第2話を見た時点では、あまりにもダメダメな展開に完全にダレきった状態だったのだけれど、第3話では、一転、全身の血が逆巻くような。いやー、よくぞ演った、吉高由里子! よくぞ作った、NHK! それにしても、口惜しいよなあ。せめてあのモーゼル銃が火を噴いていれば……。
さて、「「アナ」も「ボル」も。〜米騒動の地で思う『いつかギラギラする日』〜」を書くためにウィキペディアの「渡辺政之輔」の記事を見たらあまりにもショボいので愕然としたのはもう10日あまりも前のこと。その時点で、なんとかしたいなあ、とは思ったのだけれど、なかなか難しいよねえ。だって、相手は歴とした元日本共産党の委員長なんだから。素人が迂闊に手を出すと火傷しかねない。また、日本労働総同盟左派だの日本労働組合評議会だのと言われたところで、こちとらはチンプンカンプンですよ。でも、この人物には、そういうことに通じた政治のプロばかりではなく、一般人の関心を引いてやまない魅力がある。それは、左の二の腕に「こう命」と入れ墨していたとか、そこまで惚れ込んだ女と別れ(あるいは「袖にされ」。恒川信之著『日本共産党と渡辺政之輔』によれば、当の女性は渡政が第一次共産党事件で検挙されて市谷刑務所に収監中、折しも発生した関東大震災のドサクサに紛れて(?)他家に嫁いでしまったとか。同書ではその消息を「震災中に社会主義者の多く――それも渡政が理事長である南葛労働会の幹部のほとんどが惨殺されたことが彼女をして、他家への結婚を決意させた主たる原因であろう。彼女は渡政の愛人ではあったけれど同志ではなかったからである」と記している。まあ、「永峰セルロイド第一の美人」だったらしいのでねえ。渡政としても顔で選んじゃったのかなあ……?)丹野セツと結ばれるや「おしるこの結婚式」(丹野セツの言葉)で愛を誓いあったとか(なんでも渡政は飲めば三升も飲めるほどの酒豪だったそうなんだけれど、酒の上での失敗が祟ってこの頃は禁酒していたらしい)、何よりも最期がもうね。ドラマチックこの上もない。なにしろ、警官隊との銃撃戦に散るというのだから。しかも、場所は波止場ですよ。舞台としては申し分なし。かくてヒーローは崩れ落ちる。ストップモーション。そして、こうナレーションが入る――「ここに渡辺政之輔は二十九年の嵐のような青春を閉じた」。こういうね、元ペーパーバック屋にしてかつての映画青年の血を滾らせずにはおかない渡政という男の人間的な部分はもっと知られたっていい。で、ここは意を決して、そうした側面のみに絞って加筆する――ということで、記事の編集に当たることとし、今日時点ではこんな感じになっております。まあ、渡辺政之輔という男の「生涯」がこの程度のわけはないわけで、これではまだまだ不十分なんだけれど、ただやりすぎてもアレだしねえ。そもそも、この程度だって、見る人から見たら、元日本共産党の委員長をこんな映画目線(?)で綴りやがって。けしからん! とお叱りを受けることになるのではないかと、もう冷や冷やで……。
ところで、今回、ウィキペディアの記事を編集するに当たって、渡政をめぐる最大のイシューである死因についてよくよく検討してみたんだけれど、ワタシ的には他殺かなあ……。やっぱりね、布施辰治の証言には耳を傾けるべきものがあると思うんだ。布施辰治という人物については十分に信頼に値すると思うし(元日本評論社社長で布施辰治の孫に当たるという大石進氏が著した『弁護士布施辰治』を読むと布施は米騒動で検挙された市民の弁護に当たっているし、大杉栄・伊藤野枝・橘宗一が虐殺された事件ではまだ3人が「行方不明」だった9月19日朝の時点で湯浅倉平警視総監に面会し、しっかり捜査をやれよ、と直談判に及んでいる。この際、湯浅は沈痛悲壮な面持ちで「私を信じてください、これ以上聞かないでください、必ず善処します」と答えたという。事実は、その時点で既に大杉ら3人は殺されていたわけだけれど……。こうした活動をしてきた人物の人間性を疑うということは、ワタシの人生観に反する)、そんな人物が弾痕は額の真ん中にあったと言うのだ――「遺体は共同墓地にうめてあった。棺を掘り出してふたをあけると、すでに死人になっている渡辺政之輔は前に書いたような服装(鉄無地の羽二重の羽織に角帯)のままあお向きにしてねかされている。頭にまいた包帯をとりのけると、額のまんなかに丸い小さな穴があいている。タマはまさしくそこから入ったのだ」。弾痕が額の真ん中にあったのなら、常識的に考えて、自殺はあり得ない。アガサ・クリスティーの『カーテン』では一見無関係に見える5つの殺人事件が起きるのだけれど、犠牲者の1人であるスティーヴン・ノートンは鍵のかかった部屋で片手に「おもちゃのようにかわいい、しかし充分物の役に立つピストル」を握りしめて亡くなっていた。そして、額の中心には小さな穴があいていた……。この事件の真相は、おそらくは拙サイトの読者ならご存知でしょうが、ミステリー的には弾痕が額の真ん中にあった場合、自殺というのはありえないわけですよ。