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鎌倉殿ノート⑤
〜三谷版「実朝暗殺」へのオールタナティヴについて〜

 三浦義村があそこで上半身裸になって八田知家らの加勢に向かったということは、彼は裏工作については知らされていなかったということだね。そういう微妙な距離感が義時と義村の間にはある……。

 さて、いよいよ物語は実朝暗殺事件に向かうわけだけれど、三谷幸喜がこの「鎌倉最大の悲劇」をどう描くのかは現時点では読めないと言うしかない。予告編を見る限りは義村黒幕説を強く示唆しているようにも思えるのだけれど、『鎌倉殿の13人』の予告編は相当に意図的に作られているのでねえ。あの「その時、必ずあの男が立ちはだかる」という言葉を額面通り受け取っていいものかどうか。また第42話『夢のゆくえ』で大江広元が御台所に付いたのも展開を読めなくしている要因の1つ。大江広元が御台所に付いたということは、これまで「鎌倉最恐コンビ」としてすべての悪事を取り仕切ってきた義時と広元が立場を異にした、ということで、こんなことはこれまでなかった。この最終盤になってこんな波乱要因をぶっ込んでくるとはなあ……。ともかく、次回「資格と死角」以降、源実朝が雪の鶴岡八幡宮(ちなみに、なぜか日本史上では悲劇的出来事は雪の日に起きることが多い。吉良側にとっては闇討ちテロ以外の何ものでもない浅野家残党による吉良邸討ち入り事件、「親米改革派」が極右排外主義の徒に惨殺された桜田門外の変、そして二・二六事件。雪が人の感受性に与える影響というものは考えてみる必要はあるかなあ。なお、ここで野村秋介のあの句を引用したい自分がいますが……自重いたします)で非業の死を遂げることになるまでの数回がどういう展開をたどることになるのか、現時点では全く読めないと言うしかない。ただ、ワタシはワタシで、これしかない、と考えているストーリーがありまして。自分で言うのもなんだけど、相当の奇説ではあります。でも、考えて考えて考えて、これしかない、と。このストーリーは既にいくつかの点で現実の『鎌倉殿の13人』とは齟齬を来しはじめてはいるのだけれど、でも征夷大将軍が義理の息子(猶子)に首を刎ねられるという衝撃の結末となる展開を破綻なく描ききれるストーリーはこれしかないと。そう信じて、いわば三谷脚本に対するオールタナティヴとしてプレゼンすることとします。

 まず、実朝暗殺事件の絵解きということで言えば、去年書いた「実朝暗殺考」がある。実はこれが結構なアクセスを頂いていて、特に最近、よく読まれている。どういう感想を持っていただいているのかはわからないけれど、読んでいただいているということは、つまりは「読むに値するもの」と見なされていると、そう思うことにしましょう。確かにあそこで提示した絵解きは、その時点でのワタシの「探小読みとしてのプライド」を賭けたもので(笑)、今でもそれなりに自信は持っている。ただ、あそこで提示した絵解きは、言ったら史実としての実朝暗殺事件の絵解きだから。そのまま『鎌倉殿の13人』に適用することはできない。それに、あれを書いた時点で既に北条義時と三浦義村は「盟友」であるとアナウンスされていた(ソース)。それに引きずられたという面が相当ある。しかし、2022年10月9日になって三谷幸喜が突如として「三浦義村は『オセロー』に出てくるイアーゴー」だとカミングアウト(?)したわけですよ(ソース)。これはサプライズですよ。だって、「盟友」とイアーゴーじゃ全然違うもの。イアーゴーはオセローを陥れるわけだから。そんなん「盟友」でもなんでもない。一方で北条義時はというと、こちらは「最も頼りになる者は、最も恐ろしい」という世にもおぞましいマントラを唱える邪教の徒(?)で、必要とあらば「友をくらふ」ことをも厭わない(ご承知のように『古今著聞集』に記されているのは「三浦犬は友をくらふ」ですが、『鎌倉殿の13人』をここまで見てきたモノの偽らざる思いとしては、むしろ「北条犬は友をくらふ」の方がふさわしいかと)。そんな両者の関係は至ってドライなものだと言っていい。両者が協調して動いているように見える時もあるものの、お互い損得尽くで動いていることは明らかで、第41話「義盛、お前に罪はない」では三浦義村が北条義時に向かって――「オレを信じるか信じないかはそっちの勝手だ。オレを信じてお前は死ぬかも知れないし、信じて助かるかも知れない。だが、オレを信じなければ、お前は間違いなく死ぬ」。ここから読みとれるのは、両者の間には全面的な「信頼関係」などというものはなく、ただ部分的な「利害関係」があるだけというこの事実。そんな2人が共謀して将軍実朝を亡きものにした、という「実朝暗殺考」で示した絵解きを今作に適用できないことはないけれど、ただ三谷は義村が「ラスボス」だと言っているわけだから。「せっかく山本さんに演じてもらうのだから、最後の最後に、義村の最大の見せ場を用意するつもりです。まだ言えませんが、物語の終盤、ラスボス的な存在で主人公に立ちはだかるのはこの男かもしれません」――、こんな三谷の発言を踏まえるなら、もうそろそろ2人の間にはそういう関係へと至る緊張が火花を散らしはじめていないことには。要するに、北条義時と三浦義村が手を携えて制御不能に陥った実朝の排除に動いた――というストーリーでは先が続かないのだ。むしろ、実朝暗殺事件は、2人の最終決戦に向けた前哨戦のようなものであるべき。で、その場合にどんなストーリーがありうるのか? なんだけれど、義村黒幕説が成り立たないことは「実朝暗殺考」で述べた。三浦義村にとっては〝掌中の珠〟であるはずの公暁に「暗殺」などという汚れ仕事をさせるはずがない。だから、これは端から除外してかかる。また、『歴史探偵』で「リーゼント刑事」が言っていた公暁による単独犯行説(確か「劇場型犯罪」と言っていたかな?)も『吾妻鏡』が記す当日の状況に合致しないので可能性は低い(詳しくは「実朝暗殺考」をお読み下さい)。で、残る可能性は「実朝暗殺考」では十分に検討しきれていなかった義時黒幕説なんだけれど……第42話「夢のゆくえ」を見る限りは、最も濃厚なのはこの義時黒幕説。で、実はワタシが「考えて考えて考えて」導き出したというのも、言ったら義時黒幕説なんですよ。ただ、相当に奇抜な。なにしろ、実朝暗殺事件なるものは、三浦義村の叛逆の芽を事前に摘んでしまうことを目的に北条義時(あるいは北条義時&大江広元の「鎌倉最恐コンビ」。これが次回以降も維持されるかどうかは微妙になってきているんだけれど、とりあえず本稿では維持されるものとして考えます)が仕掛けたもの――というのが、そのストーリーなのだから……。

