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惚れた監督の前で「石」になりきること
〜『ヘアピン・サーカス』とハードボイルドなココロ〜

 過日、ネットをウロチョロしていたら、こんな記事に遭遇した。1973年の正月映画として製作されながら、当事者(監督や主演俳優)にも十分な説明がないまま公開見送り(いわゆるお蔵入り)となった西村潔監督の股旅西部劇『夕映えに明日は消えた』に関する記事。でね、この件についても書きたいとは思っているのだけれど、もう少し調べた上で(現状、自分の思い通りになる時間が限られておりまして。その「もう少し」がなかなか……)。その前に、これはやっぱり一言つっこんでおいた方がいいかなと。それは、話が当時の東宝が抱えていた監督問題(中村敦夫はこれが『夕映えに明日は消えた』がお蔵入りになった理由ではないかという説を披露している。おそらくは2015年に『映画論叢』で発表された説のこと)から同作の監督である西村潔に及び、「西村監督はその後、アクション系テレビドラマの演出でも活躍。「大追跡」「探偵物語」「西部警察」「プロハンター」などで数多くの作品を手がけた。映画では夜の公道でのカーチェイスを官能的に活写した「ヘアピン・サーカス」(72年公開)などが再評価され、今世紀になってDVD化が続いている」――と来たところで、おいおい、またかよ……。

 言うまでもないことだとは思うけれど、『ヘアピン・サーカス』は五木寛之の同名小説の映画化。五木寛之(の特に初期作品)には一家言有するワタシとしても、当然、見てはおります。で、実はね、この映画をめぐってはいささかワタシの理解を超える事態が展開されておりまして……。まず、キネマ旬報社が運営する映画鑑賞記録サービス(定義としてはそういうことになるようです。要するに、ブクログとかGoodreadsとか、そのテのサービスの映画版ということなんでしょうが、実態としてはデータベースにレビュー機能が付属したもので、ユーザーが自分の映画鑑賞を記録するという本来の用途ではどれほど利用されているんだろうか? ワタシ自身はデータベースとしては重宝させてもらっていますが、そもそも自分の映画鑑賞を記録するという発想がないもので……)KINENOTEで『ヘアピン・サーカス』についてチェックすると、「みんなのレビュー」の平均が71.3点で、しかもこれはレビュアーの1人が点数をつけていないからこうなっているだけで、点数をつけているお2人(つーか、よくよく見ると同じ人だな。こんなのアリなの?)はそれぞれ83点と81点。すこぶる高評価。また某密林でこの映画のブルーレイ・ディスクをチェックすると、カスタマーレビューの平均は「☆☆☆☆★」。こちらもすこぶる高評価と言っていい。で、ここはそれぞれのサイトからワタシの目に留ったレビューの一節を紹介するならば「いわゆる公道(首都高を含む)で、危険極まりない撮影を敢行した東宝映画。(略)カーマニアにどれだけ受け入れられたか分からないが、これは、あの有名な「ブリット」や「フレンチ・コネクション」以上ではないか」(KINENOTE)。「プロデューサーの安武龍氏はバニシングポイントなどアメリカンニューシネマの影響を受け、日本でも今迄に無い感性の作品を創ろうとしこの作品を完成させたとの事だがその意図は見事に成功している」(密林)。ね、『ブリット』や『フレンチ・コネクション』や『バニシング・ポイント』など、カーアクションと言えばこれ! というような海外の名作を列挙した上で、『ヘアピン・サーカス』はそれに匹敵するか、なんなら超えていると……。さらにだ、この映画をめぐっては、こうした素人衆の絶賛モードに輪をかけるかたちでその筋のプロからも賛辞が捧げられていて、たとえば『映画秘宝』2011年5月号では「夜の公道をマツダサバンナRX-3とトヨタ2000GTが疾走、チェイスしながら2台の名車が男と女のように絡み合う壮絶なクライマックスが語り草だ」(轟夕起夫)。また、別のコラムでは音楽を担当した菊地雅章の名前も挙げつつ「菊地雅章32歳、西村潔39歳の“衝突”は「ヘアピン・サーカス」という、この時期の菊地の最高傑作アルバムと、東宝ニューアクションの最高傑作映画として結実した」(添野知生)。なんと『ヘアピン・サーカス』を「東宝ニューアクションの最高傑作」と……。『ヘアピン・サーカス』に捧げられた賛辞として例示できるのはこれに止まらない。この添野知生のコラムもそうなんだけれど、音楽を担当したのが菊地雅章ということで本作にはジャズのサイドからのアプローチも盛んで、『JAZZ JAPAN』2011年10月号では「ジャズ、映画、そしてジャズ」と題する連載の第1回として本作を取り上げ、「美樹のトヨタ2000GTと、島尾のマツダサバンナRX-3が、交錯しつつ疾走する、深夜の横浜・元町や大黒埠頭、銀座、首都高速。