ちょっとおれとしても判断がつかないんだけどね。でも、もしかしたら西村寿行の『風は悽愴』はトンデモナイ小説なのかも知れない。ただ、もしかしたら、なんだよ。本当にそうなのかどうか。その判断がつかないまま、とりあえず書いてみるか、ということにはなるんだけれど……
この小説、前の記事でも書いたように、「日本列島最後の狼」をめぐる歴史ロマン、ということにはなるんです。で、「日本列島最後の狼」ということは、当然、その狼はニホンオオカミということになるわけだけれど……この「日本列島最後の狼」というのは、実際に作中に登場するフレーズで、それはこんな文言――「日本列島最後の狼に課せられた暗い運命に思われた」。で、そう思ったのは誰かというと、長野県長野市に本社のある信濃日報の記者・倉田克久(ちなみに、信濃日報という新聞社は実在したものの、本社は長野市ではなく松本市にあった。ここは『新聞総覧』大正10年版の当該ページにリンクを張っておきましょう)。でね、小説にはこんなフレーズも出てくるんだけれど――「日本列島最後の生き残りの日本狼」。こちらは、倉田が書いた記事の一節。実はね、本作の事実上の主人公であるオオカミ――その名をゴロと言うんだが――が「日本列島最後の生き残りの日本狼」であるというのは、客観的事実ではないんですよ。小説の登場人物(当然、架空の人物)である倉田克久の主観なんですよ。倉田克久の父親は長衛と言って、遠山郷で猟師をしていた(ちなみに、遠山郷はジビエで知られる山里です)。その長衛が兎狩りの帰途、泥土に「大きな犬の足跡」が残っているのを発見する。しかし、犬の足跡にしては大きすぎる。で、猟師の本能で足跡を辿った。ほどなく長衛はよりくっきりと残った足跡を見つける。そして、それが狼の足跡であることを確信するのだ――「まぎれもなく、足跡は狼のものであった。犬の足跡はやや楕円形である。そこにある足跡はどちらかというと角張っていた。その上に、蹼様の皮膜があった」。ニホンオオカミの指間に蹼(もしくは蹯。どちらも「みずかき」と読む)があることは江戸時代に編纂された百科事典である『和漢三才圖會』にも記載がある――「四つの趾、蹯有りて、能く水を渉る」(こちらも『和漢三才圖會 中之巻』の当該ページにリンクを張っておきます)。猟師である長衛もそのことを知っていて(作中では「狼は子供の頃に何回もみている」とされている)、それを最大の根拠に足跡を狼のものと断定するのだが――この話を父から聞いた倉田克久は父に案内してもらって足跡を写真に撮る。そして……以下は原文を読んでもらうことにしよう――
倉田は写真を各地の猟師にみせた。写真だから実物のように鮮明ではない。だが、判断の基準になるていどには写っている。
犬ではない。そう、鑑定を請うた全員が断言した。ただし、狼だとは判断しかねた。狼の足跡をみた者がいないのだった。狼には指間に蹼があるとのいい伝えがあった。写真の足跡にはたしかに蹼様の皮膜がある。
結局、わからなかった。
国立科学博物館の鑑定では狼ではあるまいとのことであった。狼に蹼があるとの説を科学者は否定した。それに、日本狼は小形犬なみの体構だという。出土した狼の歯がその根拠となっていた。
どちらとも、倉田にはわからない。
科学者の鑑定に全幅の信を置くわけにもいかないものがあった。調べてみると、狼は犬を好んで捕食したという。日本での犬の唯一の天敵は狼だとのことであった。そのために犬は狼を極端におそれたという。父の連れていた柴犬が足跡の主のにおいを嗅いで父の股に逃げ込んだというのは、狼天敵説を裏づけているような気がする。
それから類推すると、日本狼は小形犬なみという科学者の推定は、根拠として薄弱な気がする。犬を捕食する狼が小形犬なみだとは、うなずけない。
まだ、あった。狼を祀る神社が調べただけでも幾つかあった。それらの来歴を調べてみると、狼はかつては大神の字をあてられていたことが判明したのだった。狼が立ち回るとその周辺から鹿、猪が姿を消す。そこで、百姓の守り神として狼はあがめられたのだった。
それも、小形犬なみの体構だとの科学者の説を否定する材料のような気がする。
十月二十日。
信濃日報は日本狼を捜す記事を載せた。