 ワタシがこうした奇説を捻り出すに至った最大のポイントは、なぜ実朝暗殺の実行犯が公暁なのか? これです。第42話「夢のゆくえ」でも描かれていたように、「父上が作られたこの鎌倉を源氏の手に取り戻す」と宣言するなど、実朝がいよいよ制御不能となってきており、遂には自らは鎌倉殿の座から退き、京都から後鳥羽上皇の皇子を貰い受けて後継の鎌倉殿とするとまで言い出した(そうした知恵を授けたのが御台所であり、その御台所が相談役に選んだのが大江広元。義時と御台所が対立する関係にあることを考えるなら、大江広元は義時と対立する側に回ったということになる)。この事態に「坂東武者の世を作る。そして、そのてっぺんに北条が立つ」という兄・宗時の遺言を金科玉条とする北条義時(ここであえて一言するならば、義時の行動のすべてをあの兄の遺言で説明するのはムリがあると思う。義時がなぜそこまで北条支配にこだわるのか、それが必ずしも腑に落ちるかたちでは説明されていない、というのが『鎌倉殿の13人』の難点といえば難点かな? 小栗旬はどう考えてやってるんだろうなあ……?)が、断固、計画を阻止すべく、この際、実朝を亡きものとするという「非常の決断」を固めるということはあるでしょう。ただ、なんでその実行犯が公暁なのか? 暗殺ならば、適任者がいるじゃないか。そう、トウですよ。まさにこういう汚れ仕事をさせるために飼っているんだから、普通ならばトウを使うでしょう。そもそも公暁っていうのは、言うならば、貴公子ですからね。暗殺などという仕事には最も不向きな人物であるはず。しかも、北条義時&大江広元の「鎌倉最恐コンビ」からしても公暁は大切な大切な〝掌中の珠〟であるはず。源氏の血を引く嫡流は、実朝以外には公暁しかいないのだから。実際、第39話「穏やかな一日」では疱瘡が癒えた実朝に「一時は覚悟を決めた」として後継には善哉(公暁)を据える肚だったと明かしている(それにしても、太い野郎だよ、義時ってのは。善哉の父を殺したのは自分なんだから。それが、鎌倉殿の空位を避けるためにはその遺児を立てることも厭わないという。そうできるのも善哉には比企尼の呪いがかかっていることを知らないからなんだけどね。多分、次回「資格と死角」の「死角」とはこのこと……?)。しかし、実朝暗殺の黒幕を北条義時&大江広元の「鎌倉最恐コンビ」と見立て、2人が実朝暗殺の実行犯としてその〝掌中の珠〟に白羽の矢を立てた――とストーリーを運ぶのならば、そこにはよほどの理由がなければならない。しかもだ、結果として公暁は誅殺さることになるわけだから、「ためらうことなく公暁を誅殺せよ」(五味文彦・本郷和人編『現代語訳 吾妻鏡』より)と義時から命じられた義村が差し向けた刺客によって。ちなみに、この一節、原文ではこう記されている――

