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インバウンドリンクが不適切です。

 ――と、言われちゃいましたよ、Bing Webmaster Toolsに。これ、ドキッとするよね。これだけを読むと、まるでおれがインバウンドリンクを不適切な方法で(たとえば、カネで買うとか)かき集めていて、それがBing Webmaster Toolsに見破られたとか。で、「インバウンドリンクが不適切です」。「不適切」ってワーディングからはそんなイメージが喚起されるんだが……まあ、高校教師と女生徒の「不適切な関係」みたいな、人間としてのモラルに関わるようなね。「不適切」ってのはそれほどの強いワーディングですよ。もっとも、Bing Webmaster Toolsが言っているのはそういうことじゃなくって、高品質のドメインからのインバウンドリンクが不適切――つまり、不足しているということ。Bing Webmaster Toolsのホームページの最上部にはBing Webmaster Toolsからの推奨事項が表示されることは「Webサイト上にタイトルが短すぎる多数のページがあります。」でも書きましたが、当然、この件も表示されていて、その文言をフルでご紹介すると――「お使いのWebサイトには高品質のドメインからのインバウンドリンクが不足しているため、オンラインでの可視性に悪影響が及ぶ可能性があります」。まあ、そんなこと、言われなくっても、こちとら重々承知なんだが……これがね、Recommendationsというページだと「高品質のドメインからのインバウンドリンクが不適切です」と表現が変わっちゃうんですよ。ここは「高品質のドメインからのインバウンドリンクが不足しています」だろう。「不適切」ってのはさ、くり返しになりますが、高校教師と女生徒の「不適切な関係」みたいな、人間としてのモラルに関わるような問題を指摘するときに使うべき言葉で。確かMicrosoftのAIツールはCopilotと言ったはずだけれど、これもCopilotによる自動翻訳だとしたら……まだまだ日本語の学習が不足しているなあ……。

 ということで、例によって(?)、以下は蛇足ということになるわけだけれど(長ーい長ーい蛇足)……ここは前の記事(↑でリンクを張った「Webサイト上にタイトルが短すぎる多数のページがあります。」)からの流れもあるので、まずは荒山徹の『白村江』の一節を紹介することにしよう。時は白村江の戦いの20年前なので、西暦で言えば643年ということになるのかな? その日、蘇我入鹿は今しも築造中の父・蝦夷と自分の墳墓(双墓=ならびのはか)の視察に赴こうとしていた。その途中、葛城皇子の一行と遭遇するのだが、山林で取り回しの利く短弓を背負い、略式の軍装で、鹿皮の野袴を着けているので、どうやら狩りにゆくところらしい。左右を固めているのは佐伯連子麻呂と稚犬養連網田で、後に葛城皇子とともに蘇我入鹿を討つメンバー。もちろん、この時点では蘇我入鹿はそんなことを知る由もないのだが……この際、葛城皇子は(朝衣を纏っているというのに!)蘇我入鹿にも狩りに加わるよう誘うのだが――

「父に呼びつけられておりまして、折角のお誘いではございますが、行かねば勘当されてしまいかねません。今申しました通り、日頃の行ないも行ないですし」
「大臣に?」
「築造中の墳墓を見に、今来へ参る途次にございます。一度見ておけと以前から口やかましく云われておりましたが、諸事多忙に託つけて断ってきたものの、ついに屈服するの余儀なきに至ったわけでございます」
「墳墓だって?」
 皇子は首をひねり、ややあってうなずいた。「そうか、今来の双墓だな。大そうな規模だそうではないか。吾の耳にも届いている」
「自分の墓だけならともかく、わたしの墓まで用意してくれるというのですから、お恥ずかしい限りです。当節、豪勢な墓を築くなど――」ふと思いつき、入鹿は正反対の考えを口にした。皇子の反応を確かめておく絶好の機会だ。「古来の慣習、いいえ、もはや悪習。改めるべき時かと」
 墳墓築造には蘇我の部民だけでなく、天下に広く人夫を徴発した。蘇我の権勢に靡いて進んで協力した者もないではないが、多くの氏族は不承不承だろう。就中、上宮王家の春米女王(つきしねのひめみこ)に至っては、同家の部民を根こそぎ動員されたことに憤激し、跫音高く小墾田宮に乗り込んで来るや、現帝に愁訴したという。
 ――蘇我蝦夷は国政を擅(ほしいまま)にし、数々の無礼を働いている。天に太陽が二つとないように国に二人の王はいない。何さまのつもりで意のままに民を役うか!
 入鹿は帰国後その一件を知ったが、女王の怒りは相当なものだったらしい。皇子の耳にも入っているはずだ。
「そうかなあ」
 皇子の口ぶりは、拍子抜けするくらい無頓着なものだった。「立派な業績を残した者は、それに見合うだけの墓を建てて然るべき、と吾は思うが」
「どうでしょうか。父は、亡き祖父と張り合おうという気持ちが強いのです」
「額田部女帝を支えた嶋大臣の業績は、確かに素晴らしかった」
 皇子の口調が急に棒読みのようになった。
「だが亡き父帝、今また母帝を支えているのは、そなたの父、豊浦大臣である。だから我が倭国はかくも平穏無事に治まっている――とは母帝からの受け売りなんだ、実を云うと」悪戯っ子が非を認める時のように、皇子は茶目っ気たっぷりに片目をつぶってみせた。「吾には政治はさっぱりわからぬ。だが皇子のくせして、こうして狩りにかまけていられるのも、大臣がいてくれればこそということは理解できる。嶋大臣を凌ぐ墓を造って何が悪かろう」
 喋っているうちに、どうでもよくなってきたらしく、皇子の視線はふらふらと入鹿から離れ、背後に控える者たちに向けられた。