倉田長衛のみた足跡を日本狼と断定しての記事であった。足跡の写真を載せ、日本列島最後の生き残りの日本狼だと断じた。発見者ならびに捕獲者には懸賞金をつけた。生かしたままの捕獲が条件であった。さらに、狼が首紐をつけていたことから、だれかに飼われていたものと推測し、飼い主に名乗り出るよう呼びかけた。
飼い主が名乗り出さえすれば、捕獲は造作もない。
ね。だから、本作の事実上の主人公であるゴロが「日本列島最後の生き残りの日本狼」だというのは、倉田克久の全くの独断なんですよ。むしろ、客観的事実として述べるならば、国立科学博物館(ただし、この小説は大正9年の物語とされているので、であるならば国立科学博物館は存在しない。まだ東京教育博物館だった。その東京教育博物館が関東大震災による焼失を経て東京科学博物館として再建されたのが1931年で、さらに現在の国立科学博物館となったのは1949年のこと。そんな戦後民主主義の申し子のような施設が大正年間に既にあった、というのが西村寿行ワールドであります……)は否定しているわけだから。その根拠は「日本狼は小形犬なみの体構だという」の一点。それは、確かにその通りでね。こちらが国立科学博物館が所蔵するニホンオオカミの剥製標本ですが……もうね、同じイヌ科に属するアカギツネと比べても、こっちの方が小さいんじゃないの? 本当に「小形犬なみの体構」。だから、足跡が大きいって時点で既に?なんだけれど、実は小説ではゴロの体形についてはこんなふうに書かれていて――
生後一年が近づいて、ゴロの骨格は完成されかかっていた。堂々とした体形であった。紀州犬は日本犬の中では最大形だというが、その紀州犬をはるかに凌ぐほどの大きさに成長していた。それだけに、食欲も旺盛であった。
なんと、「紀州犬をはるかに凌ぐほどの大きさ」だと。ちなみに、中日新聞が紀州犬の発祥の地とされる三重県御浜町阪本のブリーダー亀田昭治さんに取材した動画を公開しており、それを見ると確かに大きい。しかし、ゴロはこれよりもはるかに大きいっていうんだから、相当ですよ。だから、この説明を信じる限りは、科学的実在としてのニホンオオカミとは明らかに別物のはず、なんですよ。で、最初にこの小説を読んだ時点でもそんな印象を持つには持ったんだが……でも、西村寿行だから。そんな細かいことにこだわる人じゃないから。事実、大正9年当時に国立科学博物館があったと平気で書いちゃうような人だから(この小説には、中戸源蔵という猟師が出てくることは「東出昌大に見る「男の至福」について」でも書きましたが、その源蔵は西筑摩郡南木曾村の狩猟小舎で一人で暮している、ということになっている。しかし、同記事でも指摘した通り、歴史上、南木曾村という自治体が存在したことはない)。だから、まあ、科学的事実がどうこうというよりも、寿行なりの願望を込めて(寿行も狩猟免許を持っており、若い頃は東出昌大のように山で猟師同然の生活をしていたことがある)、「日本列島最後の生き残りの日本狼」であるゴロを「紀州犬をはるかに凌ぐほどの大きさ」だと、まあ、ハッタリをかましたんだろうなあ、と、そんな感じ、だったんですよ。
ところが、今回、「東出昌大に見る「男の至福」について」を書くに当たって、『風は悽愴』にも言及することとなり、せっかくだから書影も紹介しようということになって手元のカッパ・ノベルス版のカバーをスキャンして紹介したわけだけれど、こうした少しばかり意外な経緯を経て(だって、東出昌大について書いていたわけだから。東出昌大が西村寿行の愛読者であるとは伝えられていない)改めて本のカバーをまじまじと見ることとなって、それにしてもなあ、と。それにしても……ニホンオオカミとは似ていないよなあ、と。いや、単にニホンオオカミとは似ていないというだけではなく、あるタイリクオオカミの亜種(一応、ニホンオオカミもタイリクオオカミの亜種とされている。外見的には?なんだが、「高深度ゲノム分析の研究によると」ってんだから、陪審員としては信じるしかないね)に似ているなあ、と。その亜種とは、シンリンオオカミ。↓にウィキメディアで公開されている画像を貼っておきますが……そっくりでしょう?
