あ、そっか。初出がWeird Tales(以下WT)だからといっても底本もWTとは限らないんだ。何となくワタシは底本=WTと思い込んでいて、The Statement of Randolph CarterについてはWT1937年8月号、The Phantom DrugをについてはWT1939年11月号をそれぞれ底本の候補として挙げていたのだけれど、アンソロジーなど、他に底本となりうる本があるのも事実。いやね、確かに丸善辺りに注文を出せばWTだろうが何だろうが入手は可能だったんだろうとは思うのだけれど、どーもイメージできないんだよなあ、その時代(1930年代)、このクニにWTをはじめとするアメリカ製パルプマガジンを貪り読む数奇者がいたということを。

で、元々興味を持ってはいたんだけれど、この際だ、調べてやれと、WTないしはアメリカ製パルプマガジンについて。幸いにもというべきか、これにはうってつけの1冊があって、1988年に国書刊行会から刊行された『ウィアードテールズ 別巻』(那智史郎・宮壁定雄編著)がそれ。5巻シリーズの作品編につづく研究編がこの別巻。多分、日本語で書かれたWTの解説書としてはこれが決定版(他には荒俣宏著『パルプマガジン 娯楽小説の殿堂』)。判型もそうだし、書体もそう。もちろん、用紙はパルプ紙とは行かないけれど、極力、WTのテイストの再現にこだわった編著者渾身の1冊。で、この本の資料編に「邦訳アンソロジー(WT移入史)」と題する、読んで字の如く「WT移入史」というべき1章が設けられている(もっとも、いささか簡潔過ぎて、「WT移入小史」くらいが適当かな)。それによると、WT掲載作品の日本移入第1号は『新青年』1928年夏季増刊号のリヴィタン作「第三の拇指紋」とアンソニー作「寄生手」。以後も1929年7月号にダーレス作「蝙蝠鐘楼」、1930年春季増刊号にコオタア作「白手の黒奴」……。
と、わが日本の「探小」業界は昭和もきわめて早い段階からWT移入に積極的だったやにうかがえるのだけれど――実は一連の記述はこんな但し書きではじまっている――「WTアンソロジーNot at Night(1925)発行3年後の昭和3年(1928)夏の増刊号には(……)」。つまり、『新青年』がそれらWT作品を掲載する至った背景にはNot at Nightの刊行があったと、少なくとも「WT移入史」の編者(宮壁定雄)は見ているんだということを示唆。ま、有り体に言えば、底本はNot at Nightだったんだろうと言ってるわけだね。そのNot at Night、同書研究編の「WTの三十年」(那智史郎)に若干の説明があるのでご紹介。
また、二五年の十月には、最初のWTアンソロジーとでもいうべき“Not at Night”が、ロンドンのセルウィン&ブラウント社から刊行された。このアンソロジーは怪奇小説好きの英国の読者を喜ばせたらしく、三七年刊行のオムニバズ編までシリーズ全十二巻が出た。この全部がWTアンソロジーというわけではないが、第一巻収録の十五編はすべて復刊後のWT(二四年十一月—二五年八月号)から採られている。作品の著作権はポピュラー・フィクション社(注:1923年創刊のWTが一旦ポシャった後の二代目の版元。1924年から1938年までWTを発行)が握っており、作家には見返りがなかったらしい。
アメリカ製パルプマガジンに掲載された作品からなるアンソロジーがイギリスで刊行とはやや意外な感じもするのだけれど、何でもWTの代理店はイギリスにもあったとか。それに、そもそも怪奇小説の本場はイギリス。西尾正が「八月の狂気」のネタ本にしたと考えられるGreat Short Stories of Detection, Mystery and Horrorなど、版を重ねるアンソロジーも。怪奇小説は優にひとつのマーケットを形成していたものと思われる。そんな本場イギリスの“通”のお眼鏡にも適った怪奇小説アンソロジー、『新青年』掲載のWT作品の翻訳底本と考えられるだけではなく、やはり戦前の刊行となる『怪談・英米編』(1931年、先進社)や8月1日付けエントリでも言及した『慄然の書 ウィアード・テールズ傑作集』(1975年、継書房)も「Not at Nightシリーズを基にした」というのが同書の見立て。あ、そっか。初出がWTだからといっても底本もWTとは限らないんだ――と、ワタシが思い至った理由が、ハイ、この「邦訳アンソロジー(WT移入史)」の記載であります。
で、実は西尾正が「幻想の魔薬」の「着想を得た」と考えられるA. W. KapferのThe Phantom Drugは1927年に刊行されたシリーズ第2弾、More Not at Nightや1937年に刊行されたシリーズ第12弾、Not at Night Omnibusに収録されているんだよね。だったら、そのいずれかを底本とした可能性もあるのではないかと。むしろ、『新青年』のWT移入史を見ればその可能性の方が高いのではないか? で、「幻想の魔薬」はNot at Nightシリーズのいずれか、「八月の狂気」はGreat Short Stories of Detection, Mystery and Horrorとなると、残る「墓場」の原作であるThe Statement of Randolph Carterは? となるわけだけれど――ISFDBのビブリオグラフィに間違いがないならば、The Statement of Randolph Carterを収録したアンソロジーの類いで西尾正の生前に刊行されたのは1冊、1939年にArkham Houseから刊行されたThe Outsider and Othersのみ。これがArkham Houseの記念すべき第1号。ほう、そんな特別な本を西尾正が持っていた?
