NHK BSで『オッペンハイマー』を見た。かねてから見たかった映画であり――と言いつつ、日本では2024年に公開された映画を今の今まで見ていなかったんだから「かねてから見たかった」も怪しいもんだけどね――3時間という長尺ではあるけれど、放送当日に1回、録画でもう1回。しかも、録画では、一切、早送りせず、等倍速でじっくりと。それほど注意をして見るべき映画ではあった。で、この映画には、今期の大河ドラマもその渦中に投げ入れられている「歴史改変」をめぐる議論(つい最近もこんな力のこもった記事が発表されたばかり)に資するものがあると思ったので、この際、書いてみることにする。実は『オッペンハイマー』にも史実に反する描写があることはかねてから指摘されており、それは原爆投下が決定されるに至る描写。映画では一定の「議論」を経て「決断」がなされたように描かれているのだが、あるアメリカのジャーナリストによれば「決断というものは存在しなかったのです」「そうではなくて、何がなんでも爆弾を落とすんだという大きな勢いがあった」(ソースはこちら)。しかし、映画では確かに一定の「議論」を経て原爆投下という「決断」がなされたように描かれていた。だから「歴史改変」である、と。しかし、こうした密室でのやりとりは、議事録が残っているわけでもなく、検証のしようもない。だから、この件については、そういう指摘もある、ということに止めておくしかない。で、そんな検証不能なものではなく、十分に検証可能な「歴史改変」が『オッペンハイマー』という映画には認められるのだ。しかも、それは、映画のハイライトと言っていい部分。それは、原子力委員会が開催した保安聴聞会で事実上の検察官の役割を果たしたロジャー・ロッブ(ウィキペディアの英語版には「オッペンハイマーを証人としてではなく反逆罪の容疑者のように扱った」と書かれている)とオッペンハイマーが繰り広げる白熱の議論。まずはそのやりとりを字幕(by石田泰子)に即してふり返ろう――
Q. 博士も標的の選定会議に加わったのでは?
A. Yes
Q. 投下すれば膨大な数の民間人が死傷すると分かっていた
A. 推定は少なかった
Q. 実際は何人?
A. 7万人だ
Q. 両方で7万人?
A. 11万人だ
Q. 当日だけで?
A. そうだ
Q. その後では?
A. 5万から10万人の間だ
Q. 少なくとも死者22万人?
A. Yes
Q. 道徳的呵責は?
A. 激しかった
Q. だが広島への投下は成功だったと
A. 技術的にはだ
Q. “技術的に”か
A. 戦争を終らせた
では、本当のやりとりはどうだったかなんだが……実は、聴聞会の議事録は1954年には既に一部の機密情報を削除した編集版が公開されており、2022年には削除部分も復元された完全版も公開されている。これは『「東武皇帝」即位説の真相 もしくはあてどないペーパー・ディテクティヴの軌跡』を書く過程でも感じたことだけれど、こと情報公開に関してはアメリカは本当にスゴイ。いつもいつも〝のり弁〟を食べさせられている国の住人としては羨ましい限り。ともあれ、聴聞会の議事録は公開されており、それによれば↑に該当するやりとりは1954年4月16日に行われていることがわかる。ここは、その該当部分をDepartment of Energy (DOE) OpenNet documentsで公開されているPDFファイルより引用するなら――
Q. In fact, Doctor, you testified, did you not, that you assisted in selecting the target for the drop of the bomb on Japan?
A. Right.
Q. You knew, did you not, that the dropping of that atomic bomb on the target you had selected will kill or injure thousands of civilians, is that correct?
