「この怪奇小説が「わからない」①」を書いている時点で、次はコレ――と決めていたのだけれど……その時点と今ではずいぶんとモードが変っちゃったなあ。今では本当にこの怪奇小説が「わからない」……。
ということで、本題。山本周五郎が昭和34年に『オール読物』に発表した「その木戸を通って」は時代小説でありながらなぜか――と、ここは強調する意味であえて太字で――怪奇小説としても評価されていて、紀田順一郎・東雅夫編『日本怪奇小説傑作集』(創元推理文庫)にも収められているし、白石加代子の朗読劇『百物語』でも取り上げられている。しかし、この小説がこんなふうに怪奇小説として扱われていることが、そもそもワタシにはよくわからないというか……。この点について、たとえば東雅夫は『日本怪奇小説傑作集』で「いわゆる〝神隠し〟伝承の神秘と恐怖を描いて人情の機微に迫る、滋味掬すべき名品である」――としているのだけれど、この解説にしてからがよくわからない。前半の「いわゆる〝神隠し〟伝承の神秘と恐怖を描いて」という下りと後半の「人情の機微に迫る、滋味掬すべき名品である」という下りが「木に竹を接いだよう」とでも言うのか。なんで「いわゆる〝神隠し〟伝承の神秘と恐怖」を描いた小説が「人情の機微に迫る、滋味掬すべき名品」になりうるのか? ハッキリ言って、これは解釈が間違っているのではないか? 「その木戸を通って」は確かに「神隠し」現象がモチーフとされてはいるけれど、小説としては完全に人情ばなしの部類に入ると言っていい――というのがワタシの解釈で、「神隠し」云々はそのための道具立てに過ぎないのでは? と。実際、「神隠し」というのは江戸時代の社会風俗みたいなもので、この現象をネタとした話は「この怪奇小説が「わからない」①」でもテキストとした『新著聞集』にもあるし、柳田國男が愛読したとされる『耳嚢』にもある。社会が安定した江戸年間は「神隠し」のような「世にも奇妙な物語」が盛んに消費された時代だったと言っていい。それを裏付けるような下りは「その木戸を通って」にもある(後述)。しかし、それに釣られて本編を「いわゆる〝神隠し〟伝承の神秘と恐怖」を描いた小説としていたんじゃ、ミステリーを読んで作者が仕掛けたレッドへリングにまんまと引っかかっている図と大差がないようにワタシには思えるんですよねえ……。
ここで「その木戸を通って」のプロットを少しばかり詳しく紹介することにしよう。その方が何かと話が進めやすいのでね。――主人公はさる家中で勘定方を務める平松正四郎という武士で、藩主の側用人を務める岩井勘解由の三男として生まれたものの、廃家となっていた平松家が再興されることになり、正四郎がその当主に選ばれた。しかし、平松正四郎となってからまだ日が浅いためか、自分が「平松正四郎」であるという自覚があまりない。物語の冒頭でも老職部屋の付番から上役(田原権右衛門)がお呼びであると声をかけられるものの、正四郎は知らぬ顔。付番がもう一度、同じことをくり返してようやく「おれのことか、なんだ」。これは、物語を読み進めていくと、相当に練られた設定であることがわかってくるのだけれど、それについてはのちほど改めて。で、正四郎が田原権右衛門の部屋に行くと薮から棒に「おまえはいつか、江戸のほうにあとくされはないと云ったな」。実は正四郎は江戸にいた頃は相当に遊んだ口。自分でも「おれは模範的な人間じゃあない」と思っている。当然、女関係もいろいろあった。平松家を継ぐに当たっては、その辺は整理したはずなのだが、本当に大丈夫なんだな――と田原権右衛門は言っているわけで、そう改まって問われると正四郎としてもいささか眼が泳ぐというか(本文には「彼の顔にはほんのわずかではあるが、不安そうな、おちつかない色があらわれた」とある)。しかし、ここはそんな不安を押し切って――「仰るとおりです、それに相違ございません」。
