DMM TVで『余命10年』を見た。まあ、現代版の『愛と死をみつめて』と言うのかな。本来ならば、おれが見るような映画ではないんだが、ある関心から、見てみようかな、と。その関心とは……この映画の原作は文芸社から自費出版されたものなのだ。ところが、自費出版された本としては異例のベストセラーになり、遂には映画化までされた。そういう一種のシンデレラストーリーを体現した小説であり映画ではあるんだが、そのことに、というよりも、文芸社から自費出版されたという出版経緯に関心があって。関心というか、まあ、かなり複雑な、感情、かな。ともあれ、そんなものがあって、こんな六十男には似合わない映画を見てしまったわけだが……映画の内容には深入りしません。この映画を論評することはおれの任ではないと思うので。ただ、こうして一文をものしようと思ったのは、おれなりに思うところがあったからで……。
まずは、ウィキペディアの「原作からの主な変更点」を読んでもらおう。そこには4点ばかり原作からの変更点が示されていますが、ここでは2点目に注目。そこには、こう記されている――「原作では、茉莉はコスプレ好きの沙苗に誘われてアニメイベントに行ったり、漫画の同人誌などを執筆しており、和人を主人公にした漫画で漫画家デビューを果たし単行本も刊行している。だが、映画では、茉莉は小説を執筆しているように変更され、原作者の人生に沿うような形で『余命10年』の執筆をしており、沙苗の勤務する文芸社から刊行している」。これね、おれは二重の意味で原作の〝改変〟だと思う。ヒロインの設定を漫画家から小説家に変更したのは「原作者の人生に沿う」という意図があったとするならば、まあ、よしとしよう。しかし、茉莉が書いた小説が「沙苗の勤務する文芸社から刊行」されたというのは、かなり問題だと思う。だって、原作となった小説は文芸社から自費出版されたものなのだから。それが茉莉の大学時代の親友の沙苗によって文芸社から商業出版されたように〝改変〟されたのは「原作者の人生に沿う」という意味からも問題だって。というのも、本を出すってのは大変なんだから。それは、ハードルと言っていい。跳び越えるのが容易ではないハードル。もしおれが脚本家だったら、茉莉が本の出版に漕ぎ着けるまでの経緯にこそスポットを当てるけどな。だってさ、本を出すってのは本当に大変なんだから。おれは『余命10年』が自費出版されるに至る経緯を承知していないので、多分に推測を含んだ物言いとはなりますが――世に公募は数あれど、選考には時間がかかるし、確実に入選するという保証もない。余命に限りがある原作者からしたらもっと早くもっと確実な方法で本を出したい――と思ったとしても不思議はない。そうなったとき、第一の選択肢となるのは自費出版だろう。あるいは、自費出版の一択と言っていいか? 特に、自分の人生の持ち時間を考えるならばね。もちろん、その決断には両親のサポートもあっただろう、自費出版は、当然のことながら、出版にかかるコストは自費で負担しなければならないのだから。若い原作者としては、両親のサポートなしにはありえないオプションではあっただろう。しかし、それでも本を出したい、というのは1つの力強い生命力の発露には違いないだろう。このね、きっとヒロインの魅力を観客に伝える上でもまたとないエピソードになったであろう部分が映画ではスッポリと抜け落ちてしまっている(映画では、沙苗が原稿を読んで「茉莉の書く文章はやっぱりすごい。これ絶対出したい」――と、親友の一存で出版が決ってしまう。まあ、親友が出版社で働いているのならそういうこともありうるだろうけれど、あまりにも苦労がなさすぎだろう)。多分、脚本を書いた人は本を出す大変さがわかっていなかったんだろう(そういう苦労を経験したことがない)。経験したことがないことを人は書きようがない。かく言うおれは、2018年と今年の2回、その苦労を味わった。2018年は『「東武皇帝」即位説の真相 もしくはあてどないペーパー・ディテクティヴの軌跡』を……あれは、一体、何か所に送ったんだったかあな。とにかく、出版社だとか出版エージェントだとかに原稿や概要や企画書の形で送れるだけ送って……すべて、ボツ。そして、今年は『有合亭ストーリーズ』をある文学賞に送った。その文学賞というのが『余命10年』の出版元である文芸社が主催する「草思社文芸社大賞」だった。なぜこの賞を選んだかというと、書いたものが400字詰め原稿用紙換算で800枚を超える長編だったため。こんな長編を受け付けてくれる賞なんてほとんどないんだよ。そんな中、「草思社文芸社大賞」は募集要項で定めているのは下限のみで上限はなし。だから、400字詰め原稿用紙換算で800枚を超える長編でも受け付けてもらえた。しかし、結果は、落選。最終選考に進むこともなかったんだから、惨敗、と言っていい。
