2021年4月23日、晴れて刊行となった『日本ハードボイルド全集』第1巻「死者だけが血を流す/淋しがりやのキング」。その収録作品にケチをつけて2本も記事を書いたワタシではあるのだけれど……え、まだ書くつもり? 今度は今後、続刊される予定のラインナップに文句がある? なんともはや……。
『日本ハードボイルド全集』をめぐっては、7月に第2回配本として第6巻都筑道夫集「酔いどれ探偵/二日酔い広場」が刊行されることが予告されている。その後のスケジュールは現時点ではアナウンスされていないものの、全7巻の概要についてもこちらで確認が可能(しかし、この順番はどういうことなんだろう。年齢順でもなければデビュー順でもない。もしや、五十音順? とも思ったのだけれど、その場合、都筑道夫が河野典生と仁木悦子の間に入るはず。ということは、本全集編集委員が考える重要度順、ということかねえ。その上で大藪春彦よりも生島治郎を優先したと……?)。でも、これだけ? これで終わり? 何か忘れてやしませんかってんだ(オマエは森の石松か?)。いや、中田耕治を入れろとか、そういうことではないよ。また、山下諭一を入れろとか、そういうことでもない(まあ、この2人が入るくらいならばそもそも大藪春彦よりも生島治郎を優先するということにはなってはいないはずで……)。そうではなくって、別巻ですよ、別巻。世の中には別巻マニアというのがいるんだよ。たとえば、1980年代に国書刊行会から刊行された『ブラックマスクの世界』(小鷹信光編)には作品編全5巻に加えて研究編とも言うべき別巻が付いていた。また同じく1980年代に国書刊行会から刊行された『ウィアードテイルズ』(那智史郎・宮壁定雄編)にも作品編全5巻に加えて研究編が別巻として付いていた。こういう別巻がね、本巻よりも重宝したりするんだよ(今頃、うん、その通り、と激しく首肯いている別巻マニアがどこかにいるはず)。で、『日本ハードボイルド全集』を名乗る全集になんで別巻が付いていないんだと(ドン←机を叩く音)。付けましょうよ(ドンドン←同)。内容は研究編というか、評論編でいいじゃないか。ワタシは、ハードボイルドというアメリカ製文学が曲がりなりにもわが国に定着するに至ったのは、実作だけではなく、評論が果した役割が非常に大きかったと思っている。たとえば、小鷹信光の評論活動なくして「日本ハードボイルド」なんて存在しえなかっただろう。『日本ハードボイルド全集』と名乗る以上はそういう評論活動にも光を当てるというのは当然ではないか? ということで、例によって例のごとく(?)その場合の収録コンテンツを考えてみたわけだけれど――
まだまだリストアップしたものはあるのだけれど、絞って絞ってこれだけにした(注記:当初、リストアップしていた都筑道夫の「彼らは殴りあうだけではない――非情派探偵小説について」(『宝石』1956年1月号)は光文社文庫版「都筑道夫コレクション」第9巻『探偵は眠らない〈ハードボイルド篇〉』に収録されているのがわかったので削除しました。同コレクションは現在も電子書籍として入手可能なのでわざわざ入れる必要もないかなと――という理由で外すなんて、この人、マジだよ……と引く人が出てきたとしてもおかしくない……)。ザッと説明すると――「欲しがりません勝つまでは」(驚いたことに、この名高い標語は「國民決意の標語」として一般公募されたもので、当時、国民学校5年に在学する女子児童の作とされているらしい。しかし、本当かねえ。どうも、それ自体が作られた物語のような……?)の覚悟で戦った第2次世界大戦に敗れたことによってすべての条約上の権利を失った日本はベルヌ条約に定められた著作権法上の権利も喪失。そのため、戦後、久しく海外作品の翻訳出版ができない状態に陥っていた。それがGHQが認めた著作権代理業者を仲介した翻訳出版が可能になったのが1950年。それを受けて、まず出版となったのが『別冊宝石』10号「世界探偵小説名作選第1集 ディクソン・カア傑作特集」であり、第2弾として出版されたのが同11号「世界探偵小説名作選第2集 R・チャンドラア傑作特集」。