で、そのセオリーは十分、実世界にも適用できるはず。だって、実際にやってみればわかるもの、右手をピストルの形にして。人差指の先っぽは普通に側頭部に当てますよ。額の真ん中に当てるなんて、よほど特別な理由がない限り。まさか冥界の渡政が「こめかみを撃つべきだとは知っていた。だがそういう均衡に欠ける、行き当りばったりな印象を残す気にはなれなかった。だからシンメトリーを考慮して、額の中心を撃ったのだ」――とも言わないでしょうから。だから、渡政の死の真相ということで言うならば、ワタシは布施辰治が言うように「双方が激しくうち合っているうちに、刑事のタマが渡辺政之輔の額にあたったものと見るのが正しい」と思う。
で、この件については、ワタシ的にはこれで納得なんだけれど、その上でもう一個、この件に関連して指摘したい論点がある(って、そんなに大げさなものじゃないけどね)。実は笠原和夫(念の為に書いておくなら、笠原和夫は渡政と丹野セツを主人公にした映画脚本『実録・共産党』を書いている。それが東映でボツになって、角川に拾われて、『いつかギラギラする日』と改題されて、それでもまたボツになって……という1970年代に映画青年をやっていたものなら皆知っている、皆それぞれ言いたいことがある、でも、それを今頃になって言うやつはそうはいない……という甚だ周回遅れの繰り言を綴ったのが「「アナ」も「ボル」も。〜米騒動の地で思う『いつかギラギラする日』〜」であり、本稿はその派生物?)は荒井晴彦と絓秀実のインタビューに応じて「これはどう見ても自殺なんですよね」と語っているのだ。それにしては、彼が実際に書いた脚本では……。ま、ともかくここではその質疑応答を読んでもらおう。まずは戦前の日本共産党のあれやこれや(仲間同士が出刃包丁持って追いかけたり追いかけられたり、徳田球一が党の金を温泉でどんちゃん騒ぎをして使い果たしてしまったり)をそのまま書いたら代々木(日本共産党)がOKを出すわけがないという話があって――
笠原 で、代々木と一番揉めたのが渡辺政之輔――渡政の自殺問題。代々木は、渡政は台湾の基隆で官憲に殺されたんだと主張するんですよ。ただ、これはどう見ても自殺なんですよね。渡政は基隆の港で船を降りるところを警官に待ち構えられて、それで大立ち回りをやるんですけど、逃げようとしたら追っかけてくるというんで、ピストルを撃つんですね。それで警官も撃ってきて、追っかけられて倉庫の角を曲がって、追ってきた警官も角を曲がったら、もうそこで死んでいたと。だから、はっきりいって自殺なんですね。だけど、それを共産党は認めないんです。あくまでも官憲に射殺されたんだと。そこで、結局、共産党――東映の組合の委員長と和解できなくなっちゃったんですよ。
荒井 共産党としては、権力に殺されたということにしておきたいんでしょうけど。六〇年安保の時、全学連の国会突入で樺美智子が死んでますけど、西部邁さんは、「いや、あれは多分、恐怖にかられて逃げまどった我々が踏みつぶしてしまったんだ」と言ってます。それも権力にやられたということになる。
絓 「虐殺」というね。左翼はいかんな、そういうところでプロパガンダをやるというのは。まあ、そういうことで、映画でも表向きの党史のようにやらないとダメだということなんでしょうけどね。
笠原 そう。それはどんな資料を見ても渡政は自殺なのに、射殺されたということにしなければダメだと。それで結局、岡田さんも僕もやんなっちゃって、「じゃあ、もう『共産党』なんてやめとけ」ってことになっちゃった。
ね、渡政は自殺だと、繰り返し繰り返し。ただ、これだけ代々木をディスりまくってる発言と併せ読むと、どうも笠原和夫は代々木への反発からあえてその主張の逆を行ったようなケハイもなきにしもあらず? 少なくとも、単に資料からはそう読める、ということではないような。ただ、そうだとするとねえ……。実はここに少しばかり意外な事実があるのだ。笠原和夫は「代々木は、渡政は台湾の基隆で官憲に殺されたんだと主張するんですよ」と述べているのだけれど、実は日本共産党も今では自殺説なのだ。確かにかつては虐殺(他殺)説だった。例えば1962年刊行の『日本共産党の四十年』では「この年の十月には、創立いらいの不屈の闘士であり、当時の党書記長であった渡辺政之輔が、党務をおびて中国へわたっての帰途、台湾の基隆で警官隊によって虐殺されました」(同書22ページ)。しかし、1972年刊行の『日本共産党の五十年』では自殺説に書き改められている。曰く「党創立以来の不屈の闘士であり、当時の委員長であった渡辺政之輔が、党務をおびて中国へ渡っての帰途、台湾の基隆で警官隊におそわれて自殺した」(同書65ページ)。その背景にどういうことがあったのか、ワタシは知りません。こんな〝前衛政党〟の内情なんて、部外者にはわかりっこないですよ。