思うところあって、江戸時代初期の禅僧・至道無難の教えをまとめた『至道無難禪師集』を読んだのは、この4月のことだった。その結果、思いがけず、かの「豊玉発句集」に隠された謎がカイメイされることになったわけだけれど(詳しくは「土方歳三と至道無難をめぐる走り書き」をお読みいただければ)――どうもソレがよくなかったようだ。ソレですっかり『至道無難禪師集』を読んだ目的が達成されたような気になってしまって。本来ならばワタシはアレを皮切りに求道の日々を過ごすつもりだったのだけれど。アレ以来、やっていることと言えば……。しかし、これではイケナイ。と、ようやく気がついた。そして、紐解いたのが――真継伸彦の『鮫』。かつて当地(この場合の「当地」とは「北陸」くらいの意味と受け取っていただければ。ただ、よりエリアを絞った「富山」ということでも別にいい。そのことを物語るのが南砺市松島にある「松島大杉」)を舞台に繰り広げられた一向一揆について描いた歴史小説。そういえば、これまで一向一揆についてちゃんと考えたことはなかったなあ、と。
で、これが、まあ、なんということだろうか、まるでコチラが『至道無難禪師集』を読んでいることを織り込み済みであるかのような、こーゆー場面(台詞)に遭遇することになったのだ――
やがて薄明の底から貴女様はおれの顔を見つめながら、かぼそい声で仰せられた。
「くりかえし、念仏申されませ。そなたの極楽往生は、ただ一度の念仏で決定(けつじょう)いたしておりまする。されど、そなたはいまだ長い生涯を過ごさなければなりませぬ。人はいったん阿弥陀如来の不思議な救済のお力に、いっさいをお任せしながらも、なお生きつづけねばなりませぬ以上は、自分で生きなければなりませぬ。信心は、いっさいの自分の能力を捨てる誓いでありながら、生きる以上、自分の欲念、想念、思念にしたごうて生きなければなりませぬ。それゆえに、妾どもの信心は妾どもの生涯によってうらぎられ、けがされて、一度は身に得た信心も、いつか、いつわりの信心となりかわってしまう。それが、あさましい衆生のさだめでござりましょう。疾風殿、よう正直に自分のあさましい過去をお話しなされた。信心ある者にしかできませぬ。されど、そなたにあたえられた信心は、いつかきっと、いつわりの信心になりかわるであろう。それゆえに、南無阿弥陀仏とくりかえし申されませ。身に得た信心をけがすあさましい衆生を、なおかつ浄土へ迎えてくださる阿弥陀如来のお慈悲を、ありがたく思し召されて、念仏申されませ。そのうえは、能うかぎり自分の情念を制して、しずかな生涯を過ごされませ。猿楽を舞う者が、おもてにやさしい女性や童子の面をつけ、時には寂滅した死人の面をつけ、身をよそおうて舞うがように、そのようにそなたのおもてにいつも信心ある者の面をつけて、いっさいの情念のほろびた死人のように、寿命のつきる日まで、おだやかに過ごされませ。疾風殿、南無阿弥陀仏と申しまする心は、いつでも身を捨てて、やすらかに死にまするという心じゃ。それゆえに、疾風殿、死んでいなされ。生きながら、死んでいなされ」
生きるために人肉を喰らい、犯した女を手にかけることも厭わない、自ら「六条河原の疾風」と名乗る男が回心するきっかけとなったのが、この台詞の語り手である見玉尼(けんぎょくに)との出会い。そして↑は死の床にある見玉尼が「六条河原の疾風」に与えた〝最期の説教〟。その一語一語がこれ以上ないくらいの重みを感じさせる言の葉を読み進めつつ、最後の結語部分に至って、え、至道無難? こんなところで?
