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そしておれはさかなクンになった

 昨日、アップした「虎よ、虎よ!」で今年は打ち止めにするつもりだったのだけれど、夜、Eテレの「ギョギョッとサカナ★スター」を見たら、今回の「サカナ★スター」はネコザメではないか! これにはオドロイタ。というのも、大上哲夫(と言っても、知っている人は皆無でしょうが、そういう作家がいたのだ、昭和の初めに。『有合亭ストーリーズ』の登場人物の一人)が書いた「榮螺割の仁太」という小説があって、こっちを今年最後のネタにする選択肢もあったのだ。しかし、おれは岩佐虎一郎の「地獄の蓮」を選択し(これは間違いではなかったと思う)、これで一区切り……と思っていた、その日の夜にネコザメに遭遇したんだよ。「ギョギョッとサカナ★スター」を見た人はおわかりだと思うけど、小説のタイトルに言う「榮螺割」とはネコザメのことで、これについては小説でもこう説明されている――「榮螺割といふのは、榮螺をも噛み破るといふところから出た猫鮫の異名で、仁太郞はその綽名どほりに、金のある間は比較的溫和しく寢轉んでゐるが、金が盡きると、獰猛な眼をらん/\と光らせて、村の誰彼に喧嘩を吹つかける、畑を荒す、他人の家へ醉つ拂つて暴れ込む、婦女子を脅かす、全く手に負へないごろつきで、村の者すべてが彼の被害者だつた」。もっとも、番組で紹介されたネコザメはそんな感じではなかった。ネコザメという名前も顔の輪郭がネコに似ていることが由来とかで(さかなクン情報)、小説に言うところの「猫鮫に似た獰猛な顏」はいささか誤解を招く表現か? ただ、ネコザメがサザエを殻ごと噛み砕いてしまうほどの破壊力の持ち主であることは番組でも紹介されていて、「榮螺割の仁太」という二つ名もその一点で容認可能か?

 そんな「榮螺割の仁太」なんだけどね、多分、現存する日本人の中で(!)読んだものはおれ以外にはいないのでは? というのも、この小説、北陸日日新聞の昭和9年7月29日号と8月5日号に分載されたっきりで、以来、いかなる書物にも掲載されたことがない(大上哲夫の唯一の著書である『第二の城』にも収録されていない)。おれは『有合亭ストーリーズ』の取材のために県立図書館の新聞雑誌閲覧室で北日本新聞(北陸日日新聞はその前身の1つ)のデジタルアーカイヴを閲覧していてたまたま発見したんだけれど、大上哲夫という作家を知っている人が皆無と考えられる状況で、仮におれと同じようにデジタルアーカイヴでこの小説を発見した人がいたとしても、それをコピーして持ち帰り、家でじっくりと読み込む――なんて物好きはまずいないって。おれくらいだよ、こんなことをするのは。だから、現存する日本人の中で読んだものはおれ以外にはいないというのは、ほぼほぼ間違いないと思う。で、昨日、「ギョギョッとサカナ★スター」を見ながら、いろいろ考えたんだけれど、ここはおれがさかなクンの役割を果たしてネコザメ――ならぬ「榮螺割の仁太」を世間にお披露目すべきではないかと。それに値する小説だとは思うので。そもそも大上哲夫というのはなかなかの作家なんだよ。昭和4年に大日本雄辯會講談社発行の『富士』の懸賞小説に当選した「赤兒を抱いた盜賊」で文壇デビューを果たしたという輝かしい(?)キャリアの持ち主で、昭和8年には同じ大日本雄辯會講談社発行の『キング』の懸賞小説に今度は「獵奇船の祕密」が当選。賞金は、なんと1000円とか。だから、もうね、前途洋々だったんだよ。ただ、なんて言うんだろう、自分の世界が定まっていないというのかな。「獵奇船の祕密」は、そのタイトルから想像される通りの怪奇探偵小説で、おれが読んだ限りでは、さして出来がいいとも思えない。まあ、ありきたりの怪奇探偵小説。それでも当選したっていうのは、当時、いかにその手のものが受けていたか、という証ではあるだろう。で、天下の『キング』(なにしろ、当時、最大の発行部数を誇った文字通り雑誌界の〝キング〟だった)の懸賞小説に一等入選を果たすという人も羨むような成果を上げた大上哲夫ではあるけれど、結局、怪奇探偵小説の分野では一家を成すことはできなかった。決して才能がなかったからではない。それは「榮螺割の仁太」を読めば明らかで、単に怪奇探偵小説には向いていなかっただけだろう。そのことを本人がいつ自覚したかはわからないし、自分が書くべきは「榮螺割の仁太」や『有合亭ストーリーズ』でも紹介した「廢坑」(こちらは『第二の城』に収録されている)のような作品である――と自覚するに至っていたかどうかも不明。もしかしたら、至っていなかったのかも。だって、彼は「第二の城」に懸けていたらしいので(同作は報知新聞社が募集した映画の原作小説の応募作品とかで、最終候補には残ったものの受賞には至らなかったらしい)。当人が『第二の城』の前書き「追憶の記」に記すところによれば――「締切日の夜の十二時に原稿を送つてしまふと、氣がゆるんで放心したやうになつた。ペンを見るだけでぞつとする。極端な神經衰弱になるかとわれながら心配したが、それほどのこともなく、一冬去つて春が來た」。しかし、それほど入れ込んで書き上げた作品があえなく落選。すると、「これは考へ直さなければならないと肚をきめた」。ここで言う「考へ直す」とは、文学に専念することを「考へ直す」ということで、つまりは文学の道を断念するということ。でも、「獵奇船の祕密」とは別の意味で「第二の城」も彼には向いていなかったと思う。こんなさ、都会風の小洒落た小説は。なんで「榮螺割の仁太」や「廢坑」のような作品ではなく、自分に不向きなもので勝負を懸けたりしたんだろう。それが、惜しまれる……。