しかし、結論から言えば、西尾正がThe Outsider and Othersを持っていた可能性はWTを読んでいた可能性よりもずっと低い。というのも、この本、出版費用を工面するため前金注文制という特殊な出版形態を採用。しかも、告知はWTに掲載。つまり、そもそもWTを読んでいなければThe Outsider and Othersを注文することはできなかったのだ。しかも、「ダーレスのもとに印刷所から一二六八部の単行本が届いたのは、三九年の末であった」(同書「アーカム・ハウスとWT」)。しかし、時局の暗転によって洋書の輸入は1940年頃にはほぼ完全に杜絶したとされていて(『丸善百年史』参照)、西尾が同書を入手できた可能性がはたしてどれほどあったものか。しかも、この本、印刷部数1,268部を完売するのに4年を要したというのだけれど、ダーレスの方針で再版は行われず。「これにより本の希少価値は高まり、アーカム・ハウスは怪奇/SF専門の出版社としての名声を確立した」(同)。こうなると、どう逆立ちしたところで西尾正の時代にThe Outsider and Othersを入手することは不可能。
で、そうなると、どうなる? 知れたことよ、西尾正が「墓場」の翻訳底本としたのは1925年か1937年に刊行されたWT。それ以外の可能性はない。そーかあ、やっぱり西尾正はWTを読んでいたんだあ。その時代、このクニにWTをはじめとするアメリカ製パルプマガジンを貪り読む数奇者は、いた……。
いきなり孫引き――ではなくて、この場合は曾孫引きだな――とは情けない限りなんだけれど、原文が入手できないんだから仕方がない――横田順彌の名著『日本SFこてん古典』の「第25回 〈新青年〉と〈科学画報〉」に島本光昭「概説日本SF史」(『宇宙塵』101号から110号まで連載)の一節が引いてある。戦前の大衆向け科学雑誌『科学画報』に関するものなのだけれど、その中に同誌の編集長だった原田三夫が『宇宙塵』71号に寄稿した「科学と奇蹟」の一節が引いてある(引用の中に引用がある、引用のマトリョーシカ?)。これがなかなか興味深い。
「新青年」創刊の三年後の、大正十一年(一九二二年)には、原田三夫氏の編集によって誠文堂新光社から「科学画報」が創刊された。『ワタシは宇宙飛行の実際問題の勉強が手にあまり、SFには全くごぶさたしているが、三十年ほど前にはやろうかと思ったことがある。「科学画報」をはじめたころ、故海野十三さんに一緒にやろうといわれ、アメリカからゲルンスバックのアメージング・ストーリーズを毎号とりよせたりしたが、語学の力が不足で読みこなすことができず、断念した。そしてその雑誌を全部、中学同級の親友であった小酒井不木にやってしまった』(原田三夫「科学と奇蹟」宇宙塵七一号)
えーと、「ゲルンスバック」って、Gernsbackのドイツ語読み? 確かにHugo Gernsbackはドイツ生れ。元々はHugo Gernsbacher(フーゴー・ゲルンスバッハー)て名前だったらしいし。閑話休題。それにしても、スゴイと思わない? Amazing Stories(以下AS)を「毎号とりよせたりした」人が当時いたんですよ。そりゃあ、ASを取り寄せている人がいたんだから、WTを取り寄せている人がいてもおかしくない(ASは1926年創刊なのでWTより少しだけ後発)。さらにだ、「毎号とりよせたりした」人が科学雑誌の編集長だったというコトは――もしかしたら、ASに掲載された小説が翻訳され『科学画報』に掲載されたこともあったのでは? そう思って調べたら、案の定。ワタシは全く存じ上げないのだけれど、寮美千子さんという童話作家がいらっしゃるそうです。この方の父方の祖父は寮佐吉という大正末期から昭和初期に活躍した科学ライターなのだそうだけれど、この寮佐吉が『科学画報』に寄稿した「生ける人脳図書館」という小説があるらしい。しかし、この小説――
寮佐吉の創作として発表されたが、実は、アメリカのパルプ・マガジン「AMAZING STORIES」1931年5月号に載ったDAVID H. KELLERの小説 The Cerebral Library の翻案。佐吉は、これを「生ける人脳図書館」というタイトルで、「科学画報」同年9月号からに三回に分けて掲載した。大学生を集め、それぞれに専門書を大量に読ませ、その脳を取り出してリンクさせ、生体データベースをつくろうという物語。一種のSF怪奇ミステリーだった。まだコンピュータという言葉すらない時代のことである。日本におけるSF小説翻訳の最初期のもののひとつである。(祖父の書斎:森下雨村「科学小説出でよ」)
