのです。事実上の放逐でしょう。しかし、そっから城端別院善徳寺の住職をめぐる問題は複雑な経過をたどるのです。大正十三年になって大谷瑩琇の復職を求める声が一部の門信徒の間から上がった。住職不在は城端別院善徳寺の存続にも関わる問題だというのです。しかし、それに真っ向から異を唱えたのが貞子姫に強い思いを寄せる女性門信徒たち。彼女たちは「尼講」と呼ばれるグループを組織しており、貞子姫が支部長だった婦人法話会城端支部のメンバーによって構成されていた。この「尼講」が大谷瑩琇の住職復帰に断固反対の姿勢を打ち出したのです。当時、城端で発行されていた『城端時報』は大正十五年五月十一日付けでこの問題について報じていますが――「しかるに之れを聞いた尼講連中は故貞子夫人晩年のいたわしき悲惨なる御臨終に深く同情するの餘り成満院連枝を迎へるは貞子夫人の御霊に対しても心苦しい次第なりと一致団結して連枝復帰反対を称へ全町戸別に反対同意の調印を求むる等大活動を開始した」。結局、大谷瑩琇は一度は復職を果たしたようですが、昭和十年十二月になって本山が間に入り大谷瑩琇が住職の座を「辞退」するという形で決着を見ています。また、それに当たっては、いくばくかの金銭の支払いもあったとされています。ある文献ではこの金銭のことを「手切金」と書いていますが……まあ、そういう解決策が図られるほどにはこの一件は人間の「業」にも関わる優れて「仏教的」な問題だったということですね」
「そう……ですか」
「なんか、反応が薄いんですが」
「いや、いささか突拍子もない話で、どう反応していいのか……」
「まあ、この話は、小説には直接の関係はありませんから。ただ、今、話したようなファクトを踏まえて大杉㰉吉の妻にして大杉獏の母に当たる女性の名前を貞子に決めた――と、そういう話で」
「なるほど。貞子という名前ひとつにもそこまでの物語があるということなのですね」
 そう言うとバーテンダーはカウンターの上のグラスに酒を注ぎ足した。
 まあ、一息入れて下さい――、そんな感じが読みとれた。
 おれは音楽に耳を傾けた。流れているのは「カフェソング」だった。やはりミュージカル『レ・ミゼラブル』の第二幕で歌われる曲だった。ここで流れるのは、この曲以外にはない――、そんな感じがした。
「ところで、「時間を超えた憑依現象」の結果として主人公は昭和四年に転生するわけですね」
「転生。いい言葉です。確かに小説の中の「おれ」は昭和四年の富山に転生することになります」
「昭和四年というのは、何か意味があるんですか?」
「あります。昭和四年はぼくの母が生まれた年なんです」
「ああ……」
 やや意外感に打たれたようにバーテンダーは黙り込んだ。この手のバーで母のことを話す客はあまりいないはずだ。バーは「大人の会話」を楽しむところと相場が決まっている。そして「母」は「大人の会話」としてはあまりふさわしい話題とは言えない。それどころか、「無粋」の部類に入るだろう。しかし、おれは母について話さざるを得なかった。母を思うからこそ、おれは、今日、ここに来たのだ――。
「去年、ぼくは母を亡くしました。以来、ぼくは抜け殻のようなものです。本当ならばぼくは母と一緒に死ぬはずだったのです、ロバート・E・ハワードのように。ロバート・E・ハワード、ご存知ですか?」
「確か『英雄コナン』シリーズを書いたアメリカの作家ですね」
「そうです。『英雄コナン』シリーズで今やアメリカを代表する国民作家という評価もあるロバート・E・ハワードは、一九三六年六月十一日、テキサス州クロスプレインズの自宅のドライブウェイに停めた車の中で拳銃自殺を遂げました。享年三十。その前夜、ハワードは死の床にあった母ヘスターの傍らで一夜を明かしています。そして、はっきりとした時刻まではわからないものの、付き添いの看護婦に、今後、母の意識が回復する見込みがあるかどうかを尋ねています。看護婦の答は、その見込みはない、というものだったとされます。で、この後、ハワードは外出した可能性があります。というのも、一九六六年に行われたインタビューでハワードの親友の一人として知られるデイヴ・リーが、この日の朝、郵便局から帰ってくるハワードと会ったと語っているのです。しかも二人は一時間近くも話し込んだとか。