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林英明研究
〜湯豆腐やいのちのはてに読む本は①〜

 ぎみ・あ・せんちめんたる・はーどぼいるど……と魂の雄叫び(?)を上げたのはかれこれ1か月ばかり前のこと。で、どうしても狙いは過去の作品ということにはなる。ワタシが過去の作品に狙いを絞るとなれば、当然のことながら、生島治郎の未読の作品がそのターゲットとなってくるわけだけれど……ちょっとこれはどーなのよ、と。「センチメンタル・ハードボイルド」に当たると言えば当たるし、当たらないと言えば当たらない……、そんななんとも微妙な作品が見つかった。

 その作品とは『国際誘拐』(双葉社)。生島治郎が1970年代から書き継いできた記憶喪失のタフガイ・林英明を主人公とするシリーズの最終作。『小説推理』1995年2月号から12月号まで連載され、1996年3月、双葉社よりハードカバーで刊行された(ちなみに、装丁は亀海昌次。本作と相前後して刊行された上海の私立探偵・林愁介を主人公とする『上海無宿』(中央公論社)&『明日なき者たち』(同)の装丁も亀海昌次。出版社が違うのに装丁者が同じだったのは、多分、生島治郎のご指名だったのだろう。この当時というのはハードボイルドにとって不遇の時代で、装丁も酷かった。これなんてその昔の場末の映画館の看板かよ、というような。だから、生島治郎としても腹に据えかねるところがあったのでは? で、自ら装丁者を指名したと。亀海昌次は1993年には大西巨人著『三位一体の神話』の装丁で講談社出版文化賞のブックデザイン賞を受賞するなど、当代屈指のブックデザイナーだった。多分、この人が一般的に知られるようになったのは藤原新也著『東京漂流』の装丁だと思いますが、フォントの使い方とかは当時から変わっていない。ハッキリと意志を打ち出してくるようなデザイン。その点で、合っていると思うな、生島治郎とは)。生島治郎が亡くなったのは2003年3月なので、作家キャリア最終盤の作品と言っていいわけだけれど、これだけでもセンチメンタルな要素は十分ありとは言えるでしょう(だから目をつけたわけだし)。そして、実際に読んでみると、ワタシの予想通り――というか、予想を超えてエモーショナルなシーンに遭遇することになった。なんと、林英明が、涙を流すのだ。これはまったく予想だにしていなかったことで、生島ハードボイルドで主人公が涙を流すなんて、後にも先にもこの場面が唯一のはず――

 和室の正面に仏壇があった。
 横二メートル縦三メートルほどのかなり大きな仏壇である。仏壇の前に大きな紫色の座布団があり、英人はそこへ座ると中腰になって仏壇を開いた。そうすると、一番手前に写真が置いてあるのが見えた。横十センチ縦二十センチほどの額に入っている。
 英人は仏壇に線香を上げ、鈴を鳴らし拝んでから、その写真を取り上げると、林に渡した。
「それがおまえのお母さんだ」
 林はそれを手に持ち、食い入るようにみつめた。額は白檀でできているらしく、かすかに芳香をただよわせている。写真には三十代らしき女性が十ほどの子供の手をにぎって立っている。
 その子供の面差しが自分に似ていることは林にもわかった。林の十二、三のときの写真に違いない。
 しかし、その子の手をにぎっている女性の顔はどうしても思い出せなかった。背が高くやや肉がつきはじめているものの、いかにも母親らしい雰囲気をただよわせた美人である。二人ともカメラに向かって笑いかけている。いかにも幸せそうな母子像に見えた。
 これは英人に日本人の愛人ができた以前の写真であり、当然、家族は平穏で幸せであったに違いない。
 眉は細く、眼はつぶらで、鼻筋が通り唇が小さい。林とは一見似ていないようだが、二人を見較べてみると、顎の線などはそっくりだった。
(これがおれの母親か)
 と林はさらに食い入るように母の顔をみつめ続けた。なつかしく温かい思いがじわっと胸の奥からあふれてくる。
 だが、それだけで、これが間違いなく自分の母親だという記憶には結びつかなかった。それだけにじれったい思いが募った。
(この母親を、おれは自分の手で殺してしまったんだ)
 そう思うと、自然に涙があふれてきた。