一応、補足が必要かな。日本におけるSF小説翻訳の第1号は明治元年に「公私雑報」に抄訳が載ったジヲス・コリデ作「全世界未来記」(愛梅主人=近藤芳樹訳)――「と考えて、まちがいのないところだろう」と、ヨコジュンが。その後、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』(明治11年)やら『二万里海底旅行』(明治13年)やらが登場して翻訳SFブームが到来するコトになるわけだけれど、そもそもSF小説翻訳の源なるものは明治初年まで遡ると見るのが妥当。だから「生ける人脳図書館」の場合は「日本におけるAS掲載小説翻訳の最初期のもののひとつ」と位置づけるのが順当なところかな。とはいえ、先駆的であるのは間違いなく、本来ならば日本SF史に特記されるべき事項だと思うのだけれど、『日本SFこてん古典』巻末の「日本古典SF主要作品年表」(會津信吾編)には記載されてはいるものの(記載されているのはさすが)、寮佐吉の作品として。まだ同書刊行の時点(1981年)ではAS作品の翻案であるとは判明していなかったのかな。
で、戦前に訳出されたAS作品は「生ける人脳図書館」だけかといえば、さにあらず。実は他にも相当数あるらしいことがわかっているんだと。いやー、やっぱり餅は餅屋。大した研究成果です。題して「ウィアード・インヴェンション~戦前期海外SF流入小史」(惜しむらくはいささか文章にクセが。完全に内輪向け。ファンジンらしいといえばそれまでなんだけどねえ)。その058「ドイツ編(その十九)」によると「俺が知ってる、というか思いだせたのは」として列挙されているのが14タイトル。へー、そんなにあるんだ(ちなみに「ストリブリングの無茶苦茶な抄訳」とされているのは海野十三作「緑色の汚点」のコトらしい。何でも講談仕立てらしいのだけれど、三一書房版『海野十三全集』にも収録されておらず、詳細は不明)。さらにだ、「<アメージング>の表紙を元にした<少年世界>の表紙がある」なんてことまで書かれている。『少年世界』といえば、巌谷小波ですよ。それが、アメリカのパルプマガジンを模した表紙? こりゃあ、戦前のわがクニの読書界はワタシなんかが考えるよりもずっとパルプマガジンしていたらしいぞなもし……(って、何で伊予弁?)。
7月30日付けエントリでは西尾正作「墓場」や薄風之介とかいう素浪人(?)が書いたコトになっている『木乃伊の妻』等、戦後ほどなく公刊された出版物に掲載された「翻案」とは翻訳が御禁制だった被占領下ならではの苦肉の策――としたのだけれど、しかし寮佐吉作「生ける人脳図書館」は翻訳が大手を振って行われていた戦前の著作物。実際、その時代の『科学画報』には何篇もの翻訳小説が掲載されていたことが『日本SFこてん古典』巻末の「日本古典SF主要作品年表」(會津信吾編)で確認できる。
であるならば、「生ける人脳図書館」も寮佐吉作としてではなく、「デイヴィッド・H・ケラー/寮佐吉訳」として掲載されてもおかしくなかったのでは? 宮沢賢治も読んでいた『通俗相対性原理講話』(黎明閣)や『物的世界の本質』(岩波書店)など、科学ライターとして旺盛な執筆・翻訳活動をつづけていた寮佐吉がいささかグロテスクな要素もある「一種のSF怪奇ミステリー」の作者として、しかも本名で「科学画報」に登場しなければならないどんな理由が? これが翻訳ならわからないではない。しかし、表向きは、これは科学ライター寮佐吉の“作家デビュー”。ま、ちょうどこれと相前後して森下雨村が「科学小説出でよ」と題して「海野十三君、もしくは寮佐吉君あたりが、この方面に手をつけてくれれば、面白いものができはしないかと思う」と寮佐吉の創作分野への“参戦”を慫慂する記事を書いていたことを思えば、そうした期待に応えようとした結果と見れないこともない。しかし、ならばなぜ翻案? その場合は当然、オリジナルに挑むと思うのだけれど。
