押し入れの段ボール箱から赤江瀑の『八雲が殺した』(文春文庫)が出てきたので読んでみたんだけれど、これが思いもかけない難物で……。この短編集が、1984年、もう1冊の『海峡』とともに泉鏡花文学書を受賞していることはかつては文学青年のハシクレだったワタシとしても当然、承知はしていて、だからこそこの本は押し入れの段ボール箱(一応、いつか読もうと思って買ってそのままになっている本が詰め込まれている。全部で5箱ばかりあるんだけれど、買ってそのままになっている本がそれだけあるということ。「生きる」とは、読みもしない本を買いあさることである……)に納まっていたのだろうし、今回、読んでみようという気になったのもそれが1つの要因ではあるわけだけれど……ところが、巻頭に収録された「八雲が殺した」でいきなり長考を強いられてしまった。さしずめ「下手の考え休むに似たり」といったところではありましょうが……。
まずはザックリとしたプロットを説明することから始めると――物語は小泉八雲の「茶わんのなか」(原題はIn a Cup of Tea。なお、「茶わんのなか」という邦題は平井呈一訳で、田部隆次訳では「茶碗の中」とされており、「青空文庫」でもこちらが公開されている。ちなみに、田部隆次はわが家――というか、母方の実家といささかの縁がありまして。これについては、かつてペーパーバック屋だった頃に書いたものがあるので、興味のある方はソチラをお読みいただければ)の紹介から始まる。この物語が八雲の他の怪談と同じく原典となる粉本があって、それは『新著聞集』(寛延2年に刊行された説話集。著者不詳とされるものの、ウィキペディアによれば「森銑三の指摘により紀州藩士の学者・神谷養勇軒が藩主の命令によって著したことが定説となっている」)に収められた「茶店の水椀若年の面を現ず」であることを示した上で、その全文が紹介されている。ごく短いものなので、ここでもそれに倣うなら――
茶店の水椀若年の面を現ず
天和四年正月四日に、中川佐渡守年礼におはせし供に、堀田小三郎といふ人まゐり、本郷の白山の茶店に立より休らひしに、召仕の関内といふ者水を飲けるが、茶碗の中に最(いと)麗しき若年の顔うつりしかば、いぶせくおもひ、水をすてて又汲むに、顔の見えしかば、是非なく飲みてし。其夜関内が部屋へ若衆来り、昼は初めて逢ひまゐらせつ。式部平内といふ者也。関内おどろき、全く我は覚え侍らず。扨表の門をば何として通り来れるぞや。不審(いぶかし)きものなり。人にはあらじとおもひ、抜きうちに切りければ、逃げ出たりしを厳く追かくるに、隣の境まで行きて見うしなひし。人々出合ひ其由を問ひ、心得がたしとて扨やみぬ。翌晩関内に逢はんとて人来る。誰と問ば、式部平内が使ひ松岡平蔵、岡村平六、土橋文蔵といふ者なり。思ひよりてまゐりしものを、いたはるまでこそなくとも、手を負はせるはいかがぞや。疵の養生に湯治したり。来る十六日には帰りなん。其時恨をなすべしといふを見れば、中中あらけなき形なり。関内心得たりとて、脇指をぬききりかかれば、逃げて件の境めまで行き、隣の壁に飛あがりて失ひ侍りし。後又も来らず。
これに続いて物語では八雲が「この話をそっくり土台にし、無論登場人物もそのまま使って」仕立て上げた「茶わんのなか」の粗筋が紹介される。当然、それは↑に紹介したものに概ね沿ったものではあるのだけれど、ただ語り手(≒赤江瀑)は一通り「茶わんのなか」の粗筋を紹介した上でこちらの語り手(≒小泉八雲)が「ここで古い物語は切れている、話のあとは何人かの頭の中に存在していたのだが、それは百年このかた塵に帰している」――と、「茶わんのなか」という物語が未完であるとしていることを強調。その上で本編の主人公である村迫乙子の登場となるのだけれど――今年、50歳となった彼女は、学生時代、この作品を読んだ。そして、八雲が本編の粉本とした「茶店の水椀若年の面を現ず」も読んでみたと。そして、「読んだあとに、首をかしげた」――。