 ――というようなおれなりの評価も踏まえて、「榮螺割の仁太」をテキスト化し、公開することにした。ただし、一箇所だけ原文に手を入れさせてもらうことにした。大上哲夫は昭和37年(1962年)に亡くなっているので、当時の著作権法に基づき、平成24年(2012年)に著作権保護期間が満了となっている。で、著作権保護期間が満了となってパブリックドメインとなった作品は誰でも自由に改変していいんだよ。この旧著作権法が与えてくれた「自由」を行使し、「榮螺割の仁太」をより良い作品にするための〝改作〟は大上哲夫も認めてくれると思うな。

 ということで、まずは読んでもらおう。どこをどう改変したかについては、読んでもらった上で。

◉榮螺割の仁太◉

大上哲夫 原作
オカムラ・トシユキ 改作

(一)

「明日の朝、船が入港るぞう!」
 陽がかなり西に傾いて、百舌のさへづりが一しほ冴え渡る頃、村の誰かゞ軒から軒へ大きな聲で觸れ步いてゐたが、やがて、境山の麓の、小髙い丘の上にある要作の荒ら屋へ、聲の主である村の世話人格の松次郞老人が、乾し固めたやうな裸の上へ、皺だらけの仕事着をひつかけて、によつきり姿をあらはした。
「要作どん、家か?」
 松次郞老人が無遠慮に薄暗い土間へ片足を突つ込むと、その途端に、ばさツと音をたてゝ何か黑い物が眼の前へ飛び出して來た。
「あツ!」
 老人が驚愕して飛びのいた後へにや/\笑ひながらのつそり突つ立つたのは、要作の倅の勘太だつた。
「ばか! ひとをおどかしやがつて!」
 老人は腹立ちまぎれに怒鳴りつけて、勘太の顏を睨み据ゑたが、生れつき低能の勘太は、相變らずにた/\笑つてゐるばかりで、松次郞老人の睨みも、一向に利き目がなかつた。
「親爺は何處だ?」
「彼方だ!」
 勘太は緣側の方を指さすと、そのまゝすたすたと丘を降りて行つてしまつた。
「仕樣のねえ野郞だ、適齡にもなつてゐやがつて」
 老人は呟きながら、家の橫から勝手知つた裏庭へ廻つて行つた。
「要作どん、船が入港るのは明日の朝だぞ」
「あゝ、ご苦勞さま」
 陽當りのいゝ緣側に坐つて網の破れを繕つてゐる要作は、張り合ひのなささうな返事をして、皺の深い面をあげた。
「だが、俺の家ぢやこの船で誰も歸つて來る者がねえでのう」
 一人前に若衆交りもできない勘太の低能を嘆くやうにいつて、要作は再び網の破れに眼を落とした。松次郞老人は、それにつまされてちよつと暗い顏をしたが、
「さうだがよ、船が無事に入港りや村中の喜びぢやねえか」
 と慰め顏にいつた。
「それにそれ、お前が何日か俺に話したおつぎ坊の婿どんが歸つて來るからさ、まんざら緣のねえことでもねえと思つて報らせに遣つて來たんだ」
 松次郞老人にいはれるまでもなく、漁船が歸るとなれば、要作の期待するものは、たつた一つ、陽にやけた秋夫の無事な姿だつた。
「おつぎ坊は如何した?」
「畑だよ」
「ふうむ、娘つ子でもおつぎ坊は男に負けん働き者だのう」
 松次郞老人は緣先に腰を下ろすと、手を伸ばして、要作の煙草入を取上げた。
 庭の垣根に沿つて、細かな蕾を無數につけた二、三本の菊が西陽に照らされて侘しく立ち、群に離れた牝鷄が一羽、せはしなくその根本を掘り返してゐた。
「船がはいりや賑やかになつていいが、例の仁太の野郞がまた暴れ廻ると思ふと、あんまりいゝ氣持がしねえな」
 仁太といふ名前を聞くと、要作はぎよツとして、網から手を離した。
 仁太郞が歸つて來る!
 それは要作のみではなく、村全體の戰慄だつた。彼の岩で組んだやうな體格と、その徹底した亂暴ぶりは、樫江村の恐怖といつても決して誇張ではなかつた。仁太郞は三十になつてもまだ身の固まらない獨身者で、出稼ぎから戾つて來れば、その金で、次の出稼ぎ期まで酒を呑んでのらくら遊び廻つてゐる無賴漢。誰呼ぶともなく榮螺割の仁太といふ綽名がついてゐた。榮螺割といふのは、榮螺をも噛み破るといふところから出た猫鮫の異名で、仁太郞はその綽名どほりに、金のある間は比較的溫和しく寢轉んでゐるが、金が盡きると、獰猛な眼をらん/\と光らせて、村の誰彼に喧嘩を吹つかける、畑を荒す、他人の家へ醉つ拂つて暴れ込む、婦女子を脅かす、全く手に負へないごろつきで、村の者すべてが彼の被害者だつた。
 畑を荒してゐる彼を追い拂はうとして家の中へ蛇を投げ込まれた者もあれば、酒を强請られて應じなかつたばかりに、大切な商賣道具の網を滅茶苦茶に破られた獵師もあつた。
 去年の春、村の居酒屋で暴れてゐる彼を取押へようとして、隣村から驅けつけてきた駐在巡査は、彼のために制帽を踏みにぢられ、サーベルを飴のやうにヘシまげられて、たうとう砂の上に投げつけられてしまつた。
 その時仁太郞は一月餘りも警察へ引つ張られた。そして、最後に酒の上だからといふので、詫狀を入れて、村の者に退げ渡されたのである。
 その當時しばらくは、さすがのさゞえ割の仁太も、すつかり悄氣返つて、外出もせずに謹愼してゐたが、次の出稼ぎから戾つて來ると、またしても以前に輪をかけた無賴振りを發揮しはじめた。
「この仁太郞さまにや、駐在所の旦那だつて一目も二目も置いてゐるんだぞ!」
 彼はそんな暴言を吐き散らして傍若無人に村中を押し步いた。
「あんな野郞はうんととツちめてくれにや、癖になつていけねえ」
 といふ老人もあつたが、誰も後の祟りを怖れて手を出さうとする者はなかつた。それをいゝことに仁太郞は、益々榮螺割の本性を露骨にあらはして、のざばりたいだけのさばりまはつた。
「今度何か惡戲しやがつたら、村中總出で海ん中へ叩き込んでしまふだな」
 松次郞老人は苦々し氣に顏をしかめて緣先から腰を起した。要作はしかしそれに應へやうともせずぢつと頸をうなだれて考へ込んでゐた。半歲前のこと、要作は榮螺割の仁太郞から一つの難題を持込まれた。
 餘りばか/\しくて話しにならない筋のものだつたが、退つ引きならぬ彼の膝詰談判をうるさく思つた要作は
「まあその返事は秋まで待つて貰ふだな」
 と一時逃れに體よく彼を突き放した。
「ぢや秋まで待つが、否か應か、それまでに確り肚を決めて置いてくれ!」
 仁太郞は、腕づくでも厭とはいはさぬといつた調子で念を押して猫鮫に似た獰猛な顏に滿足の色をうかべて歸つて行つたが、いまとなつては何故あの時にはつきり斷つてしまはなかつたかと、要作には後悔されるのだつた。
 執念深い仁太のことだ。船が入港りや直ぐにも押しかけて來るに違えね――
 要作は溜息を洩らして、顏の皺に、深い當惑の色を刻んだ。