いずれにしても、日本共産党も今では渡辺政之輔は自殺したとしている。それをここでは指摘しておきたい。で、このインタビューが行われたのは2002年なので、本来ならば荒井晴彦と絓秀実はそうしたことも踏まえた上でインタビューを行うべきだった。そうすれば、また違った見解を引き出せていたに違いない。要は取材する側の準備不足ということになるわけだけれど……ただねえ、絓秀実なんて「左翼はいかんな、そういうところでプロパガンダをやるというのは」と言っちゃってるわけですよ。でもね、左翼が言うことであろうが、正しいことは正しいわけで。それを左翼だからといって「プロパガンダ」と決めつけるのは、そう言う夫子自身が1つのドグマに毒されていると言うべきでは……? ま、そんなこんなで、このインタビューの特に↑の下りは問題ありと言わざるをえないんだけれど(そもそも、こんなにインタビュアーが被取材者に同調してしまってはイカンでしょう。これじゃ取材してんのか接待してんのかわからん……)、とりあえずここではどうも笠原和夫は代々木への反発からあえてその主張(実際は共産党も1972年には自殺説に転じていたわけだから、なんでこういう齟齬が生じたのか、その辺も謎といえば謎で……)の逆を行く自殺説に執着していたケハイが読みとれると、そういうことにしておこう。ただ、それにしては――というのが、ここでワタシが指摘したいことでして。というのも、実際に笠原和夫が書いた脚本では、渡政の最期はこう描かれているのだ――
110 土壁の間の露路渡政が走って来て角を曲る。続いて警官たち。その一人の姿が同じく角を曲って消えたとたん。銃声、二発。息をのむしじま。胸部を押えた警官が血をしたたらせながらよろめき出て来る。カメラ、急速にまわり込むと、突き当りの白い土壁に十字架の如く張りついている渡政。その額にポツンと穴があき、一筋の血が流れ出る。カッと見開かれ、虚空を睨むようなその眼。ズルッ、ズルッとズリ落ちて行く渡政の体。白っぽい道にポトッと落ちて、深紅の花と散る血。転倒する渡政。画面、ストップして、Ⓝ「ここに渡辺政之輔は二十九年の嵐のような青春を閉じたが、その死が自殺か、他殺か、それは今もって謎である。だが、妻の丹野セツ氏はハッキリと言いきる。官憲による虐殺であると。なぜなら、いずれにしても渡政の命は革命に捧げられたにちがいないのだから」
なんと、「その額にポツンと穴があき、一筋の血が流れ出る」と……。明らかに布施辰治の証言に沿った描写になっている。それは、つまり、他殺説を強く示唆するものでもあるのだけれど、インタビューではあれだけ強く「これはどう見ても自殺なんですよね」「はっきりいって自殺なんですね」と言い張っていたのに、なぜ⁉ と、そういうことになるよね。で、これについては、ナレーションにもあるように、丹野セツが虐殺説を強く主張していたため、それに配慮した、ということはあっただろうと思う(笠原和夫は実際に丹野セツに会って話を聞いている)。で、これは、人対人の関係性に基づくものだから、代々木の教条主義に従う従わないというのとは全く次元の異なる話。そりゃあ、ねえ、実際、本人に会って、当時、既に70歳を超えていたであろう老女に切々と語られれば、影響はされますよ……。あと、もう1つ指摘するならば、やはり笠原和夫としても布施辰治の証言に相当の信憑性を感じ取った、ということではないか? 布施辰治の証言というのは、プロレタリア作家の江口渙が書いた『たたかいの作家同盟記:わが文学半生記』に収録されているものなのだけれど、その江口渙は日本共産党第8回大会が開かれた1961年には中野重治とともに中央委員に選出されている(ウィキペディア情報)。つまり、バリバリの日本共産党の幹部だった。だから、笠原和夫からすれば、それもまた代々木側の言い分――となってもおかしくないところではあっただろうと思うのだけれど、結果としてその主張(の一部)を取り容れているということは、やはりその証言に相当の信憑性を感じ取ったということでしょう。だからねえ、本当はこの辺のことを荒井晴彦と絓秀実にはじっくりと聞いて欲しかったのだけれど……。しかし、理由はどうあれ、笠原和夫が書いた『実録・共産党』では渡政の最期は強く他殺説を示唆する描写となっている。で、ドラマツルギー的にもこの方がずっといいですよ。ちょっとウィリアム・フリードキンの1971年の作品『フレンチ・コネクション』のラストを彷彿させるようなところもあって。しかも、それは限りなく事実に近い――となれば、いやー、渡政って、なんてカッコいいやつなんだと、そうなるよね? そんなオトコの記事が、つい最近までこんなにショボかった。もし『実録・共産党』(ないしはそれを角川春樹の求めに従ってアメリカン・ニューシネマふうに改作した『いつかギラギラする日』)が製作されていたら、こんなことには絶対になっていなかったはず。返す返すも映画が流れたことが悔まれる――と、結局、話はここに帰着するわけで……。