そこに重なる菊地雅章のエレピと、実弟・菊地雅洋のオルガン。峰厚介のソプラノも絶品だ。いや、ドラムス日野元彦、ベース鈴木良雄、すべてが良い。この時期の菊地サウンドについては数々のことが語られている。曰く、エレクトリック・マイルスとの呼応、日本のクロスオーヴァーの嚆矢、ロック・ビートの獲得…。それを体感するのに、この映画を超える聴き方があるだろうか?」(定成寛)。で、おそらくはこうした声を踏まえたんだろう、冒頭でリンクを貼った記事では「映画では夜の公道でのカーチェイスを官能的に活写した「ヘアピン・サーカス」(72年公開)などが再評価され」云々。しかし、これはまったくワタシの理解を超える事態で。ワタシに言わせればだ、おいおい、皆、本気かよ。『ヘアピン・サーカス』ってそんな映画じゃないだろうよ……。

 ワタシはね、『ヘアピン・サーカス』という映画については、とりあえず惚れた腫れたはワキに置いて(↑に引いた賛辞を読む限り、皆さん、西村潔という監督に「惚れている」というか。テンションの高さが尋常ではない。まあ、この人気の火元と思われる『映画秘宝』がちょっと尋常ならざるハイテンションを売りにしているわけで……)、あくまでも映画としてどう評価するか? ということが大事だと思ってるんだけれど、そういうことで言うならば、当局の許可を得ることなくゲリラ的に撮影したとされる公道でのカーアクションには見るべきものはあると思う。でも、映画として評価するのなら、本作の〝バニシング・ポイント〟とでも言うべきT字路についての説明が不十分なので、原作を読んでいない観客にはどういう状況なのか理解できないだろうと思うんだよ(そもそもT字路であることが理解できるかどうか? 映画ではただ工事現場に突っ込んだように見えないこともない)。さらには、そこで起きるカークラッシュのショボイこと(断言しますが、ショボイ。「2台の名車が男と女のように絡み合う壮絶なクライマック」などでは断じてない。あれくらいのクラッシュで手首がちぎれることはまずないでしょう)。『ヘアピン・サーカス』がカーアクションを売りにする映画であることを考えるならば、これは致命的。カタルシスなんて生じようもないだろうから。あと、原作には繰り返しシフト操作やペダル操作に関る描写が出てくるのだけれど(たとえば「ローもセカンドも思い切り回転をあげて引っぱり、サードのままぐいぐい深夜のタクシーの群をかきわけて攻撃的な運転をした」とか「アクセルを踏み込んでトラックを追い抜き、すぐまたシフト・ダウンしてカーヴを抜け、クラッチとレバーとハンドルとアクセルを目まぐるしく操りながら走り続けた」とか。五木寛之はカーマニアだったので、このあたりの描写はほとんど偏執的でさえある。そして、それが「ハードボイルドという病」の最も顕著な症例の1つでもある……)、映画ではほんの申し訳程度に描かれているだけ。でも、原作にそう書かれているから、というだけじゃなく、描写が単調になるのを避けるという意味でもシフト操作やペダル操作のインサートは有効なはず。ワタシが見た映画の中では、テレンス・ヤング監督の『夜の訪問者』が足元のペダル操作を繰り返し映し出すことでうねうねとした山道(だったと思う)を猛スピードで疾走するスリルを高めることに成功していたという記憶がある。そういうことを考えても『ヘアピン・サーカス』がシフト操作やペダル操作の描写をおざなりにしているのはザンネンと言うしかない。

 でね、実はこれは無理からぬことだったらしいんだよ。というのもね、西村潔は運転免許を持っていなかったのだ……。この驚きの事実、『ヘアピン・サーカス』のプロデューサーである安武龍氏が西村潔の追悼を目的に催された「西村潔作品プロデューサー座談会:ホンを直して早撮りで頑固で優しい、大食いのアクション監督だった。」(『映画芸術』1994年春号)で明かしているもので、そもそも安武氏によれば『ヘアピン・サーカス』という企画は「アクション監督としての名声が確定している西村に、それを突き抜ける西村潔になって欲しいという気持ちがありまして、単なるアクションではなく、アクション+官能、言わば車に対するフェティシズムの映画を撮ろうということから始まっているんです」。ところが「出来上がったものを見てみると、もうひとつ官能的ではない」。ワタシもそう思います。で、「これは、ひとつは僕がミスったんですが、西村は車のライセンスを持っていなかったんです(笑)。つまり、車というものをフェティシズムという対象として見ていなかったんですね」……。