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ペーパーバックの倉庫から⑤

2012.07.30

At the Mountains of Madness

 これは……とてもじゃないが「着想を得た」という形容で片づけられるレベルじゃないよなあ。もう「まんま」。一応、日本人の語り手による回想という形式は取ってはいるが、そこで語られる「陳述」なるものが丸っきり「まんま」の――「ランドルフ・カーターの陳述」……。

 西尾正。この名前を振られて、「ああ、『新青年』などで活躍した、あの」と返す向きがどれだけいるものか? かく言うワタシもつい先日までは名前すら知らず。しかし某掲示板でこの作家こそはHPL(H. P. Lovecraftの略称。ちなみに件の板での呼称は専ら「御大」)を日本に最初に紹介した作家との情報に遭遇。しかもその紹介の仕方は「やや変則的な形」だったとか。Wikipediaの記事より引けば――「1947年(昭和22年)雑誌『真珠』11・12月合併号に掲載した『墓場』は、H・P・ラヴクラフト『ランドルフ・カーターの陳述』に着想を得た作品であり、やや変則的な形ではあるもののラヴクラフト作品が初めて日本語化されたものである」。

 ふーん。すっごい興味をそそられるんですけど。でもどう「変則的」なのかは何も説明されてないんだよね。それならばと、読んでみることにしたんだ、『西尾正探偵小説選』(論創ミステリ叢書)。その結果、導き出された結論――これは……とてもじゃないが「着想を得た」という形容で片づけられるレベルじゃないよなあ。もう「まんま」。

I repeat to you, gentlemen, that your inquisition is fruitless. Detain me here forever if you will; confine or execute me if you must have a victim to propitiate the illusion you call justice; but I can say no more than I have said already. Everything that I can remember, I have told with perfect candour. Nothing has been distorted or concealed, and if anything remains vague, it is only because of the dark cloud which has come over my mind―that cloud and the nebulous nature of the horrors which brought it upon me.

 ――皆さん、どんなにあなた方が探索なさっても無益であることを、わたくしは繰り返します。もしお望みなら永久にわたくしをここに拘留して下さい。あなた方が正義と呼んでいるそんな幻の御機嫌をとりむすぶために、犠牲が必要だとおっしゃるなら、拘留しようが追放しようが自由です。けれどもわたくしは前にも述べたこと以外に最早言うべき何物もないのです。事実をゆがめたり隠したりしたことは一つもありません。もしボンヤリした点が残っているとしたらそれはとりもなおさず、わたくしの心に被いかぶさった黒い雲のせいです。――あの雲と、そしてあの得体の知れぬ恐怖のせいです。

 ね、「まんま」でしょ? もはやこれは「翻訳」というべき。事前にワタシが予想したのは原作のプロットはそのままに設定だけを日本に置き換えた「翻案」だったのだけれど、そんなワタシの予想は見事に裏切られた。およそ作者のオリジナルと言えるのは日本人の語り手による回想で「陳述」部分をサンドイッチにする「入れ子」構造にしたことと、「陳述」部分の登場人物の名前を変えたことくらい。あとはとことん原作に忠実な「翻訳」。よくぞこれで原稿が通ったもんだと思うのだけれど、何しろ発表は昭和22年。当時、HPLなんて日本じゃ「誰それ」状態だろーし――つーか、1947年ならまだ本国アメリカでも「誰それ」。おそらく西尾正にしたところでアメリカのパルプマガジンに掲載された無名作家のケッタイな怪奇小説――くらいの認識しかなかったのでは(The Statement of Randolph CarterはThe Vagrantという同人誌に発表された後、1925年と1937年にWeird Talesに再録。西尾正がネタ本としたのは1937年8月号か?)。

 これならパクったってバレることはあるまい――、そう考えたとしても不思議はない。ただ犯人(?)にとって誤算だったのは、その「無名作家」が後に「御大」と称される斯界の「教祖的存在」にまで祭り上げられる超有名人に大化けしたこと。そして、もう一つ、HPLが「教祖的存在」にまで祭り上げられるのとは逆に「探偵小説家・西尾正」の方は忘却の彼方へと消え去り、つい最近まで作品集の1冊とてない完全に「忘れられた作家」となりはてていたのは、まあ人事のやむをえざる仕儀としても、ああ、何の因果か、ここに来てにわかに再評価の機運が高まり、目の肥えた好事家のセンギのマナコが注がれるコトになった結果――バレてしまったらしいのだ。その経緯については2007年1月、『西尾正探偵小説選』に先立って学研M文庫から刊行された『クトゥルー神話事典第3版』(東雅夫編著)で知ることができる。それによると、そもそもHPLの日本紹介は『文藝』1955年7月号の「壁の中の鼠群」(加島祥造訳)を嚆矢に1950年代後半に本格化するのだそうだけれど――