(二)

 澄切つた空に鰯雲が飛白縞のやうに浮かんで、山峽の稻が黃金色の穗を重く垂れる頃になると、この附近の村々は、俄に、凋落の秋にそむいて生々と活氣づいて來るのである。
 それは、田植を濟ませて遠く北海道、千島方面へ出稼ぎに行つた獵師たちが、待ちこがれてゐる家族の許へ、豐漁を祝ふ元氣な船唄に海鳥の群を驚かせながら、意氣揚々と歸つて來るからで、半農半漁の村々は、それらの人々を迎へると共に、海と陸との收穫を一時に得て、少時の間は、お祭のやうな騷ぎがつゞくのだつた。
 中でも樫江村は、六十人近い關係者を迎へるので、村は、宵闇の中に、急に電燈が輝き出したやうな明るさに返るのだつた。
 山と海との間に、十數ケ村かの部落が細長く、途切れ/\につゞいて、その一番行詰りになつた處が、戸數五十餘りの樫江村である。
 板と藁で貧しく覆はれた村の人家と船小屋をかばつて、抹香鯨の頭のやうに海の中に屹立してゐる境山は、自然の郡境になつてゐるところから、さうした俗稱で呼ばれてゐるもので、その中腹には獵師たちが海の幸を祈る金比羅さまの社が、鬱蒼たる杉の森に圍まれて神祕そのものゝやうに、碧の海に深い影を映してゐた。
 出稼ぎの獵師たちが歸鄕して、村には半歲ぶりで溌剌とした男性の聲が渦卷、賑やかな日が幾日もつゞいた。そして、收穫がをはると、豐漁、豐作を祝ひ、海仕事の無難を祈る吉例の秋祭が、どの村でも擧つて盛大に行はれた。樫江村の祭禮は中でも一番日が遲れてゐたが、氏神が獵師たちの守護神である金毘羅さまだけに、人出の多いことは、どの村にも負けなかつた。
 境山の中腹にある金比羅さまの境内は、附近の村々から集つて來る參詣人で殆ど埋めつくされ、祝ひ酒に威勢をつけた村の靑年たちは、潮で鍛へた逞しい身體で、夜の更けるのも知らず踊り狂つた。
 おつぎと勘太が秋夫に誘はれて境山へ出かけて行つた後、要作はたゞ獨りゐろりの緣に殘つて、潮風の間に間に流れて來る懷しい太鼓の音を聞きながら、僅かばかり傾けたお神酒に快よく陶醉してゐた。
 來年の春にや、是非とも隣家の秋夫さんをおつぎの婿に貰つて、俺のやうな老人は、海の仕事も畑の仕事も、ほんの小遣い取りの心算で、邪魔にならねえ程度に働かして貰ふだな――
 要作の樂しい空想は、明るい榾の火の中に、果しもなく燃えひろがつた。
 俺もいままで、低能の勘太とおつぎを抱へて甚い苦勞をして來たゞが、來年あたりからは、鳥渡ばかり樂になれさうだ。女房のお島が死んでから十年。一昔だからなあ。もうそろそろ芽が出てもいゝ頃だらうよ――
 彼の空想を掻き亂すやうにほたの火が一時に灰の上を這つたと思ふと、音もなく開いた戸口の薄闇に、大きな影法師が、默りこくつて、のそりと突ツ立つた。
「誰だ? 勘太か?」
 要作は煙管を下に置いて、入口の人影にこゑをかけた。
「爺つあ、俺だよ、仁太郞よ」
 あ、仁太の野郞だ!
 要作がどきりとして、思はず居ずまひを直さうとすると、
「爺つあ、さう四角ばるもんぢやねえ!」
 仁太は家の中をじろ/\見廻しながら、みしりと上り框の板を鳴らして、ゐろりの緣へ上つて來た。
「おつぎ坊はゐねえのか?」
「あゝ、た、誰もゐねえよ」
「さうか、そいつあ都合がいゝや。こんな話つてもなあ本人がゐると具合が惡いもんだ」
 榮螺割の仁太は、薄氣味惡い微笑に唇を歪めた。
 船が入港つてから一ケ月餘り。要作はその間一度も仁太の顏を見かけなかつたので、やつぱり例の話は仁太の酒に醉つ拂つた上の惡ふざけだつたのかと、いまではすつかり安心し切つてゐたのだつた。それだけに、仁太の突然の訪れは要作に取つて意外でもあり、言ひ知れぬ恐怖でもあつた。