実際にはこれ以前にも特殊なかたちで出版されていた翻訳専門の読物雑誌はあって、掲載作品にはハメット作品が含まれていたことも確認できるのだけれど、GHQの肝煎による大手を振ったかたちでの出版となったのはこの『別冊宝石』11号が第1号であると言っていい(こうした一連の経緯については、かつてペーパーバック屋だった頃に書いたものがあるのでそちらを読んでいただければ。「翻訳権の帝王」なんてものが暗躍した、とても〝ハードボイルドな〟時代だったようです……)。そして、その冒頭に掲げられたのが江戸川乱歩の「チャンドラアについて」であり、島田一男の「茹で過ぎ卵」。従って、わが国におけるハードボイルド評論の嚆矢はこの2編ということになる。ただし、大江戸川乱歩の方は冒頭で「私はハードボイルドの代表作家チャンドラアの紹介者としては甚だ不適任なのだが、急に他に依賴する人もない樣なので、ともかく私の目にふれたチャンドラア贊辭などを記して、讀者の參考に供することにした」と書いているくらいで、大したことは書いていない。ということで、ここでは「茹で過ぎ卵」からこんな一節を引いて、この当時の「ハードボイルド論」なるものがどのようなものであるかを見ておこう――
ハードボイルドとは、〝茹ですぎた卵〟という意味だということである。一體、茹ですぎた卵のような探偵小說とは、いかなる感じなのか、このアメリカ式感覺は、わたしには理解できない。むしろわたしの感じでは、生卵をたたきつけたような探偵小說といいたいのである。
殺人も戀愛も、その他あらゆる人間の動きが、激情的な荒々しさで描かれている。文章は簡潔でキッパリしており、會話には一分の隙もない……。讀んでいると、驀進してくる機關車の前に立つたような壓力をさへ感じるのだ。
いわゆる本格探偵小說の根底をなす謎と理論の展開は、ハードボイルドに於ては、それほど重要視されていない。むしろ本格探偵小說が、數百頁に亙つてこつ/\と理論を積み上げて行くのを、ハードボイルドでは、描寫の生々しさと、映畫的な場面の面白さで、一ッ氣に押し切ろうとしている。その點で、これは探偵小說の本流ではないかもしれぬが、やはり探偵小說以外のなにものでもないのである。
「ハードボイルド」の語釈をめぐっては苦笑を禁じえないところではあるけれど、「讀んでいると、驀進してくる機關車の前に立つたような壓力をさへ感じる」とか「本格探偵小說が、數百頁に亙つてこつ/\と理論を積み上げて行くのを、ハードボイルドでは、描寫の生々しさと、映畫的な場面の面白さで、一ッ氣に押し切ろうとしている」とか、新奇なものに対してそれが新奇であるがゆえに眉を顰めるのではなく、その新奇さを懸命に理解しようとする真摯さが伝わってきて好感が持てる。現在、ウィキペディアの「ハードボイルド」の記事には「日本のハードボイルド小説」として「昭和20年代から島田一男が行動的な探偵役を用いた作品を発表していたが、先駆的作品にとどまった」――と書かれていますが、この一文を読めばこの作家がそういう足跡を日本ハードボイルド史に残すことになったのには充分な理由がある、ということがわかるのではないか? だから、こういう一文は、もっともっと大切にされて然るべき。
さて、この『別冊宝石』11号「世界探偵小説名作選第2集 R・チャンドラア傑作特集」を嚆矢として、以後、陸続とハメットやチャンドラーの作品が紹介されて行くことになるわけだけれど(ここではその一端のみ紹介するなら、同じ年、ダシール・ハメットの『影なき男』が雄鶏社の「おんどり・みすてりい」の1冊として刊行。また翌1951年にはレイモンド・チャンドラーの「さらば愛しき女よ」が『宝石』において連載開始。10月号から翌1952年3月号まで全6回の短期集中連載。第1回が掲載された10月号の目次では「ハードボイルド派の巨匠チヤンドラーの傑作長篇・一回百枚宛譯載‼」――と、もう鳴り物入りですよ。ハードボイルド小説がそういう扱いを受けた時代があったんだなあ……)、こうしてお披露目されることになったハードボイルド小説が新奇なものを好む当時の〝探小読み〟の好奇心を鷲掴み――したのかどうかまでは、正直、よくわからない。