彼女が「首をかしげた」理由。それは、まず第一に、原話である「茶店の水椀若年の面を現ず」は決して八雲が言うように未完ではなく(八雲は作中で「小説の切れはし」と呼んでいる)、最後の「後又も来らず」という一語で「物語は完結している」――と、彼女には思われたこと。さらに彼女が納得がいかなかったのは「原話の最も重要な部分であると思われる文章が、二十四、五字ほど、八雲の『茶わんのなか』では抹殺されている」という点。その「二十四、五字ほど」とは、彼女に言わせれば、次の下りということになる――
――思ひよりてまゐりしものを、いたはるまでこそなくとも、手を負はせるはいかがぞや。
村迫乙子は、八雲がこの一文を無視(抹殺)したことがなんとしても納得できなかった。彼女に言わせれば「この一文があるからこそ、茶わんのなかにうつった顔の謎が解け、その謎が解けるからこそ、この物語の怪奇さに、一層深い恐怖や凄みがうまれてくるというのに」。そして、こうまで言い募ることになる――
(この物語の恐怖の花は、ここにあるのに!)
(その花があるからこそ、この物語は、底知れない恐ろしさをはらむことができるというのに!)
(ああ、なぜなんだろう)
村迫乙子は、『茶わんのなか』と、その原話を読んだあと、しばらくの間、そうした疑問にとりつかれ、思い出すたびに歯痒い思いに身をよじり、ときには地だんださえ踏みたいくやしさを、このいまは亡い明治の文人に勃然と感じたりしたものだった。
――と、以上が言うならば物語の前説ということになる。そして、以後は今年で50歳となる乙子の現在の生活に焦点が当てられることになるのだけれど――「村迫乙子は、一昨年、夫に先立たれ、昨年、一人息子を手放した」。これは、当人がどのように言葉を繕おうが(作中では「さいわい、夫が遺した貸ビルと貸マンションの経営を引き継ぐことで、暮らしに不自由はなかった。(略)独りになりはしたけれど、路頭に迷うというほどの行き暮れた身の上ともいえまいと、乙子は、わが身をなぐさめて気をとり直す日々にも、馴れた」とされている)、一人の女性にとっては紛うことなき「人生の危機」(通常は「中年の危機(ミッドライフ・クライシス)」という言い方がされるのだけれど、人が「人生」なるものと相対することになるのは「中年」以降と考えるなら、「中年の危機」とは人が「人生」なるものを意識するようになった時に遭遇する危機――という意味で「人生の危機」とした方がいいのでは? と個人的には)。そんなことが、わずかばかりの字数でありながら、ほとんど容赦のないかたちで言い表されていると言っていい。読むものとしては、この時点で、これが相当に残酷な物語であることを予期することになる。しかも、この1行に続いて綴られるのは、その「一人息子」が「乙子の実子ではない」ということ。夫婦とも子供ができない体質で、「知人の子をもらって育てた息子である」と。そうまでして得た「一人息子」を、昨年、手放した……、ここにおいて彼女が遭遇している「人生の危機」は通常、想定されるもの以上であることが予想できる。この時点で、読む方としては、ちょっとつらいなあ、と。現状、ワタシは決して毎日を安閑と暮していられる身の上にはなく、この本に手を付けたのも一時の現実逃避をもたらしてくれるものと期待したからで、こんなんだったらパスしようかなあ、という気にもなったのだけれど、ただ構成がなかなか巧みで。要するに、前説部分とこの本編部分が一体どのようにつながるのかと……。