A. Not as many as turned out.
Q. How many were killed or injured?
A. 70,000.
Q. Did you have moral scruples about that?
A. Terrible ones.
Q. But you testified the other day, did you not, sir that the bombing of Hiroshima was very successful?
A. Well, it was technically successful.
Q. Oh, technically.
A. It is also alleged to have helped end the war.
読み比べてもらえばわかるように、オッペンハイマーが原爆投下による死傷者数を「7万人だ」と答えた後、ロジャー・ロッブが「両方で7万人?」「当日だけで?」「その後では?」と畳みかけ、遂には「少なくとも死者22万人」と認めさせたやりとりは実際にはなかったことがわかる。また、この後、議論はオッペンハイマーが「原爆投下は成功だった」としながら水爆の開発には反対していたという〝矛盾〟をめぐって白熱の度合いを強めて行く。まずは字幕から――
Q. 広島への水爆投下は?
A. 意味ない
Q. Why?
A. 的が小さすぎる
Q. 日本に水爆に見合う大きな的があっても反対を?
A. 私の問題ではない
Q. 私に答えて
A. (沈黙)
Q. 日本への投下は道徳的理由で反対?
A. したはずだ
Q. では原爆投下にも反対を?
A. 我々は議論を…
Q. “あなた”だ
A. 私は…反対を表明はしたが、そこまでだ
Q. 3年間日夜を費やし、使用には反対?(と言って笑う)
A. 陸軍長官に科学者の見解を問われ、賛否両論を述べた
Q. 投下を支持したのか?
A. “支持”の定義は何だ?
Q. 標的の選定をした
A. 政策を決める立場になく、仕事なら何でもした
Q. 水爆も作れたのでは?
A. ムリだ
Q. はぐらかすな。ソ連の原爆実験後の諮問委の報告書で“水爆は作るべきでない”と
A. 我々は…私…私は…
Q. ソ連は軍備増強を
A. (言葉を遮り)米国が作ればソ連も作らざるを得ない。原爆と同じだ
Q. まさしく“原爆と同じだ”
オッペンハイマーはロジャー・ロッブに詰められて「原爆と同じだ」と言ってしまったわけだが、そのことは原爆の開発には携わりながら水爆の開発には反対する〝矛盾〟をさらけ出してしまったことになる。しかし、この下りも議事録だとかなり違っていて――
Q. Would you have supported the dropping of a thermonuclear bomb on Hiroshima.
A. It would make no sense at all.
Q. Why.
A. The target is too small.
Q. The target is too small. Supposing there had been a target in Japan big enough for a thermonuclear weapon, would you have opposed dropping it?
A. This was not a problem with which I was confronted.
Q. I am confronting you with it now, sir.
A. You are not confronting me with an actual problem. I was very relieved when Mr. Stimson removed from the target list Kyoto, which was the largest city and the most vulnerable target. I think this is the nearest thing that was really to your hypothetical question.
Q. That is correct. Would you have opposed the dropping of the thermonuclear weapon on Japan because of moral scruples?
A. I believe I would, sir.
Q. Did you oppose the dropping of the atom bomb on Hiroshima because of moral scruples?
A. We set forth our --
Q. I am asking you about it, not "we".
A. I set forth my anxieties and other arguments on other side.
Q. You mean you argued against dropping the bomb?
A. I set forth arguments against dropping it.
Q. Dropping the atom bomb?
A. Yes. But I did not endorse them.
Q. You mean having worked, as you put it. In your answer rather excellenty, by night and by day for 3 or 4 years to develop the atom bombs, you then argued it should not be used?
A. No; I didn't argue that it should not be used. I was asked to say by the Secretary of War what the views of scientists were. I gave the views against and the views for.
Q. But you supported the dropping of the atom bomb on Japan, didn't you?
A. What do you mean support?
Q. You helped pick the target, didn't you?
A. I did my job which was the job I was supposed to do. I was not in a policymaking position at Los Aramos. I would have done anything that I was asked to do, including making the bombs in a different shape, if I had thought it was technically feasible.
Q. You would have made the thermonuclear weapon, too, wouldn't you?
A. I couldn't.
Q. I didn't ask you that, Doctor.
A. I would have worked on it.
Q. If you had discovered the thermonuclear weapon at Los Alamos, you would have done so. If you could have discovered it, you would have done so, wouldn't you?