えー、本稿の冒頭では『ヘアピン・サーカス』に捧げられている数々の賛辞を紹介させていただいておりますが、その中では「夜の公道でのカーチェイスを官能的に活写した」だの「チェイスしながら2台の名車が男と女のように絡み合う」だの。でも、当の監督は車に対するフェティシズムなど持ち合わせていなかったんです。多分、彼が描きたかったのも、単純なる(あるいは、純粋なる?)車と車のつば迫り合い、だったんでしょう。で、それこそは西村潔という「アクション監督」のこの映画に対するアプローチだったんですよ。そして、ワレワレも、そのようなものとして『ヘアピン・サーカス』という映画を捉えるべき。映画とは、第一義的には、監督のものであって、プロデューサーのものではないのだから。ただ、問題は、そういう眼でこの映画を捉えた場合でも――ということになるわけで……。実は件の座談会で安武氏はこんなことも言っている――「西村は車を客体化して見るんです。車を外側からしか撮らないで、運転席側から撮らなければならないところが分かってなかったみたいでしたね」。まあね、運転免許を持っていないんだから。運転席側からの発想なんて出てこないですよ。ちなみに、ワタシが「おざなり」と評したシフト操作やペダル操作の描写ですが、これは元チーム・トヨタのワークスドライバーで本作にテクニカル・ディレクターとして参加した大坪善男氏の要望で別撮りされたものらしい――「それで、大坪君からいろいろなクレームが僕のところに入ってきたんです。「ここのところはクラッチを撮ってください」とか注文を付けてきて、どこか大坪君が監督しているようなところが出てきてしまったんです」。これがね、『ヘアピン・サーカス』という映画の内情なんですよ。こんな内情を知ったら――いや、知らなくたって。ワタシに言わせれば、全部、映画に映っている――単純なカーアクション映画として評価することも……。ここはKINENOTEや某密林に倣って点数をつけるなら、せいぜいが「60点」or「☆☆☆★★」でしょう(ちなみに、某密林では7人が「☆☆☆☆☆」。小森美樹によれば、菊のマーク5つで「アス」の称号が与えられるそうだけれど……)。もうね、皆、もう少しクールなココロで映画に向きあわなきゃダメだよ。たとえその映画が惚れた監督の作品だとしてもだ。五木寛之だってこう言っている――「(ハードボイルドとは)多情多恨な男が、石のごとくに生きなければならないのココロだ」(五木寛之が生島治郎との対談で言った言葉。『五木寛之雑学対談』所収)。

 ――と、こんな五木寛之の言葉も紹介したところで、さらにこんなことを言い出すワタシを皆さんはどう思われるだろうか? なんてハードボイルドな野郎なんだ、と思っていただければ幸いなんだけれど……そもそも西村潔は「ヘアピン・サーカス」に手を出すべきではなかったんだよ、西村潔が志向したのが「ハードボイルド」だというのなら――。「ヘアピン・サーカス」は、確かによくできた小説ではあるけれど、主人公が妻子持ちという設定があまりハードボイルドっぽくないし、見崎清志という演技の素人に演じさせることを考えてもそういう余分な要素はない方がいいでしょう。また「ヘアピン・サーカス」の場合、主人公とバトルを繰り広げるのが少年たちで(この種の小説を五木寛之は「さらばモスクワ愚連隊」以来、たびたび書いており、そこに1つの「論点」を見出そうとして悪戦苦闘を繰り広げたのがこちらになります。興味のある方はご一読を)、そのため主人公が(おそらくは少年たちとの対比を際立たせるという小説作法上の必要から)過剰に「大人」として描かれすぎているところがあって、ヒロインの少女(小森美樹。映画では少女というにはいささか薹が立ちすぎている江夏夕子が演じていた。安武氏によれば江夏夕子はA級ライセンスを持っていたとかで、それが起用の理由だそうですが)に向って「ぼくはきみみたいなくだらない人間に運転を教えたことを恥じる」なんてひどく良識的なことを言ってみたり(主人公の島尾は元カーレーサーで今は自動車教習所の個人指導員という設定で、小森美樹も島尾の教え子だった)。結局、「ヘアピン・サーカス」というのは「非行少年小説」であってハードボイルド小説ではないんだよね。その一方で五木寛之は同じように「街道レーサー」をモチーフとした小説ながら純然たるハードボイルドの空気感を漂わせた作品も書いていて、それこそは「狼の瞳の奥に」(『わが憎しみのイカロス』所収。ちなみに、この本はカバーがエモい。これでタイトルが『わが憎しみのナルシス』でないという……)。タイトルからして池沢さとしの『サーキットの狼』を先取りするようなこの作品(『サーキットの狼』の連載が『週刊少年ジャンプ』で始まったのは1975年。「狼の瞳の奥に」はその4年前の1971年の作品。ちなみに掲載誌は『小説現代』1971年5月号。