で、読み進めたところ、乙子はその「一人息子」にして今は別々に暮している(結婚して離れた土地に暮している)高夫に束の間のデート(みたいなものですよ、乙子の心境から言っても。また、実際の描写から言っても)に誘われる。「陽当たりのいい内庭のある明るいレストラン」での夕食。出張旅行での限られた時間の中での高夫の精いっぱいの「親孝行」。乙子もその気持ちを汲み取って二人は満ち足りたひと時を過ごすのだけれど、そんな中、〝事件〟は起った。ここは赤江瀑が記す(なかなかに「清潔感」あふれる)文章をそのまま――
「あ、そうだ。ちょっと電話しとかなきゃ」
途中で高夫が座を立った。
そんな高夫の動作も、むしょうにきびきびとして頼もしく見え、乙子は眼で追いながらゆっくりとワイン・グラスを手にとった。
磨きこまれたグラスを透かして、深紅色の液体が静かに揺らぐのが美しかった。
乙子は、瞬時、その手をとめた。
口もとへ運びかけたグラスは、心持ち高めにかかげられ、乙子の視線はそのグラスのまろやかなくふらみに注がれていた。
白い光がうつっていた。
よく見ると、それは人の姿だった。
乙子は、つとこうべをめぐらせて、自分のうしろを振り返った。
すこし離れたテラスのテーブルに、男が一人すわっていた。純白のスーツに陽が当たり、その輝きが乙子の手にしたワイン・グラスにうつっているのであった。
白い光に映えて、若々しいおもざしが清潔だった。
乙子は、グラスに眼をもどし、赤い液体にうつっている白い光を、しばし眺めた。
液体の揺らぎのかげんで、光線は、ふとこなごなに砕けたり、また鮮やかに像を結んで見せたりした。
(まあ、きれい)
透明なグラスをとおして、なかの深紅の液体に、その映像はまるで浮かんでいるようだった。
束の間、乙子は、そんな光の戯れに見惚れながら、ゆっくりと何口かにわけ、赤い液体を飲みほした。
ね、〝事件〟ですよね。八雲の「茶わんのなか」の紹介で始まった物語が、いよいよここでその本性を現してきたかと……。その後の展開も「茶わんのなか」を彷彿とさせるもので、ほどなくその「純白のスーツ」に身を包んだ男は乙子の夢に現れるようになったのだ。そうなった時、乙子が自ずと思い起こすことになるのが学生時代に読んだ「茶わんのなか」(というか、「茶店の水椀若年の面を現ず」の方かな)。乙子はこう物語をふり返る――
(そう。茶わんの水に浮かんだ顔は、ただの奇怪な、妖怪変化(へんげ)などではないのだ。それは『思ひよりてまゐった』、つまり、思いを寄せて恋い慕い、その恋慕の情を伝えんがための一念で現われた若侍なのだ。関内という男は、その水を一気に飲みほした。若侍の恋慕の思いを、その恋の執着が見せた顔を、体内に受け入れた。「恋は成った。思いは受け入れられた」と、よろこび勇み小躍りして、若い美男の侍は、男のもとを訪ねたのだ。飲んだ者と、飲まれた者との誤解がそこにはあったのだが、その一途な恋慕のいじらしさを、いたわることさえもせず、いきなり「化け物。幽霊め!」と切りかかり、手傷を負わせるとは、いかがぞや。と、主人の恨みを、家来たちがのべにきた。関内は、それにも切りかかり、家来たちは消え、『後又も来らず』という一語で、原話は締めくくられる。つまり、顔を飲みこんだ男の体内には、恋の思いが恨みと変わった若者の執着が、もう一生消えることなく宿り、男自身の血や肉となっって棲むだろう。恋の一念が見せた顔は、すでに飲みまれてしまっているのだから。
『後又も来らず』この言葉こそ、この物語を完成させる、見事な結末なのだ。来る必要はないのだから。ほんとうの恐ろしいことは、いずれ、関内の体のなかで、起こるだろう。水は飲まれているのだから)
この時点でこの後の展開は想像がつく。そう、乙子とその「純白のスーツ」に身を包んだ男は、夜な夜な、乙子の夢の中で肉の交わりを持つことになるのだ。茶碗に浮んだ顔を飲みほすとは、本来、そういうことである(と乙子は考えている)以上、そうなるのは当然。そして――「夢のなかで、乙子は、ときどき、自分の裸身が、眼を見はるほど若やいでいるのに気づく。日増しに、その若やぎは、色艶を深めているように」。