まあ、海野十三も『ぷろふいる』掲載の連作短編「蝿」の第1話「タンガニカの蠅」でASに掲載されたThe Eggs from Lake Tanganyika by Curt Siodmak(↑に挙げた「毒蝿地獄」の原作でもある。つまり、既に翻訳まであった海外SF)の翻案をちゃっかりやっているらしいし、あと8月17日付けエントリでもチラリと触れた「ストリブリングの無茶苦茶な抄訳」の件もある。もしかしたら、当時は今考えるよりも翻案と創作の垣根はずーっと低かったのかも知れない。ただ、それならば『科学画報』掲載の翻訳だって、例えば浅野玄府作「毒蝿地獄」として掲載されてもよかったわけでしょ? そうせずに、ちゃんと「F・クジマーク/浅野玄府訳」で出ている。うーん、何かねえ。何か臭うというか。ぶっちゃけ、本当に「生ける人脳図書館」はThe Cerebral Libraryの翻案なんだろうか? 翻案だとしても、どの程度原作に忠実なものなのか? 何となく「登場人物が日本人に置きかえられている以外は、翻案とすら呼べない忠実な翻訳」とは相当趣向が違うような。
と、そんなことを考えていたら、俄然、「生ける人脳図書館」を読みたくなった。とはいえ、昭和6年刊行の『科学画報』なんておいそれと手に入るものではない(「日本の古本屋」で検索したのだけれど、連載3回分をまとめて入手するのは難しそう)。もちろん、アンソロジーの類いにも収録されていない(横田順彌編『日本SF古典集成』に期待したのだけれど、残念)。かくなる上は国立国会図書館にお世話になるしかあるまい(さすがは国立。マイクロフィルム化したものが収蔵されているらしい)。で、どうせならば読み比べだよね。David H. KellerのThe Cerebral Libraryの方は1974年刊行のLife Everlasting and Other Tales of Science, Fantasy and Horrorが手頃かな。しかし、この過程でDavid H. Kellerについても色々調べてみたのだけれど、この作家自体、なかなか興味深い。Wikipediaでも「ケラーの作品が確立した複雑さは、同時代のパルプSFの大半から抜きん出ており、後のSF黄金時代に実現された『SF文学』の名に恥じないレベルであった」。
それほど評価されているのだけれど、その知名度の低さは一体どうしたことか(ワタシ自身、全く知りませんでした)。そういう意味では寮佐吉の「無名性」とも共通するものがあるような。また、ともに「サイエンス」という〈実〉に立ちつつ「フィクション」という〈虚〉に越境したという意味でも一定の共通性はあるとは言えそう(David H. Kellerの本職は神経精神科医。ペンネームも医学博士を意味するDavid H. Keller, MDと表記)。そんなふたりが、えーと、かたや『アメージング・ストーリーズ』、かたや『科学画報』という科学小説(当時はまだSFという呼称はなかった。David H. KellerがHugo Gernsbackに請われて科学担当の編集顧問として参加したScience Wonder StoriesがSFという“新語”を世に生み出した母胎)のメッカとなった雑誌を舞台に、太平洋の此岸と彼岸でほぼ同時代に活躍した両作家の軌跡が、この翻案作品において交錯する次第は、なにやらん運命的なものをすら感じさせます――と、あれれ、どっかで読んだコトあるようなフレーズだぞ? まあ、いい。ともあれそんな次第で、このエントリは一旦、ここで中断。本とコピーが届き次第、再開。
追記(2012.08.27)
ふふふ。ふははは。ぶはははは。こんな「翻案」があったのか。スゴイぞ、寮佐吉! 「一種のSF怪奇ミステリー」という寮美千子さんのコメントを裏付けるようにThe Cerebral Library/「生ける人腦圖書館」(原文に即して、以下、旧字体を使用)には「ワシントンに本部を有するアメリカ合衆國機密探偵局長」と彼の元に派遣された「サンフランシスコ探偵局の最も腕利」という触れ込みのふたりの探偵が登場。その対面シーンで、ワシントンの探偵局長の目にサンフランシスコの「腕利」はどう映ったか? David H. Kellerの原文と寮佐吉の「翻案」ではそれぞれ――