使者退去之後。發使者。件趣告於右京兆。京兆。無左右。可阿闍梨之由。

 左右無く阿闍梨を誅し奉る可きの由――。Weblio古語辞典によれば、「左右」には「あれこれ言うこと。とやかく言うこと」という意味があるそうなので、つまりは「あれこれ言わずに誅殺せよ」と。三浦義村は一体どんな「あれこれ」を言ったのか? あるいは、公暁の助命を嘆願した……?

 いずれにしても、三浦義村が公暁の乳母夫であることを考えるなら(なお、『吾妻鏡』では三浦義村が公暁の乳母夫だったとはされていない。事件後、公暁が義村を頼ったのは義村の子の駒若丸(光村)が公暁の門弟だったからとされている。また、三浦義村を公暁の乳母夫とすることには高橋秀樹著『三浦一族の研究』でも疑問が呈されていて、もし三浦義村が公暁の乳母夫ではなかったとするなら話の前提が違ってくる。もっとも、今やっているのは『鎌倉殿の13人』というドラマにおける実朝暗殺事件の「考察」で、史実としての実朝暗殺事件の「考証」ではないわけだから。そして、『鎌倉殿の13人』では三浦義村は公暁の乳母夫とされている……)、これは相当に残酷な仕打ちですよ。そして、もしかしたらそれこそが「鎌倉最恐コンビ」の狙いだったのでは? と。ここで想起すべきは、和田合戦に至った経緯。この鎌倉版西南戦争は全く以て「鎌倉最恐コンビ」による仕込みだったわけだけれど、その過程で語られたのがあの世にもおぞましいマントラ――「最も頼りになる者は、最も恐ろしい」。そして、和田合戦後の政治状況を俯瞰した時、このマントラの次なるターゲットとなりうる御家人がいるとするならば、それは三浦義村を措いて他にはいないでしょう。だから、北条義時&大江広元の「鎌倉最恐コンビ」は、三浦義村を次なる〝ゲーム〟として見据えはじめていた……ということにしよう、第42話『夢のゆくえ』を見た限りでは、全然そんな感じはしないけどね。でも、和田義盛を追い込んだ経緯を見る限り、そうならないとおかしい。だから、そうなっているものと仮定して……ただ、大江広元はともあれ、北条義時にとっては、三浦平六義村は幼い頃からのなじみで、義村に助けられたことも数限りなくある。さすがに義村を亡きものにするというのは。また、義村ほどの男がおいそれと「鎌倉最恐コンビ」の術中にハマるとも思えない。そうなると「鎌倉最恐コンビ」としてもなかなか難しいところではある。ただ、「最も頼りになる者は、最も恐ろしい」――という前提に立つ限りは、手を拱ねいているわけにもいかない。ということで、大江広元あたりが一計を案じたのではないか? そもそも三浦義村を格別に恐れなければならない理由があるとするならば、それは義村が公暁という切り札を持っているからには違いない。唯一、実朝に取って代わりうる存在。それが、三浦義村の手に握られている……。ならば、それを取り除いてしまえばいい。方法は? この場合、「鎌倉最恐コンビ」にとっては、公暁が実朝に筋違いともいうべき恨みを抱いていることは却って好都合だった。義時あたりがさらにその恨みを増幅させるような虚言を吹き込んだ上で、もし実朝様に何かあれば、後任の鎌倉殿は公暁様にお願いしようと思っております――とでも言えば、若い公暁のことだ、何を仕出かすかはわかったものではない(ただし、公暁には比企尼の呪いがかかっている。おそらくは実朝以上に義時を恨んでいるに違いない公暁が義時の甘言に易々と乗せられるかどうか? いや、あえて乗った上で、その義時の暗殺をも図ったというのが実朝暗殺事件の〝真相〟なのかも知れない。しかし、結果的には源仲章が義時と誤認されて殺されることとなったのは、やはり悪事にかけては義時の方が一枚も二枚も上だったと……?)。はたして右大臣昇任を祝う鶴岡八幡宮拝賀の最中に襲え、とまで言ったかどうかはわからないけれど、実朝への恨みを募らす公暁からしたら、自分が別当を務める鶴岡八幡宮で実朝の右大臣昇任を祝う式典が行われるなんてとても認められるものではなかっただろう。だから、Xデーはその日と定められていたのかも知れない。そして、もう1つ。実朝を唆すことに成功した「鎌倉最恐コンビ」は、こんなことを公暁に吹き込むことを忘れなかった――ことが成った暁には、まずは三浦義村にご使者をお遣わし下さい、以後のことはすべて公暁様にとっては乳母夫でもある三浦義村がつつがなく取り計らうよう段取りを整えておきます……。このサジェスチョンに従って公暁がコンタクトを図った時、はたして義村がどう対応するか? こちらに報せてくれば、それもよし。その場合は義村に公暁誅殺を命ずる。しかし、もし義村が何かしら不穏な動きを見せるなら……その時は、義村を討つこともやむなし――と、そうハラの中では覚悟を固めつつ……。