ただ、この当時からハードボイルド・テイストの映画が盛んに作られはじめていることを考えるなら(これについては「コルトのジョーさ。命は貰うぜ、親分!〜城戸禮と「国産ハードボイルドの嚆矢」をめぐる一考察〜」でちょっとだけ書いた。興味のある方はご一読を)、やはり一定の支持を得ることには成功したんじゃないかなあ。そうなると待たれるのは日本人作家の手になるハードボイルド小説の登場ですが、その嚆矢を放ったのが、当時、東北大学の学生だった高城高であり、それは1955年のことだった――というのが今では定説になっているわけですね。なお、2006年に仙台の小さな出版社から刊行された『X橋付近 高城高ハードボイルド傑作選』をワタシも持っておりますが、巻末の池上冬樹による解説「原石の輝き」によれば、江戸川乱歩は高城高が『宝石』1958年2月号に寄稿した「賭ける」を評して「スピレインほど感情的ではないが、決して非情とはいえない。チャンドラー程度のロマンチック・ハードボイルド(へんな言葉だが)に属する作風」と書いているそうだ。確かに「ハードボイルド」なるものを国語辞典に記されている通りに「感情をおさえた行動的な主人公の登場する探偵小説の一ジャンル」(大辞林)と理解するなら「へんな言葉」ということにもなるわけだけれど、でも「ハードボイルド」なるものの実態が決してそのようなものではないことをワレワレはよーく知っている。つーかさ、ハードボイルドなんて本質的に「ロマンチック」なものですよ。まあ、これは多分に自嘲も込めて言っているわけだけれどね……。
そんな「ロマンチック・ハードボイルド」が『宝石』の誌面を飾ったのと同じ1958年、一匹の〝野獣〟が闖入してそんな空気を一変させる。言わずと知れた大藪春彦の登場である。大藪春彦のメジャーデビュー作である「野獣死すべし」が早稲田大学教育学部の同人誌『青炎』を経て『宝石』に転載されたのは7月号。そして、その翌月、同誌に寄稿したのが「チャンドラー以降のハードボイルド」ということになる。ただ、ワタシは読んでおりません。そもそも、大藪春彦がハードボイルドを「論ずる」、というのがどうもピンと来ない。大藪春彦はどう見たって「論ずる」人という感じではない。それだけにこの「チャンドラー以降のハードボイルド」(と、もう1本リストアップした「ハードボイルドであろうがなかろうが」)は貴重かなと。現状、手軽に読めるというものでもないと思うので、ぜひ『日本ハードボイルド全集』別巻「評論編」刊行の暁には収録して欲しいものであります(すっかり刊行される気になっております……)。
で、いよいよ小鷹信光の登場となる。小鷹さんが『私のハードボイルド:固茹で玉子の戦後史』で述べているところによれば、評論家・小鷹信光のデビュー作となる「行動派探偵小説史」は早稲田大学文学部の卒論「現代アメリカ未成年者犯罪小説論」を「基礎資料」として書かれたもので、さらにその「現代アメリカ未成年者犯罪小説論」はワセダミステリクラブの機関誌『フェニックス』に連載した「行動派探偵小説小論」を「ふくらましたもの」という。つまり、「行動派探偵小説小論」が発展して「行動派探偵小説史」になった――という理解でいいんだろうと思う。で、なにがスゴイって、この「行動派探偵小説史」の第1回が掲載された1961年1月号以降、『マンハント』改め『ハードボイルド・ミステリィ・マガジン』が廃刊となる1964年1月号までただの1号も休まずに寄稿しつづけているんだよね。まさに皆勤賞ですよ。その熱量たるやハンパない。後に当人は『マンハント』を評して「キザっぽくいえば、〈マンハント〉は雑誌というものじゃなく、一つの漠然としたフェノメノンだったのだ。編集者と翻訳者やコラムニストが徹底的にハメをはずし、こわいもの知らずに悪のりして、それに一万人か二万人の読者が加担して六年間をたのしくすごした一現象だったのだ」(『宝島』1978年9月号「『マンハント』がおもしろかった頃…」)と語るわけだけれど、最もその精神を体現していたのは他ならぬ小鷹さんだったんじゃないのかな。そんな小鷹論文が『日本ハードボイルド全集』を名乗る全集に収められることは、だから誠に以て当然至極、ということになるのでは?