で、ちょっと妙な気分になってきてね。ひょっとすると、おれ(あるいは、おれを含むこの小説の読者)は西村寿行に誑かされていたのではないか? というようなね。繰り返しになりますが、ゴロが「日本列島最後の生き残りの日本狼」であるというのは、決して客観的事実ではないんです。むしろ、国立科学博物館(正確には東京教育博物館)の鑑定では否定されている。にもかかわらず倉田克久が「日本列島最後の生き残りの日本狼だと断じた」ということなんです。でも、ゴロの体構その他の特徴は明らかにニホンオオカミとは異なる。ニホンオオカミよりもはるかに大型で、はるかに「悽愴」(この形容詞は温帯気候よりも亜寒帯気候に暮す野生動物にこそふさわしい――と、おれは思う)。で、これはウィキペディアの「シンリンオオカミ」に書かれている事実ですが、オオカミの中でも最も大きいとされるのがシンリンオオカミなんですよ。しかも「五大湖地域とカナダ南東部に生息するオオカミの一種」。つまり、亜寒帯気候の北米が原産地。だから、ゴロはニホンオオカミであるよりもシンリンオオカミである可能性の方が高い、と。とはいえ、大正年間の日本にシンリンオオカミが? ということになるわけだけれど……ウィキペディアによれば、シンリンオオカミは「人間が飼い慣らした最も古い品種である」。となると、ペットとして飼われていたシンリンオオカミもいたと想定されるわけで(確認しました。「わが国のナチュラルヒストリー分野の草分け」とされる平岩米吉が『科学と芸術』昭和8年12月号に寄稿した「馴れた狼の話」で人に飼われたシンリンオオカミがいたことを報告している。飼った人によると「私は今日まで種々の動物を飼つたが、サムほど聡明なものを見たことがない」。言うまでもなくサムとは飼われたシンリンオオカミの名前です)――であるならば、大正時代、日本にやってきたアメリカ人orカナダ人がペットとして飼っていたシンリンオオカミを持ち込んだ、という可能性を想定することもそれほど荒唐無稽とは言えないでしょう。その上で、この小説の舞台は長野県なのだ。長野県には、軽井沢がある。軽井沢が東京で暮す外国人の避暑地となるのは明治時代の中頃だそうですが(明治21年にカナダ人の宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーが旧軽井沢の大塚山に別荘を建設したのが保養地・避暑地としての軽井沢の歴史の始まりとされる)、シンリンオオカミの飼い主も夏の何か月かを軽井沢の別荘で過すアメリカ人orカナダ人だったんですよ、きっと。で、当然のことながら、その間はシンリンオオカミを連れていた。それが、逃げ出すか、放獣されるかして、野生化した……。
実は、小説ではゴロは徳造という男(「疾風の徳造」の異名を取る盗賊。この男が『風は悽愴』という小説世界における人間側の主役となる。まあ、イメージとしては、佐藤浩市あたりです)に幼獣の頃に山で拾われたことになっていて、それはこんな状況だった――
蓬莱寺に来てから十三日目であった。
その日も徳造は早朝から山に登っていた。昼過ぎに奥茶臼山の支尾根まで登って、下山にかかった。はじめて足を伸ばした山であった。
熊笹の密生した斜面がつづいていた。路はどこにもない。あるかなきかのけもの路を辿って未知の山々を歩き回っている徳造であった。多少は、山への馴れができていた。その熊笹の原を突っ切れば近路できそうな気がした。突っ切って、進む路がなければ引き返すまでだった。
体で熊笹を分けた。
どれほども行かぬうちに、徳造は足を停めた。何かの気配を感じとった。気配といえるのかどうかわからないほどのものであった。肌を、わずかな悪寒が這った。
徳造は懷に手を入れていた。腹に巻いた晒にはドスを呑んでいる。その柄を握った。
なんの物音もなかった。風が渡っているだけだ。熊笹の葉がそよいでいる。晩秋の陽射しが原を狐色に染めていた。
しばらく突っ立っていたが、なんの変化も起こらなかった。
徳造はきびすを返した。熊笹の原に何かが潜んでいるような気がした。けものか人間かはわからない。人間ではあるまいと思った。徳造を尾行してきたのなら、とっくに襲いかかっている。
けものであろうと思った。このあたりには、熊や鹿、猪などが多い。
引き返しかけた足が停まった。右手の繁みに動くものがみえた。小さな、褐色の塊りであった。
徳造は、覗いてみた。
小さな褐色の塊りは仔犬であった。仔犬の傍に母犬の死骸があった。死骸からは腐臭が漂い出ていた。牙を剥き出した、無念げな死に顔であった。大きな牝犬であった。仔犬はその死骸の周りを短い足で這い回っていた。いまにも倒れそうに、体全体がふらついていた。
