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ぎみ・あ・せんちめんたる・はーどぼいるど

 いよいよだ。オレはこれから襲ってくるであろう記憶の津波に耐え切ることができるだろうか……?

 久しく入手を熱望していた谷恒生の『錆びた波止場』が遂に手に入った。いやー、うれしいなあ。ワタシは「死んだら棺桶に入れて欲しい本」というのをもう決めているんだけれど(生島治郎の『上海カサブランカ』、夏文彦の『ロング・グッドバイ』、デイヴィッド・グーディスのStreet of the Lostの3冊)、せっかくだからこの本も入れてもらおうかな。それくらい好きなことは好き……ということは、ええ、本自体はとっくに読んでいるんですよ、電子書籍で。でも、某所で今回入手した1980年初版を見て、これはいいと。ぜひ手元に置いて愛でたいと。ところが、どこを探したって、ないんだよね。「日本の古本屋」はもとより、アマゾンのマーケットプレイス、ヤクオク、メルカリ……、どこにもない。で、「日本の古本屋」に探求書として登録して入荷の連絡を待っていたわけだけれど……遂にその連絡が来たということ。商品登録してくれたのは奈良県の古本屋さんで(せっかくだからリンクを貼っておきましょう)、しかも売り値は至ってリーズナブル。もう大仏様のような古本屋さんですよ。感謝感謝感謝(それにしても、この本、なんでないんだろう? そんなに昔の本でもないし、刊行元は大手だし。ない理由が見当たらない。よもや生頼範義のコレクターが買い漁って、それで品薄になっているとか? そういえば、やはり生頼範義がカバーアートを担当した『黄金の海』もそんなに見かけない。つーか、今日時点ではこちらも「日本の古本屋」以下のどの販売チャンネルにも商品登録がない。つーことは、生頼範義なのかねえ。でも、『魍魎伝説』は、フツーにある。ワカラン……)。

 でね、この作品集(『錆びた波止場』は第1話では外国航路の一等航海士、第2話以降は陸に上がって船の積荷の鑑定人(サーベイヤー)をやっている日高凶平を主人公とした連作短編集)の最大の魅力は、どこにあるかといえば、それは嫋々たる港町の描写ですよ。もうね、匂い立つような。それは、第1話「オピュームナンバー4」の書き出しからしてそうで――

 霧雨が暗がりをいっそう曖昧なものにしていた。
 舗道沿いの痩せた銀杏の枝がしめっぽい風にかすれた音を立て、古ぼけた街路灯が濡れた歩道の石畳にぼやけた光の輪を描いている。
 満ち潮なのだろう。霧雨に潮が匂う。楕円形の税関詰所のむこうで海が苛立つようにひるがえっている。
 港内のブイや岸壁に繋がれた貨物船の灯がイルミネーションのように輝き、くろずんだ防波堤に飛沫(しぶき)がほの白く散る。入口(エントランス)灯台の繰り返す赤白二色の明滅が、港によどんだ霧を一定周期で薙ぎ、沖に錨を降ろした停泊船の船影が漆黒の海にぼんやりとにじむ。
 十時を過ぎたばかりだというのに、波止場はすでに人気がなかった。沖泊りの船との連絡通船の最終便も終わった。上陸しようとする船員たちを詰所から横柄に呼びとめる下っ端税関吏連中が、奥の八畳間へ引っこんで茶碗酒を飲みはじめる頃だ。
 酒場街へ続く海岸通りの両側にずんぐりした倉庫が立ち並んでいる。荷役会社、船具屋、船員相手の日用品雑貨をこまごまとりそろえた小商いの店々がシャッターを降ろし、夜の底にひっそりと沈んでいた。