……最近になって、イレギュラーな形での紹介が、実はそれ以前におこなわれていたことが、熱心な研究家(金光寛峯氏ならびにウェブサイト「小林文庫」の小林眞氏)の調査で判明しました。戦前から『新青年』などを舞台に、独特な文体の怪奇小説を発表していた西尾正が、『真珠』一九四七年十一月・十二月合併号に寄稿した「墓場」という短編です。これは全体の結構や細部の描写から見て、明らかにラヴクラフトの短編「ランドルフ・カーターの陳述」を下敷きにしたと考えられる作品なのでした。

 一旦判明したとなるや、その事実はたちどころに既成事実化し、2005年に刊行された『日本怪奇小説傑作集』(創元推理文庫。西尾の戦前の代表作「海蛇」を収録)では編者の東雅夫が著者を紹介する中で「米国のパルプ・マガジンに掲載された怪奇小説に想を得た『幻想の魔薬』『墓場』などの異色作を発表」と記載。以後、西尾正が行くところ決まって同種の惹句が付属。遂にはワタシのような野次馬の目にも留まって原文と読み比べ……。ちなみに『西尾正探偵小説選』の「解題」(横井司)では『日本怪奇小説傑作集』の東雅夫のソフィスティケートされた(?)コメントは引用する一方、『クトゥルー神話事典第3版』のより直截なコメントの方はスルー。やはり西尾本の解説者としては言及を避けたかった? そう言えば、西尾正のデビュー作「陳情書」についても芥川竜之介の「二つの手紙」からの「剽窃」が指摘されているらしいのだけれど、あまりこの種のコトばかり記すのも解説者としてはツライよなあ。

 ――と、何かここまでは西尾正を「剽窃」の実行犯と決めつける“論告”ような論旨なのだけれど、実はそう決めつけるには躊躇われるものが。実際、東雅夫や横井司にも西尾正を断罪しようとする姿勢は見受けられない。東雅夫に至っては↑の引用部分に続いて――「かたや『ウィアード・テイルズ』、かたや『新青年』という怪奇小説のメッカとなった雑誌を舞台に、太平洋の此岸と彼岸でほぼ同時代に活躍した両作家の軌跡が、この翻案作品において交錯する次第は、なにやらん運命的なものをすら感じさせます」。ま、ものは言い様(笑)。

 で、そーゆー屁理屈解釈も踏まえつつ、ワタシもワタシなりにここまでしつこく翻訳著作権について云々してきた立場からいささかの弁護を買って出れば――横井司「解題」によれば「墓場」をはじめとする西尾正の戦後の作品を評して中島河太郎は「何れも粗製乱造を免れなかった」と評しているそうなのだけれど、果たしてそうか? 仮に「墓場」が〆切に追われてのやっつけ仕事だったとしたら、あれほど原作に忠実な翻訳を心がけるものだろうか。

 そう、西尾正が翻訳者として原作に相対する姿勢を一言で形容するなら「真摯」。それは読めば分かる。〆切に追われてせっぱ詰まった男が他人の仕事を「剽窃」しようとする態度ではない。

Shall I say that the voice was deep; hollow; gelatinous; remote; unearthly; inhuman; disembodied? What shall I say?

その声を、深い、うつろな、こわばった、遠い、この世のものとは思われぬ魔物のような、無形の、――とでも形容すべきでしょうか?

 西尾正は、パルプマガジンのざらついた誌面からそんな「声」が立ち上ってくるのを聴いたのだ。彼は、それをそのまま「翻訳」という形で日本の「探小(探偵小説を当時はこう読んだ由)」読みに届けようとした。しかし、そう欲しつつ、できない理由があった。当時は翻訳したくてもできないご時世だったのだ。その事情については2011年11月1日付けエントリで詳しく記したところだけれど、江戸川乱歩も『探偵小説四十年』の昭和21年の項で――「ちょうどそのころから、占領軍当局の飜訳に対する態度がきびしくなり、古いものでも原作料を支払わねばならぬことになったが、といって、外国に送金の道は全く断たれていたので、結局飜訳というものは不可能になったのである」。