 ま、相当に突飛なアイデアではありましょう。なにしろ、実朝暗殺事件なのに、肝心要の実朝がいつの間にか脇に追いやられている。どうやら三谷幸喜は源実朝という人物に相当の思い入れがあるようで(実朝役の柿澤勇人によれば、クランクイン前の出来事として「僕が運転して、三谷さんを乗せて、由比ヶ浜や八幡宮、大銀杏も」。そして「ご祈祷もしてもらって。その時も、三谷さんは実朝に思い入れがあって、今までの実朝像じゃなく、新しい実朝を描きたいと仰っていた」(ソース)。これはよくよくのことですよ、よくよくのね……)、その実朝が非業の死を遂げた事件をこんな本末転倒に近い珍解釈で描くなど到底ありえないことであるのは重々承知しつつ――ただ、北条義時&大江広元の「鎌倉最恐コンビ」が「最も頼りになる者は、最も恐ろしい」という世にもおぞましいマントラを唱える邪教の徒であり、結果として三浦義村がオノレにとっての大切な大切な〝掌中の珠〟である公暁を自ら誅殺する破目になったことを考えるならば、その結果に「鎌倉最恐コンビ」の意志が働いている、と見ることには合理性があるはず。なお、一点だけこの合理性に影を落とす事実があるとするならば、それは事件当日、義村が式典を欠席していたことだろう。永井路子あたりはこれを義村黒幕説の傍証としているわけだけれど、ワタシはね、これも「鎌倉最恐コンビ」の企みだったと。「鎌倉最恐コンビ」が何らかの手を使って、当日、義村が式典を欠席せざるを得ないように仕向けていた……。当日、義村が、どのような立場で式典に参加する予定だったのかはわからないんだけれど(『吾妻鏡』建保7年正月27日の条には鶴岡八幡宮までの行列の陣容が記されており、実朝が乗った牛車を意味する「檳榔車」に次いで列挙された10人の「随兵」の中に「三浦小太郎時(朝)村」という名前が見える。仮に朝村が義村の代役だったとしたら、義村はSPとして実朝を護衛する役回りだったことになる。ただ、随兵として列挙された人員をよくよく検分すると北条泰時とか安達景盛とか二階堂基行とか、鎌倉第2世代に属する面々。ちょっと釣り合いがねえ……。ということで、判断がつきません)、いずれにしたって実朝のごく近くにはいただろう、宿老なのだから。――となると、公暁としたら、どうか? なかなか〝仕事〟がやりにくいのでは? だって、義村は彼の乳母夫なのだから。その乳母夫がすぐ近くにいるという状態で凶行に及ぶというのは容易なことではないはず。下手をすると義村にも累が及びかねないわけだし。また、義村が公暁の異変に気づいて身を挺して止めにかかるということだってありうるわけで、その場合、義村にも刃を向ける、ということはまずできないだろう。そんなこんなで、義村がその場にいてはなにかと〝仕事〟がやりにくかろうという「鎌倉最恐コンビ」の判断で、当日、何らかの理由で義村が式典を欠席せざるを得ないように仕向けていた――。考えられるのは、「腐った餅」を喰わしたとか? 三浦義村が第10話「根拠なき自身」で「腐った餅」を喰って腹を壊し佐竹征伐をサボタージュしていたのは、実にこの時のための伏線だった……⁉ ま、書いている本人がバカバカしいと思っているんだから、読んでいる方はもっとでしょう。だから、これについては、もうちょっと何か考えよう……。ただ、当日、式典を欠席していたことは、義村に疑惑の目が向けられる理由ともなりうるので、その意味でも「鎌倉最恐コンビ」にとっては得るところあり。だから、義村の欠席まですべて含めて「鎌倉最恐コンビ」の仕込みだったと、そう考えていい「合理性がある」。しかし、なんとも都合のいい言葉だな、「合理性がある」。トンデモ説を真っ当なセオリーであるように言いくるめる魔法の言葉……?