実は田原権右衛門がことここに至ってこんなことを正四郎に問いただしたのにはワケがある。正四郎は既に田原権右衛門の仲立ちで城代家老を務める加島大学の息女・ともえとの縁談が決まっている。そのともえが正四郎の留守中(正四郎はこの時、会計監査のため、3日ばかり城中に詰め切りとなっている)、手作りの牡丹餅を持って平松家を訪ねたところ、家に見知らぬ娘がいたというのだ。ともえが誰かと訪ねたところ、家扶(≒執事、かな? まあ、ダメ男の若旦那には切れ者の執事が付いているというのはP・G・ウッドハウスが編み出した世界的な公式とでもいうか……)の吉塚助十郎なるものがしばし返答をためらった後、「主人を訪ねてまいったのだが、どこから来たとも云わず名もなのらない、もちろん自分も見たことのない顔である」と、これはジーヴスらしくもない(?)説明にならない説明。要するに、どこの誰とも説明のできない娘が家にいるということで、これはどういうことだと加島家から厳重が抗議が来ている――というのが田原権右衛門の詰問の内容。これに対し、正四郎は「そんなことありません、間違いにきまっています」と抗弁するものの、自分の留守中に何があったかまではさすがに。ということで、下城後、すみやかに事情を確認し報告するということで、この場は退散。
さて、3日かかった監査が終ると正四郎は慰労会の誘いも断って自宅に急ぐのだが、帰ってみるとはたして娘はいた。吉塚助十郎に事情を問いただすと、これがまたなんとも面妖な話で――
「一昨々日の午まえでございました」と吉塚は話しだした、「玄関の内村がまいりまして、旦那さまに会いたいと、若い婦人が訪ねてみえたと申しますので、私はどきりと致しました」
三人の家士や小者、召使たちはこの城下の者だが、吉塚助十郎とその妻のむらは江戸から伴れて来た。正四郎の父は岩井勘解由といって、信濃守景之の側用人であるが、吉塚は先代から岩井家に仕えてい、正四郎が国許へ来るに当り、父が選んで付けてよこした。したがって、江戸における正四郎の行状をよく知っているから、女が訪ねて来たと聞いて驚いたのも、むりではなかったかもしれない。
「挨拶に出てみますとまったく見覚えのない方で、主人はお役目のため両三日城中から戻らぬ、と私は申しました」と吉塚は続けた、「ことづけがあったら申し伝えましょう、いずれのどなたさまですかと訊きましたが、黙って立っているだけで返辞をなさいません」
娘の髪かたちやみなりは武家ふうであるが、見ると着物は泥だらけで、ところどころかぎ裂きができているし、髪の毛も乱れ、顔や手足にも乾いた泥が付いてい、履物は藁草履であった。
「なにかわけがあって来たのか、住居はどこかと繰り返し訊きましたが、ただ平松正四郎さまにお会いしたいと云うばかりで、そのうちにふらふらとそこへ倒れてしまいました」
「玄関でか」
「玄関でございます」と吉塚が云った。
やむを得ないので座敷へ抱きあげ、妻のむらに介抱をさせた。飢と疲労で倒れたらしい。気がつくのを待って、風呂へ入れてやり、むらの着物を着せ、それから食事はと訊くと、黙って頷いたようすが、いじらしいほどひもじさを示していた。食事をさせたあとで少し横にならせよう、疲れが直ったら仔細がわかるだろうから。むらがそう云うので、吉塚はその娘を妻女に任せた。
「娘はむらの云うことをすなおに聞き、食事のあとで横になると、二刻あまりもよく眠りました」と吉塚が続けて云った、「――眼がさめたので洗面をさせ、鏡台の前へ坐らせたが、自分ではなにもしようともしません、そこで妻が髪を直してやりながらいろいろ訊いたそうです」
だが娘は「正四郎に会う」ということ以外、なにも記憶していなかった。自分の家がどこにあるかも、自分の名さえもわからない。もちろん正四郎に会う目的もわかっていない、ということであった。