 丹精込めて訳した「墓場」。しかし、「翻訳」という形では世に出すことはできない。ならば、どうする? この際、「やや変則的な形」ではあるが、自分自身の創作として世に出す方法もあるのでは。「素晴らしい怪奇小説だ!」という、語り手=作者の感嘆の声を織り交ぜつつ……。

追記(2012.08.10)

 1988年に国書刊行会から刊行された『ウィアードテールズ 別巻』(那智史郎・宮壁定雄編著)の資料編「邦訳アンソロジー(WT移入史)」に『木乃伊の妻』なる「怪しげな本」のことが記されている。刊行は昭和22年、発行元はイヴニング・スター社。「戦後すぐに出版された仙花紙の怪しげな本。収録作の表題と内容がたがいちがいというのも、ますます怪しげ。薄風之介著となっているが、実はWT作品を日本を舞台に翻案したもので、普通の日本人の三郎氏が妖怪に迫られるといきなり銀の十字架をとり出すという設定になっている」。うーん、確かに怪しげ。黒岩涙香の時代まで一気に逆戻りしたかのような荒唐無稽な「翻案」。昭和6年にはフツーにWT作品を翻訳した『怪談・英米編』(先進社)なるアンソロジーも出版されていたそうだし、この退行は何とも面妖。しかし、そのいかにも実のなさそうなペンネームといい、やはり翻訳が御禁制だった被占領下ならではの苦肉の策――と考えれば合点が行くと思うのだけれど、どうだろう?

2012.08.01

Great Tales of Action and Adventure

 西尾正に関するWikipediaの記事によれば、その著作目録には海外の怪奇小説に「着想を得た」と考えられる作品が「墓場」以外にもあるという。ひとつは東雅夫が『日本怪奇小説傑作集』でも言及している「幻想の魔薬」。西尾正が下敷きにしたとされるのはA・W・カプファー(A. W. Kapfer)のThe Phantom Drug。もうひとつは「八月の狂気」。こちらの方はW・F・ハーヴィー(W. F. Harvey)のAugust Heatを元にしたものとか。

 このうち、The Phantom Drugは初出はWeird Tales1926年4月号。その後、More Not at Nightというアンソロジーに収録された後、Weird Talesの1939年11月号に再録。西尾正がネタ本としたのはこの辺か? で、それを下敷きにした「幻想の魔薬」が『新探偵小説』1947年4月号に掲載されたわけだけれど、それがどの程度、原作に依存しているかは現時点では何とも。ただ、西尾版を読んだ限りでは「墓場」ほど「まんま」ではない? 結構、構成も込み入っているしね。ちなみにThe Phantom Drugは1975年に刊行された『慄然の書 ウィアード・テールズ傑作集』(継書房)に「幻想の薬」(渡部桜訳)として訳出されているらしいのだけれど、この本、「日本の古本屋」で検索したら売価9,000円のが1冊。ちょっと手が出んなあ。

 で、もうひとつのAugust Heatの方なんだけれど、こちらは結構知られた作品らしい(ワタシは知らなかったのだけれど)。1910年の発表(初出はW. F. Harveyの第1作品集となるMidnight House and Other Tales)以来、数々のアンソロジーに再録。日本でも平井呈一訳など数種類の翻訳があるようなんだけど、その第1号が実は西尾正作「八月の狂気」だった……かとゆーと、いえいえ、ご安心あれ(って、誰に言ってんの?)。これこそ「着想を得た」レベル。ただ、だからといって喜んでいられるかというと……。

 実は色々物色したところ、August Heatを収録したアンソロジーが1冊、ウチのストックに眠っていたんだ。それがGreat Tales of Action and Adventure(edited by George Bennett)。ページ数にして6ページばかりの本当に短いもので、それではと西尾版と読み比べてみたのだけれど――

 これは、アレですよ、雲泥の差ってやつ。どっちが「雲」かというと――断然、オリジナル。これほど短く、かつ濃密で、かつ何も起きないのに、この緊迫感。すべてを読者の想像力に委ねて、何も語らない。語らずに、突き放す、その残酷さ。西尾版ではその「何も語らない」といういちばん凄みのある部分が台無し。結局、〈その日、死ぬコトになっている自分と同姓同名の人物の墓石を彫る石工と遭遇して……〉というそもそものアイディアを借用しただけ。1947年、「墓場」と同じ探偵雑誌『真珠』に掲載された後はいかなるアンソロジーにも収録されることなく、人目に触れることがなかったのは本人にとっても幸いだったのでは? と思うのだけれど、何の因果か、ここに来てにわかに再評価の気運が高まり、2007年、『西尾正探偵小説選』刊行に伴って広く人目に晒される仕儀と相成ったのは、人事のとんだアイロニーとでも言うか……。