で、ここで少しばかり話の方向性が変わることになるのだが……落選から5か月が経過した8月下旬になって文芸社から一通の封書が舞い込んだ。しかも、速達で。一体、何ごとかと思ったら――「現在、我々出版企画部では、2027年6月に全国流通出版できる作品を探しております。もし本作の出版にご興味や関心がおありであれば、出版のご提案ができるかどうか再検討してみたいと思い、ご意向確認のためにご連絡をさせていただきました」。これだけを読めば、お、なんだが、続きがあって――「コンテストの受賞作品というわけではないので、もし全国流通出版が可能となった場合でも、初版分の費用負担を伴う提案となります」。要するに、自費出版という形でなら出版を検討してくれると、そういうことだよね。ちなみに、書面にはこんなことも書かれていて――「弊社はこれまで『余命10年』『B型自分の説明書』『歳三往きてまた』など、出版実績の無い著者の作品からヒット作や話題作を輩出しておりますが」云々。おれが『余命10年』が元々は自費出版されたものであることを知ったのは、この記載によって、ということになる。で、封書には講評なるものも添付されていたのだが、これが、まあ、ここまで書くかってくらいに褒めてくれていてねえ。ちょっと触りを紹介するなら――「物語の根にあるのは、母を失った「おれ」の悲しみである。母が少女だった時代を見たい。母が歩いた町を、自分も歩いてみたい。その願いが、膨大な調査を一つの物語へと結びつけている」「最終話では、大谷高等女学校へ入学する母の姿をついに見届ける。母の笑顔を見た「おれ」の体が光となって消えていく結末は美しい。長い時間をかけて母を探した旅が、ようやく静かな場所へたどり着いたように感じられた」「富山という土地を、背景ではなく、もう一人の主人公として立ち上げた力作である。資料を集めただけの郷土史ではない。亡き母を思う作者の心が、実在した人々の言葉や人生を呼び起こしている。小説という器を使ったからこそ、作者は彼らと出会い、話し、迷い、ときには未来を知る者として涙を流すことができた。終幕の「三十六百千億の光明」も、その長い旅にふさわしい」。しかし、「草思社文芸社大賞」では最終選考にも残んなかったんだぞ。それが、なんだよ、この掌返しみたいな褒めようは。ははあ、こっちを良い気分にさせて、自費出版に応じさせようというコンタンだな……と、却って腹が立ってきてねえ。それに、年金生活者にはそんな経済的余裕なんてねえし。だから、所詮、この話はありえない話なんだが……DMM TVで『余命10年』を見ながら、いささか複雑な感情に捕らわれたのは否定できない。『余命10年』は自費出版として世に出たものではあるけれど、自費出版された本としては異例のベストセラーになり、遂には映画化までされた。しかも、自費出版とはいえ、作家サイドが負担すべきコストは初版分のみで、もし増刷となれば逆に作家サイドには印税が入ってくることになる。ウィキペディアによれば、同書はこれまでに80万部を売り上げているそうだから、その金額たるや……。自費出版という形ではあれ、作品を世に出すことにこだわった小坂流加の執念は報われたわけだ。で、その執念がなかったおれは、今、明日への希望を全く見失って、ただただ今日一日をいかにうっちゃるかに終始している有様……と、まあ、そんなような次第で、DMM TVで『余命10年』を見たのは、よかったのかなあ。もしかしたら、見ない方がよかったのでは? それくらい、今、落ち込んでいる。
最後に、文芸社の編集者が「美しい」と褒めてくれたラストを含む『有合亭ストーリーズ』の第15話「三十六百千億の光明」を添付しておきます。このラストを書き上げて、空の彼方に飛び散ってしまえればどんなによかったことか(あゝ、おれは本当に落ち込んでいる……)。
さて、有合亭はいつまで営業していたのだろう?
それをうかがわせる文献は見当たらない。普通に考えるなら、昭和二十年八月二日未明の富山大空襲で焼失し、そのまま再建されることがなかった、というのが有力だが、もしかしたらもっと早く廃業ないしは休業していた可能性もある。
昭和四十八年に出版された『富山商工会議所八十年史』によれば、昭和十六年三月、富山商工会議所は第四回議員選挙を実施している。当選者は次の通り。
▷一号議員――金岡又左衛門、中田辰太郎、小林善次郎、大間知喜一郎、花森林蔵、広野吉兵衛、島倉彦作、福井清之、上田与一郎、西尾勘吾、瀬川朝秀、長谷川義仁、若林元四郎、金尾義信、廣田傳次郎、佐々木権次郎、寺田仙之助、吉田清平、北川承三、尾山三郎、村井順三、金山亀之助、米田元吉郎、浅野武雄。
▷二号議員――田辺友太郎、深尾貞、堀彦次郎、三川勝重、小沢安太郎、橋浦彦三。
ここに大杉㰉吉の名前がないのがおれとしては気にかかる。大杉㰉吉は昭和八年三月に実施された第二回議員選挙で一号議員に初当選。そして、十二年三月に実施された第三回議員選挙でも再選されている。だから、もし第四回議員選挙が実施された時点でも有合亭が営業していたのなら当選者名簿に名前があるはずなのだ。それが、ない、ということは、既にこの時点で有合亭は営業していなかったのではないだろうか?