 しかし、こう考えた場合、三浦義村にとっての実朝暗殺事件とは何だったのか? 彼は全くの客体だったのか? そうかも知れない。この時期の三浦義村は何か事を仕掛けられるような客観状況にはなかったのではないか? なにしろ、彼は和田合戦で和田義盛を裏切った。そんな彼に協力する御家人などいないよ。『古今著聞集』に記されたエピソードはそうした消息を遺憾なく現代に生きるワレワレ「考察班」に伝えてくれている。そして、そう考えるならば、承久3年5月19日、なぜ彼があのような行動を取ったのかも自ずと理解できる。仮に彼が後鳥羽上皇の院宣を奉じて蹶起していたとしても、同調する御家人はほとんどいなかっただろう。だから、忍ぶしかなかった。実朝暗殺後の行動も承久の乱当時のそれも三浦義村からするならば彼なりの「危機管理」の発動だったのだ。ここは忍んで「忠臣」を演じ続けるしかない。しかし、いつか。必ず、いつか。彼がイアーゴーたる本性を顕にする時はやってくる……?



 実朝暗殺に関連して、もう1コ。ワタシはね、三谷幸喜はトウをこの件に関わらせようと考えていると思うんだ。本来ならばトウは第33話「修禅寺」で親の仇にしてかつ育ての親でもあるという愛憎相半ばする存在である善児を始末して何処へとも知れず姿を消す――というのがあるべきかたちだったはず。これは、善児の始末の付け方としてもね。しかし、三谷はトウを引っぱった。第38話「時を継ぐ者」ではりくの暗殺を試みて失敗(義村に阻止される――ばかりか、「オレの女になれ」と。これねえ、単に平六が女に見境がないとか、そういうことではないと思うんだよね。要は平六はそういう言い方でトウというソルジャーの能力を評価してみせたのだと)。また第40話「罠と罠」では義時から和田館の義村に引き上げを命じるいわば伝令役を命じられて、この際、承諾まで一瞬の間があったことについてはネット記事にもなっていた。ただ、あれは、別に義村がどうこう(セクハラおやじ云々)ではなく、命じられたのが伝令という軽い仕事だったことがトウのプライドを傷つけたんだとワタシは思うけどね。早い話が使いっ走りだから。そりゃムッとするでしょう。しかし、どうも義時という男には先天的に女心を理解する機能が備わっていないようで、第42話「夢のゆくえ」では唐船の進水を失敗させるためのデータ改竄というなんともセコイ仕事をトキューサとともにやらされていた――つーか、トウは一緒にいただけだから、実質的には何にもやっていない。これまたトウとしては痛くプライドを傷つけられたはず。私はこんなことをするために厳しい訓練に耐えてきたのではない……てな感じで、いずれも本来、トウがやるべき仕事だとは思えない。しかし、なぜか三谷はトウの出番を引っぱった上でそんな仕事をさせている……。でね、多分、三谷としては、この先、トウにやらせたい仕事があるんだよ。だから、引っぱっている。じゃあ、その仕事って? と考えた時、実朝暗殺くらいしか思い浮かばないんだよね。いや、実朝を暗殺したのは公暁、これは動かせない。だから、それ以外の誰か。実朝暗殺事件では他にも人が死んでいる。犯人の公暁がそうだし、例の「かおはいいのに かおはいいのに」の源仲章もそう。そのどちらかをトウに殺させる……。その場合、トウが手にかけるにふさわしい相手といえば源仲章だろうね。公暁はさ、トウが殺してはいけませんよ。だって、トウは兄の一幡も殺しているわけだから(ハッキリとそう描かれていたわけではないものの、「一幡様、トウと水遊びいたしましょう」。だから、トウが手にかけたことは明らか。ちなみに一幡の殺害について『愚管抄』ではこう記している――「終ニ一万若ヲバ義時トリテヲキテ。藤馬ト云郎等ニサシコロサセテウヅミテケリ」。つまり、「藤馬」なる素性不明の人物に殺されたことになっているわけだけれど、多分、トウという役名はこの「藤馬」から取ったんだろうね。こういうところで史実と辻褄を合わせてくるんだから、三谷幸喜もやることが憎い……)。その上、公暁まで殺すなんて。それはあまりにも非道すぎる。ということで、源仲章が選択肢として残るわけだけれど、とはいえこちらも問題がある。それは、三谷が原作のつもりで読んでいるという『吾妻鏡』には源仲章は公暁に首を斬られたとハッキリ書かれていること――「先月二十七日の戌の刻に(実朝に)供奉していた時、夢に現れたような白い犬が側にいるのを見た後、御心神を乱されたので、御剣役を(源)仲章朝臣に譲り、伊賀四郎(朝行)だけを伴ない退出した。ところが義時が御剣役を勤められることを禅師(公暁)は前もって知っていたので、御剣役を勤める人の様子を窺って仲章の首を斬った」。これをどう料理してトウの仕業に仕立てるのかは三谷の腕の見せ所?