ただ、そんな自分を客観的に見つめているもう一人の自分がいた。そのもう一人の自分はこの夢の中での青年との交わりを「凌辱」と捉えている。そして、思うのだった、「美しい顔をした幽霊に、いきなり怒りの刃を向けて、烈しく突いてかかった一人の男のことを」。そして――
……あれを思い、これを思い、だが行きつくところは、殺意だった。
かくて、物語の最終章に至って、乙子は青年の真後ろに立つ。街なかで偶然、再会した「薄荷の匂いでもかげそうな、洗いざらしの涼やかな純白のスーツ」を着た青年が信号待ちで立ち止まった、その前をひっきりなしに車の群れが走り抜ける横断歩道の真ん前で……。
――と、「八雲が殺した」というのは粗々こういう物語なんだけれど、乙子が自分の裸身が眼を見はるほど若やいでいることに気づいてから殺意に行きつくまでがいささか急でね(行数にして20行ばかり)。「そんな自分を客観的に見つめているもう一人の自分がいる」というのもワタシの解釈であって、赤江瀑がそう書いているわけではないんだよね。でも、そういうことなんだろうと解釈しないことには、この急な展開をフォローできないので……。ただ、それはそれとしてだ、これは妙な話ではないか。妙な、あるいは、うまく作意が読み取れないというのか……。乙子は「茶わんのなか」について「原話の最も重要な部分であると思われる文章」が「抹殺」されているとして、「この物語の恐怖の花は、ここにあるのに!」「その花があるからこそ、この物語は、底知れない恐ろしさをはらむことができるというのに!」とまで言い募るわけだけれど、あるいは彼女はその「底知れない恐ろしさ」に飲み込まれたということだろうか? そうかも知れない。ただ、なんで乙子が「茶店の水椀若年の面を現ず」がはらむ「恐怖の花」「底知れない恐ろしさ」に飲み込まれなければならないのか? だって、本来、「茶店の水椀若年の面を現ず」は乙子とは何の関係もない物語なんだから。「茶店の水椀若年の面を現ず」というのは、関内という若党と式部平内という若侍(念のために書いておくなら、字面はよく似ているものの「若党」と「若侍」は全然違う。「若党」は武家に仕える奉公人で非士分。従って両者の間には厳然たる身分差がある。これもまた面白いとこころ)の間で起きた「衆道のもつれ」(という言い方をウィキペディアではしている)を描いた物語。式部平内という「最麗しき」若侍が「思ひよりて」関内の元を訪れるものの、関内にはその気はなく、一顧だにせず斬って捨てようとした――というのが、つまりは「思ひよりてまゐりしものを、いたはるまでこそなくとも、手を負わせるはいかがぞや」という一文が表していることなんだから。それがなぜ乙子の物語となりうるのか? 就中、「純白のスーツ」に身を包んだ青年と乙子の物語に。
そもそもだ、彼女は「茶わんのなか」と「茶店の水椀若年の面を現ず」を併せ読んで「原話の最も重要な部分であると思われる文章」が「抹殺」されていることに憤慨し、「思い出すたびに歯痒い思いに身をよじり、ときには地だんださえ踏みたいくやしさを、このいまは亡い明治の文人に勃然と感じたり」するわけだけれど、これも不可解と言うしかない。だって、八雲がそうした理由なんてわかりきってるじゃないか。原話から同性愛的モチーフを排除するためですよ。それ以外の理由はない。いわゆるLGBTをめぐっては今でこそ欧米の方が開放的で日本は大きく立ち後れている、というのが現状だけれど、かつては逆だった。「茶店の水椀若年の面を現ず」にも描かれているように、日本には古来より「衆道」という性文化があって、武家の嗜みとさえされてきた。なにしろ、武家のバイブルとも言うべき『葉隠』でも「命を捨るが衆道の至極也」とその心得が説かれているくらい。