――と師(と言っても、面識はないんだけどね。ただ、同郷ということもあって親近感は格別。加えて言うと、小鷹さんの本名は中島信也。ワタシの父方の祖母の旧姓も中島。え、ということは……?)へのリスペクトも捧げたところで、さて問題の(?)「日本にハードボイルドは育つか否か」だ。この論争については当事者の1人でもある小鷹さんが『私のハードボイルド:固茹で玉子の戦後史』でこうふり返っているのだけれど――「これを読まされたハードボイルド・ファンは果たしておもしろがったのだろうか。それともあきれはてたのだろうか。とばっちりをうけた編集者側の評価はどうだったのか。いずれにしろ後味の悪い、不毛の論争だった。そこから良いものは何も生まれなかった」。この論争がこういうネガティブなトーンで語られることになったのは先鋒を務めた中田耕治の責任大と言わざるを得ない。というのも、彼は『宝石』編集部から「日本にハードボイルドは育つか否か」というお題を投げられてただ「否」と答えたばかりではなく、あろうことかフリードリヒ・エンゲルスばりに「ハードボイルドは死滅する」とまで言ってのけたわけだから。これからねえ、みんなでハードボイルドを盛り上げて行こうというその時に……。さらに問題だったのは「ある人が、日本のハードボイルドの翻訳はほとんど大部分がスタイルの移植ということに失敗しているといっていた。その人自身もハメットをいくつか訳していたはずだから、おそらく失敗したのだろう」と、名指しは避けながらも同業者批判(と読めますよねえ)を展開してみせたこと。で、稲葉由紀(明雄)がそれを自分を指していると勘違い(なのかどうかは、実はよくわからない)した。そして、「売られた喧嘩は買う」とばかりに「ハードボイルドなど死滅しようが」で「こんな奇態な言辞にお目にかかると、なんのことかわからず、ただただ面喰らうばかりである」。さしもの中田耕治もこれはマズイと思ったか、12月号に寄稿した「大坪編集長への手紙」で件の批判の対象は決して稲葉由紀を念頭に置いたものではないと〝釈明〟。そして、「日本のハードボイルドの翻訳は文体の移植に失敗しているなどという人は、自分で手がけてみるがいい」――と、だからそれは誰に言ってんの? また河野典生と大藪春彦の応酬もエグかった。河野典生が「ハードボイルドの商標で僕の感覚的に受け入れることの出来ない某氏の作品が大量にあふれている」云々とやったところ、当の「某氏」である(と誰が読んだってそう思うよね)大藪春彦が「僕は何もハードボイルドの手本通りに書こうとしているではない。僕が自分で一番書きたい主題なり文体が、いわゆるハードボイルドと類似しているだけのことかも知れない」。これを〝野獣派〟らしからぬ穏当な反応と見なすか、それとも空の高みから見下ろす慇懃無礼な反応と見なすかでこの応酬の評価は相当に違ってくるわけだけれど、どっちかというとワタシは……。いずれにしても、こうして本来の「日本にハードボイルドは育つか否か」という崇高なテーマはどこかに吹っ飛んでしまい、小鷹さんの言葉を借りるならば「慇懃無礼な揶揄や当てこすり、揚げ足とり、相手の言葉尻をとらえた、底意地の悪い反論、中傷をちりばめたむきだしの悪口の応酬はとても論争とは言えない非情な遺恨試合の様相を呈した」。そして、何ら生産的な結論を生み出すこともないまま、この12月号を以て〝強制終了〟となる。1963年といえば、まだ大江戸川乱歩は健在だったわけだけれど、既に『宝石』の編集からは手を引いており、表紙からは「江戸川乱歩編集」の文言も消えていた。言うならば、重しが取れた状態だった。