追記(2012.08.09)

 江戸川乱歩の「怪談入門」(『幻影城』所収)を読んでいたら「私の読んだ英文怪談集」の1冊としてセイヤーズ編「探偵怪奇恐怖小説集」が。この本、1928年にGollanczから刊行されたGreat Short Stories of Detection, Mystery and Horrorのことなのだけれど、W. F. HarveyのAugust Heatを収録したアンソロジーの第1号がコレ。で、この本、当時、わが国「探小」業界では知る人ぞ知る1冊だったらしく、「藤原編集室」の藤原義也氏のコラムによれば「戦前から《新青年》をはじめとする探偵雑誌で英米の短篇を翻訳紹介するさいに、本書が重要な参考書・翻訳底本となってきたことは間違いない」。多分、西尾正が「八月の狂気」のネタ本としたのもこの本。しかし、乱歩も読んでいた、業界でも広く「参考書・翻訳底本」として流布していた、そんな本をネタ本にしなければならなかった辺りに、当時の「探偵小説家・西尾正」が置かれた窮状が透けて見える、とは言えるのかなあと……。

2012.08.07

Dream Trips

 つまり……柴原洋太郎は斎田南海子を傷つけまいとして嘘の手記を認め、斎田南海子は柴原洋太郎を傷つけまいとして春日鉄二の日記の存在を伏せていた? 柴原が嘘の手記を認めたのは、春日殺害が殺意を以て行われたものではなく、すべては「怪奇な妄想」のなせるワザだったと押し通すため? では、なぜそうする必要があった? 春日の南海子に対する凌辱(といっても「脣を盗む」程度なんだけどね)が本人の知るところとなることがないように? 春日の日記によって南海子も既に承知だったとは露知らず……。つまり、これは柴原洋太郎と斎田南海子の純愛物語なんだね。だから物語全体の司祭のような立場にある藤原博士が最後に南海子の庇護者たらんと名乗りを上げるという結末が物語全体を回収する救済となりうるワケだ。

 そうわかってみれば(↑のようなリカイに行き着くまでにどれだけページを行きつ戻りつしたことか……)、ふむ、なかなかよく練られた「探小」ではないか――とは思うものの、しかし、待てよ、語り手は柴原の手記を一読、「なぜ彼が春日と呼ぶ親しき友を殺害しなければならなかったのか、これだけはどうしても充分に納得できないものがある」として、「真の殺害の動機」は何なのかと南海子に迫るのだけれど、これがねえ、どーも。語り手にはその段階では柴原の手記なるものが南海子に読ませるための嘘の告白であるとはわからないはずなんだけれど。

 豹と犀は、互いに隙あらばと睨み合った。

 牙をむき出し、すさまじい咆哮に胴震いしながら突然春日がとびかかって来た。僕も砂煙をあげて角を揮った。僕たちの間にまたしても血みどろな噛み合いと突き合いがはじまった。

 つまり、語り手は、こんな柴原の「怪奇な妄想」を全く信じていないというコトだよね。だから「真の殺害の動機」は別にあると考えるわけなんだろうけれど――つまんないやつ。怪奇小説の語り手なら素直にその告白を信じて戦慄すりゃーいーじゃないか、と思うんだけどねえ。もしかしたら、ここは構成上、破綻してるんじゃないの? 語り手は一旦、柴原の手記を真に受けて、その「怪奇な妄想」にただただ戦慄する――という物語全体の踊り場となるような段階があった方がよかったのでは? その上で、あまりにも意外な「妄想の真実」が明かされる――とゆーよーにね。――と、以上、小説を読んでいない人にとっては何のコトやらチンプンカンプンではありましょーが、西尾正「幻想の魔薬」を再読、三読した上での感想と致します。興味を持たれた方は是非ご一読あれ。江戸川乱歩も「この思ひ切つた着想は欧米の舞台に出しても恥しくない」と太鼓判。