ちなみに、第2次世界大戦後、占領軍の一員としてやってきたアメリカ人の中にこの日本固有の性文化を〝発見〟して「よろこび勇み小躍りして」、遂には日本を終の住み処とすることを選んだものが少なからずいる。エドワード・G・サイデンステッカーがそうだし、ドナルド・キーンもそう……。これに反して、八雲の母国(In a Cup of Teaを含むKOTTŌ: BEING JAPANESE CURIOS, WITH SUNDRY COBWEBSは1903年、イギリスのマクミラン社から刊行されている)にはそんな性文化は存在しない。男色なんて(当時としては)全く以て忌み嫌うべきもので、「茶店の水椀若年の面を現ず」をそのまま紹介してもとても受け入れられるものではない。そうした消息を裏付ける事実として紹介するならば、三島由紀夫の『仮面の告白』の英訳であるConfessions of a Mask(英訳したのは、当時、タトル商会の出版部長だったメレディス・ウェザビーとされているものの、室謙二によれば「しかしウェザビーには、三島の日本語を読みこなす日本語の力はなかった。これもまたウェザビーのゲイの日本人協力者がいて可能になったことだった」。こんな「戦後日本文学史の欠くべからざる書くべからざる一章」についても、かつてペーパーバック屋だった頃に書いたものがあるので、興味のある方はソチラをお読みいただければ)はその「同性愛者のヰタ・セクスアリス」とも言うべき内容が忌避されてクノップ社からは出版を断られ、ニューヨークの独立系出版社、ニューディレクションズから刊行されている。それほど同性愛に対する偏見は強かった。そんなわけだから、小泉八雲――というか、ラフカディオ・ハーンとしては――この風変わりな小話を母国に紹介するに当たっては、全く別の物語に作りかえるくらいの改変が必要であると……。
で、こんなことは「茶わんのなか」を読み、「茶店の水茶碗若年の面を現ず」を読んで、そこから「原話の最も重要な部分であると思われる文章」が「抹殺」されていることに気がつきさえすれば簡単にわかることだと思うんだよ。それこそ自明の理と言ってもいいくらいに。にもかかわらず村迫乙子はそんなわかり切ったことに思い至らないのだ。それどころか「八雲って、なんてトンチキな、小説のわからない男だろう」と、罵詈雑言の雨あられ(?)。
しかし、ワタシに言わせれば、トンチキなのは村迫乙子の方ですよ。こんなトンチキなことを言うなんて……一体全体、彼女はその「原話の最も重要な部分であると思われる文章」「原話にあって、八雲が抹殺した二十四、五字の文字」が表象するものがなんであるのかがわかっていたのだろうか? 確かに彼女は「思いを寄せて恋い慕い、その恋慕の情を伝えんがための一念で現われた若侍なのだ。関内という男は、その水を一気に飲みほした。若侍の恋慕の思いを、その恋の執着が見せた顔を、体内に受け入れた」「よろこび勇み小躍りして、若い美男の侍は、男のもとを訪ねたのだ」――と、「茶店の水茶碗若年の面を現ず」に描かれているものとは男と男の間の痴情のもつれであることを正確に理解はしているようだ。これを読む限りは、わかっているようにも思えるんだけれど……。ちなみに、この物語の司祭である赤江瀑は、わかっている。なにしろ、赤江作品には同性愛をモチーフとしたものが相当数ある(らしい)ので(2020年に刊行された『赤江瀑の世界:花の呪縛を修羅と舞い』の「作品ガイド:赤江瀑への十五の扉」にも「同性愛/若者」という「扉」が当然のごとく用意されている)。確かに「破魔弓と黒帝」(『八雲が殺した』所収)でもそのことがガッツリ描かれている。また赤江瀑のプライベートについては参照し得る文献が見当たらないのだけれど、共同通信の2012年6月18日付け訃報によれば、喪主は弟の友紀氏だったとされている。つまり、赤江瀑は生涯、独身であった可能性が高い。だから、多分、赤江瀑という人はそういう人だったのではないかな?