しかし、これはリーの記憶違いという可能性もあります。当日の朝、ハワードが一時間近くも家を空けることができたとは考えにくいので。というわけで、定説ではこの外出はなかったことになっているようです。むしろハワードは看護婦の答を聞くと自室に向い愛用のタイプライターで次のような二行詩を打ったとされます――「すべては過ぎ去り、すべては成されり。而して我を薪にくべよ。/祝宴は終わり、ランプは消灯す」。その後、母の寝室に戻ったハワードは、昏睡状態の母に向かって「母さん、終わったよ」と語りかけたという話もあります。しかし、これも確たる情報とは言えません。ただ、その後の行動は家政婦が目撃していました。ハワードは家を出てドライブウェイに停めていたシボレーに乗り込み、運転席でしばらく祈りを捧げるようなポーズを取っていたと言います。もっとも、家政婦が見ていたのもここまで。その後、彼女が朝食の準備にとりかかるや、突然、鳴り響く一発の銃声。事態を悟った家政婦の悲鳴。転げるように家を飛び出す父と医師――。二人の手でハワードは屋内に運び込まれましたが、銃弾は頭を貫通しており、手の施しようがなかった。しかし、そんな致命傷を負いながらもハワードは自身が生み出した不死身の戦士のように強靭な生命力を発揮してその日の夕方までは命を永らえた。そして、午後四時頃、永眠。その翌日、昏睡状態に陥っていたヘスターは息子の後を追うように息を引き取りました。二人の葬儀は十四日に営まれ、生前、ハワードがこの日のために用意していたテキサス州ブラウンウッドのグリーンリーフ墓地に葬られました。その墓碑銘にはこう記されています――「彼らは愛と喜びに満ちて生き、死も彼らを引き裂くことはなかった」。ぼくが承知しているロバート・E・ハワードの最期のこれが一部始終です」
「……」
「ぼくの母が、いよいよ最期が近い、という状態に陥ったのは一昨年の十一月のことですが、その最期の日々に寄り添いながらぼくが考えていたのはロバート・E・ハワードの最期についてです。有り体に言うならば、ロバート・E・ハワードのようにぼくも死のうと考えていたということです」
「……」
「でも、死ねませんでした。ぼくにはコルト三八〇オートがなかったし、三十歳という年齢でもなかった。母と事実上の心中を遂げてさまになるのは三十歳まででしょう。ぼくのような年齢の男はロバート・E・ハワードのように死ぬこともできないのです」
「……」
「しかし、母の介護という使命を終えたぼくにはもうやるべきことは何もありませんでした。ぼくには妻もなければ子もありません。だから、誰かのために生きる、ということは、ぼくにはできないのです。そして、人生の意味が「誰かのために生きる」ということにあるのなら、ぼくの人生には何の意味もない、ということになってしまう。実際、母が死んで以来、ぼくは抜け殻のようなものでしたから」
「でも、小説をお書きになってるんですよね? それは、生きる意味を見つけた、ということですか?」
「小説は、生きる意味にはなりませんよ。生きる意味の放擲です。人生という「実」を小説という「虚」に投げ捨てているようなものです」
「それはずいぶん辛辣な。小説を読んで助けられるということはあるのではないでしょうか。たとえば『レ・ミゼラブル』だってそういうことがなければ今まで読み続けられることはなかなったはずです」
 そう言ったバーテンダーの口許からはあの独特の笑みが消えていた。それだけで、なかなかの圧だった。
「そうですね。少し言いすぎました」
 そう言ってカウンターの上のグラスに手を伸ばすと、もうあらかた空になっていた。バーテンダーはすばやくグラスに酒を注ぎ足した。
 バーテンダーが仕事を終えると、おれは改めてグラスに手を伸ばした。先ほど美味いと感じた酒は今度は少しばかり苦く感じた。バーテンダーの苦言が酒を苦くすることもある――。
「話を続けましょうか。先ほど、昭和四年はあなたのお母様が生まれた年だと仰いましたが」
「そうです、母は昭和四年一月六日に生まれています」
「では、あなたがお書きになっている小説の主人公が昭和四年の富山に転生することになるのは、お母様に会うため、と考えていいのですか?」
「「時間を超えた憑依現象」を引き起こす源が主人公の「母を思う力」であることは間違いありません。しかし、主人公は母とは会いません。会わない、と自分で決めるのです」