 で、ここからは「欧米の舞台に出しても恥ずかしくない」のも当然で、そもそも「幻想の魔薬」はA. W. KapferのThe Phantom Drugという怪奇小説に「着想を得た」とされる件。8月1日付けエントリの時点ではまだ手元に原文がなく、「どの程度、原作に依存しているかは現時点では何とも」としたのだけれど――原文、入手しました。1974年にPanther Booksから刊行されたDream Trips(edited by Michel Parry)。やはり西尾が「八月の狂気」の「着想を得た」とされるW. F. HarveyのAugust Heatと同様、ページ数にしてわずか7ページ半のごく短いもの。従って、これまた「八月の狂気」同様、「本作と原作の関係は『着想を得た』レベルに止まる」。同エントリでワタシが予想した通り。ザックリ言えば、「幻想の魔薬」というポートフォリオにファイルのひとつとして挟み込まれている柴原洋太郎の手記が、うーん、原液を70%くらいの濃度に希釈したThe Phantom Drugに相当? 面白いのは、柴原に問題の薬液を送ってきたのが「ニュウポートの研究所時代知り合いになったカプフアーと呼ぶ薬学師」とされている点。暗に原作者の名前を明かしている?

 以下、せっかく原文を入手したんだから、両者の異同の例示という目的も兼ねてやや長くはなるけれどそれぞれの登場人物が囚われる「怪奇な妄想」の導入部分――

An unfamiliar atmosphere surrounded me when my mind began to function again. Slowly the haze wore away and I stirred restlessly as strange impressions flooded my brain. I was among a heavy growth of trees, rank grass, and bush. My nose felt peculiar to me, then I cried out in wonder. It was not a faint ejaculation that came from my throat, however, but a roar — a volume of sound that made the very earth tremble, and with good cause; for I, or rather my mind, was embodied in a elephant. My nose — it was now a trunk!

I became intoxicated with the thought of the strength I now possessed, seized a tree with my trunk, and with a mighty tug, pulled its roots from the ground and hurled it aside. My cry of satisfaction was a boom that rolled like a peal of thunder.


 どのくらいの時間が経ったか、だんだんに靄が消えて行くと脳髄の中に奇妙な印象が氾濫して、何とも言えぬ不安にかき乱されはじめた。僕はまわりの異様な雰囲気に驚いて眼を見張った。何とそこは密林の奥地ではないか。眼の前には赤茶けた河が濁々として流れ、岸には熱帯地特有の、葉の大きな樹々が簇々と生いしげり、右を向いても左を向いても、樹と雑草と白い砂漠の果てしないひろがりだった。そしてそのひろがりの上に、いまや赫々たる炎熱の太陽が巨大な物質感を以て輝きわたっているのだ。そこにはもはや見慣れた実験室もモーターも試験管もなく、むせかえるような熱い、青臭い風だけだった。

 間もなく僕は、自分のからだに、何とも言えぬ違和、――勝手ちがいの感覚を覚え出した。こころみに歩いてみると、どさんどさんと地響きがし、首を左右に曲げることができない。鼻の先に何かとがった物体を支えて、しかも体のどこもかしこも無毛の黒びかりのした厚い皮でつつまれ、いつか尾蹄骨付近には荒縄のような尻尾がぶら下がっている。

 僕はすぐ鼻の頭に突き出ているものが、アフリカ犀特有の角であることを知った。この新しい武器を得て、身内にあふれるこれまで病身の僕が感じたことのない力に有頂天となった。悠々と河辺に歩み寄り全身を流れの中にひたした。がばがばと音をたてて乾いたのどを潤した。それは、せせこましい神経質な人間どもの味わえぬ、別種の新しい生命感だった。

 ゾウをサイに変えたのは、サイの角が必要だったから。あとは内緒(笑)。で――西尾正の作品目録の中で海外の怪奇小説に「着想を得た」と考えられている3作品、そのすべてを原文と読み比べてみたわけだけれど(エライ!)、そこから導き出される結論――この3作品、いずれも「着想を得た」元ネタがある点では同じでも、作品化に臨む作者の姿勢には相当の違いがある。「幻想の魔薬」と「八月の狂気」は明らかに原作を換骨奪胎して「自分の作品」にしようとしている(原作より優れているかどうかは別)。構成が複雑なのはオリジナリティを出そうと工夫した結果と見ることもできる。これに対し「墓場」はそんな工夫を放棄しているかのよう。むしろいかに原作のオリジナリティを損なわずに作品化できるかに腐心しているかのような印象さえ。何しろ↑の「幻想の魔薬」の引用部分が原液を70%くらいの濃度で希釈したものとするなら、「墓場」の「陳述」部分は純度99%の原液(登場人物の名前が違うだけ)。かくて――西尾正が「墓場」において本来めざしたものとはThe Statement of Randolph Carterの「翻訳」であったという7月30日付けエントリの推論は結論に……(?)。