ということで、村迫乙子の不思議な反応に話を戻すなら――もし彼女が「茶店の水茶碗若年の面を現ず」から「抹殺」された「二十四、五字の文字」が何を表象しているのかが正しく理解できていたのならあんなふうに八雲に恨み言めいたことを言い募ることはなかったはずだし、ましてやその「二十四、五字の文字」がはらむ「恐怖の花」「底知れない恐ろしさ」を自らの体内に数十年もの永きに渡って抱え込んで、彼女が50歳に達して「人生の危機」に遭遇した時、俄に目を覚ましたそいつ(ま、「イット」だね)に呑み込まれてしまうなんてことは金輪際なかったはず。しかし、彼女は「薄荷の匂いでもかげそうな、洗いざらしの涼やかな純白のスーツ」を着た青年の背後に立つのだ。これは一体どういうことなのか……。
やっぱり村迫乙子には「茶店の水茶碗若年の面を現ず」から「抹殺」された「二十四、五字の文字」が何を表象しているかなんてわかっていなかったのではないか? もしかしたら彼女は「茶店の水椀若年の面を現ず」というこの国に特有の「衆道」という性文化の一断面を描いた物語を一般的な「恋の物語」と受け取った、ということかも知れない。乙子にとっては衆道もまた恋の道(作中には「いや、やはり、あの物語は、恋の物語でなければならないのだ」という台詞も出てくる)。それは、この世界には日陰があることを認めない乙子の「日向の人格」(息子とデートするのは「陽当たりのいい内庭のある明るいレストラン」だし、そこで出合うのは「薄荷の匂いでもかげそうな、洗いざらしの涼やかな純白のスーツ」に身を包んだ青年というね)のなせる業。言うならば、乙子は「衆道」という「日陰の花」を日向に生けたのだ。そして、それを一般的な「恋の物語」へと昇華した――。言葉を替えていえば、彼女も八雲とは違った意味で「茶店の水椀若年の面を現ず」から「二十四、五字の文字」(同性愛的モチーフ)を「抹殺」した、ということになるだろう。そして、それゆえ「茶店の水椀若年の面を現ず」は「彼女の物語」となったのだ。そして、彼女の中に一匹の「式部平内」が棲み着くことになる――。
ただ、わからないのは、赤江瀑はなんでこんな物語を書いたのか? 村迫乙子という、本来、「茶わんのなか」とも「茶店の水椀若年の面を現ず」とも何ら関係のない中年女性が物語の毒に当てられて人生を狂わせる物語を? あるいは、これはこう言い換えてもいい――なぜ村迫乙子は物語の司祭によってこんな仕打ちを受けるのか? それは、理不尽にも小泉八雲に罵詈雑言を浴びせかけた〝報い〟ということではあるんだろうけれど、しかしそう仕向けたのは当の赤江瀑なんだから。それとも、村迫乙子にはモデルでもいるんだろうか? 「八雲って、なんてトンチキな、小説のわからない男だろう」と、実際に赤江瀑に向かって語って見せたような。確かに文学サークルあたりにはそんな中年女性も生息しているかもしれない。その一点の曇りもない晴れやかな聲を「日陰の人」である赤江瀑は許せなかった……?