 やはり港町を舞台とした生島治郎の『傷痕の街』の書き出しもなかなかですが、港町特有の湿気を含んだ嫋々たる筆遣い、ということで言えば、こっちの方が上だろうなあ。で、紡がれる世界もこの文体に見合ったもので、ハードボイルドとしてはかなり異色。版元である講談社が運営する書籍ポータルサイト「講談社BOOK倶楽部」ではこの連作短編集を評して「センチメンタル・ハードアクション・ロマン」となんとも座りの悪い呼び名を繰り出していますが、ひょっとして「センチメンタル」の後に「ハードボイルド」をくっつけちゃイケナイとでも思ってる? 別に、いいんだよ、「センチメンタル・ハードボイルド」で。そういうものもありなんだ、ということを、最近になって強く思うようになりました。それは、やはり、母の介護を経験したことが大きい。もうね、泣かずに親の介護をできるもんかってんだ。もしできたってやつがいたら、そいつは悪魔だ。介護は、泣きながらするものです。で、そういう日々をすごしたら、もう以前のような考え方に戻るなんてムリですよ。つーか、以前のような考え方がいかにも無味乾燥なものに感じられて。以前のような考え方――とは、たとえばこういうことですよ――

 なるほど私は短歌否定論者でありますが、歌人や歌壇だけを相手の短歌否定論など大した意味を持つているとは思いません。短歌的リリシズムというものはそんな生やさしいものではないからです。要約しますと、それは短歌という形式の中に安定しているときよりも、むしろその形式からはみだして、他の文学のいろいろなジャンルの中に浸透し拡散してゆくことによつてより強大な力を発揮すること、従つて前へ前へと先廻りして、逃脱してくる短歌をそこで捕捉しなければ、私たちの短歌に対する抵抗は現実的な詩論とはならないということと、もう一つは、短歌的なこの発想の秩序は、私たちの外部にあるのではなく、現代の詩人をもつて任ずる私たちの詩精神の内部に未だに残存し蟠踞しているということ、短歌的なもののこの時間的空間的二様の存在を認識する必要があるというのが、まだ序論的な形態を出ていませんけれども、これまで私が展開させてきた思考であります。
 私はこの二様の意味で、短歌的リリシズムというものを日本の現代文学の「弱さ」と見ると同時に、詩人の感性の「弱さ」として自覚します。

 これは、アナーキスト詩人・小野十三郎の「弱い心」(創元新書『短歌的抒情』所収)の一節ですが、ここに記された「短歌的リリシズム」が短歌という形式からはみだして「他の文学のいろいろなジャンルの中に浸透し拡散してゆく」というのは腑に落ちるところがあって、これまでのワタシの読書体験を振り返っても、なんとかそういうものを退けようとしてきた一面さえある。しかし、「短歌的リリシズム」はそれほど唾棄すべきものなのか? ↑に引いた嫋々たる港町の描写なんてそのサンプルのようなところさえあるのだけれど……。でね、こんなふうに「短歌的リリシズム」を否定していた小野十三郎ではあるけれど、なんと石川啄木の人口に膾炙した哀歌「やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」を愛唱していたというのだ。いかにも日本的な、それこそ「短歌的リリシズム」そのもののような歌を――。この事実、詩人・作家の井上俊夫氏が『新日本文学』の小野十三郎追悼特集で書いているそうですが(ワタシは読んでいません)、それを知って「まさかあの小野氏が、と信じられないような気持ちだった」というのが五木寛之。2001年に上梓した『日本人のこころ』というどっかの保守政党みたいなタイトルの本の序文「「情」を「こころ」と読むとき」で――

 これを読んだときは、まさかあの小野氏が、と信じられないような気持ちだった。しかし、よく考えてみれば、私がだまされていたわけではないのだろう。乾いたポエジーを追求した彼は、その内側に啄木のふるさとのあの北上川の流れのような情感を、人一倍多くたたえていたのかもしれない。あるいは、ありあまるほどの抒情を自分の内側に抱えこんでいて、それを克服するための「短歌的抒情の否定」だったのかもしれない。ハードボイルドにやろうという自己否定から、彼の詩論はスタートしたのかもしれない。
 ひょっとすると、小野氏がいいたかったのは抒情の否定ではなく、古き抒情を克服し新しき抒情を確立せよ、ということだったのではないかとも思えてくる。
 本来、日本人の根っこには、人情や情緒なとどいったウェットな感情がある。近代の知性は、そうした「情」というものを蔑視し、毛嫌いしてきた。だが、日本人の根っこにあるものまでは否定しきれなかった。いま表面的には非常にドライに見える。けれども、その内側には、日本人が長い歴史のなかで持ちつづけてきた「情」がまだ隠されている。