A. Oh, yes.
ここではロジャー・ロッブがオッペンハイマーの「仕事なら何でもした」という発言を言質にとる形で「水爆開発もしたはずだ」と詰められ、オッペンハイマーは「Oh, yes」と答えている。どちらもロジャー・ロッブに詰められてその主張の矛盾をさらけ出したという意味では同じだが、議事録から浮かび上がる矛盾の方がより深刻という印象をおれは受けるんだが、どんなもんだろう?
ともあれ、映画でのロジャー・ロッブとオッペンハイマーのやりとりは議事録に記されたそれとは相当に異なっており、その限りでは「歴史改変」と言われても仕方がない――はずなんだが、さすがはクリストファー・ノーランだ、そんなツッコミを許さない手をちゃんと打っている。それは映画の前半でオッペンハイマーが愛人にして共産党員だったジーン・タトロックとの関係を問われる場面で――聴聞会が行われているその部屋で――オッペンハイマーが座っているその椅子で――オッペンハイマーとジーン・タトロックが対面座位で交接しているというとんでもないシーンが挿入されていること(この際、オッペンハイマーもジーン・タトロックも全裸!)。このほとんどシュールと言っていいシーンの挿入によってこの場面が(あるいは、この映画そのものが)必ずしもリアリズムに基づいているわけではなく、現実と幻想が入り組むすぐれてアーチスティックな作りになっていることを観客に知らしめる結果となっており、それゆえ件のロジャー・ロッブとオッペンハイマーのやりとりももしかしたら現実のやりとりではなくオッペンハイマーの脳内イメージの具象化なのではないか? と考えたくなる必然性を生み出すに至っている。実際、あれはそうなのだろう。あれはロジャー・ロッブとオッペンハイマーの議論ではなく、オッペンハイマーの内なる声とオッペンハイマーとの議論なのだろう。で、そう思わせた瞬間、もうロジャー・ロッブとオッペンハイマーが何を議論しようがそれは「歴史改変」ではなくなるのだ。なんとも上手い手を考えついたもんだよなあ……。
おれはね、映画なりドラマでの「歴史改変」はあってもいいと思っている。どういう題材であれ、映画なりドラマなりにしようとする以上、作り手の側には「言いたいこと」があるわけで、極論するならば、題材はそのための手段でしかない。だから、作り手の側の「言いたいこと」に沿って題材を再構築するのはなんら責められるべきものではない、と。ただ、工夫は必要なんだよ。何の工夫もなく、ただ作り手の側の主張に沿う形で題材を弄んだのでは「歴史改変」の批判を招くのは当然だよ。おれは高堀冬彦が「歴史改変」の例に挙げた『あんぱん』を見ていないのでジャッジはできないけれど、同じような批判に晒された『シミュレーション〜昭和16年夏の敗戦〜』は見ている。で、あそこまでリアリティにこだわって作っておいて総力戦研究所の所長の人物像(だけ)はフィクションと言ったって、そりゃあ通用しないだろうよ、と。その点、『オッペンハイマー』は見事だ。この映画でクリストファー・ノーランを始めとする作り手の側の「言いたいこと」は何だったかと言えば、それは「アメリカは苦しんでいる」ということだと思う。原爆を作り、それを投下したことに「アメリカは苦しんでいる」というそのことをオッペンハイマーを通して描きたかったのだと思う。そして、そんな意図に沿うよう聴聞会でのやりとりを〝改変〟した。しかも、「歴史改変」という誹りを受けない上手な形で。
でも、J・ロバート・オッペンハイマーが本当にあそこまで苦しんでいたのかについては、おれは疑問だな。1960年に来日した際、記者団から「原爆を作ったことを後悔しているか?」と問われ、「原子爆弾の技術的成功に関与したことに後悔はしていない。しかし、胸が痛まないわけではない。ただ、今日の方が昨夜よりも痛いと言うことはありません」と答えたとされるその言葉からはそこまでの人間的苦悩は感じられない。そんな人物を「アメリカの良心」の象徴に仕立て上げたクリストファー・ノーランは、全く以て、大した〝表現者〟だよ……。