 最後の「この母親を、おれは自分の手で殺してしまったんだ」というのはちょっと説明が必要で、決して林英明が「自分の手で」母を殺したわけではない。彼が引き起こした自動車事故で母を死なせてしまったということであって、その罪の意識からこういう言い方になっているだけ。もし本当に林英明が「自分の手で」母を殺してしまったのなら、話柄として「ハードボイルド」という枠には納まりきらなくなってしまう……。ともあれ、こうして、1970年発表の第1作「ゆきどまり」(『小説サンデー毎日』1970年10月号)以来、「記憶喪失の男」として数々の荒事に身を投じてきた林英明(りん・えいめい)はここで遂に自らの「過去」と向き合うことになったわけですね。ちなみに、母の名前は周玉芳。中国生まれ香港育ちの香港人(民族的には中国人だが、国籍や人種を問わず、香港に永住権を持つ人々のことを「香港人」と呼ぶ。香港では1997年の中国返還後も自らを「香港人」と見なす比率は50%を超え、むしろ上昇する傾向にある。詳しくはウィキペディアの「香港人」参照)。一方、父は日本人で、それが↑にも登場する林英人(はやし・ひでと)。その子である林英明は、だから「りん・えいめい」ではなく「はやし・ひであき」ということになる(ただし、作中では最後まで「りん・えいめい」のまま)。で、1970年の初登場以来、「記憶喪失の男」として数々の荒事に身を投じてきた林英明が遂に自らの「過去」と向き合い、写真を通してではあるけれど母とも対面したわけだから、そりゃあ涙もあふれるさ。それは至って自然な人情の働き……というのは一般社会の話であって、それとは全く異る原理で運営されているのが「ハードボイルド」という仮想現実でして。この世界にあっては主人公が涙を流すというのは、まあ、ない。かつてワタシは島内透のデビュー作『悪との契約』を評して「ソフトボイルド」と書いたことがあるのだけれど(こちらです)、その理由は主人公である北村樟一が1度ならず3度までも「熱い涙」を流すというシーンがあるため。で、いくらなんでも「ハードボイルド」のヒーローが「熱い涙」を流しちゃいかんでしょう。流していいのは、「ソフトボイルド」のヒーローだけ……と、そう書いたわけだけれど、それほど「ハードボイルド」のヒーローと「涙」というのはケミストリーがよくない。ワタシが知る限り、生島ハードボイルドで主人公が涙を流すなんて、後にも先にもこの場面が唯一のはずだし、他の作家の作品でもまずないんじゃないかなあ……? ということで、本作を(「ソフトボイルド」としてではなく。ちなみに、生島治郎の作品だと『犯罪ラブコール のんびり刑事未解決事件簿』の集英社文庫版カバー裏で「ソフト・ボイルド」という用語が使われている。曰く「フィリップ・マーロウやマイク・ハマーとは全く逆のパターンで展開する作者新境地のソフト・ボイルド連作集」。soft-boiledという英単語には「感傷的な、涙もろい」という意味もあるものの、「健全かつ道徳的な」という意味もあって、こちらの意味で捉えれば同作は確かに「ソフト・ボイルド」ということにはなるでしょう)「センチメンタル・ハードボイルド」と見なす必然性は十分にあると思うんだけれど……ただ「センチメンタル・ハードボイルド」を「泣けるハードボイルド」と捉えるならば『国際誘拐』はそれには当たらないかなと。要するに、泣けないんだよ、読んでて。いやね、今年2月に母を亡くしたワタシの立場からすれば↑のシーンなんてもらい泣きしたって全然おかしくはないはず。しかもですね、これにはホントに驚いたんだけれど、林英明は1958年生まれとされているんだ――「おまえは今年でたしか三十八になるはずだ。一九五八年の生まれだからだ」。ということは、ワタシと同い年。え、だったら1970年発表の「ゆきどまり」の時点では12歳ということになるんだけれど……? ま、そんなこともありつつもだ、ワタシと同じ1958年生れのタフガイが亡き母との対面を果たしたんだ。しかも、その写真には「十ほどの子供」が写っているという。そんな写真なら、わが家にもある。こちらの写真も「二人ともカメラに向かって笑いかけている。いかにも幸せそうな母子像に見えた」。こんなさ、ちょっと考えられないような偶然がいくつも重なって、しかもそれを母を亡くした年に読んでいるわけだから、本来ならば滂沱の涙を流したって全然おかしくない。でも、泣けないんだよ。全然、泣けない。それよりも、なぜなんだろう? と。なぜ生島治郎はこんなものを書いたんだろう? と、そのことばかりがアタマを駆けめぐって……。