 で、その背後に控える者の一人が中臣鎌子で、葛城皇子を虚けと見くびる(まあ、そう見くびられても仕方がないような頼りない受け答えではあるよね)蘇我入鹿に「古来、佯狂と云うがごとく、万が一にも油断は禁物でございます」――と注意を促すものの……と前の記事に書いた流れとなるのだけれど、そんなわが国古代史劇の幕間劇のような一場面にあって妙に空気感が違う一行があって、それが「皇子の口調が急に棒読みのようになった」。それは、葛城皇子が嶋大王こと蘇我馬子の業績を讃えた際で――だから、まあ、このときだけ葛城皇子は虚けのふりをすることに失敗した、ということになるのかも知れないな。ただ、それも無理からぬことで、なんたって蘇我馬子は「天皇を殺した男」だから。崇峻天皇5年11月3日、蘇我馬子は東漢駒(やまとのあやのこま)なるものに命じて崇峻天皇を弑逆した、ということは『日本書紀』にも記された「史実」。ここは岩波文庫版『訓読日本書紀』より引くなら――

十一月癸卯朔乙巳、馬子宿禰、群臣を詐(いつは)りて曰く、今日、東国の調(みつぎ)を進(たてまつ)る。乃ち東漢直駒をして天皇を殺したてまつらしむ。〔或本に云く、東漢直駒は東漢直磐井の子なり。〕是の日、天皇を倉梯岡陵に葬(をさ)めまつる。〔或本に云く、大伴嬪小手子、寵の衰へたるを恨み、人を蘇我馬子宿禰のもとに使りて曰く、頃者、山猪を献るもの有り。天皇猪を指して詔して曰く、猪の頸を断るが如く、何れの時か朕が思ふ人を断らむと。且た内裏に大に兵杖を作る。是に於いて馬子宿禰聴きて驚く。〕丁未、駅使(はゆま)を筑紫の将軍の所に遣して曰く、内乱(うちつみだれ)に依りて、外事(ほかのこと)を莫怠(なをこたりそ)。是の月、東漢直駒、蘇我嬪河上娘(かわかみのいたつめ)を偸み隠して妻と為す。〔河上娘は蘇我馬子宿禰の女なり。〕馬子宿禰、忽に河上娘が駒の為めに偸まれたるを知らずして、死去(し)にきと謂(おも)へり。駒嬪を姧(をか)せる事顕はれて、大王の為めに殺されぬ。

 だからね、葛城皇子の口調が「急に棒読みのようになった」のも無理はない、と(多分、葛城皇子からすれば、崇峻天皇は曽祖叔父に当たるはず)。そんなことをさり気なく仄めかすこの一行は深いな――と思う反面、でも荒山徹にしてからが(とは、蘇我入鹿を従来のイメージに反して若き日の石原裕次郎ばりのナイスガイとして造形した荒山徹にしてからが――という意味)こと蘇我馬子に関しては従来のイメージのままなんだなあ、と。それがいささかザンネンというか……。