 今、この所論に全面的に賛同するわけではありませんが、架空の船員酒場街「界隈」(一般名詞ではなく、固有名詞。「界隈」という名の船員酒場街。なんでもモデルはかつて大阪の天保山にあった船員酒場街だそうです。作中にはその天保山にある「築港」という地名も出てきますが、場所は横浜(ハマ)の近くとうかがえるので、天保山ごと横浜の近くに移動したという感じかな?)に朽葉のように吹き寄せられてきた雑多な人間たち(主に娼婦――「十七の夏、暴走族の小僧どもに輪姦されたのがぐれるきっかけだった。恥ずかしさのあまり家をとびだし、お定まり通り、スナック、キャバレー、ピンクサロンとわたり歩いた。十八の春、ふと気がつくと『すばる』のボックスに腰かけていたというありふれた筋書だ」)のエレジーを奏でた『錆びた波止場』には旧来の人間の思考や行動に絡みついてくる「湿った抒情」とは違う、ちょっと放下したような「乾いた抒情」が感じられて、そこに五木寛之の言う「新しき抒情」を見出すこともできないことはない。少なくとも、登場人物の誰一人として「情」というものを蔑視はしていない。それでいて、「情」によって己の行動を枉げることもない。そういう意味で、ハードボイルド的な人間の生きざまが描かれている、とは言えるわけだけれど……ただ、全編に満ちているのは、港町特有の湿った空気。それをここまでフィーチャーした「ハードボイルド」というのも相当に珍しい。加えて、登場人物はみんなダメなやつなんだよ。ちゃんとした人間なんて一人も出てこない。みんな「弱さ」を抱えている。でね、このゆっくりと下って行く時代に求められるハードボイルドがあるとすれば、それは「弱者のハードボイルド」ではないのか? と。人間の弱い部分やダメな部分を丸ごと包摂して、それを「勁さ」に変えてみせるような「弱者のハードボイルド」――。ワタシは志水辰夫の『負けくらべ』にそれを期待したんだけどなあ……。ともあれ、ベトナム戦争の特需も去って火が消えたような「界隈」を舞台に時代のエレジーを奏でた『錆びた波止場』には期せずして今の日本社会を先取りしたようなところがある。それが、今読んでも少しも古びていないどころか、かえってヒリヒリするようなリアリティを感じさせてくれる理由でもあるのだけれど……こうした「弱者のハードボイルド」――言葉を替えて云えば「センチメンタル・ハードボイルド」――が今こそ書かれるべきなんだ。でも、いないんだよ、そんな作家が。生島治郎も死んだ、夏文彦も死んだ、谷恒生も死んだ(もう一人付け加えるならば、稲見一良も死んだ。『セントメリーのリボン』は見事な「センチメンタル・ハードボイルド」ですよ……)。もうこうして古い本を引っ張り出す以外に読む本はないということか? ぎみ・あ・せんちめんたる・はーどぼいるど……。



追記 買ったっきり未読状態だった日本冒険作家クラブ編『血!』(徳間文庫)をパラパラやっていたら、あの(どの?)志茂田景樹が「父の眠る島」というのを寄稿していて、書き出しを読むと、なんとこれが海洋冒険小説じゃないか! しかも、行くはオホーツクの海――

 ――魚と油の匂いが、天井や壁に、強くはないが、十年は消えないだろうという感じで残っている。
 煙草の煙が靄のようにこもって、ときどき、流れるように、乱れた。
 船室は、大きく揺れた。
「――波が高くなったな」
 椅子にかけて、バーボンを飲んでいた若井春樹が窓の外を見てつぶやいた。
 オホーツク海は、薄墨色のなかで、大きくうねっていた。
 陸地は、遠い。
 右手前方に、海を裂いて、知床岬の長いシルエットが見える。
 海を裂いて――というよりも、低い位置の船窓からかなり高い波越しに見ているので、知床岬は海にいまにも攻め崩されそうに見える。
 若井は、テーブルの端に移っていたハイライトの箱をとって、一本くわえた。

