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ゴウイング・マイ・ウェイ

 話がリドル・ストーリーに及んだからには、やはりあの問題作(?)を避けて通ることはできないだろう。それは、河野典生の「ゴウイング・マイ・ウェイ」。河野典生のデビュー作であります。ハードボイルド作家のデビュー作がリドル・ストーリーである、というのは、かなり意外ではあるんだけれど、河野典生は1973年に刊行された角川文庫版『陽光の下、若者は死ぬ』の「年譜風あとがき」でこの小説について「リドル・ストーリー(結末がどちらともとれる小説)」と説明しており、明確にリドル・ストーリーを意図して書かれたものであることが裏付けられる。しかも、書かれたのは中村能三訳「女か熊か」が『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』に掲載された翌年(1959年)なんだから。「女か熊か」に触発されて書かれた、と見て間違いないでしょう。で、この河野典生版リドル・ストーリーなんだけどね……難しくってねえ。正直、おれは、いまでも分析し切れていない。だから、自信を以て書けないところがあって、これまでおれはこのブログでも触れたことがなかった。まあ、避けてきた、というのが、本当のところです。

 で、何がそんなに難しいかなんだが……この小説は確かにリドル・ストーリーにはなっている。ただ、設定された謎(右か左か)そのものはそれほど難しくはない。心証としては、「ウソをついているのは、女」。だから、(女が言ったのとは逆の)左を行くべき、なんですよ。右か左かで言えば、これ以外の解釈はないと思う。で、じゃあなんで女はウソをついたのか、とか、こっから派生する形で他にもいろいろあるわけだけれど、とにかく、右か左かについては、左。だから、この小説をリドル・ストーリーとして見た場合は、弱い。右か左かがフィフティフィフティじゃないと、上手なリドル・ストーリーとは言えない、と思う。ただ、この小説が読者に突きつける謎はそれだけではないのだ。最後の最後で、右か左かとは別の、もう一つの謎が突きつけられる。それが、江藤の最後の台詞。ということで、ここで簡単にこの小説についてご説明すると、心証としては(また?)スケールの小さな『ゲッタウェイ』みたいな話で(なお、映画の原作であるジム・トンプスンの同名小説は1958年にSignet Booksから刊行されている。河野典生が読んでいたかどうかは不明)、ヤクザの親分を殺したチンピラが車で焼津まで行って焼津港の沖合で外国船に乗り込んで国外逃亡を図る、というのが、事前に用意された計画。で、それに従って主人公(英治)が車を全速力で(と言っても、40キロなんだけどね、『宝石』1959年12月号に掲載された初稿だと。しかし、1960年に荒地出版社から刊行された『陽光の下、若者は死ぬ』に収録されたバージョンでは60キロに修正されている。修正箇所は他にもたくさんあって、そのこと自体は悪いことではないんだけれど、この作家の場合、『黒い陽の下で』→『あれは血の土曜日』のようなケースもあるのでねえ……。現在、一般に流布しているのは修正版だと思いますが、本稿では『宝石』掲載の初稿をテキストとしていることをお断りしておきます。なお、角川文庫版『陽光の下、若者は死ぬ』には「ゴウイング・マイ・ウェイ」は収録されていないので、お間違えなきように)走らせている最中にハプニングが生じる。折からの台風で旧道が崖崩れで通れない――、そうラジオのニュースが伝えたのだ。しかし、新道がある。だから、新道を行けばいい。ところが、旧道と新道の分岐点に至って、どっちが旧道でどっちが新道かわからない。小説では「標識もない」とされているのだが……普通、ないよねえ、そんなこと。でも、そうしないとリドル・ストーリーにならないので。で、英治と同行していた女(由香利)が手前のガソリンスタンドまで聞きに行くことになった。ところが、ガソリンスタンドを任されていたのは由香利の前の男で(こんな偶然も、普通、ない)、しかも由香利が殺人犯と逃走中であることを見抜いていた――「しらばっくれるな。こんな時分に通る車だ。おれは窓から見とどけていた」(こんな千里眼も、普通、ない)。しかもしかも、男は警察とつるんでいた。男はヤクザ社会にいられなくなり、「刑事のお情け」に縋って、このガソリンスタンドで雇われ店長をしていたのだ。この夜も、異常があったらすぐ知らせるよう警察から言われていた。男は、そんなシークレット情報をあっさり口外した上で女に復縁を迫る。しかも、こう言って――「いいじゃないか。え? いいじゃないか。おまえにはおれがお似合いさ」。その一言に、なぜか抗えない女。そして、されるがままに身を任せる、ただし、こう言って――「でも、その前に教えてもらうわ。崖崩れは右の道か左の道か」。それから、かなり時間が経ってから帰ってきた女は、英治から「どっちだ」と聞かれ、英治の胸に顔をおしあてむせび泣いた上で「右の道を行くのよ」。で、英治は言われた通り右の道を行くのだが……そんな英治たちから10メートルばかり距離を置いて停車していた車があった。英治に親分殺しを持ちかけた江藤の車だった……ということで、最後の下り。