The Chief looked at the little man standing on the carpet in front of him. A trifle more than five feet tall, rather stockily built, with baby features and buxom cheeks, blue eyes and blond hair. It was a face hard to describe and harder to remember. There was no force of character there, and but little intellectual gleam in the eyes.
探偵局長は、彼の前の絨毯の上に立つてゐる小柄な男――アメリカ人らしくない――を眺めた。丈は五呎を少し越した位、随分岩疊にでてきゐて、どことなく子供らしいところがある。これは形容するのが随分六つかしい顔で、極めて平凡な顔つきである、併し、兩眼にはやゝ知性的の閃きが見えてゐた。
寮佐吉の「翻案」には原文にはない「アメリカ人らしくない」という注釈が挿入される一方、原文にある「青い目と金髪(blue eyes and blond hair)」という描写はカット。これによって、この探偵氏はますます「アメリカ人らしくない」外見の持ち主となるわけだけれど――「アメリカ人らしくない」のも当然、この「テラオ」と名乗る探偵、「實は、東洋人、もつとはつきり言へば、寺尾といふ日本人」であることが最後に明かされるのだ。これぞ「登場人物を日本人に置き換える」翻案小説の王道? そう、最初は思った。で、この「生ける人腦圖書館」なる翻案小説、所詮はそれだけのもの。主人公を日本人に置き換え、あとは大学生の就職難に関連して「大學は出たけれど」という当時の流行語を挿入したり、図書館の蔵書数に関連して「東京上野の帝國圖書館」のデータを挿入したり――と、およそ本質には影響を及ぼさない程度の改変を少しばかり加えた、結局は「登場人物が日本人に置きかえられている以外は、翻案とすら呼べない忠実な翻訳」。
なーんだ、せっかく本やコピーまで取り寄せたのに――と、いささかならず落胆したのだけれど、いや、待てよ。要するにさあ、作中、Wing Loo(翻案では「ウイン・ルー」)なる中国人外科医として登場するのは、実はサンフランシスコ機密探偵局の探偵であるTaine(この人物が翻案では「テラオ」と名乗っているわけね。ちなみに、David H. Kellerの同時代のSF作家にJohn Taineなる人物がいた由。もしかしてモデル?)がなりすましていた(その経緯がまたスゴイ。まだ何も事件が起きていない段階で、つーか、中国のスゴイ外科医がアメリカにやって来る、という新聞記事を読んだだけで、コレハナニカアル、と早くも見当をつけてしまう。で、アメリカに上陸した途端に捕獲、ルミナールを使って人事不省にしてしまう。歴とした犯罪です)――とゆーコト、なんだよねえ。アタマを整理する意味で、もう一度、David H. Kellerの原文を読むと(文中に登場するJeffersonとはアメリカ人の電気学者。翻案では「ジエフアソン」。いわゆる“マッドサイエンティスト”)――
... I met him, drugged him with luminal, and the rest was easy. He had letters, giving the directions for an appointment with Jefferson. At that time, I did not know who Jefferson was, but I thought we ought to keep the appointment. So, I changed into a doctor, and brought Wing Loo with me as a very dangerous epileptic who had to be kept in twilight sleep all the time. I put him in a private New York hospital; and I took his clothes, and met Jefferson in Philadelphia.