「早速だが父つあ、例の話のケリを聞きに來たんだ。もうちつと早く來るつもりだつたんだが、まさかお前さんだつて惡い返事はしやすまいと思つて、いまゝでわざと遠慮してゐたんだ」
「そ、それがさ」
 要作は酒の醉ひも一時にさめはてゝ、思ふやうに口も利けなかつた。
「それが如何したんだ?」
 仁太は早くも眉をよせて、鋭い眼つきで要作の顏色を窺つた。
「俺もあれからいろ/\と考へて見たのだが――」
 要作はやつとの思ひで口を開いた。
「お前さんはお前さんで一家を樹てにやならなえし、俺の家や、知つての通り倅の勘太は幾つになつてもあんな役立たずだ。だから、やつぱりおつぎに後をたてゝ貰ふよりほかに仕方がねえんだ」
「そんなことあはなから判つてゐるぢやねえか! だから俺はそこを考へて、お前ん家の婿になつてもいゝとあの時いつたんだ。俺の家なんざあ潰したつて構やしねえ」
「そんな無茶なことをいつたつて仕樣がねえよ」
「なあに、無茶もくそもあるもんか! 父つあの方ぢや、俺が婿にさへなれや文句はねえんだらう?」
 仁太郞は疊みかけていつて、ぎろりと眼を光らせた。熟柿のやうな匂ひが、ぷんと要作の鼻を打つた。
「それに、おつぎの奴が――」
「ふん、おつぎ坊が如何したつて?」
「この緣談に氣がのらねえ樣子なんだ」
「なあんだ、そんなことか! 娘つ子つて者あ、はじめは大抵そんな顏をしてるもんだ。そこをうまく承知させるのが父つあの伎倆ぢやねえか」
 それからそれへとからみついて來る仁太の執拗さに、要作は、たうとういひ逃れる術もなく默り込んでしまつたが、しかし、いつまでもこんな大きな問題に煮えきらない態度を取つてゐたのでは、終ひには、どんな拔きさしならぬ破目に落込んでしまふかもしれないと思つたので、要作は、思ひ切つて最後の切札を仁太郞の前に投げ出した。
「仁太郞どん、お前さんにや濟まねえが、この緣談は、さつぱりと諦めてくんろ」
「な、何? 諦めろと?」
 仁太は、かツとなつて、そばにあつた鐵甁を握りつぶさんばかりに掴みよせた。
「父つあ、お前は俺をからかつてゐるんだな! なぜ諦めにやならねえんだ? 理由を聞かう!」
「この俺にも、あん時にやおつぎの氣持がわからなかつたんだ。だが、おつぎはどうやら隣の秋夫さんを想つてゐるらしい。それに、秋夫さんも、まんざらぢやねえやうだ。親として見りや仁太郞どん、出來るだけ娘の身になつて遣りてえのが當然だし、なんぼ我娘でもこいつだけや親風を吹かせるわけにや行かねえ」
「ぢや何か、秋夫の野郞がおつぎ坊に惚れてるから駄目だつてんだな! あの若造、太え奴だ!」
 仁太は猫鮫のやうな顏に忿怒の炎を燃えたゝせて、すつくと要作の前に立上つた。
「父つあ、ぢや秋夫の野郞さへ手を引きやお前に異存はねえ譯だな! おつぎ坊に惚れてる事あ、この俺だつて同じこつたぞ!」
「そ、そんな無茶なこと言はねえで! 仁太郞どん、お前さんだつて男ぢやねえか」
 要作は、うろ/\して、仁太郞の足許へ縋りついた。
「我慢のならねえ處だらうが、何もお前さんにおつぎを嫁に遣るといつた譯ぢやなし、男らしく諦めて吳れ」
「莫迦吐かせ! 男だからこそのめ/\と引退がるわけにや行かねえんだ。お前の肚はよくわかつた。この後は秋夫の野郞と相談づくだ! 野郞厭だなんて吐しやがつたらそん時こそ仁太樣の恐ろしさを性根の中まで叩き込んでやるんだ」
 榮螺割の仁太は、面倒臭さうに要作を突き退けると、風を捲いて颯と戸外へ飛び出した。

(三)