この後、正四郎は娘にも会うのだが、やはりまったく見覚えがない。さらに「どうしてここへ訪ねて来られたのですか」と問いただしても、当の娘はうなだれたまま、それが自分でもわからないのだ、と囁くような小声で。そして、逆に「どういうことなのでしょうか」と正四郎に尋ねる始末。さらには「まるでものに憑かれたか、夢でもみているような気持でございます」。しかし、正四郎の受け止めはもう少しリアリスティックで、これは誰かが仕掛けた罠だと。正四郎と加島家の息女の縁談が破談になって喜ぶものも当然いるだろうし。――ということで、娘には家から出て行ってもらえと命じた上で自分は事情説明(つーか、「釈明」だろうね、これほど彼がことを急いで処理しようとするのは加島家との縁談がかかっているから。である以上、どうしたって「釈明」という色を帯びてしまう)のために田原権右衛門の元に。権右衛門は正四郎の話をひとしきり聞いた上で「覚えておこう」。ま、正四郎の「釈明」を受け入れたわけではないけれど、そういう言い分であることはノートに書き留めたと、そういうことだね。
で、これで一件落着かというと、そうはならない。いや、これで一件落着にする手もあったと思うけどね。しかし、正四郎というのは元来、ことをなあなあで収めることができない男のようで、この時も娘を裏で操っているものの正体を突き止めてやろうと、吉塚助十郎に言い含められて家を出て行く娘の後を尾行するという挙に出る。しかも、そぼ降る雨の中を。仮にも450石(元は900石だった。しかし、再興されるに当たり450石に半減された)を食む家の当主が。この辺り、さぞや岩井家の部屋住みだった頃は遊び回ったんだろうなあ、と想像させるような身の軽さ。しかし、正四郎の読みとしては、娘は必ずや黒幕の元を訪ねるに違いないと。もう確信を持ってやっているわけですよ、この〝探偵ごっこ〟を。ところが――娘は城下町を抜け、橋を渡り、島田新田(というからには、おそらくは相当に城下から外れた新開地と想像がつく)というところも過ぎて、いい加減、日も暮れてきた。これには「おい、どうするつもりだ」。しかし、そんな正四郎の心配(?)をよそに娘はなおも歩きつづける。で、城下町から一里半、ようやくというか、ついにというか、娘は街道脇の観音堂に。正四郎は、一旦、その前を通りすぎて、二丁ばかり行った後、引き返し、観音堂の裏へ回って娘の様子をうかがうことに。この辺り、〝探偵ごっこ〟にしても実に堂に入っている。もしや、部屋住み時代、岡愡れした女の後をつけたりしたこともあったのでは? と、そんなことさえ想像させるのだけれど……そんな正四郎の目に映ったのは、意外や意外、娘のこんな姿だった――
……娘はなにをしているのか、――彼は足音をぬすみながら、ごくゆっくりと前のほうへまわっていった。そしてかぶっている笠をぬぎ、堂の角からそっと覗いて見た。娘は縁側に腰をかけ、両肱を膝に突き、顔を手で掩っていた。よく見ると、軀が小刻みにふるえてる、かすかに「おかあさま」と云うのが聞えた。泣いているのだろう、その声は鼻に詰って、いかにも弱よわしく、そして絶望的なひびきを持っていた。
この様子を目の当たりにしたことが、正四郎の運命を変えることになる。正四郎という男はいささか軽佻浮薄なところもあるけれど、一方で久須見健三並み(?)の「共感力」(という言葉が、最近、すっかり一般的になったような印象ですが、昨年のアメリカ大統領選挙で現大統領であるバイデン候補のセールスポイントとしてこの言葉が喧伝されるようになる以前、そんなに世間一般で使われていましたっけねえ……?)の持ち主でもあったようで、この時も娘が馬子か駕籠舁きふうの風体の2人組にからまれるというなりゆきとなるや「おい待て、それはおれの伴(つ)れだぞ」。さっきまで尾行していたはずの娘をね。で、遂には娘を家につれ帰るのだ、しかも「いっしょに家へ帰ってくれ、私が頼む、帰っておくれ」と、自分から懇願して。もう放ってはおけない。であるならば、武士の体面なんかクソくらえ――、そんなところか?