 ここで、ハッキリとさせておこう、おれは蘇我馬子が東漢駒に命じて崇峻天皇を弑逆したというのは『日本書紀』の編纂者による創作だと思っている。つーか、そう考えるしかないじゃないか。だってさ、東漢駒は殺されているんだよ、蘇我馬子に。これについて、ウィキペディアの「東漢駒」では「崇峻天皇暗殺の口封じともされる」。だったら、その時点ですべては闇から闇に葬られる、というのが歴史のセオリーで、後世の歴史家からするならば、わかっているのは、崇峻天皇5年11月3日、時の大王(崇峻天皇というのは死後に追号された諡号で、生前の諱は泊瀬部だったとされる)が謎の死を遂げた、ということだけであって、その真相は今に至るも不明、ということになっていないとおかしいんだよ。ところが『日本書紀』ではハッキリと「東漢直駒をして天皇を殺したてまつらしむ」。さらには「或本に云く」として、そういう事態へと至った背景まで詳らかに語ってみせている。しかも、不思議なのは、実行犯として名指しされている東漢駒が蘇我馬子の娘を「偸み隠して妻と為す」ってんだから、事件後も自由にふるまっていたってことだよね? ということは、逮捕もされていなかったということであって、コトはすべて秘密裏に実行された文字通りの「暗殺」だったことになるわけだけれど……そうすると、いよいよその真相は部外者には測りかねる、ということになるはずで、その唯一の証人たり得るはずの東漢駒が口封じよろしく殺されたとなれば、これはもう部外者が真相を知り得る術は完全に失われたと言うしかない。にもかかわらず『日本書紀』には書かれているわけだから……つまりは『日本書紀』の編纂者は何らかの方法で事件の〝真相〟を突き止めたということ? おれはね、そんなのムリだと思う。それよりも『日本書紀』に書かれていることはすべて『日本書紀』の編纂者による創作だと考えた方がよっぽどリーズナブルだと思う。いや、もしかしたら、崇峻天皇が蘇我馬子を嫌って(あるいは、煙たがって。なんでも用明天皇の後釜として崇峻天皇を擁立したのは蘇我馬子らしいので。擁立された者が擁立した者を後になって煙たがるようになるというのはよくある話で、足利義昭と織田信長がそのわかりやすい例だよね。あと、おれの世代だと、海部俊樹と小沢一郎なんてのもあるんだけど……ま、今の人は小沢一郎が内閣総理大臣をも意のままに操れる実力者だった時代があったことを知らないだろうから、例えとしてはアレだけど……)おり、「猪の頸を断るが如く、何れの時か朕が思ふ人を断らむ」と言ったのは本当なのかも知れない。また、東漢駒が蘇我馬子の娘に手を出して、激怒した蘇我馬子に殺された、というのも本当なのかも知れない。で、『日本書紀』の編纂者は、そうしたファクトを材料に↑に記されたようなストーリーを編み出した、のかも知れない。とはいえ、天皇暗殺なんていう、それこそ当事者以外は誰も知らない――知りようがない極秘ミッションの一部始終をなぜか『日本書紀』の編纂者は突き止めた、と考えるよりも、すべては『日本書紀』の編纂者の創作でした、と考える方がよっぽどリーズナブルだって。そうは思わない? ちなみに、『日本書紀』編纂事業の責任者は誰かと言えば、表向きには舎人親王ということになるんだけれど、その舎人親王を責任者に任じたのは藤原不比等だから。で、藤原氏からするならば、蘇我氏を倒した乙巳の変はなんとしてでも「義挙」でなければならない。そのためには、蘇我氏は天下に許されざる大悪人でなければならないわけで、そのために崇峻天皇暗殺の黒幕にでっち上げられた……というのがおれの持論でね。多分、蘇我馬子ってのは、相当のワルではあったんだろうけれど(まあ、イメージとしては、全盛期の小沢一郎ですよ)、天皇暗殺を目論むほどのワルではない、と(ちなみに、民主党政権時代、小沢一郎は、習近平の来日に際して天皇との「特例会見」をごり押しした実績がある)。言い方を変えれば、崇峻天皇は暗殺された、というこのこと自体が確定した事実とは言えない、ということにもなるわけで、ウィキペディアの「崇峻天皇」では「天皇が暗殺されたのは、確定している例では唯一である」としているんだけれど、おれとしては、それには当たらない、と。むしろ、仲哀天皇のケースを疑うべきだろう……と、こんな〝妄言〟を撒き散らしていたら、その内、Bing Webmaster Toolsに言われちゃうかな、コンテンツが不適切です、と……。