 実は『国際誘拐』というのはなんとも不思議な小説で、林英明は全く林英明らしく――というか、生島ハードボイルドのヒーローらしくないんだ。それは、亡き母の写真を見て涙を流すという↑のシーンからしてそうなんだけれど(ちなみに↑のシーンは71ページから72ページにかけてなので、まだ小説の序盤ということになる。1970年発表の「ゆきどまり」以来、ずーっと不明とされてきた林英明の過去が遂に明らかになるという重大なシーンであるにもかかわらず、それが小説の終盤ではなく序盤に出てくる、というのも小説巧者の生島治郎らしくないと言えばらしくない)、その後に続く父・林英人との対決シーンもね。生島ハードボイルドの読者ならばある程度想像はつくと思うけれど、この林英人というのが、まあ、強烈な人物で。一言で言えば香港財界の大立者ということになるわけだけれど――「若いときに香港に渡り、繊維業をふり出しにいろんな商売を成功させながら財閥にのし上がった立志伝中の人物だ。今や、香港ばかりでなく中国本土にも工場を持ち、アパレル産業を牛耳っている。同時に、香港、中国、東南アジアの各地にデパートを持っていて、流通の主導権を握ってもいるんだ。もちろん、金融市場にも大きな影響を持ち、彼の動向次第で為替相場が変わるといわれているほどなんだ」。こういうね、ある世界に君臨する「治者」(江藤淳が『成熟と喪失』などで繰り出した概念。といっても、ワタシは『成熟と喪失』を読んでいないんですが……)を生島治郎は他の作品にも繰り返し登場させている。『ブラック・マネー』の柳宗源とか『殺人者は夜明けに来る』の佐竹佑正とか。「兇悪」シリーズの矢部警視だって当てはまるかもしれない。そして、生島ハードボイルドのヒーローはそういう存在を相手に一歩も引かず己の信念を貫き通してきた。それが『傷痕の街』(に登場する井関卓也なんかもここに挙げた「治者」の列伝に加えていいかな)でデビューして以来の一貫したスタイルだった。で、今回も同じ流儀を貫き通す――かと思いきや、そうではないのだ。林英明は林英人と握手するのだ――

 英人はキラッと眼を光らせた。
「泣き言を言っている場合じゃない。少なくとも息子の一人が帰ってきた。それだけでも喜ぶべきだ。そして、わしはおまえを信頼する。ドクとともに全力を尽くしてくれ。今言ったように、どんな結果であろうとかまわん。二十億は捨ててもいいとわしは思っている。わしの知りたいのは伸子と英公の安否と真実だ。頼むぞ英明」
「わかりました」
 林は乾いた口ぶりで言った。
「たしかに仕事は引き受けます。報酬は二十億の一割、二億いただきます。それでよろしいんですね?」
「それでいい」
 と英人は言い、林の方へ右手を差し出した。林はためらわずにその手を握った。父と子であると同時に、相手の才能を認め合った男同士に通い合うある熱さが掌から伝わってきた。