そして、あれよあれよという間に2人は一緒になるのだ――加島家との縁談を破談にしてまで。そんな2人は子宝にも恵まれる。生まれたのは娘で、正四郎の母の名前を貰ってゆかと名付けた。なお、娘の方はふさと名付けられた。こちらは、当初、家扶の吉塚助十郎に預けられることになった娘に助十郎の妻が嫁にやった娘の名前を与えたもの。つまりは娘代わりということだね。そんなふさをめぐって正四郎と助十郎はこんなことを話しあったこともあった――
「俗に神隠しとか、天狗に掠われる、などということを申します」と或るとき吉塚が云った、「つい数年まえの話ですが、江戸の者が一夜で加賀の金沢へいった、自分ではなにも知らず、気がついてみると金沢城下で、日を慥かめたところ昨夜の今朝だった、ということです」
「うん」と彼は頷いた、「真偽はわからないが、その話は聞いたことがある」
「ほかにも大坂の者が知らぬまに長崎へいっているとか、いま座敷にいたと思った者が、そのまま行方知らずになって、何十年と戻らなかった、などという話がずいぶんございます、あの娘もそういう災難にあったのではないかと思いますが」
「そんなことが現実にあろうとは思えないけれども、――言葉の訛りなどで見当はつかないだろうか」
「言葉は江戸のようですが」と吉塚は首をかしげた、「しかし武家では、多少なりともその領地の訛りがうつりますし、それが江戸言葉と混り合いますから、どこの訛りという判断はむずかしかろうと存じます」
「では時期の来るのを待つだけだな」
「あるいは」と吉塚は主人の気持ちをさぐるように云った、「このままなにも思いださずに終るかもしれません」
そして、助十郎が云うように「このままなにも思いださずに終る」のがいちばん良かったのだろう。しかし、ふさはゆかを身ごもった頃から過去のことを思い出すようになる、「お寝間から、こちらへ出て、ここが廊下になっていて」――と、昔、住んでいた家の間取りを反芻するように。そんな時のふさの顔は「壁の表面のように平たく、無表情で、その眼はまるで見知らぬ他人を見るような、よそよそしい色を帯びていた」。そして、遂にふさは家を出て行ってしまう。それは、2人が夫婦になって4年目、ゆかが3歳になった年の3月のことだった――
吉塚が去ると、正四郎は立ちあがった。立ちは立ったけれども、そのまま放心したように、腕組みをして眼をつむった。
「来たときのように、いってしまったのだな、ふさ」と彼は囁いた、「――いまどこにいるんだ、どこでなにをしているんだ」
雨の降りしきる昏れがた、観音堂の縁側に腰をかけて、途方にくれていたふさの姿が、おぼろげに眼の裏へうかんできた。彼の眼がするどく歪み、喉へ嗚咽がこみあげた。彼はむせび泣いた。縁側へ出て行き、庭下駄をはいて歩きだしながらも、むせび泣いていた。
しかし、正四郎は希望を失っていない。いつか必ずふさは帰ってくると。そして、こう物語は締めくくられる――
「みんながおまえを待っている、帰ってくれ、ふさ」彼はそこにいない妻に向って囁いた、「帰るまで待っているよ」
うしろのほうで、わらべ唄をうたうゆかの明るい声が聞えた。
さて、これを読んでアナタはこれが「いわゆる〝神隠し〟伝承の神秘と恐怖」を描いた物語とお感じになるだろうか? 確かにふさは忽然と現れ、忽然と消える。それは「神隠し」そのものだろう。ただ、だからと言って本編を「神隠し」現象を描いた小説である、とするのはどうだろう? ワタシは、本編で描かれているものとは、煎じ詰めるならば、心理学で言うところの「レジリエンス」というやつではないかと思うんだ。主人公は、持ち前の「共感力」を発揮してワケあり娘を家に迎え入れ、ついには(既に決まっていた城代家老の息女との縁談を破談にしてまで!)女房にする。それは、この男なりに自分の人生は自分で決めた、ということなのだろう。そして、その決断が間違っていなかったことを証明するように子宝にも恵まれる。単純に「良い話」ですよ、ここまではね。しかし、そんな日々の中で深く静かに異変は進行して行く――、どうやらワケあり女房が少しずつ過去のことを思いだしはじめたようだ。そんな時の女房はまるで別人。高まる不安……。そして、不安は現実となる。ある日、ワケあり女房は忽然と消えてしまったのだ、彼女の記憶の中にあったと思われる木戸を通って。実際にはあるはずもない、「その木戸」を通って……。しかし、そんな結末に至ってもなおも男は希望を失っていない。きっと女房は帰ってくる、おれというものがいて、ゆかという娘もいて、このまま帰ってこないなんてことはありえない……。この人が逆境にさらされたときに涌いてくる不思議な力。それは人間の精神に備わった「回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」「再起力」……、ま、言い方はなんでもいいけれど、そういうものがワケあり女房の置き土産よろしく最後に描かれて物語は一応の(え、一応の?)終りを迎える――、この物語をこんなふうに俯瞰するならば、その中で描かれている「神隠し」現象なんてただの道具立てでしかないことは一目瞭然ではないか。