そういうこともこの論争に何かしらの影を落としているのは間違いないだろう。ただ、そういういささかザンネンな論争ではあったとしても、今からふり返るなら、なんていうんだろう、そんな時代もあったんだなあ、と。「そんな時代」とは――「ハードボイルド」なるものをめぐって男たちが口角泡を飛ばして論じ合った時代。参加したメンツも錚々たるもので、中田耕治、小鷹信光、稲葉明雄、大藪春彦、河野典生、高城高――ですよ。彼らが一体何を訴え、どんな「言葉の石つぶて」を投げ合ったのか、ハードボイルドを愛するものならばぜひとも知りたいでしょう。それだけの価値はある。そして、これが重要なのだけれど、この6者7編の論考がこれまで1冊の本にまとめられたことはないということ。ここはぜひ『日本ハードボイルド全集』別巻「評論編」がその役割を果たすべき――と、やっぱり刊行される気になっている?
あと、生島治郎と大藪春彦というこの分野の二大巨頭が、当時、他に並ぶもののいない人気作家だった五木寛之をパートナーにハードボイルドをめぐって対談を行っているので、これもぜひ入れておきたい。特に生島治郎と五木寛之の対談はタイトルがねえ、微苦笑を誘うというか。なにしろ、「あーむずかしい日本のハードボイルド」ってんだから(笑)。掲載されたのは梶山季之が自腹を切って発行していたとされる月刊『噂』。その創刊号であります。「トップ屋」として知られた梶山季之が「責任編集」を担い、表紙にも「活字にならなかったお話の雑誌」と打ってある、後に岡留安則が『噂の真相』創刊に当たって一字を拝借したされる〝暴露本〟の創刊号になんで「日本のハードボイルド」をめぐる2人の直木賞作家による対談が掲載されることになったのかは知る由もないのだけれど、やはりこの頃までは「ハードボイルド」というものがその新奇さ・珍奇さを保ちえていたということだろう。つまり、「ハードボイルド」というものは、まだまだ論ずべき「何か」だったのだ……。なお、この対談は1975年に刊行された『五木寛之雑学対談』に収録されているのだけれど(ただし「あーむずかしい日本のハードボイルド」というタイトルは外されている。それに代って目次等では「やさしさ」という文言が掲げられているのだけれど、ただしこれはタイトルというよりも対談のテーマみたいなもの。本書に収められた他の対談もすべてそういうかたちになっている。なお、対談――というか、これだけは鼎談になるんだけどね――のパートナーには植草甚一と中田耕治もいて、こちらは「読書」になっている)、その中からこんな下りを引いておきましょうか――
生島 ハードボイルドというのは、定型はべつにないんだよね。ようするに、自分でハードの部分をつくらなければならない。まあ、作家、あるいはその主人公なりのキャラクターというものは、ひとつのモラルに支えられているわけだ。そのモラルからはみ出すまいとするところがハードボイルドなんだけれども、スピレーンのものなんかだと、はじめからキャラクターは設定されちゃっている。定型におさまってしまっているんだな。あとはだから、極端な味つけをするだけなんだ。
五木 いちばんよくハードボイルドの心を表しているのは、吉行(淳之介)さんがどこかで書いていたけれども、生島が紹介した「やさしくなくては生きていく資格が……」なんていうあれだな。
生島 タフでなければ生きていけない。やさしくなくては生きている資格がない。
五木 資格がないわけなんだな。だから、それをもっと日本流に敷延すれば、多情多恨な男が、石のごとくに生きなければならないのココロだ。(笑)精神的にドライな男じゃ、ハードボイルドの主人公たりえないわけですよ。