 十メートルほど後方に車を返して、江藤たちのビュイックが停つていた。江藤と女は煙草を喫つていた。人影が車に近づいた。
「故障ですか? ガソリンですか? だんな」
「いや、いいんだ。車の音を聞いてるんだ」
「ああ、あの車ですかい。崖崩れしてる道を女が聞きに来ましてね。あなた方もいらつしやるんでしよう? 左の道をおいでなさい。右の道が崖崩れなんでね」
「あの音、右の道じやないか?」
「おかしいな。ちやんと教えたのに」
「弱気になつたな。奴らしくもなく」
 江藤は、アクセルを踏み、車を廻しはじめた。

 なぜかここでガソリンスタンドの男が出てきて「左の道をおいでなさい」。そのガソリンスタンドの男に聞いて「右の道を行くのよ」と由香利は言っているのだから、さて、ウソをついているのはどっち? と、これで、リドル・ストーリーとしての体裁は整った、ということになる。でも、ウソをついているのは、女だって。それは、誰もが読めばわかると思う。多分、由香利としては、英治の夢を挫きたいんだよ。だって、由香利は「おまえにはおれがお似合いさ」と言われて、反論できないんだから。そんな由香利からすれば、国外逃亡という「夢」に酔い痴れている英治は憎らしい限りだろう。だから、その「夢」を挫いてやりたり……。それがこのリドル・ストーリーの「文学的に正しい」解釈だと思う。で、それよりも、江藤の最後の台詞だよ――「弱気になつたな。奴らしくもなく」。これは、一体、何を言っているのか? なぜ崖崩れをしている(と江藤も思っているはず。江藤の立場では、ガソリンスタンドの男がウソをつくとは想像もしていないはずなので)右の道を行くことが「弱気になつた」ことを意味するのか? 一つの考え方としては、右の道を行ったことは英治が国外逃亡を諦めた証で、それで「弱気になつたな。奴らしくもなく」。でも、右の道は崖崩れで通行不能なんだよ。仮に弱気の虫に取り憑かれて国外逃亡を諦めたとしても、なんでわざわざ通行止めの道を行くの? 意味不明。そして、そんな英治のふるまいを見て「弱気になつたな。奴らしくもなく」と言う江藤の心理も……。

 実は、このとき、江藤はなんで英治を見張っていたかと言えば、英治が本当に国外逃亡をするか心配だったため。江藤としては、英治に国外逃亡して欲しいのだ。それは、英治がすべての罪を引っかぶってくれるに等しい。江藤にとって、これ以上ない安心材料。しかし、英治が強い気持ちを持ちつづけてくれるかどうか? そのことに、一抹の不安も感じている(江藤の女に言わせれば「江藤、あれで気が弱いのよ」。だから、英治が本当に高飛びしてくれるか、心配でならない。ちなみに、英治はこの女からある重大な事実も明かされるのだが……江藤の最後の台詞をめぐる謎とは関わりがないのでここでは割愛します。つーか、「ゴウイング・マイ・ウェイ」という小説にとってはほとんど意味のないエピソードだと思うんだけれど、修正版でもそのままになっている)。もし英治が心変わりがして(弱気の虫に取り憑かれて)、焼津に行くのを取りやめ、引き返してくるようならば……そのときは、躊躇なく、始末する。そのために、江藤は「車を返して」(東京方向に車のノーズを向けて)停車している。もし英治が引き返してくるようならば、ただちに跡を追えるように。だから、ここにはもう一つの二項対立があったわけだね。つまり、英治が「進むのか、引き返すのか」。そして、英治は進んだ。ただし、行き止まりとなっている右の道へ。これを捉えて、英治の心変わりを表すもの、と言えないこともない。でも、だからと言って「弱気になつたな。奴らしくもなく」とは言わんだろう。言うとしても「あいつ、何を考えてるんだ? そっちは行き止まりだぞ」とか?