また、こんなことも指摘したい。主人公の平松正四郎は藩主の側用人を務める岩井勘解由の三男として生まれたものの、廃家となっていた平松家が再興されることになり、その当主に選ばれて平松姓を継いだといういささか込み入った背景を有する人物として設定されている。そして、平松正四郎となってからまだ日が浅いためか、自分が「平松正四郎」であるという自覚があまりないという実情が具体的なエピソードを伴って描かれている。それが物語の冒頭で、老職部屋の付番から上役(田原権右衛門)がお呼びであると声をかけられるものの、正四郎は知らぬ顔。付番がもう一度、同じことをくり返してようやく「おれのことか、なんだ」――という、最初の方で指摘しておいたシーン。加えて正四郎には考え事をする時、深く自分に入り込みすぎるという癖がある。そのため、呼びかけられても気がつかないこともしばしば(作中には同僚の呼びかけにようやく気がついた正四郎が「眼がさめたように首を振った」という意味あり気な描写も用意されている)。要するにだ、平松正四郎という男は自分が「平松正四郎」であるという自覚が乏しい上に、時々われを忘れることもあるという、そういう人物として設定されているわけだけれど、これはほとんどふさと同じですよ。そもそも「ふさ」という名前だって平松姓同様、もともと自分が名乗っていたいたものではないわけだから。さらに共通点ということで言うならば、正四郎は平松家を継ぐまでは江戸暮らしだった。つまり彼は土地の人間ではないわけだけれど、これもふさと共通。ふさも言葉遣いから土地の人間ではないことだけは確か……と、2人の「共通点」をいろいろ指摘することができるわけだけれど、これはどういうことだろう? ワタシには、平松正四郎が決して特別な人間ではないように、ふさもまた決して特別な人間ではないのだということを、主人公・平松正四郎の人物設定を通して示唆している(本編の「物語の司祭」である山本周五郎がね)のだと、そう思えるのだ。こうなると、「その木戸を通って」という小説を「いわゆる〝神隠し〟伝承の神秘と恐怖」を描いた物語と見なし、あまつさえ『日本怪奇小説傑作集』に加えるなんてことは、およそ当を失した扱いではないかと。
ま、ワタシとしてはですね、本編で描かれている「神隠し」現象というのは、一般的な人情ばなしにおいてモチーフとされる亭主の「浮気」とか「博打道楽」とか、はたまた女房の「病気」(大概は結核)とか……というような人間生活に付き物の「試練」(ここでは人情ばなしなるものが何がしかの「試練」をめぐって紡がれるものであることも指摘しておきましょうか。で、「試練」とは本来、「神が人間に苦痛を与え、その反応で有罪か否かを判断する」ものであることを考えるなら、篠田正浩が山本周五郎を評して言った「(山本周五郎は)聖なるものについて日本で初めて考えた人ではないですか。むしろキリスト教的な人間の、この世に聖なるものがなかったら人間は存在する理由がない、という前提が山本周五郎にはある。聖なる心をいだいていながら、汚辱にまみれた世の中で、まるで見えていないものを発掘するんです。だから、観念小説ですね。どこにもリアリズムがない。もうほとんど空想小説といってもいいぐらいでしょう。聖書のように書いているんじゃないかな、物語をね」――という〝至言〟を思い起こすのもいいかも知れない。「その木戸を通って」なんて、本当にキリスト教的ですよ)と基本的に変わるものではないのではないかと。で、たとえば博打で身を持ち崩した主人公が恋女房の献身もあってそこから再起を図って行く物語があったとして、それをギャンブル小説とは呼ばないでしょう。それと同じで、恋女房を「神隠し」で失いながらなおも希望を失わない亭主の物語を「いわゆる〝神隠し〟伝承の神秘と恐怖」を描いた物語とするのは……それは「木を見て森を見ず」ってやつじゃないの? ましてや、この小説を『日本怪奇小説傑作集』に入れるってどーゆーこと? この小説の一体どこに「怪奇」があるんだ……。
――と、思っていた、3日前まではね。しかし、3日前、思いもかけない事実が判明して。そして、いやいやいやいや、「その木戸を通って」はやっぱり怪奇小説。それ以外ではありえない……。
この大どんでん返しについて説明するためには、まずは次のシーンを読んでもらう必要がある。正四郎とふさの間にはゆかという娘も生れて、迎えた十五夜の月見の夜――