 星の光が冷たく冴えて、潮風が火照つた身體に水のやうに澄み渡ると、祭の夜に我を忘れて踊つてゐた人々も、漸く夜の更けたことに氣づいて、次第に踊りの輪から脫けて行く者が多くなつて來た。
 おつぎは、雜踏の中で見失つた兄の勘太を搜しながら、秋夫と肩を並べて、境山のだらだら道を麓の方へ降りて行つた。
 人數が減つて、やけに大きくなつた踊りの唄聲が、二人の步いて行く後に波のやうに搖れてゐた。
「まだ踊つてゐるんだねえ」
 何か話しかけずにはゐられないほど、金毘羅さまの境内とは甚くかけ離れた寂しさが、四邊の闇に深沈とひろがつて、時々、前後を行く人々の話し聲が、夢の中から聞えて來るやうに、二人の耳に傳はつて來た。
「踊り明す人だつてあるんだからまだ宵のうちだよ」
 秋夫は、おつぎの橫から應へた。
 彼のがつしりした體格と、生れつきの眞面目さは、他の靑年の放縱な生活を見てゐるだけに、おつぎには何よりも賴もしく感じられた。二人は、幼馴染をそのまゝにいまでは互に樂しい將來を語り合ふほどに打ちとけた間柄だつた。
 おつぎは、束ね髮に仕事着も甲斐々々しく似合つたし、今宵のやうに、日本髮を結つて袖の長い晴衣を着けると、町の娘よりも、はるかに美しく、初々しかつた。
「そつちの方へ寄つて行かなくちや。こつちは石ころだらけで危いよ」
 秋夫は彼女をかばふやうにして杉並木の間を步いてゐた。と、いまから踊り場へ行かうとするのか誰かの荒々しい足音が忙しく道をきざんで來るのが聞こえて來たが、やがて二人の眼の前へ大きな男の影があらはれた。
「秋夫ぢやねえか?」
 その男は、二人をやり過ごしてから、あはてて息切れのした聲をあびせた。
「誰だい?」
「やつぱりさうか!」
 男は、つかつかと二人のそばへ寄つて來ると、いきなりおつぎの肩に手をかけた。
「俺だ、仁太郞だ!」
 おつぎの髮から、かすかな音をたてゝ、花簪が地べたに落ちた。
「秋夫! てめえ、おつぎ坊を諦めろ!」
 仁太は、おつぎをかばはうとする秋夫の胸を大きな拳でつきとばした。
「何をするんだ!」
 秋夫は、かつとなつて、仁太郞の前へ迫つた。
「何もくそもあるもんか! おつぎは俺の女房だぞ!」
 仁太は立すくんでゐるおつぎの手を取つて、秋夫を尻目に步き出さうとした。
「亂暴はするな! ばか!」
 秋夫がその前に立ふさがつて、仁太の胸ぐらを取らうとすると、仁太はいきなり下駄をふるつて、秋夫の頭部へ打下ろした。
「あツ!」
 秋夫は、眉間を割られて、よろ/\と道端へ崩れかゝつた。
「秋夫さん! しつかりして!」
 おろ/\して秋夫をたすけ起さうとするおつぎの手を、仁太はぐツと逆にねぢあげた。
「おつぎ坊! だまつてついて來るんだ!」
 しかし、その言葉の終らぬうちに、仁太は、わツと叫んで、丸太のやうに、仰向けにひツくり返つた。いつの間に忍び寄つて來たのか、低能の勘太が、力まかせに彼の兩脚を掻ツ攫つたのだ。
 勘太と仁太郞の間に、忽ちはげしいあらそひがはじまつた。二人は獸のやうにほえながら、砂煙をたてゝ坂道の上をころがつた。秋夫は、勘太の咽喉を締めやうとする仁太郞のうしろから拳をふるつて組みついた。
「何だ? 何だ?」
「喧嘩だぞ!」
 おどりの戾りらしい靑年の一團が、がや/\とわめきながら、坂の上から駈けおりて來た。
「誰だ?」
「あつ、仁太だ!」
「何? 仁太だ?」
 平常から仁太の橫暴ぶりに義憤を感じてゐた靑年たちは、勘太と秋夫を相手に、齒をむき出して鬪つてゐる仁太郞の姿をそこに見出すと、理由もなくむら/\と憤怒の念をもえたゝせた。
「仁太の野郞、絞てしまへ!」
「やつゝけろ!」
「袋叩きにして海の中へほふり込め!」
 靑年たちは口々に仁太郞をのゝしつた。そこへ一足おくれて七、八人づれの若い衆が通りかゝると靑年たちは、群集心理と祝ひ酒の餘勢にあふられて、もはや仁太郞を罵倒してゐるだけでは物足りなくなつた。
「畜生!」
 一人が、勘太を投げとばして秋夫につかみかゝらうとする仁太に眼つぶしの砂を投げつけるとそれを機會に、靑年たちは、一時にわツと喚聲をあげて喧嘩の中へ雪崩こんだ。
「仁太をやつゝけろ!」
「水雜炊だ!」
 仁太は鐵拳の雨をあびて悲鳴をあげた。
 群集は次第に數を增して、一旦麓の丘まで逃げのびた仁太郞をさがしだすと、寄つてたかつて散々に彼をふみにぢつた。
「鱶も鮫もあるもんか、ふんしばつてしまへ」
「海のなかへ叩き込め!」
「海の中ぢや榮螺割が生き返るぞう!」
 皆は聲をあはせてどつとわらつた。平素の鬱憤はらしに、熱狂した人々は、地團駄ふんであばれまはる仁太を荒繩でぐる/\まきにしばりあげて、わつしよ/\と懸け聲をあげながら、濱邊をめがけて、神輿のやうにかつぎだした。
「仁太をボロ船に乘せろ!」
「島流し! 島流し!」
 忽ち仁太郞の家の船小屋から、なかば朽ちかけた一艘の小船が波打際へ引きずりだされた。
「おい、死にやしねえか?」
 と誰かゞ心配さうに口をだした。
「こんな野郞が死んだつて鴉も啼きやしねえや!」
「みんな、明日はもう一度赤飯炊くべえ!」
 多勢の力で、海の中へ突き出された仁太の船は、白い波頭を船舷に噛んで、右に左にゆれながら、干き潮に乘つて次第に陸地から遠ざかつていつた。
 遣り過ぎたかな――と闇の中へ吸込まれてゆく仁太の船を見おくりながら、人々は一樣に後悔に似た氣持をいだいたが、日頃から仁太の無賴ぶりを憎んでゐるだけにいまさら村全體の意思にそむいてまで彼を救ひだそうとするものは一人もなかつた。
「船のなかにころがつて幾日でもゆつくり考へたがいゝや!」
 群集のなかの一人がいふと、それを最後に、人々は先を爭つて濱邊から踵を返した。