 志茂田景樹って、こんなの書く人だったの? ワタシはてっきり伝奇バイオレンスとかを書いている(いた)人だと思っていたんだけれど。で、誘われるままに読み進んで行くと、これがビックリするほどの良作で。文体は完全なるハードボイルド・タッチで、それが最後までいささかも緩むことがない。もう見事ですよ。この作家に対する認識を根本的に改めなければならないな。しかもね、これって「センチメンタル・ハードボイルド」でもあるなあ、と。いや、文体は無駄を排したハードボイルド・タッチなので、センチメントが入り込む余地はない。ただ、物語のコアにあるものが……。ここでザックリとしたストーリーをご紹介すると、主人公は28歳の流れ者。大学を中退した後、東京の下町でスナックを経営していたが、去年の暮れに店をつぶして網走まで流れて来た。この昔のかわぐちかいじの劇画(『風狂えれじい』とか『死風街』とか。高校時代に読んでシビれたもんですよ……)の登場人物みたいな男が裏通りの居酒屋でゴロツキ3人とトラブルとなり、店を出たところを待ち伏せされてボコボコにされる。で、意識を失っていたところを助けてくれたのがもう1人の主人公の石村礼次。これがなかなかのキャラで、「七十歳にも見え、四十代後半にも見えることがあった。赤黒い顔に、深く刻まれた皺となかば以上、白いもじゃもじゃ髪が、長い風雪に耐えてきた年輪の気配を見せて、かくしゃくとした老人を思わせるのである」。結局、若井はこの老人のような壮年のような男(実際の年齢は47歳とされている。この説明は余分だと思う。男のキャラを考えたって、年齢不詳で十分ですよ。あとは読者の想像に委ねればいい……)の家に厄介になることになる。すると、そこには他にも2人の男が寄食していて、いずれも若井同様、石村に拾われたという。で、なんのために石村がこんな旅烏みたいな連中にタダ飯を食わせているかというと、国後島への密航を手助けしてもらうため。そのための金も用意してある。1人あたり100万円。3人に断る理由はない……。

 でね、こんな建て付けの海洋冒険小説のどこが「センチメンタル・ハードボイルド」かというと、石村の動機ですよ。なぜ彼は密航という非常手段を使ってまで国後島に渡ろうとしているのか? それは、戦前、国後島で暮していた石村の過去に関係があるわけだけれど――

「石村さんのお父さんは、クナシリに残ったそうですね」
 若井は、石村がなぜ命の危険を冒してまでクナシリへ密航するのかを知りたくて、話題を変えた。
「その後の消息が、断片みたいなものでも伝わってこない。たぶん、どさくさで殺されたんだろう。生きて強制収容所に入れられたんなら、それなりの消息があったってよかったはずだからな」
「お父さんが、どこでどうなったかを知りたくて、密航するんですか?」
「父親の消息を知りたいのは、子の本能だろう」
「でも、いまのクナシリに行って、お父さんの消息がわかるんですか?」
「そんなことを考えたら、行けると思うか」
 石村は、低い冷静な声で言って、苦笑した。
 そして、左手を古びた皮ジャンの下に突っこむと、ちいさな位牌をとり出した。
「お袋の位牌だ。親父にとっても、お袋にとっても、クナシリは、生まれ故郷だったんだ。このおれにとっても、クナシリは、生まれた土地なんだ」
 石村は、古武士のような頑固さを、横顔にただよわせて、
「北方領土であろうがなかろうが、そんなことは、どうでもいい。おれは、親父やお袋が生まれ、おれが生まれた土地だから行くんだ。ただ、それだけだ。向こうに、日本人はひとりもいないで、いるのはソ連兵や、ソ連人の民間人ばかりだとわかっていても、おれは行く」
 と、続けた。
「そうですか」
「生家の跡に立ってみせる」
「そのあとのことは?」
「なにも考えていない」
 石村は、ちいさな位牌を、懷にしまいながら、首を振りながら、言った。

 もう計画もヘッタクレもあったもんじゃない。ただ、行きたいから、行く。行ってどうするというアテも、ない。それでも行くってのは、ほとんど浪花節の世界ですよ。小野十三郎は前掲書で「浪花節的旋律」という一文も草していますが、この浪花節というのも、戦後、インテリに忌み嫌われてきたもので(なお、ワタシは、最近、ちょっと浪曲に凝っていて、去年だったかな、こんなことも書いたり。この頃からオレの中で何かが変りつつあったということかなあ……)。でね、若井はそんな石村の情にほだされたのか、それとも100万円という報酬で仕事を請け負った責任感からか、断固として石村(若井の呼び方だと「親父」)の側に立つ――ソ連の領海に入る前に石村を殺して金だけを頂こうと内々で決めたあとの2人とは袂を分かって。そして、遂にはソ連の哨戒艇との銃撃戦まで演じるに至る――。彼にそこまでする義務はないんだ。そこまでの仕事は請け負っていないんだから。それでも、やる、「うるせえ、ばかやろー、なに言ってやがんだー! 親父を返せー! てめえらこそ、帰れええ!」と叫びながら……。