八月十五日の夜、正四郎は妻とゆかとの三人で月見をした。庭の芝生へ毛氈を敷き、月見の飾り物を前に酒肴の膳を置いた。雪洞をその左右に、蚊遣りを焚かせ、正四郎もふさも浴衣にくつろいで坐った。かた言を云い始めたゆかは、屋外の食事が珍しいので、母と父の膝を往き来しながら、上機嫌にはしゃぎ、飾り物の団子をたべるのだと、だだをこねて泣いたりした。これは明日焼いてたべるものだ、と正四郎がなだめると、ゆかはつんとして、「たあたまはあたらとちりろだ」などと云った。
「あたらとちりろとはなんだ」と彼は妻に訊いた。
「さあ、なんでしょうか」ふさはやわからに微笑した、「田原さまがなにかお教えになったのでしょう、わたくし存じませんわ」
年寄は面白がって子供にかた言を云わせたがる、困ったものだと思ったが、彼は口には出さなかった。
ここに出てくる「たあたまはあたらとちりろだ」が気になってね。ワタシが読むところでは、「その木戸を通って」は相当に計算して書かれた物語で、平松正四郎の人物設定なんてすべて計算尽くでしょう。で、そうであるならばこの一語にも意味はあるはずだと。そう思ってGoogleにお伺いを立てたところ(自分自身では答を見つけられなかった)、予想だにしなかった謎解きに遭遇して。実はあるツイッタラーがこうこの暗号(ですよねえ)をデコードしてみせていたのだ――
そうですそうです!運命の歯車が狂うという事態に一時は狼狽するものの、その先を見据えた覚悟みたいなものが全員にあって、武家社会を舞台にした必然性に納得なのです😌
— Mishimist (@Mishimist) June 22, 2021
記憶のないはずのふさが母を想って泣いていた対照として、ゆかが「かあさまはあちらのおひとだ」と呟いたように妄想しました~🤔
かあさまはあちらのおひとだ! 確かに、語呂は合っている。しかも、これが月見の夜の出来事であることを考えるなら「あちら」とは「月の世界」を意味していることになるわけだけれど、この場面でゆかは月見の団子に手を出そうとして正四郎に咎められ、それに対して「つんとして」言い放つのがこの台詞なのだから、それが「かあさまはあちら(月の世界)のおひとだ」という意味だとすれば、この場面における台詞として十分に成立する。要するに、意味も通っていると……。
ただ、そうなると、話は「神隠し」どころではないわけで。なにしろ、ふさは「月よりの使者」だったということになるわけだから。それはもう「いわゆる〝神隠し〟伝承の神秘と恐怖を描いて人情の機微に迫る、滋味掬すべき名品である」――なんてことを超えている。なんとなんと、「その木戸を通って」は、宇宙人との遭遇を描いたSF小説だったということに……。
ただ、その割には、という気がしないでもないよなあ。だって、ふさは平松家の門前に立っていた時、「着物は泥だらけで、ところどころかぎ裂きができているし、髪の毛も乱れ、顔や手足にも乾いた泥が付いてい、履物は藁草履であった」とされている。そして、平松家を追い出された後は観音堂の縁側で「おかあさま」と言いながら泣いていたってんだから。「月よりの使者」というにはいささか地上的すぎるような。だから、ここは考えようでね、もしかしたらゆかはそれこそふさが言うように田原権右衛門あたりが言った言葉をただ口まねで言っただけなのかも知れない。そして、田原権右衛門がなんで「かあさまはあちらのおひとだ」なんて言ったかといえば、少しばかり酒も入って滑らかになった舌で世の「オヤジ」なるものがみなそうであるように持ち前の下世話さを発揮しただけなのかも知れない。世の「オヤジ」どもが別嬪を評して「この世のものとは思えない美しさ」と言うことはよくあるわけだから。幼子に向って、お母さんはきっとあちら(月の世界)のお人だよ――と言ったとしてもそれほど不自然ではないかと……。
ただ、その一方で、本編の「物語の司祭」は最後までゆかの言葉の謎解きをせず、それこそ暗号よろしく読者の読解に委ねるという処理がなされている。しかも、ご丁寧にも傍点まで振って、これは暗号だよと注意喚起するかのように。そうまでして暗号作戦(?)にこだわった理由――、それはおそらくはその暗号が解かれた時、物語がにわかに様相を一変させる――、そんな劇的効果を狙ってでしょう。そう考えるならば、答は1つ、ということになるわけだけれど……。
ただ、そもそも「たあたまはあたらとちりろだ」を「かあさまはあちらのおひとだ」とデコードするのが正しいのかどうか。現状、そうしたことを言っているのは件のツイッタラー以外にはいないようなんだけれど。もしこれがまったくの見当違いだったとしたら、話は全然違ってくるわけで……。
――と、読んでおわかりのように、今、ワタシは混乱の真っ只中(「ただ」を4回も続けるくらいに!)。もうレトリックでもなんでもない、この怪奇小説が「わからない」……。