 でね、よくよく考えたんだが……もしかしたら、江藤の言う「弱気」とは、英治が女の指示に従って右の道を行ったことを言っているのではないか? 江藤の知っている英治はそんな男ではなかった。誰がなんと言おうと、自分の道を突き進む男。人の意見になんて耳を貸さない。むしろ、人が右と言えば左。左と言えば右。まさに「ゴウイング・マイ・ウェイ」。そんな英治が、女に言われた通りに右の道を行った――、そのことを捉えて「弱気になつたな。奴らしくもなく」。

 うん、これかなあ、という気もするんだが……。



 ――と、以上は、元々は一つ前の「男か? 熊か?」への追記として書いたものです。で、これまで「ゴウイング・マイ・ウェイ」という〝難解な小説〟に言及することを避けてきたおれとしては、やれやれ、というのかな、一つ宿題を果たしたような気分ではいたのだけれど……でも、「ゴウイング・マイ・ウェイ」という小説にはまだまだ不可解な点が多々あるのだ。でも、この際、それには目を瞑ろう、という腹積もりだった。だって、わかんないんだもの。最後の江藤の台詞の謎が解明できただけで十分だよ、と思っていたんだが……今日になって、ある仮説が思い浮かんでね。で、合っているかどうかはわからないけれど、これについても書いておこうかな、と。で、↑の部分を「男か? 熊か?」から切り離し、こうして「ゴウイング・マイ・ウェイ」として1本の記事として独立させ、さて、今日、思い浮かんだ「ある仮説」についてなんだが……

 まず、この小説は、本文にも書いたように、スケールの小さな『ゲッタウェイ』みたいな話で、思いっきり約めて言えば、ヤクザの親分を殺したチンピラ(英治)の逃避行を描いている。で、逃避行の前段であるヤクザの親分(石原)を殺す場面なんだが、場所は組事務所の社長室(一応、肩書きは社長です)。その社長室に英治が入って行くと石原は「ガラス敷きのブナの机」で書類に目を通している。英治はその石原に32口径コルトをつきつけ「両手を机の上に並べろ」。さらに、「机の横をまわり」、石原の斜めうしろに立つ。そんな英治に対し、石原は「回転椅子をまわして」向き合う形となる。その後、いろいろなやりとりがあって、時間も大分経った。で、こうなる――「日没の最後の光りが血しぶきのように、部屋を染めた。英治は光りを背にしていた」。その後もまたいろいろあって、最終的にこうなる――

 夕闇が迫つていた。ジャズは終つていた。
「英治、あかりをつけろ」
 石原が身じろぎした。瞬間、轟音と共にオレンジ色の閃光がした。続いてもう一発。
 石原は、そのまま彫像になつてしまいかねないほど、静かに身を起してい、やがて机に伏した。

 で、この後、英治はターザンよろしく社長室の窓から逃走を図り(「拳銃の引き金おおいを口にくわえ、窓から身をのり出し、窓敷居から両手でぶら下り大きく息を吸つた。硝煙の匂いがきつかつた。そして体を横に二度振り、鋼鉄の非常用梯子に取りついた」)タクシーで品川まで行って、そこであらかじめ江藤が用意していた車(トヨペットクラウン)に乗りこみ、いよいよ焼津に向けて突っ走る、ということになる。ただし、その途中で川崎駅前のバーに立ち寄り、由香利を連れ出す。この由香利というのは、川崎駅前の小さなバーで働いている「顔見知りの女」。なぜか情婦ではなく「顔見知りの女」とされている。普通、ここは情婦だと思うんだけどねえ……。ともあれ、そんな2人は車の中でこんな会話を交わすのだが――