見玉尼は浄土真宗本願寺派第8世宗主・蓮如の二女とされる女性で、当然のことながら自身も真宗に帰依している。もっとも幼時は禅寺に預けられていたこともあったという。しかし、蓮如は「帖外御文」で「かの比丘尼見玉房は、もとは禅宗の喝食なりしが(略)、不思議の宿縁にひかれて、ちかごろは当流の信心のこゝろをえたり」。そういう尼僧の最期の説教なのだから、当然、他力の教えに貫かれたもの(であるはず)。一方、至道無難は臨済宗の僧侶。つまり、2人は「宗旨が違う」。それだけに、この最後の結語部分に達した時には大いに驚かされたし、ここでこんな言葉が出てくるかなあ、という違和感のようなものを覚えないではなかったのだけれど、それよりも何よりも、ああ、なるほど、だからオレはこの本を読むことになったのか――と、もう完全な運命論者であります。
ただ、ひとしきりそういう感慨みたいなものに浸った上で、いざ、第2部を(↑のやりとりは2部構成となっている小説の第1部の最後の部分)――となったところで、しかしなあ、と。この文脈でこの文言(「死んでいなされ。生きながら、死んでいなされ」)が出てくることの違和感がムクムクと。かくいうワタシは「真宗王国・富山」に生れてウン十年という時を過ごしてきたわけですが、そういうワタシの感覚では、真宗では絶対にこんなことは言わない(と思う)。こんなことを言うのは、それこそ禅宗の坊さんくらいですよ。また、そういうことは別にしても、この見玉尼の台詞については、ちょっとどうなの? と。この時、見玉尼は死の床に臥せっているわけだけれど、もう余命幾ばくもない人物が口にする言葉とはワタシには思えない。死の床に臥せっている人間がさあ、自らにかしずく人間に向かって「死んでいなされ。生きながら、死んでいなされ」とは……ワタシのウン十年の人間経験に照しても、絶対に言わんて。
――と、考えれば考えるほど↑の説教(の特に結語部分だね)に対する違和感が高じてきて。で、はたして浄土真宗の説教においてこういうことを言うことがあるのだろうか? と、少しばかり調べてみたところ、なんとさる仏教学者が見玉尼の台詞を取り上げつつ、いささかの異議を唱えておられることがわかったのだ。その仏教学者とは自身、真宗大谷派の僧侶でもあられた伊東慧明というお人で、『歎異抄の世界』という本においてこう述べておられる――
これは、ナムアミダ仏の信心というものを、実に巧みに表現しておるようにみえます。けれども、よく注意してみますというと、すくなくとも親鸞は、いかなる悪、いかなる罪業も往生のさわりとなるものではないといっております。「悪をもおそるべからず、ミダの本願をさまたげるほどの悪なきがゆえに」。なるほど、この世のことは、みなこの世においていくことにはちがいない。しかし、それは忘れるということでもないし、また、罪を消して往生するということでもありません。往生するところに罪業はおのずから消えるのであって、罪を消して、罪を忘れて往生するとは親鸞はいっていないわけであります。
ですから、「ナムアミダ仏は、いつでも死んでいける心だ」といえば、そのとおりでありましょうが、「だから生きながら死んでいなされ」とはならない。むしろ、これは言葉にあらわすならば、逆になるのでしょう。
「ナムアミダ仏ともうす心は、いつでも死んでいけますという心じゃ。つまり自力をつくし業をつくして、生きていけますという心じゃ。生きていなされ、どこまでも生きていなされ」。
ね、ワタシの思った通り。ワタシもムダにこの真宗王国でウン十年を過ごしてきたわけではなかったということだ(笑)。で、これに勢いを得てもう少し言わしてもらうなら、「そのうえは、能うかぎり自分の情念を制して、しずかな生涯を過ごされませ」というのもねえ。真宗的にはここは「そのうえは、能うかぎり自分の情念に従って、思うがままの生涯を過ごされませ」では? そして、「猿楽を舞う者が、おもてにやさしい女性や童子の面をつけ、時には寂滅した死人の面をつけ、身をよそおうて舞うようなふるまいは必要ありません。いっさいの情念を肯定し、寿命のつきる日まで、存分に過ごされませ。疾風殿、南無阿弥陀仏と申しまする心は、いつでも死んでいけますという心じゃ。つまり自力をつくし業をつくして、生きていけますという心じゃ。生きていなされ、どこまでも生きていなされ」――と、ワタシが理解する真宗の教えだと、こうなると思うんだけどね。そして、これでこそ、死の床に臥せった尼僧の〝最期の説教〟というリアリティも生れてくると思うのだけど……。
作者の真継伸彦は親鸞の個人全訳にも取り組んでおり、当地に講演のために訪れて『歎異抄』と蓮如について論じておられたことも承知しております(講演先の寺の1つがわが家が檀家となっている寺だった)。ただ、『鮫』はまだ著者が30代だった頃の作品。元々は京都大学でドイツ文学を学んだ人だということを考えるなら、まだ本作執筆の時点では真宗に対する理解が浅かったか?