(四)

 それからどれだけの時間が經つたか判らない。仁太郞は、ふと眼を開けた。身體中の節々が、めりめりと音をたてさうに痛い。
 眼に映るものは、狹く、長方形に區切られた薄墨色の雲の流れと、時折、それを橫切つて行く鷗の影ばかりだ。
「俺はいま何處にゐるんだ?」
 彼は跳起きやうとして、うむ! と唸つた。
 身體が棒のやうに突つ張つて、急にぐッと肉を噛むものがあつた。
 俺は縛られてゐる! そして、轉がつてゐるのは船の中だ!
 仁太はものうい頭腦で、熱心に記憶の斷片を綴り合はせた。すると、境山での出來事が、フイルムのやうに腦裏に甦つてきた。
「畜生! 俺を殺す氣だな!」
 海は荒天てゐるらしく、船は飛沫を浴びて上下左右に烈しく踊つた。仁太は、そのたびに潮水の霧を吸つて、冷たい船底にごろ/\と轉がつた。
「勝手にしやがれ!」
 と、觀念の眼を閉ぢて、怒鳴つたが、われながら情ない聲だつた。
 腹が空いてゐる。
 あれからどれだけの時間が經つたらう?
 空の色を見ると午後らしいが、そんなことよりも、雲のたゞならぬ動きが、急迫したあらしを想はせて、覺悟しながらも、仁太には無氣味だつた。
 鬪爭心の燃え盡したさゞえ割はくらげのやうに意氣地がなかつた。
 ぽつん! と大粒の雨が硬ばつた仁太の頬邊を叩いた。と思う間もなく、ざあツと海面を鳴らして棒のやうな雨脚が落ちはじめた。
 風も强くなつた。大して遠くへは流されてゐないと思つたが、あたりに漁船のゐる氣配もないので强情我慢の仁太も、流石に心細くなつてきた。
 何もこんなひどい目にあはせなくたつて、いゝぢやねえか!
 水煙は見る/\仁太の全身を紙片のやうにぬらして、橫向きになつた顏を、雨の雫が、息づまるほどうるさく這ひまわつた。
「駄目だ! おれあこゝで死ぬんだ! あの野郞ども、俺をこんな目にあはせて、まだたすけにも來やがらねえ!」
 仁太がうめいた途端、船は、橫ざまにおそひかゝつた浪のうねりを喰つて、あツと思ふほど右に傾いた。と同時に、とん! と音がして仁太の體は勢ひよく反對側へはね飛ばされた。
 岩だ!
 ひやりとした仁太の眼に、そのとき、ぬつと一つの影が逆樣におほひかゝつた。
 人間だ!
 低能の勘太だ!
 仁太は夢中で足をばた/\動かした。
 一度顏を引込めた勘太は、次のうねりのくる前に、早くも二艘の船をロツプで結はへて、ひらりと仁太郞の船に飛びのつてゐた。
「おめえが惡いんだよ!」
 勘太は、にた/\笑ひながら、持つたナイフで、ごし/\と荒繩を斷ち切つた。
 仁太は、顏をゆがめて、やつとの思ひで半身をおこした。
「誰がたすけろツていつたんだ? まさか手めえ一人の料間ぢやあるめえ?」
「おつぎだよ!」
 勘太は、たつた一言いひすてると、波間を見て、再び自分の船に飛び移つた。と思ふと、もう兩の腕に隆々と盛あがつた力瘤を見せてたくみに櫓を切りはじめた。
 仁太郞の船はロツプに曳かれてのろ/\とその後につゞいた。
 陸地は何方か、雲と雨に遮られて、仁太郞には見當がつかなかつたが、勘太は、自信ありげに、これも、頭からずぶ濡れになりながら、ぎいツ、ぎいツと兩腕を軋らせて一直線に船をすゝめた。
「後の祟りが恐ろしくて、たうとう我を折りやがつた! ざまあ見やがれ!」
 仁太は太々しく呟いたが、最も自分に深い敵意を持つてゐる筈のおつぎが、勘太に命じて、この嵐の中に船を出させたことは、どう考へても不可解だつた。
 やつぱり俺が怖ろしいからか?
 仁太は滿足の微笑を洩らしかけたが、しかし、おつぎにだけは、自分を、それほど恐ろしい人間と思はせたくなかつた。
 彼にも男としての感情はあるのだ。たゞ、若い時分からの放縱な生活が彼にその表現の仕方を誤らせたに過ぎない。
 酒呑みの父親と、繼母の間に育つて、まだ骨の固まらない少年時代に、荒つぽい蟹工船の中へ抛り込まれた仁太郞は、人情の溫かさも識らず、いまゝで、眼に映る總ての人間を自分の敵と誤信して、追ひつめられた瘦せ犬のやうに、牙をむき通して來たのだつた。
「勘太! 喧嘩したのは何時だつたかな?」
 仁太郞は、よろめく足を踏みしめて、舳の方へ近寄つた。
「昨夜だよ!」
 勘太は、艫に立つて、突つ跳るやうにこたへた。
「おつぎ坊は憤つてたか?」
「どうだか。憤つてやしねえだらう」
「お前よく俺の船を發見けたな」
「降つてやしなかつたから、直きに判つたぞ! 腹空つてたら、飯やらうか?」
「飯?」
 仁太は生唾を呑んで
「お前、飯持つてゐるのか?」
「あゝ、おつぎがくれた握り飯だぞ」
 勘太は、にやりと笑つて、櫓の手を休めた。
 雫の垂れる風呂敷包みが、仁太郞の手に渡された。
「なんだ、水浸しぢやねえか」
「いやけりや、止せよ!」
 仁太郞は、あはてゝ、風呂敷の結び目を解きにかゝつた。
 その時、雨に煙つた境山の突端が、墨繪のやうにぼんやりと行途にあらはれた。