「それは、なぜですか?」
「タイムパラドックスを回避するためです」
「タイムパラドックス! 知っています。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では自分が生まれる前の時代にタイムスリップした主人公が母と出会う。そして、母が未来から来た自分の息子を好きになってしまう。しかし、そのせいで母が将来の夫にそっぽを向き結婚に至らないようなことにでもなれば主人公が生まれることもない。そうすると、母が未来から来た自分の息子を好きになってしまうこともない……。これがタイムパラドックスですね?」
「そうです。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ではその「矛盾」の表現としてマイケル・J・フォックス演じるマーティが消滅し始めるという様子が描かれていました。「矛盾」の表現としてはいささかベタという印象も受けましたが……」
 そうではあっても、あの映画のマイケル・J・フォックスはすばらしかった。「命の躍動」そのものと言えた。その後に彼を襲ったものを考えても、あの映画は永久保存版だろう。
「映画では、結局、マーティの奔走でどうにかタイムパラドックスは回避されるのですが、タイムパラドックスを回避する最も確実な方法は会わないことです。ぼくが書いている小説では、主人公は電車で上滝駅まで行くことになるのですが、その途中、山室駅に停車したときに決めるのです、どんなことがあっても母とは会わないと。この駅で降りて母に会いに行くことはしないと。ぼくとしても、こんな風変わりな小説を書こうと思った理由は主人公を母に会わせたいからではありません。母が生きた時代を主人公に見せたいからです」
「母が生きた時代を主人公に見せたい……」
「母は昭和四年に生まれました。そして、昭和十六年に、当時、富山市磯部にあった大谷高等女学校に入学しています。昭和十六年――、言うまでもなく太平洋戦争が勃発した年です。この昭和四年から昭和十六年に至る母が少女時代を過ごした時代は一般には暗い時代だったと信じられています。ぼく自身、そういう印象を持っているのは事実ですが、一方でその時代がどんな時代だったかなんてろくろく知らないのです。確か世界恐慌があって五一五があって二二六があって……、それくらい。でも、本当にそうだったんだろうか? 母の少女時代は、そんなに暗い時代だったんだろうか? もしそうだとしたら、母の少女時代もとても暗いものだったということになってしまうのだけれど……」
 そこまで言って、おれは言葉を切った。
 そして、間を置いた上で、こう続けた――「母を亡くして、母を恋しく思うあまり、母が少女時代を過ごしたのがどんな時代だったのかがとても気になり出したのです。そして、その時代を知りたいと思うようになったのです。そのためには、その時代を舞台とする小説を書いて、ぼくとイコールの主人公にその時代を生きてもらうのがいちばんいいと考えたのです。今、書いている小説は、そのためのものです」
 間。
 暗い、仏間のような。
 音楽は、聴こえない。
 やがて、バーテンダーが口を開いた。
「問題は、「時間を超えた憑依現象」を引き起こすきっかけですね」
「それは大した問題ではありません。ただ、思えばいいんですよ、そうなることを。必要なのは、かつての総曲輪一五八番地である今の総曲輪一丁目四番地にはレ・ミゼラブルというバーがあって、そこには佐伯というバーテンダーがいて、そこでぼくが思いを吐露することです。それで、十分です。そして、今、ぼくはかつての総曲輪一五八番地である総曲輪一丁目四番地にあるレ・ミゼラブルというバーで佐伯という名前のバーテンダーに思いを吐露している。「時間を超えた憑依現象」を引き起こすための儀式はもう済んでいる……」
 おれはバーテンダーを見た。
 バーテンダーもおれを見た。
 もう話すことは、なかった。
 おれは黙ってカウンターの上のグラスに手を伸ばした。
 伸ばそうとした。
 伸ばそうとした。
 伸ばそうとした……。

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