え、なりすますって、服を着替えるだけ? いくら身長が「五呎を少し越した位」(5フィートは1メートル52センチ。それを「少し越した位」だから、1メートル55センチ位?)だからって、「青い目と金髪」はどーなった。特殊メイクもなしにどーやってアメリカ人が中国人になりすますの……。この「一種のSF怪奇ミステリー」、アメリカ人の電気学者と中国人の外科医が組んで今で言う「バイオ・コンピューター」を彷彿させないでもない人間の脳を連結した「生体データベース」=「人腦圖書館」を作り出そうとする企てがメインになっているのだけれど、そこにミステリー仕立ての仕掛けが加味。その「SF」部分については「情報処理・検索という課題の現代社会における重要性を充分に認識し、『記憶』に関連した人間の脳のハード/ソフトウェアをそのまま流用するシステムに目をつけた発想は、驚くほど先見性に富んでいる」(石原藤夫+金子隆一『SF キイ・パーソン&キイ・ブック』)とは言えると思う。しかし、「怪奇ミステリー」の部分はねえ。
で、同じようなハンモンに寮佐吉も駆られたんだと思うな。このまま『科学画報』に載せていいものや否や。結局、彼は科学ライターらしい合理性を重んじて原作に手を加えるコトにしたんだろう。原作の「SF」部分はそのまま活かしつつ、「怪奇ミステリー」部分のトンデモ設定に限って多少なりとも合理的に解釈可能なものにする「改変」。で、頭をひねった揚げ句、思い付いたのが――以下、↑に引用した部分を寮佐吉の「翻案」で――
……私は彼に會つて、麻酔藥をのませました、かうなつたらもう後は、樂ゝと運んだのです。彼は、ジエフアソンとの會見に對する注意を與へた手紙をもつてゐました。その時には、私はジエフアソンは誰だか知りませんでした。併し、彼に會つた方がよいと思ひました。そこで私は、醫者は〔ママ〕變裝して、ウイン・ルーを大變狂暴な危険な精神病者であるから、始終、うたたねのやうな状態に保つて置かねばならない患者であるとして、一緒につれて歩きました。そして、私は彼をニユーヨーク市の或る私立病院に入れました、そこで、私は彼の衣類を取つて、私がウイン・ルーになりまして、フイラデルフイヤで、ジエフアソンに會ひました。私も、實は、東洋人、もつとはつきり言へば、寺尾といふ日本人なので支那人に化けるには大變都合がよいのでした。
ひたすら原文に忠実な「翻訳」――最後の一行を除けば。そしてこの最後の一行こそはこのトンデモ設定を辛うじて合理的に解釈可能なものにする“超絶技巧”。スゴイぞ、寮佐吉!
思うに寮佐吉は元々は「生ける人脳図書館」を翻訳として発表するつもりだったのではないか? しかしThe Cerebral Libraryという小説をそのまま『科学画報』という科学雑誌に掲載することは寮佐吉の科学ライターとしての良心が許さなかった。そこであえて原作に手を加えることを選択した。しかしそうなるともはやそれを「翻訳」として発表することはできない。かくて「デイヴィッド・H・ケラー/寮佐吉訳」として掲載されるはずだった「生ける人脳図書館」は寮佐吉作「生ける人腦圖書館」として『科学画報』の誌面を飾ることに……?