 これが、「センチメンタル・ハードボイルド」でなくて、なんだと。あの奇抜なファッションでテレビのバラエティ番組に出まくっていた色物作家が1988年当時、こんなものを書いていた、というのは新鮮な驚きで、今、志茂田景樹のビブリオグラフィ(こちらに詳細なリストが用意されています)とにらめっこしながら、さて、次はどれを読もうかな、と……。※いろいろ読んでみたんだけれど(実は志茂田景樹の小説は国立国会図書館のデジタルコレクションで相当数読める。もちろん「個人向けデジタル化資料送信サービス」限定ではあるけれど。でも、まだ健在の作家の作品がこれだけ読めるというのは驚きで。国立国会図書館では閲覧できる資料の条件を「絶版等の理由で入手困難なもの(著作権者等の申出を受けて、3か月以内に入手困難な状態が解消する蓋然性が高いと当館が認めたものを除く。)」としていますが、だとするとハードボイルドなんてほとんど対象になるのでは? 今、ハードボイルドで、新刊として手に入るものの方が珍しい。これからは、ハードボイルドを読むならば、デジコレ、とか?)、1985年にトクマ・ノベルズから刊行された『極道の河』というのがいいね。まず、タイトルがいい。『○○の河』というタイトルの小説としては福永武彦の『忘却の河』が知られていますが、むしろワタシなんかは1975年にジョニー大倉(朴雲煥)主演で制作された『異邦人の河』という映画が思い浮かぶ。自主製作のマイナーな作品ですが、当時、ジョニー大倉が林美雄のパックインミュージックに呼ばれて映画への思いを熱く語っていたことは今でもハッキリと覚えている。もっとも、ハッキリったって、何を言っていたかなんてとんと。ジョニー大倉はこの映画で在日韓国人二世であることをカミングアウトしたわけだから、相当の思いがあったことは間違いないんだけれど。覚えていることといえば、番組で紹介したジョニー大倉の曲(多分、「ハイティーン・ガール」)と映画の世界観とのギャップに林美雄がとまどいを示していたことくらいかなあ……。ともあれ、『○○の河』というのはなかなかのスケール感を感じさせるタイトルで、この『極道の河』もタイトルに負けないだけのものはある。言うまでもなくヤクザ小説ではあるのだけれど、ただのヤクザ小説を超えた人間ドラマにまで昇華されていると言っていい。ただ、最後がねえ。遂に本懐を遂げた主人公(小関厚)ではあるけれど――「野次馬が叫んだが、小関には聞こえなかった。/男の意地を貫いた、というニヒルな感慨を秘めた満足感に浸っていた」。オレ、こういうの、苦手なんだ。そりゃ、オレにだってあるさ、そういう「男の美学」的なものは。でも、そんなことは口が裂けたって言うものか、という「意地」がある。どうせ貫くなら、そういう「意地」を貫いて欲しかったなあ……。※なんだ、まだ志茂田景樹なんか読んでんのか、という内なる声には無視で応えつつ……『極道の河』は1991年に『拳銃(チャカ)と報復(かえし)』と改題の上、徳間文庫から文庫化されている。で、その1年前にやはり徳間文庫から刊行された『拳銃(チャカ)と命(タマ)』という小説があって、タイトルに惹かれて読んだところ、他でもない、そのタイトルをめぐっていろいろ考えさせられることがあって。実はこちらも1982年にトクマ・ノベルズから刊行された『孤狼の牙』を改題したものであることが巻末に明記されていたのだ。で、この改題をめぐって一言物申したくなったというか……。基本的にはエディターシップに関することではありますがいささかの所感を某密林のカスタマーレビューに綴りましたので興味のある方はご一読を。