(五)

「榮螺割の仁太を救けたなあ、あの低能の勘太だとよ」
 舊曆のお正月を迎へて、暇潰しに圍爐裏ばたを圍んだ人々は、冬の夜の退屈凌ぎに、格好の話題を發見け出した。
「仁太にお慈悲をかけるやうな奴あ、この村に一人もあるめえと思つてたら、勘太の仕業か」
「馬鹿つて何處までも氣の知れねえもんだなあ。仁太の奴あ妹つ子のおつぎを掻つ攫はうとしたんだぜ。そいつを人先に救け出すなんて話しにならねえや」
「そんなこと言つたつて、あのまゝ放つて置くわけにも行くめえ」
「もうちつと酷くとツちめて遣りやよかつたんだ。海ん中へ一晚ぐらゐつけたつて、大して性根に應へる奴ぢやねえ」
「それでも、この頃めつきり溫和しくなつたぢやねえかよ」
「藥が效いたんだろ。これからもちよく/\遣つゝけてやるべえ」
 仁太は、噂のやうに、近頃はあまり目にあまる亂暴はしなくなつた。しかし、それでも、酒に醉つたときは、いまにも喧嘩を吹つかけさうな物凄い眼つきで村の者を相手構はずにらみつけた。
 お正月過ぎから每日のやうに雪が降りつゞいて、村は睡つたやうに、その下に深々と埋まつた。
「今年や豐作だぞ」
「魚もうんと、とれるべえ」
 村の人々は、新しい希望に眼をかゞやかせて春風の吹くのを、いまか今かと首を長くして待ちかねてゐた。
 三月の終りが近づくと、海のうへにも、どこかに春の暖かさを思はせる柔かな光がたゞよつて、北風のあれる日も次第に間が遠ざかつてきた。
 境山の麓の要作の家では、春とともに、もう一つの喜びが訪れようとしてゐた。おつぎと秋夫の祝言を田植前にすませるために、兩方の家に氣ぜはしい日が續いた。
「おつぎ、もう寢うよ! 明日つて日があるぢやねえか」
 要作は隣の間の寢床から聲をかけた。
 恐ろしく雨風の吹きあれる夜だ。俄に生ぬるい風が吹き出したので、境山から、雪解けの水がさら/\と音をたてゝ麓の丘へ流れ落ちた。
「もう一寸で濟むんだよ」
 おつぎは、晴れ衣の仕上げを急いで、やすむ暇も惜しかつた。
「こんな風が十日もつゞいてくれりや、雪もすつかり消えちまふだらうがのう」
「山あまだ俺らの首きりもあらあ」
 勘太は、おつぎのそばから離れると、境の板戸をしめきつて、寢床の中へもぐり込んだ。
 家の中が、みしみしと搖れた。
「勘太、靜かにしろ。寢るぐらゐにどし/\足を踏ん張つて!」
 要作が、さう言つて頭をもたげた時、どうツ! といふ凄まじい物音が棟の上に捲き起つて柱と鴨居が一時にめりめりツと音をたてゝ軋み合つた。
 三人は、二つの部屋で、同じやうに、夢中で立上つた。
 暖風に曝されて重量を增した大雪塊が、斷切つたやうな境山の地肌を辷り落ちて、傾斜に沿つた麓の雪を、要作の家もろとも海の中へ押出さうとしてゐるのだつた。
「雪崩だ! おつぎ、逃げろ!」
 しかし、三度目の振動で一たまりもなくねぢゆがんだ家は、境の板戸も、出口の戸も、共に弓弦のやうに張り切つて、押しても叩いても、びくとも動かなかつた。電燈の消えた眞つ闇な部屋の中で、三人は、互に名を呼びながら、必死になつて逃れ出よう焦つた。
 裏の物置で、つゞけさまに、ばんばんと竹の彈ける音がした。
 雪崩の響きに夢を破られた村人たちは、床を蹴つて戸外へ走り出た。
「何だ? えれえ音がしたぞ」
「雪崩だ!」
「要作どんの家が潰れたぞう!」
 人々は先を爭つて境山の麓へ駈けつけた。
 要作の家は、崩れ落ちた大雪塊の中に半以上埋まつて、いまにも潰れさうに傾いてゐた。
「皆な逃げて出たか?」
「見ねえぞ! 寢てゐるところを遣られたんだな!」
 足許の雪が波のやうに起伏しながら、じりじりと海の方へ動いて行くので、丘の上へは危險で一步も近づくことができなかつた。人々は自然の暴威に手の下しようもなく、たゞ要作の家を遠卷きにして、口々に叫ぶばかりだつた。
 つゞいて瀧のやうに雪の塊が崩れ落ちると家はめきりと音をたてゝ雪明りの中によろめいた。
「あツ、また搖れたぞ!」
「いまのうちに何んとかしなきや三人とも打つ潰れてしまふぞ!」
 その時、人々の騷ぎを掻き分けて、一つの影が、兎のやうに雪の上へ躍り出た。
 それは、二丁ほど隔てた我家から、急を聞いて駈けつけて來た秋夫だつた。
「秋夫さ! 危ねえぞ!」
「下敷になるな!」
 秋夫は人々の叫びを背後に、腰ぎりもある雪の中を泳ぐやうにして軒下へ飛び込むと、いきなり、入口の戸を足で蹴外さうとした。
 しかし、潮風を防ぐために、外廻りの戸は格別頑丈に造られてある上に、雪崩の重壓を受けて、立付が飴のやうにゆがんでゐるので全身で力まかせに打突けても、何の手應へもなく、徒らに彈き返されるばかりだつた。
「見てゐねえで、誰か手を貸してくれ!」
 秋夫が振り返つて叫ぼうとした時、
「どけツ!」
 と誰かが眼の前で怒鳴つた。其處には、榮螺割の仁太が、敷網の浮標にする大きな杉丸太を抱へて仁王のやうに踏ん張つてゐた。
「どいてろ! 叩き破るぞツ」
 仁太は家の中へ叫んで置いて、杉丸太を二、三度、入口の戸めがけて打降ろした。
 さすがに頑丈な板戸も、めりツめりツと音をたてゝ、その度に新しい裂け目をひろげた。
 仁太郞は、どうにか身體が這入るだけの穴をつくると、丸太を先きに投げ込んで、家の中へ躍り込んだ。その背後から、つゞいて眞つ暗な土間へ足を踏入れた秋夫は足に觸れた棒切を掴み上げて、框へ飛び上つた。
 其處の板戸も苦もなく叩き破られた。
 と、眞つ先に飛び出して來たのは、向ふ側で死物狂ひに板戸を叩きつゞけてゐた低能の勘太だつた。その後から、要作が、よろ/\と轉がり出た。
「おつぎは、おつぎは奧の間だ!」
 要作はそれだけいふと、再び奧の間へ取つて返さうとした。
「ばか! おめえら早く戸外へ出ろ!」
 仁太はそれを押止めると、その時急にぐらりと傾いた家の中へ、丸太をふるつて敢然と突き進んだ。
 おつぎの何か叫んでゐる聲が闇の中で聞こえた。
「いまたすけてやるぞ!」
 秋夫が手を下すまでもなく、仁太は一擊のもとに杉の板戸を打破つた。
「早く逃げろ!」
 秋夫にたすけ出されたおつぎが髮を亂して眞つ先に家の外へ飛び出し、その後から秋夫が雪の中へ走り出た。仁太は一番最後に、元の板戸の破れ目から悠々と半身をあらはした。
 と、その時、雪崩の壓力にたえかねた要作の家は、異樣な物音を隅々に軋らせて大きな身震ひを一つすると、たちまち橫倒れに雪の中へ埋まつてしまつた。
「仁太がやられたぞう」
 人々は、雪のじゆ動〔ママ〕がやむのを待つて、一齊に、見る影もなくつぶれた要作の家へ駈け寄つた。
 救ひ出された仁太は、梁の下に右脚をはさまれて、起き上がる力もなかつた。
「仁太! しつかりしろ!」
「脚をやられたんだなあ」
 人々は仁太のぐるりを取圍んで口々に彼をいたはつた。平素の反感はいつの間にか消えうせて、そこには、身を挺して要作一家を救った仁太に對する尊敬の念が烈々として燃えさかつてゐた。
「脚の一本ぐれえ何でえ! 俺は明日いか釣りに行くんだぞ!」
 强情な仁太は、戸板の上へのせられると、ふんぞり返つて、唸るやうに言つた。