ところで、そもそも『鮫』とはどのような小説なのか? これについてワタシは冒頭で「一向一揆について描いた歴史小説」とした。確かにストーリー的にもそれで間違いはないと言えるのだけど、ただ本質的には少し違うのではないか? いや、ハッキリ言うならば、この小説はワタシが事前に思い描いたものとは全然違う。せっかくだからこのことについても書いておきましょう。まず、既に記したように『鮫』は2部構成となっている。生きるために人肉を喰らい、犯した女を手にかけることも厭わない、自ら「六条河原の疾風」と名乗る男が見玉尼と出会って回心するに至る――というのが、第1部のザックリとしたプロット。しかし、小説は第2部に至ってにわかに「宗教と政治の相剋」(河出文庫版カバー裏のブラーブの文言)をテーマとするすこぶる思弁性の高い小説へと変貌する。そして、第1部の見玉尼がまさにそうだったように、第2部にも主人公の変貌を促す触媒の役割を担うことになる人物が登場する。それが、下間蓮崇という坊主(実在の人物)。この坊主がまあ、『悪霊』におけるピョートルのような人物で、蟻地獄のような言葉責めによってそれまで見玉尼に諭された通りに「自分の情念を制して、しずかな生涯」を送っていた主人公をして「仏法を弘めるためには、仏法を捨てねばなりませぬ」という、第2部の――というか、小説全体のハイライトとなる決断へと突き動かすことになるのだ。で、この主人公と下間蓮崇の間で繰り広げられる問答がスゴイんだ。スゴイんだけど、1つ1つの台詞が長広舌でおいそれと引用することができない。このあたりもドストエフスキーの小説と似ているといえば似ている。ただ、たとえば主人公に対してピョートル――じゃない、下間蓮崇は「仏法の名においてわれらは殺人を事としてよいか?」と問うたりする。まるで革命家同士の問答のよう。ちなみにキリスト教の教義を問答形式で解説した入門書のことを「カテキズム」と言うのだけれど、革命家たるものの心得を同じような問答形式で記したその名も『革命家のカテキズム』なる書を著したのがセルゲイ・ネチャーエフ。『悪霊』のピョートルのモデルとされる人物。ワタシをして言わしむれば、『鮫』の第2部第5章はほとんど『革命家のカテキズム』。「おれの語るべき言葉はつきた。朝までにとくと考え、諾否の返事をするがよい。諾と答えれば、おれは、そなたの前にぬかずこう。そなたの未来に待つものは地獄にすぎぬ。夢のみがうるわしく、現実は戦乱という血の池じゃ。憎しみもなく、そなたは殺人の所行に荷担し、あらゆる醜行に耐えねばならなぬ。否と答えれば、そなたは生きながら肉身をはなるる苦行をつづけ、あるいは釈迦如来に似た尊い悟りの境地に達しうるやも知れぬ。されど、おれがその前に殺す。秘密を守るためには、そなたを殺さねばならぬ」――と下間蓮崇に思考のヤイバを突きつけられた主人公は、一夜自問自答した上で「仏法を弘めるためには、仏法を捨てねばなりませぬ」――という結論に達することになる。『鮫』という小説において作者が本当に描きたかったものはこの問答の中に尽くされている――と受け止めるならば、『鮫』を「一向一揆について描いた歴史小説」と見なすのは間違い。また河出文庫版カバー裏のブラーブが言うような「宗教と政治の相剋」を描いた小説ですらない。あえて河出文庫編集部が繰り出した語法に倣うなら「人間と革命の相剋」について描いた小説とでも言うべきか。この場合、一向一揆は、ただの素材。