徳造は、迷った末に「ひと思いに殺してやるべきではないのか」と思い、そうしようと仔犬を投げ捨てようとしたところ、仔犬の低い唸り声を聞く。さらに「仔犬は牙を剥いていた。いや、牙を剥いたつもりになっていた」。その姿に「似た者同士の哀しさのようなもの」を感じとった徳造は(このあたりが西村寿行が生島治郎に師事したハードボイルド派であるユエンです。ええ、そう思います……)仔犬を寺に持ち帰ることにするのだが……ここで、なぜ母オオカミは長野の山中で無念の死を遂げることになったのかを少しばかり突っ込んで妄想するならば、シンリンオオカミは日本に持ち込まれた時点で妊娠していたんだよ、きっと。でも、飼い主はそれに気がつかずに日本に持ち込んだ。そして、軽井沢に滞在中、ようやくそのことに気がついた。で、扱いに窮した彼は、無責任にも、シンリンオオカミを放獣することにした。しかし、人に飼われて久しい母オオカミは既に自力で獲物を獲る能力を失っていた。で、敢えなく餓死してしまった、まだ生まれて間もない子オオカミを残して。そこを、徳造に見つけられた……。これで、ストーリーとしては成り立つんじゃないかな? もちろん、こんなことは小説には一切書かれていないけどね。でも、『風は悽愴』に登場するオオカミをシンリンオオカミとして妄想することは可能だということ。そして、そんなふうに妄想するならば、『風は悽愴』というのはトンデモナイ小説だな、と。おれ(あるいは、おれを含むこの小説の読者)は西村寿行に誑かされていたことになるわけだから。今、こんなことを書いているおれにしたって、もしカッパ・ノベルス版のカバーがあんなんじゃなかったら(たとえば、こんなカバーだったら)、ゴロがシンリンオオカミだなんて思いもしなかっただろう。カバー折り返しを見ると、装画を担当したのは後藤一之という人ですが、寿行の本の装画に起用されたのは、これが初めてじゃないかなあ(ちなみに、この装画の原画が今年の3月にヤフオクに出品されて5,250円で落札されていることがAucfreeでわかった。原画のタイトルは「狼と裸婦」。商品説明によれば、後藤一之は「日宣美(日本宣伝美術会)、東京イラストレーターズクラブに所属した画家、イラストレーター、デザイナー。1960年代から活動」とのことです。しかし、3月29日か。惜しかったなあ……)。
で、そうであるならば(とは、装画を担当したのが、本文の挿画を担当した金森達とか、寿行とのコラボレーションも多いイラストレーターではなく、初めて起用されたイラストレーターであるならば)、その装画を〝深読み〟する理由には十分になると思うんだが……。
本文で紹介したのは円山動物園で飼われているシンリンオオカミのつがいですが、富山市ファミリーパークでもシンリンオオカミのつがいが飼われていることがわかった。飼われているのはゼン(♂)とノンノ(♀)。ゼンは2025年4月に行われた第2回動物選挙で1位になったらしい。もともと富山市ファミリーパークではその名もシートン(♂)という先住オオカミが飼われていたそうだが、2023年4月に「ぼうこう破裂による腹膜炎」で亡くなったために、ノンノの新たなパートナーとして鹿児島市平川動物園から2023年10月に引っ越してきたそうだ。一方、亡くなったシートンは群馬サファリパークの生まれだったそうで、富山市ファミリーパークの堀口政治動物課長代理によれば「気の強いノンノを、優しい性格のシートンが温かく見守り、お似合いのカップルだった」(ソースはこちら)。まあ、群馬と言えば「かかあ天下と空っ風」だからね。
そんな2頭が仲よく遠吠えをしている動画を富山市ファミリーパークの公式チャンネルで見つけたので貼っておきましょう。
確かに、リードボーカルはノンノ(右)で、シートンはサブに甘んじている。堀口課長代理のコメントは当を得ているようだ。
それにしても、人はなぜオオカミの遠吠えに心を奮わされるのだろうか? 西村寿行も書いている――「アオ、オ、オ、オ、オーン。/徳造は湯呑みを握りしめたまま、空間を見た。身が凍るような哀切を含んだ咆哮であった。長い咆哮であった。アオと夜空に向けた切りだしには寒月に呼びかける韻があった。オ、オ、オとつづけてしゃくり上げた声には、異様な力強さがこもっていた。/最後のオーンと切り上げた咆哮は悽愴感なしには聴けなかった」。ただ、いかに心を奮わされようが人はオオカミが発する「野生の呼び声」に引き寄せられて彼らの側に行くことはできない。そこには絶対的な断絶が横たわっている。
でも、それはオオカミも同じなのかも知れないな。オオカミがいくら吠えようが、寒月は答えない。
届かない、という意味では、彼らもまた……。