同号が「創刊100号記念特別号」だった由)では、主人公とカーバトルを繰り広げるのはハイウェイパトロールの若い警官で、主人公(黒江章。コマーシャル・フォトの世界では名の売れたカメラマンで「シャッターをひと押しするだけで三十万もふんだくることだってある」。しかし、黒江はそんな自分を「くだらないインチキ野郎」だと思っており、その憂さ晴らしのために、深夜、なんの目的もなく首都高速から横羽線を往復するドライブを一日おきくらいに繰り返している)とは一種の好敵手のような関係にあるという設定――「そのパトカーを運転していたのは、若い警官で、とても大胆な巧みな運転をした。速度を恐れず、しかも慎重で、彼をもう一歩のところまで追いつめたものだ。彼がその追跡をどうにか振り切れたのは、そのパトカーのハンドルを握っている警官の一種のスピードマニア同士の意地のようなもののせいだったのではなかろうか」。従って主人公も子どもに対した時のような態度を取る必要はないわけで、警官にカーバトルを挑むのも「ヘアピン・サーカス」の島尾のように「カーヴの恐しさを、スピードの危険さを、そして車の運転をもて遊ぶことの怖さ」を教えようという〝教育的配慮〟からではなく、もう完全に勝負を挑んでいるんですよ――「いや、今夜が勝負だってことさ」。ちなみに、後続する『サーキットの狼』にも影響を与えたやに思える「狼の瞳の奥に」というタイトルだけれど、次の描写がその下地になっている――「出口のサインが見えてきた。だが黒江はスピードをゆるめようとしない。彼は自分の顔が、狼のあの尖った相貌に似ているように感ずる。(略)バックミラーの中に白い牙のようなバンパーを揺すって突込んでくるパトカーが見える。その車も、そしてあの若い警察官も、すでに狼になっているはずだ。こちらを追いつめて、最後の一撃を喉笛にあたえようと、不吉な青い目を輝かせながら迫ってくる若い男」。そんな「狼」と「狼」が公道上で熾烈なカーバトルを繰り広げる「狼の瞳の奥に」はわが国のハードボイルドが地政学的に(というのは誤用かな? まあ、いい……)強いられている桎梏の1つの解除法を提示していたと言えるのかも。つまりだ、日本を舞台にした場合、拳銃をバンバン撃ち合うというハードボイルドはどうしたってやれないわけですよ(それをやると「通俗ハードボイルド」というレッテルを貼られることになる)。しかし、ガンならダメでもカーならできる。「狼の瞳の奥に」はそんな盲点のような可能性を人知れずワレワレに提示してくれていた……。まあ、ワタシの見るところでは、小説としての完成度は「ヘアピン・サーカス」の方が上だろうね。「狼の瞳の奥に」は若干、構成に甘いところがあるので(主人公である黒江章がリョウと名乗る風変わりなホステスをつれだしてホテルにしけこもうとするところから小説は始まるのだけれど、このリョウという相当に風変わりな女が小説で果たしている役割があるのかないのか。映画的に言うならば、全編出ずっぱりなんだけどねえ……)。でも、小説としてはスキがある方が映画の原作としては向いている、とも言えるわけで。スキとは、つまりは遊びということでもあるわけだから、まさにそこで映画屋さんたちが〝遊ぶ〟ことができる(ちなみにKINENOTEの「みんなのレビュー」では83点をつけた方が「脚本をハードボイルド化させる事によって、主役に役者を使わないという冒険を切り抜けている」とお書きになっていますが、実は永原秀一による脚本はほぼ原作通りなんだよね。原作と明らかに違うのは主人公である島尾が小森美樹らに誘われてドラッグパーティに参加すること。これは完全に映画オリジナル。それ以外だと、原作にある島尾の台詞「ぼくはきみみたいなくだらない人間に運転を教えたことを恥じる」がカットされていることとか。まあ、この台詞があるとハードボイルドにはならないのでねえ。だから、その限りでは原作の「ハードボイルド化」は行われたとは言える。でも、原作との違いということで指摘できるのはこの程度で、あとは台詞も含めてほぼ原作通りと言っていい。それだけ原作の完成度が高く、永原秀一としても容易に手を入れられなかったということじゃないのかな?)。そういうことを考えても、西村潔ないしは安武龍プロデューサーが手を出すべきは「ヘアピン・サーカス」ではなく「狼の瞳の奥に」ではなかったかと。もっとも、肝心要の監督が車に対するフェティシズムを持ち合わせていないんじゃ、結果は同じだったかも知れないけどね。でも、西村潔という「ハードボイルド作家」に委ねるのなら「男対女」の「ヘアピン・サーカス」よりも「男対男」の「狼の瞳の奥に」の方がまだしも御しやすかったはず――とかつてこの人が監督した『大追跡』や『プロハンター』や『ベイシティ刑事』をリアルタイムで見ていた1人のハードボイルドファンとしては……。