生島 はじめからドライならば、結局……。
五木 なにもないわけだから。
もうね、2人の見解が完全に一致しているのがよーくわかる。なんか、救われるなあ……。なお、ワタシはこの本を高校生の頃に読んでいるんですが、五木寛之が言った「(ハードボイルドとは)多情多恨な男が、石のごとくに生きなければならないのココロだ」――を「ハードボイルド」なるものの心臓部分を一掴みに掴み出したものであると理解して今日に至っております……。
で、コンテンツとしてはこんなもんで十分かな、という気もするんだけれど、この際だからと船戸与一の「チャンドラーがハードボイルドを堕落させた」と木村仁良の「ハードボイルドって本当は何なの?」も挙げておいた。どちらもなかなかの〝ハードボール〟というか……。ワタシはこれまでもなにかと両論文のお世話になってはいるのだけれど、ただ引用したからといってその言い分に諸手を挙げて賛同しているわけではない。たとえば船戸論文について言うならばだね、彼はこう書いているわけだけれど――「フィリップ・マーロウはどんな人間にたいしてタフだったか? そこらのちんぴらやちゃちな悪徳警官を殴り飛ばしたことは何度もあるだろう。だが、権力の奥の院に鎮座してる悪の構造のシンボルはもちろんのこと、その代行者に迫ろうとしたことはただの一度もない」。でも、「権力の奥の院に鎮座してる悪の構造」って、具体的には何のこと? ロックフェラー家とか? フリーメーソンとか? 今だったらさしずめ「ディープステート」とか? 「権力の奥の院」という言葉からは、どうしてもそういうものを想像してしまうわけだけれど。で、船戸与一としては、私立探偵に――私立探偵ごときに、そういうものと戦えと? 申し訳ないが、そんな探偵小説をワタシは読みたいとは思わない。ワタシは、それこそ、私立探偵という生身の人間が「そこらのちんぴらやちゃちな悪徳警官」とつば迫り合いを演じている、そんなちっぽけな小説が読みたい。そう、「小説」が読みたいんだ、「大説」ではなくて。あるいは、そういう知的デリカシーみたいなものだけは失いたくないというか……。それにしても、粗雑な物言いだ、「権力の奥の院に鎮座してる悪の構造」なんて。多分、船戸与一はこの原稿を書くときに酔っていたんだろう。でなけりゃ、「権力の奥の院に鎮座してる悪の構造」なんて、こんな粗雑で陳腐で薄っぺらな物言いを自分に許したりしないよ――と、『日本ハードボイルド全集』別巻「評論編」に入れろと言っている割には、ずいぶんな言い様だ。なんか、影響されちゃったかなあ、中田耕治とその愉快な仲間たちに。ただ、まあ、それだけリスペクトしているということで。いや、ホントだって。なにしろワタシは『硬派と宿命』以来の読者なんだから。なんなら一節引いてみようか、『硬派と宿命』から――「硬派とは何か。左右激突の現場に突如として登場してくるこちこちの行動至上主義者である。体制の牙城めがけて不意に直撃弾をしかける攻撃者である。行動こそが万能だという神話の守護者である。したがって、硬派の分布は多岐にわたる。革命の側にもいれば反革命のサイドにもいる。民族解放戦線の中にもいれば、弾圧者の傭兵の中にもいる。無頼の一味の中にもいれば、警察官の中にもいる。共通していえることは、硬派はつねに状況の最前線で行動するということだ」。
――ということで(どういうこと?)、厳選に厳選を重ねた『日本ハードボイルド全集』別巻「評論編」、はたして日の目を見る日は……来るわけないよなあ……。