確かに西洋料理店にとっては難しい時代だったはずだ。「日本主義」が幅を利かし、西洋由来の文物がことごとく排除される風潮の中、それまで通り西洋料理店を営業して行くことができたとは考えにくい。だから、富山商工会議所の第四回議員選挙が実施された昭和十六年三月の時点で有合亭は廃業ないしは休業していたとしても不思議はない。で、本作ではそういう前提で最後となるストーリーを紡ごうと思うのだが……
ぎしぎしと板を鳴らしながら、階段を降りた。
朝だというのに、店内はほの暗かった。
人の気配は、しない。
いや、した。
事務室に誰か、いる。
そっとドアを開けた。
母が伝票の整理をしていた。
おれを見た。
「あら、早いのね」
「何をしているんですか?」
「何って、伝票の整理に決まってるじゃない」
「伝票の整理?」
「パパがやってくれないから、わたしがやるしかないじゃないの」
「いや、まあ、それはそうだけど……」
一体、これはどういうことだろう?
既に有合亭は営業していない。
店内も、無人だ。
しかし、母は伝票の整理をしている。
ふと、思った。きっとおれは自分が作り出した幻と話をしているのだろう、自分が作り出した架空の人物に別れを告げるために……。
そう思うと、吹っ切れた。
「お父さんは?」
「今日は朝から商工会議所のメンバーと会合だとか言って出かけたわ」
「なるほど」
しばらく、母を見ていた。
まったく、テキパキしている。有合亭は、事実上、大杉貞子で持っていたと言ってもいい。
ふいに、母が手を止めた。
そして、不思議そうにおれを見た。
「どうかした?」
「いや、別に」
「そう? 何か話があるんなら聞くけど」
「お母さんに聞いてほしいような浮いた話なんてありませんよ」
「なーんだ」
そう言って、ニッコリ笑う。
こんなチャーミングな人を母としておれはこの十二年間を生きてきた。そう思うと、込み上げるものがあった。
その思いを押し殺して、おれは母にこう言った――「ちょっと出かけてきます」
母も、何気ない感じでこう答えた――「行ってらっしゃい。たまには外出するのもいいことよ」
それで、終りだった。
おれは後ろ手に事務室のドアを閉めると、しばらくその場に立ち尽した。
それから、ゆっくりと歩いて玄関に出た。
そこで、振り返った。
西洋料理店でありながら、建物の作りは和洋折衷で、いささか品がないその造作は大杉㰉吉にお似合いと言えばお似合いで、こういう「人間的」この上もない場所をこの世界の住み処とできたことに感謝したい思いだった。
その感謝の思いを態度で表した。
ほの暗い、仏間のような空間に向かって、一礼した。
それから、玄関を出た。
暖かな、春の光が降り注いでいた。
磯部堤にやって来た。
大正天皇の御大典を記念して植えられた吉野桜は今が盛りで、磯部堤は文字通りの花道だった。
その花道を南に向かって歩いた。
一本榎の前を通り過ぎ、県護國神社の広い敷地を横目に見ながら覚束ない足を運んで目的の場所にたどりつくと……彼がいた。
バー「レ・ミゼラブル」でバーテンダーをしていた彼。
堤の斜面に設えられた階段に腰を下ろして誰もいない大谷高等女学校のグラウンドを眺めている。
おれを見た。
あのちょっと不思議な笑みを浮かべて。
そして、こう言った――「お待ちしていました」
おれは何も言わず彼の隣に腰を下ろした。
「今日、ここにいらしたということは、見るべきほどのことは見た、ということですね?」
「まあ、そうです」
「それは、よかったです」
そう言うとバーテンダーはおれがいつも持ち歩いている布製の頭陀袋を見た。
おれは頭陀袋からマニラ封筒を取り出してバーテンダーに手渡した。
「小説ですね」
「はい。今の会話も書かれています」
「おもしろい」
それで言葉が尽きた。
しばらく大谷高等女学校のグラウンドを見ていた。誰もいないグラウンドの上で春の光が粒子となって跳びはねていた。
ほどなく両親に付き添われた新入生たちがグラウンドに姿を現しはじめた。みな下ろしたての制服を身に纏っていた。その制服が光に反射してキラキラ輝いていた。新入生そのものが光の粒子のようだった。
おれはその光の粒子の一つ一つに目を凝らした。やがておれの眼がその光の粒子の一つに釘付けになった。付き添っているのは、藤七とチヨだ。間違いない。おれは思わず立ち上がっていた。
母が、そんなおれに気がついた。最初、不思議そうな顔をして……すぐに笑顔になった。
母がいつもふりまいていた、あのほがらかな笑顔だった。
一々のはなのなかよりは
三十六百千億の
光明てらしてほがらかに
いたらぬところはさらになし
と『浄土和讃』に歌われた、あのほがらかな笑顔だった。
おれは、一段、また一段と階段を降りて行った。その度に体が軽くなって行くのがわかった。
あゝ、おれの体がプラズマになって……
そして空に飛び散って行く……