 ――と、まずはこんなことを書いて、こっからは全く別のストーリーのプレゼン。実は『吾妻鏡』を読んでいて卒然として思いついたんだよね。『鎌倉殿の13人』でこのストーリーが採用されることはまずないと思うので、これも三谷版「実朝暗殺」へのオールタナティヴということになるかな? まず『吾妻鏡』では公暁を誅殺したのは三浦義村に仕える長尾定景という人物だとされている――「それぞれ意見を述べたところ、義村は勇敢な者を選んで長尾新六定景を討手に指名した。定景は、雪下の合戦の後に義村の宅に来ており、とうとう辞退することができずに、座を立つと黒皮威の甲を着て、雑賀次郎〔西国の住人で強力の者〕以下の郎従五人を率いて公暁がいる備中阿闍梨の宅に向った」。で、長尾らは乱戦の末、どうにか公暁を討ち果たし、その首を持ち帰るのだけれど、そっから先がね、ちょっと妙というか――

定景が公暁の首を持ち帰ると、すぐに義村は義時の御邸宅に持参した。亭主(義時)は出居でその首をご覧になり、安東次郎忠家が指燭を持った。李部(泰時)が仰った。「まだはっきりと阿闍梨の顔を見たことがなく、なお疑いが残る」。

 なんでも安東次郎忠家というのは北条家に仕えた御内人とかで、和田合戦後は和田義盛らの首実検も担当したという(ウィキペディア情報)。そういう首実検のプロみたいな人物だったらしいのだけれど、ドラマ的にはここはトキューサにした方がいいかな? 泰時と一緒に首桶を覗き込んだトキューサはウッとなって両手を口に……。ともあれ、こういうことが記されているわけで、なんとも気になるじゃないか。だって、「なお疑いが残る」ですよ。しかも、それに対して義時がどう反応したのかは何も記されていない。また、この公暁の首(とされるもの)がその後、どう扱われたのかも『吾妻鏡』には記されていない。さらにだ、ウィキペディアの「公暁」の記事には「公暁の墓は現存せず、墓所についての史料も存在しない」――とあって、おいおい、本当に公暁は首を刎ねられたの? そういう根本的な疑問がアタマをもたげてくる……。

 ということで、こういうストーリーはどうか? 本文でも記したように義村は義時から「ためらうことなく公暁を誅殺せよ」と命じられるのだけれど、その命令を伝えたのがトウ。トウは和田合戦の際も伝令を命じられていたので、この設定には必然性がある。で、命じられた義村だが、ここは『吾妻鏡』の記載を少しばかり改変して自ら家臣を率いて公暁の誅殺に向うことにしよう。さらに、トウに向って「お前、名は?」「(しばし躊躇って)トウ」「どういう字を書く」「(さらに躊躇って)藤の花の……」「藤か。(しばしトウを見つめて)一緒に来い」。その後、雪の夜道を進む義村らは鶴岡八幡宮裏の岡で公暁らに遭遇。自ら灯をかざして公暁の顔を確認した義村は傍らの長尾定景に――「斬ってはならん、取り押さえろ」。一斉にとびかかる定景ら。てっきり迎えに来たとばかり思っていた公暁はこの仕打ちにパニックに陥り、付き従っていた郎従らは刀を抜いて義村らに斬りかかるものの、こちらは義村が自ら容赦なく斬り捨てる。その様子を感嘆の眼差しで見つめるトウ。ほどなく斬り合いは終り、公暁も強力の雑賀次郎に羽交い締めにされて身動きができない状態。凍てついた冬空に公暁の悲鳴にも似た雄叫びが響く――「裏切ったな、義村」。その瞬間、義村はさっと刀を背中に回して公暁の前に平伏する。その姿に、長尾らも慌てて従う。つられて、トウも。そして、遂には雑賀次郎も羽交い締めを解き、義村らの後ろに回って平伏。そして、義村は声涙俱に下るという調子で――「公暁様、無念であります。全ては北条義時の罠。それを防げなかった、この三浦義村の失態。しかし、ことここに至ってはいかんともしようがなく。ただ、義時に命じられるまま公暁様を殺めるなどということだけはこの義村にはできません。ここは、お逃げ下さい。この日の本には公暁様が安寧に暮せる場所が必ずあります。公暁様のお世話は、ここに控えるトウがいたします。トウ、御挨拶を」。突然のことに、言葉もないトウ。義村、重ねて「トウ、御挨拶を」。トウ、思わず「トウにございます」。義村「トウは女ではございますが、武術の心得もあり、必ずや公暁様をお守りいたしましょう」。その眼をトウに向けて「頼んだぞ」。それに対し、トウは困惑を隠せない様子で「しかし、私は、公暁様の……」。義村「わかっている。だからお前に頼むのだ。お前には公暁様をお救いする義務がある。違うか⁉」。トウ、しばし言葉を呑んだ後、意を決したように「はっ」。茫然としながらそのやりとりを聞いていた公暁は、最初、啜り泣くように、しかし、遂には迸る嗚咽となって、永年、その心の中にため込んできたものを吐き出して行く……。