(終り)


 さて、この小説のどこをどう変えたかだけれど、変えたのは最後。ここは大上哲夫の原作とおれの改作を並べて紹介しよう――

 人々は仁太のぐるりを取圍んで口々に彼をいたはつた。平素の反感はいつの間にか消えうせて、そこには、聖なる犧牲者に對する敬虔な同情の念が烈々として燃えさかつてゐた。

 人々は仁太のぐるりを取圍んで口々に彼をいたはつた。平素の反感はいつの間にか消えうせて、そこには、身を挺して要作一家を救った仁太に對する尊敬の念が烈々として燃えさかつてゐた。

 原作の「聖なる犧牲者に對する敬虔な同情の念」を「身を挺して要作一家を救った仁太に對する尊敬の念」に変えたわけだけれど、理由は単純明快。ただ脚を怪我したくらいで「聖なる犧牲者」は大袈裟すぎる。でね、これは全くの想像なんだけれど、もしかしたら初稿では仁太は家の下敷きになって死ぬというストーリーだったのではないか? それならば「聖なる犧牲者」という形容にも合致する。しかし、この「榮螺割の仁太」は北陸日日新聞の日曜版に「日曜特別読物」として掲載されたものなんだよ。で、日曜の朝に読む小説の最後で主人公が死ぬというのはいささか重すぎる、ということで、死なない形に書き換えられたのではないか? ただ、推敲が十分ではなく、「聖なる犧牲者に對する敬虔な同情の念」はそのまま残ってしまった。その結果、ハッピーエンドに相応しからぬ「聖なる犧牲者」という重すぎる一語が、最後の最後で、小説としての出来を(相当程度)棄損してしまっている――というのがおれの評価。だから、あえて旧著作権法が与えてくれた「自由」を行使してまで改変させていただいた次第なのだけれど……さて、どっちがこの小説の結末としては相応しいだろう? どっちが――とは、最後に仁太が家の下敷きになって死ぬバージョン(おそらくは初稿)と助かるバージョン。どっちもありだとは思うけれど、もし掲載されたのがクリスマスシーズンだったら、死ぬバージョンも良かったかも知れないね。死ぬバージョンの場合はキリスト教的世界観にも合致すると思うので。で、現に今がそういうシーズンなので、おれとしても死ぬバージョンに惹かれているのは事実なんだけれど、この快活な助かるバージョンも悪くはない。そうだなあ、書かれたのが昭和9年だったことを思えば……この快活な助かるバージョンこそ相応しかった? そんなことも考えながら、この知られざる秀作を味読して欲しい。そして、昔、富山に大上哲夫という作家がいたことを、ぜひ心に留めて欲しい。そんな人が一人でも二人でもいれば、今日一日かけてテキストの入力に励んだおれの努力も報われるというもので(しかし、青空文庫の工作員て偉いねえ。こんなことをずーっとやってんだよ。そんな彼らへの感謝も捧げつつ)。