 林英明が母の写真を見て泣いたこともさることながら、この父との和解のシーンには心底驚かされた。これは生島ハードボイルドの重大な変質ではないのかと……。

 で、この後の展開も従来の生島ハードボイルドからは相当に異なるもので、実は本作で描かれる「国際誘拐」とは林英明からすれば義母(伸子)と異母弟(英公)に当たる人物(林英人が設けた〝第二夫人〟とその子。林英明が家を飛び出すことになった原因で、彼が母を失い、自らも記憶を喪失する大事故を引き起こす無謀運転のきっかけににもなった。しかし、こんなふうに要約すると、ほとんど大映ドラマだな。こんなドロドロした話を生島治郎が書いていたというのもなあ……)の誘拐。その救出こそは林英明に課せられたミッションということになるわけだけれど、しかし彼は決して単独(あるいは、「ドク」と名乗る謎の男とのコンビ。ちなみに、本作ではドクの正体も明らかになる。本名は三島守。シリーズ第1作の「ゆきどまり」では「間浩」、第2作の「闇に生きる」では「伊野卓二」と名乗っていたのだけれど、それらはすべてリセットされたということです、はい)では動かない。林英人が香港財界に君臨する大立者であるだけに、香港警察のトップや日本警察の幹部まで動員される。114ページあたりからはこうしたお歴々が顔を揃えた〝捜査会議〟の模様が描かれるのだけれど、その場に臨席した顔ぶれはといえば――香港警察からは国際部長のアレクサンダー・マーチンと国際部特捜課長の胡関仁。日本領事館からは領事の和田直純。ちなみに、この人物は警察庁のキャリア官僚で香港の日本領事館に出向中の身。まだ30代ながら階級は警視正。さらに警視庁からは捜査四課の長谷部健太。階級は警部。こうしたお歴々の中に林英明とドクこと三島守も参加しているという次第で……こんなのね、これまでの生島ハードボイルドにはなかったことですよ。久須見健三も紅真吾も志田司郎も会田健も独立独歩を旨とする自由人。林英明も従来はそうだったと言っていい。しかし本作では父・林英人の指揮下に入って日本の警察や香港の警察とも共同歩調を取る。言うならば彼は権力機構に組み込まれた状態。これを生島ハードボイルドの変質と言わずして何と言う……。

 さらにね、これに加えてもう1つ生島ハードボイルドの変質と指摘しようと思えばできそうなシーンが。それはこんなシーンなんだけれど――

 そこへ美保が朝食を運んできた。
 生卵子、焼き海苔、納豆、アジの開きに白い飯といった典型的な日本の朝食である。
「ありがたいな」
 とドクが両手をこすり合わせた。
「こういう朝飯にありつきたいと思っていたんだ」
「みんな、少しゆとりができたみたいだからね」
 と美保が微笑した。
「たまには、こういうのがいいと思ってさ」
「気が利くね」
 と林も微笑した。
「ほんとに、きみと結婚したいぐらいだよ」
「冗談やめてよ」
 と美保はにべもなく言った。
「あたしは原さん(注:ドクが所属する国際的組織の日本支部長。美保はその原に暴走族から抜ける手助けをしてもらった。それを恩に着て原に尽くしている。というか、惚れている。ちなみに、普段の一人称は「おれ」)のためにつくったんだからね」
「ご挨拶だな」
 林は味噌汁を口にした。玉ネギの入ったその味噌汁はとろっとしてうまかった。