 場面変って、北条屋敷の出居(goo国語辞書によれば「平安時代、寝殿造りに設けられた居間と来客接待用の部屋とを兼ねたもの」だそうです)。対座する義時らと義村。義時らの前には首桶。トキューサが指燭を持ち、泰時が首桶を覗きこむが――「まだはっきりと阿闍梨の顔を見たことがなく、なんとも申し上げられません。父上、ご覧になりますか?」。義時、それには答えず、義村を見る――射るように。怯むことなく義村も視線の矢を返す。斬り結ぶ矢と矢。やがて、義時は――「必要ない。首はどこぞに埋めよ。(義村から視線を外し)ご苦労だった。下がっていいぞ」。義村、立ち上がって退室しようとするが、思い出したように足を止めて「そうだ、あの女、トウとか言ったな。もう戻ってこないぞ」。怪訝そうに義村を見る義時。「オレが斬った。物の弾みでな。悪く思わんでくれ」。義時、何かを言いかけて、やめる。義村もそれ以上は言わず、今度こそ部屋を出て行く。そして、廊下の暗闇に紛れながら「どうせあいつにはわからんのだ、女の値打ちなど」。闇にかすかな嘲笑を籠らせつつ……。



 もう1コ。今度は八田知家について。どうやら「セクシー八田」はこの第42話「夢のゆくえ」で見納めとなりそうなんだけれど、結局、なにかと視聴者の「目」を惹くことには成功したものの、終わってみれば、いちばんの見せ場があの唐船を曳くシーンだったという……。これねえ、忌憚なく言えばだよ、三谷幸喜は八田知家の造形に失敗したのでは? いくらなんでもいちばんの見せ場が演者の肉体美というのでは……。確かに八田知家というのはなかなか描きにくい人物であったろうとは思う。畠山重忠や和田義盛のように派手に散ったわけでもなし。そもそも三谷の言う「ひかわなにおほほはあみあみ」の1人でありながら、生没年も不詳で、その経歴にはわからない部分も多い。これについては演者である市原隼人も10月23日付けで公開されたインタビューで「あまり史実が細かく残っていないので、わからないことが多い」「ご子孫の方にお話を伺っても、やっぱり「あまり史実が残っていないんです」ということで、本当に追いかければ追いかけるほど逃げていくような存在なんです」。その一方で阿野全成を誅殺したことは『吾妻鏡』にも記されており、それなりに重きのある人物とせざるをえない。決して足立遠元や中原親能のようなただの員数合わせとすることはできないわけですよ。で、キャスティングでも市原隼人というそれなりの格の役者を当てた上で、まあ、あまり物語の本筋には関らない、いささかアウトサイダー的存在として描く――ということにしたんだろうけれど、それにしたって中途半端。和田合戦の際、三浦義村が「お許しが出た」として寝返りを宣言すると、一人濡れ縁に腰かけてアウトサイダーを気取っていた知家も「それがいい」とばかりにウンウン。結局、八田知家らしい独自性を発揮することはこの局面においてもなかった。いや、それどころか、「オレの指を使え」だもんね。八田知家って、そんなキャラだったの?