「最後まで、おれがゆすつてると思つてやがつた。机を背にして薄笑いを浮かべてやがつた」
「あの人が机を背にするなんて、普通じやなかつたのよ」
 この女も云いやがる。と英治は思つた。そしてそんな自分の気持をなだめるような調子で云つた。
「おれを何時までも、愛玩犬だと思つてたのさ」
「普通じやなかつたのよ」
「いやに肩を持つな。いやだぜ、寝たことがあるのか」
「それで…報いはあつたの?」

 会話の後半部分は、まあ、いい。それよりも「あの人が机を背にするなんて、普通じやなかつたのよ」って? 一体、なんで人が「回転椅子をまわして」机を背にすると「普通じやなかつた」ってことになるの? 普通、するでしょう、「回転椅子をまわして」机を背にする(窓外に目を向ける)なんて。そのために、社長室のデスクなんてものは、大体、窓際に置かれている。ところが、由香利は言うんだよ、「あの人が机を背にするなんて、普通じやなかつたのよ」。これが、どうにもこうにも理解不能で。

 でね、そもそも、英治が石原を撃った瞬間の描写がヘン。なにしろ、「瞬間、轟音と共にオレンジ色の閃光がした。続いてもう一発」だから。まるで、英治の意思とは関わりなく起きた事象みたいじゃないか。もし引き金を引いたのが英治なら、ここはこうなるはずだよ――「瞬間、英治は引き金を引いた。続いてもう一発」。そうではなく、こんなあえて迷彩を凝らしたような書き方をしてるってのは? やっぱり、これは、そういうことなのかなあ……。

 ということで、「ある仮説」ね。この小説、そもそもは、当時、日本テレビで放送されていた「夜のプリズム」という番組の原作小説募集に応じて書かれたもので、『宝石』1959年12月号では「入選佳作第一位」とされている(一方、『宝石推理小説傑作選第2巻』所収の「『宝石』十九年史」では「入選作なしときまり」と書かれている。さて、どっちが正しいんだろう?)。で、確かにこの小説を原作とするドラマは1959年12月9日に放送されている(ソースはこちらです)。スリラー劇場って言うんだから、まあ、「ヒッチコック劇場」みたいなもんだったのかな? で、この募集に応募するに当たって河野典生は全くのゼロから本作を書いたのではないのではないか? 既に書いたものがあって、応募規定を満たすべく(ただし、どういう応募規定だったかは確認できていません。『宝石』のバックナンバーに当たればわかるはずなんだが、なかなかそこまでやるっていうのは……)、それに手を加えてできたのが「ゴウイング・マイ・ウェイ」ではないか? そう考えたくなる理由があるのだ。というのも、この小説は↑で引用した「石原が身じろぎした。瞬間、轟音と共にオレンジ色の閃光がした。続いてもう一発。」で切ったとしても、十分に成立すると思うので。しかも、第一級のリドル・ストーリーとして――。