もしかしたら、これが海野十三の実質的な『新青年』デビュー作となるのかな? 掲載は昭和3年1月号。表題は「科学時潮」。執筆者名義は佐野昌一。
上野、浅草間の地下鉄道が出来た。入って見ると随分明るくて温い。電車の車体は黄色に塗られ、架空線(かくうせん)はないから随(したが)ってポールやパンタグラフは無い。皆レールのところから電気を取っている。一時間十五哩(マイル)の速力であるから上野、浅草間は五分位で連絡が出来る。
地下鉄道の出来たことは、いろいろな意味に於て愉快である。高速度であるため市民がセーブする時間は大したものであろうし、又東京市が飛行機の襲撃を受けたときは、市民が爆弾を避けるには兎(と)も角(かく)も都合のよいところだし、それから又、外国の探偵小説並(なみ)に、地下鉄を取扱った面白い創作探偵小説が諸作家によって生れて来ることであろうし、結構なことである。
一般に海野十三のメジャーデビュー作は『新青年』昭和3年4月号に掲載された「電気風呂の怪死事件」とされているのだけれど、それ以前にも「『無線タイムス』『科学知識』そのほか雑誌に啓蒙的な随筆やコント、漫画などを寄稿したり、『キング』の懸賞小説に応募したりしていた」(講談社大衆文学館『蝿男』巻末の紀田順一郎「人と作品」)。その中の一編、「しやつくりをする蝙蝠」(これは表題がお見事。表題だけで読んでみたくなる。しかも実は蝙蝠とは蝙蝠傘のことだった、というオチも洒脱)をたまたま目にした当時の『新青年』編集長・横溝正史が延原謙を介して当時、逓信省電気試験所技師だった海野十三(本名・佐野昌一)に面会、「その時頼んで書いてもらつたのが『電気風呂の怪死事件』である」旨の記述が『宝石』昭和24年8月号に記されている(『日本SFこてん古典』からの孫引きです。最近はこればっかり)。しかし、実際にはその前に「科学時潮」なる短文が佐野昌一名義で発表されていたわけだね。
で、この「科学時評」に「緑の汚点」なる「科学小説」のコトが記されている。後に「緑色の汚点」として抄訳されることになるThe Green Splotches by T. S. Striblingであるのは間違いない。その海野版「緑色の汚点」の方は昭和11年に春陽堂小説文庫から刊行された『恐怖の口笛』に収録されているらしいコトまではわかったのだけれど、初出誌等、依然、詳しいことは不明。しかしこの「科学時評」で紹介されている要約だけでも十分にオモシロイ。ここではその結論部分ていうか、第三者による報告(なぜかノーベル賞選考委員会への推薦文)のかたちで綴られた衝撃の真実(?)を海野十三による要約とT. S. Striblingの原文で――
最後に予は断言する。この怪人達は、地球人類とは全く別箇の系統から発達進化した生物である。換言(かんげん)すれば彼の怪人は、植物の進化したものである。故(ゆえ)に銃丸が入っても別に死せず、唯「緑の汚点(おてん)」として発見せられた緑汁(りょくじゅう)の流出があるばかりである。殺人罪といったような不道徳を怪人が解せなかったのも、抑々(そもそも)植物には情感のないことを考えてみてもよく判ることではないか。
To put the same idea in another form—the crew of the ether ship were flora, not fauna.
This accounts for the yellow perl-like texture of their skins. No doubt the young Jovians are green in color. It would also explain why Mr. Three was entirely without anger when attacked and without pity for Pablo's pleadings, or for Standifer when he was burned, or for Ruano when he was murdered.
Anger, pity, love and hatred are the emotional traits of the mammalia. They have been developed through epochs of maternal protection. Is is not developed in plants.
Mr. Three was a plant.
その上で、注目は、この「科学時潮」が掲載されたのが『新青年』昭和3年1月号だったコト。掲載が1月号なら、執筆は前年の11月か12月。そんなタイミングで「近頃読んだ科学小説」として「緑の汚点」について触れているわけだけれど、その原作となるThe Green SplotchesはAdventure1920年1月号に掲載。その後、Amazing Stories1927年3月号に再録されていることがISFDBのビブリオグラフィで確認できる。多分、海野十三が読んだのはこの号。本国アメリカで1927年3月に刊行されたパルプマガジンに掲載された小説をその年の内に日本で紹介しているわけだけれど、これってスゴクない? 今なら、遅いよ、となるところだろうけど、昭和2年とか3年とかの話ですよ。ワタシはスゴイと思うな。しかも当時、日本はまだ関東大震災からの復興途上。東京在住の海野は言うならば被災者。そんな境遇にありながら、逓信省電気試験所の技師でもあった彼のアンテナには「世界初のSF専門商業誌」の情報がしっかりキャッチされていたのだ。スゴイ。
海野十三。寮佐吉。西尾正。すべての先達に敬礼……。