 で、言うならば「三谷版「八田知家」へのオールタナティヴについて」ということになるわけだけれど……ズバリ、八田知家は『新選組!』における斎藤一のような存在とすべきではなかったか? 実際、似ている部分はあるんだ。組織におけるアウトサイダー的存在というのがそう。それでいて決して和を乱すようなことはしない、というのもそうかな? そして、命令に従って黙々と仕事をこなす仕事人という点も――。ただ、その仕事というのが、八田知家の場合は専ら普請(北条泰時曰く「普請といえば八田殿」)であるのに対し、斎藤一の場合は専ら殺し――。早い話が斎藤一というのは土方歳三が懐刀として重用した〝ヒットマン〟だったわけですね。で、実は八田知家も似たようなものだったんだよ。建仁3年(1203年)には源頼家に命じられて(『鎌倉殿の13人』では、頼家が自分が手討ちにすると息巻くのを見かねた知家が「自分が行く」と自ら買って出たことになっていた。しかし、『吾妻鏡』では「八田知家奉仰。於下野國。誅阿野法橋全成」。頼家に命じられたと明示的に記されているわけではないものの、御家人である八田知家が「仰ぎ奉る」ものといえば「主命」以外にはない。ちなみに、知家の「家」は頼家の名の一字なのだから、本来、家臣が使っていい字ではないはず。それを使っていたということは、いわゆる「偏諱」ということになる。知家は頼家に重用されていたのかな?)阿野全成を誅殺しているし、そのちょうど10年前の建久4年(1193年)には下妻弘幹なる人物を誅殺していることもやはり『吾妻鏡』で裏付けられる。命じたのは北条時政。『吾妻鏡』には「是於北條殿。有宿意」とあって、北条時政が何かしらの「宿意」(年来の恨み)を抱いていたことを伝えている。そういう言わば「個人的怨恨」を晴らすために八田知家が使われていたということになり、こうした史実を膨らませるならば八田知家を歴代の鎌倉殿ないしは北条氏に重用された〝ヒットマン〟として描くことは十分に可能だったはず。そうすれば、見せ場だってもっと作れただろう。たとえば、源範頼を誅殺したのは八田知家だったということにしたっていいわけだから。ドラマでは善児に殺されたことになっていたけれど、その役割を振り替える。さらに源頼家を殺害したのも八田知家の仕業だったとしてもいいかも知れない。こちらはドラマではトウの仕事とされていたわけだけれど、でもねえ、源範頼にしても源頼家にしても源氏の血を引く貴公子。それが下人上りの善児や百姓の娘だったトウに殺されるというのはあまりにも痛ましい。相手に相応しい刺客という意味でも八田知家というのはいい選択肢だったと思うんだけどなあ。まあ、知家が頼家に重用されていたとするならば、これは「主殺し」ということになって、ちょっとやそっとのドラマではなくなるんだけれど……。しかし、こんなふうに人物像を組み上げるならば、後に八田知家が出家して尊念と号した(八田知家がいつ出家したのかは不明。ただ、遅くとも建保元年12月には出家していたことが『吾妻鏡』で裏付けられる)のはそうした血に汚れた半生からの解脱を求めて、という解釈が成り立つし、もっと言うとね、八田知家の血筋をめぐる後世の異説(『尊卑分脈』や『諸家系圖纂』に記されているもので、曰く「源義朝第十男、而義經弟也、母者宇都宮左衞門尉藤原朝綱女、號八田局」云々)ともそれなりの整合性を持ちうるのでは? と。源範頼、阿野全成、源頼家……、源氏の血を引く貴公子を次々と誅殺してきた八田知家が一介の御家人であるはずがない。実は源義朝のご落胤であり、本当の名は八田朝家、いや源朝家……と、そんな香しき伝承へと発展しうる、これはロマンあふれるストーリー……?



 あと、人物造形に疑問があるということで言うと、後鳥羽上皇もそう。第42話「夢のゆくえ」では乳母の藤原兼子が「上皇様はなにゆえ北条を目の敵にされるのですか」と問うのだけれど、当人にもよくわかっていない様子。すると、慈円がこれが正解だとばかりに「人が最も恐れるものは、最も己に似たもの」。いや、違うでしょう。「後鳥羽上皇」という人物を1つの物語と捉えるならば、その最大の主題は「コンプレックス」ですよ、その即位に当たって「三種の神器」がなかったという、この天皇としての正統性にも関るような事実にまつわるね。そして、そうした事態を招いたのが鎌倉の坂東武者どもであるという意識があるからこそ、その頂に立つ北条義時への敵愾心は抑えようもないものとして後鳥羽を「挑発」へと突き動かしてきたし、これからも突き動かしていく……。こうしたことはね、特段、ワタシがどうこうということではなく、後鳥羽上皇について考える上でのごくごく一般的な視点だと言っていいと思うんだ。確か『英雄たちの選択』でもそんなふうに後鳥羽という人物像を腑分けしていたはず。ところが、どういうわけか三谷はそういう描き方をしていないのだ。ここまで尾上松也が演じてきた後鳥羽上皇を見ていると、なんとなく義時との対決を楽しんでいるように見えないこともない――まるで『平清盛』で松田翔太が演じた後白河天皇(いわゆる「ごっしー」です)のように。よもや三谷が彼の後鳥羽(ごっとー?)を作るに当たってあの後白河に引きずられたとも思えないのだけれど……。

 結局、アレかねえ。三谷幸喜ないしはNHKとしては「十善の君」たる天皇を「コンプレックス」を抱えた「不完全な人間」として描くことを忌避したとか、そういうこと……?