その証拠に――と言ってもいいでしょう、真継伸彦が小説の主人公に選んだのは三国湊の非人部落に生れた「鮫」と呼ばれる男(この男が後に京都の六条河原に巣くう盗賊に拾われて自ら「六条河原の疾風」と名乗ることになる)。もし真継伸彦が本当に一向一揆を描こうとしたのなら、主人公をこういう人物にはしないはず。なぜって、一向一揆の主体は「百姓」でしょう。本願寺門徒が加賀国守護を倒した長享2年から天正8年までのおよそ100年間、加賀一国は「百姓ノ持タル國」(『實悟記拾遺』)であるかのような観さえ呈した(「近年ハ百姓ノ持タル國ノヤウニナリ行キ候コトニテ候」)。真継伸彦が描こうとしたのが本当にそういう歴史のドラマであるというのなら、当然、主人公は百姓でなければならない。しかし、真継伸彦が主人公に選んだのは三国湊の非人部落に生れた、名前さえも詳らかではない被差別民。ということは、真継伸彦が描こうとしたのは、一向一揆ではない。一向一揆に姿を借りた革命運動。だからこそ主人公を「非人」という社会で最も虐げられた存在(「地に呪われたもの」)に設定した。『鮫』とは、そういう小説。そして、『鮫』とはそういう小説だと捉えるなら、登場人物が真宗の教義から逸脱するような台詞を口にするのもさほど不思議はないということになるのかもしれない(小説の構成上、主人公が「仏法を弘めるためには、仏法を捨てねばなりませぬ」という決断をする時点では、かつての阿修羅の日々が嘘のような「しずかな生涯」を送っていなければならない。でなければ「仏法を弘めるためには、仏法を捨てねばなりませぬ」という煮えたぎる湯を飲み干すような決断が生きない。つまり、第1部の最後で見玉尼から与えられる〝最期の説教〟の内容がワタシが添削したようなものではダメなのだ。ああいう、「ありのままに生きればいい」というようなものではね)。
ただ、後に真継伸彦は親鸞の個人全訳に取り組むことになる。また、全国各地を講演のために訪れて『歎異抄』と蓮如について論じることにもなる。そこがおもしろいところだとも言える。もしかしたら「六条河原の疾風」が経験したような回心の瞬間があったのかもしれないね、『鮫』や『無明』(『鮫』の続編に相当する作品)を書いている過程で。それと――今回、ワタシは『鮫』を読んで、真宗の教えに照してこの台詞は間違っている――ということを結構正確に言い当てることができたわけだけれど、しかしワタシはこれまでこの宗派の教義について深く考えたことはないんだ。ハッキリ言いますが、これまでただの一度も「南無阿弥陀仏」と唱えたことがないし、もしかしたら合掌さえしたことがないかもしれない。身内から込み上げるものがない限り、それはできない、と思っている。そんな人間が真宗の教えに照してこの台詞は間違っている、ということを正確に言い当てることができたということに、ワレながら鼻白むというか。真宗王国に生れ育ったというだけで、こういうことになる、というのは、もしかしたら結構恐ろしいことではないのか? なぜって、知らず知らずの内に1つの思想に染まっているということなのだから。おそらくワタシの身内には「ナムアミダ仏ともうす心は、いつでも死んでいけますという心じゃ。つまり自力をつくし業をつくして、生きていけますという心じゃ。生きていなされ、どこまでも生きていなされ」――という真宗の教えが染み込んでいるに違いない。そんなワタシが至道無難の教えを身内に取り込むことは、多分、できない……。