 よもや生島ハードボイルドを読んでいてこんな往年のホームドラマの一場面みたいなシーンに遭遇することになるとは……。

 ということで、とにかく『国際誘拐』というのは永年の生島ハードボイルドの読者にとっては〝チャレンジ〟の連続なんだ。だからね、涙を流しているヒマなんてないんだよ。それよりも、アタマを使わないことには。なぜ生島治郎はこんなものを書いたんだろう? と。で、それに対する答とまで言えるかどうかはわからないんだけれど、1つ確信を持って言えることがあって、それは『国際誘拐』というのは「和解」の物語なんだろう、ということ。実は『国際誘拐』の林英明は戦わない――巨悪とは。彼が戦うのはせいぜいが武闘派暴力団・三和会の組長・三橋誠一とか総会屋の橋田公三(誘拐の実行犯)といったちっぽけな悪党。どちらも巨悪というのとはほど遠い。また、さほどキャラが立っているわけでもない。要するに、『国際誘拐』という物語のメインは彼らとの戦いではないのだ。むしろ『国際誘拐』という物語のメインは「和解」にある――「父」や「組織」や「祖国」(↑の朝食シーンを「日本回帰」の暗喩を含んだものと見なすならば)といったそれまで生島ハードボイルドの主人公が抗ってきたものどもとの。生島ハードボイルドの主人公がある世界に君臨する「治者」(これを「疑似的な父」と評してもいいでしょう)を相手に一歩も引かず己の信念を貫き通してきたということは既に指摘しましたが、とはいえその関係は必ずしも対決ばかりではなかった。ここは『殺人者は夜明けに来る』の佐竹佑正を例に取るならば、志田司郎は正央銀行頭取・佐竹佑正と激しく対立するものの、一方で評価もしている――「個人的な好悪の情は別として、一種、畏敬の念を覚えずにはいられない。尊大で傲慢で、エゴイスティックな性格であり、鼻持ちならない老人ではあるが、どんな場合にも自信を失わず、己れの思うがままにふるまう度胸は大したものだ」。これが生島ハードボイルドの基本フォーマットだったと言ってもいい。矢部警視との関係もそうだし、柳宗源との関係もそう。であるならば、そんな関係が時を経て「和解」に至るというのは確かにありうる筋書きではあるわけだよ。そして、事実、生島治郎は『殺人者は夜明けに来る』から6年後の1995年、『国際誘拐』という「和解」の物語を書いた、ということになる(ちなみに、参考情報として書いておくなら、生島治郎の出世作『追いつめる』に登場する青柳啓明も「疑似的な父」に相当する人物だと思うけれど、その青柳は『殺人者は夜明けに来る』にも登場している。『追いつめる』の時点では兵庫県警の本部長だったが、この時は警察庁で国際的な事件の捜査を担当しているという設定。要するに、本作で描かれているような「国際誘拐」を担当しているわけだね。もしかしたら『国際誘拐』にも出てくるんじゃないかとドキドキしましたが……さすがにそれはありませんでした。しかし、『国際誘拐』の最後では林英明とドクの間では国際的な犯罪に対処した警備会社を立ち上げることが話し合われる。その名はM&Rセキュリティハウス。彼らの眼は青柳と同じ方向を見ている、ということになる)。結局、矢部警視のような、柳宗源のような、佐竹佑正のような、林英人のような、君臨する「治者」=「疑似的な父」、あるいはその2つを合体して「君臨する父性」に対する反発とそれと裏腹な親愛の情が常に生島治郎という人の中にはあった、ということなんだろうと思うんだよ。そして、自分自身がそれらの人物と同年代になった時(生島治郎が『国際誘拐』を書いたのは、彼が62歳の時)、彼らとの「和解」の物語を書いた、というのは、ある意味では生島治郎という人の人間的な誠実さの現れ、なのかも知れない、書きっ放しにしなかったという意味でね。要するに、落とし前をつけた、ということだから。『国際誘拐』という甚だ不出来ではあるけれど(これはハッキリと書いておきましょう。林英明の過去が明らかになるという、本来、クライマックスとなるべきエピソードが物語序盤に描かれるとか、戦うべき巨悪が存在しないとか、エンタメ小説としてのツボをことごとく外していると言っていい。もっとも、そういうものを超越したところでこの作品は書かれている、と言えなくもないわけだけれど……)そういう特別な意味のある作品を作家活動の総仕上げで書いた、というのをとりあえずの「解」として。

 翻って、今、オレの中に「父」や「組織」や「祖国」への敵意はあるか? 「父」はさておき、「組織」や「祖国」にはあるかも知れないなあ。いや、国が提供する公的介護制度の恩恵に与った今となってはそれもないに等しいか。食い物にしたって、最近は湯豆腐が定番で、決まってこの句を口遊む――「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」(久保田万太郎)。生島治郎が『国際誘拐』を書いた地点にどうやらオレもたどりついたということか……。