 ところで、蘇我馬子を主人公とする小説がある。伊東潤著『覇王の神殿』というのがソレで……実はコレがトンデモナイ小説で。蘇我馬子は、確かに、崇峻天皇を殺している。そればかりではなく、敏達天皇も殺している。いや、殺したと断定できる書き方にはなっていないんだが、ある女性に敏達天皇を殺すよう鴆毒(ちんどく)を手渡しており、その後、節が改まって「五八五年九月、敏達が磐余宮で崩御した」と書かれているので、敏達天皇は毒殺された――と読めるような流れになっている。しかもだ、蘇我馬子が鴆毒を手渡した相手とは、額田部なのだ。額田部――というのは、敏達天皇の后で、そう、後の推古天皇ですよ。蘇我馬子は――というか、伊東潤は、そんな高貴な女性に天皇を殺させているのだ。であるから、蘇我馬子に崇峻天皇を殺させることも躊躇はしないよね。もっとも、その殺しの手口については蘇我馬子に累が及ばないよう慎重に練られたプロットにはなっていて、コトは東国からの調(みつぎ)を献じる儀式の場で断行されるのだが――延々と続く儀式。まだか。蘇我馬子はじりじりしながら待っていた。そして、遂に陸奥国からの調が読み上げられる。その調の一つを捧げ持っていたのが蘇我馬子に仕える東漢駒だった。東漢駒は玉座に続く階段の下まで進み落着いた動作で調を下ろすと、ゆっくりと階段を上る。そして、やにわに剣を抜き放つや、崇峻天皇に振り下ろした。「何をする!」と言って玉座から転げ落ちる崇峻天皇。東漢駒はその背中に第二撃を振り下ろす。さらに第三撃。それを見届けた蘇我馬子が「この狼藉者!」と言って自らの剣を抜き払い、東漢駒の脾腹深く突き刺す――。実は、これ、両者で事前にすり合わされた筋書で、しかも発案したのは東漢駒。「思えば二十年ほど前、百済の使節に奴婢として連れてこられた私です。この国でも重労働に就かされると思っていました。しかし稲目様と馬子様に弓の腕を認められ、渡来人部隊の長に任命されました。それからは飢えることもなく、妻を娶り、子をなすこともでき、この国の人々と分け隔てなく生きることができました」と言う東漢駒が、そんな蘇我家から被った永年の恩顧に応えるべく、言うならば「最後のご奉公」として自らの命を差し出すという形。で、この筋書だと犯人は東漢駒で、蘇我馬子は犯人を討ち取った殊勲者、ということになる。まるで『鎌倉殿の13人』で公暁を討ち取った三浦義村みたいなもの? ともあれ、事件は「任那国府の再興に反対していた東漢直駒による発作的な殺人」として処理されることになるわけだけれど……ただ、これだと『日本書紀』に書かれているストーリーとは相当な齟齬が生じることになる。蘇我馬子の事件への関与はなかったことになってしまうし、東漢駒が蘇我馬子の娘に手を出して、激怒した蘇我馬子に討ち取られたという話も完全にどこかへ行ってしまうわけで……そんなのお構いなし。なんとも自由。いや、別に自由でもいいんだけど。おれだってそうしているから。でも、あえて『日本書紀』に書かれているストーリーを否定するんなら、その理由は必要でしょう。なぜこう考えるのか、というね。それもなく、ただ自由にふるまうのは、いわゆる「自由をはき違える」の類いでしょう。でね、この小説ではもう一つそんな〝自由な〟創作がなされていて、なんと、厩戸皇子は蘇我蝦夷に殺されたことになっているんだよ。で、今際の際に厩戸皇子がこう言う――「わしを殺せば、斑鳩の僧たちが仏の呪法を行うことになっているので、三代までに蘇我一族を滅亡させる」。まあ、伊東潤としては、誰かに「非業の死」を遂げさせた上で、最期にこう言わせたかったんだろうな。で、その人物として厩戸皇子を選んだと。確かに、何から何まで自由に創作していいんなら、その人物として厩戸皇子を選ぶだろう。そして、伊東潤という人はそういう自由を自らに与えた人、なんだろう。でも、そういう人を「歴史小説家」と呼んではイケマセン。