 と言われて、アナタは納得できるかな? できない? ならば、納得できるよう、もう少し説明しよう。まず、最初に断言する(これは、仮説ではない。自信を以て断言できる)、この社長室でのシーンというのは、よく知られたリドル・ストーリーの最後の場面の〝翻案〟である。そのリドル・ストーリーとは、五味康祐の「柳生連也斎」。初出は『オール読物』1955年10月号。この小説により、五味康祐は世に「剣豪小説」なるものを樹ち立てることになる。しかも、この小説は見事なリドル・ストーリーともなっており、そういう意味でも日本文学史に重要な地位を占めると言ってもいいんじゃないかな。で、この「剣豪小説」の最後では尾張藩剣術指南役・柳生連也斎とそのライバル・鈴木綱四郎(あの宮本武蔵の弟子)の真剣試合が描かれることになるのだが、若林勝右衛門(柳生連也斎・鈴木綱四郎と並んで「尾張の三虎」と称される達人で、この試合にあっては柳生家の代理人を務めている)ほか尾張藩の全藩士が見守る試合の場(天白ケ原)に太陽(朝日)を背にして立ったのは綱四郎。そして、綱四郎から距離を置き、その長く延びた影の先端を踏む形で立ったのが連也斎。その影は、朝日が昇るにつれ、短くなる。そして、その短くなった分だけ、連也斎は間合いを詰めて行く……と、そんな感じなんだけれど、朝日を背にして立つ綱四郎と相対する連也斎、という構図は、夕日を背にして立つ英治と相対する石原、という構図と重なり合う。しかも、「柳生連也斎」では、2人の剣豪が方や八双、方や青眼の構えで睨み合うという形となり、時間ばかりが過ぎて行く。それにつれ、朝日が昇って行く。これが、朝日を背にして立つ綱四郎と相対する連也斎、という構図に徐々に変化をもたらして行くわけだが、「ゴウイング・マイ・ウェイ」では、主に石原が英治に話しかけるという形で時間が経過。それにつれ、夕日が沈んで行く。これにより、夕日を背にして立つ英治と相対する石原、という構図に徐々に変化をもたらして行くことになる。夕日が沈めば、当然、室内が暗くなるわけで、その分、石原に反撃の余地が生じる、ということになるわけだから。そして、はたして石原は「英治、あかりをつけろ」と言い、身じろぎする。その瞬間、「轟音と共にオレンジ色の閃光がした。続いてもう一発」――というんだから、石原が隠し持っていた拳銃で(石原は両手をひじかけに置いたままで、机の下には拳銃が隠されていることもちゃんと記されている)英治を撃った――のかも知れない、という推測が誘発されることになる。もちろん、撃ったのは英治、という可能性もあるわけだけれど……一方、「柳生連也斎」の最後はどうなっているかというと、こうなっている――

 わずかにわずかに太陽は昇った。雲は近寄った。太陽は照りつゞけた。雲は近寄った。連也斎は青眼に構え、綱四郎は八双に構えていた。勝右衛門は「うっ」と呻いて目を閉じた。
 雲が太陽に追いついたと殆んど同じ瞬間、地上では二つの太刀が閃いたのであった。
 綱四郎と連也斎は、どちらもだらりと太刀を垂れ、身を接する近さで互いの眼と眼を睨みあっている。ずい分と長い間二人はそうしているように勝右衛門には思えた。
 やがて、一人の額から鼻唇にかけてすーっと一条の赤い線が浮上った。線から、ぷつり/\と泡が吹き出した。するとその武士はニヤリと笑い、途端に、顔が二つに割れ血を吹いて渠(かれ)はどうと大地に倒れた。

 もう、見事だよ。ハッキリ言って、「男か? 熊か?」なんてメじゃないね。ミステリー作家は、五味康祐にひれ伏すべきですよ。で、河野典生はきっとひれ伏したんだろうと思う。で、この「柳生連也斎」の最後の場面を〝翻案〟して一編の小説をものにした。ただ、それをそのまま世に問うのは憚られたのか、それとも「夜のプリズム」原作小説募集の応募規定を満たすには何か足りないものがあったのか(「夜のプリズム」は日野自動車がスポンサーだったようなので、車のシーンが必須だったのかも知れない)、書き直すことにした。そうしてでき上がったのが「ゴウイング・マイ・ウェイ」である――というのが、今日、おれが一日かかってひねり出した仮説なんだが……ただ、こう考えたとしても、既に指摘した由香利の不思議な台詞――「あの人が机を背にするなんて、普通じやなかつたのよ」が不思議じゃなくなる……かといえば、そうでもないんだよ。だからねえ、「ゴウイング・マイ・ウェイ」ってのは本当に難解な小説だよ。この小説を入選佳作第一位にした選考委員のセンセイ方(江戸川乱歩・阿木翁助・長沼弘毅・中島河太郎の4氏)は理解できたんでしょうか? おれには、できません、ということを明言して、この件は終わりにしたいと思う。もう、これ以上は、ムリです……。



アスファルトの上

 この際だから、こういうことも書いておこうと思うのだけれど――現在、「ゴウイング・マイ・ウェイ」を読もうと思うなら、最も手軽なのは2019年に光文社文庫から刊行された『八月は残酷な月』だろうね。この本、河野典生の第1作品集『陽光の下、若者は死ぬ』所収の3編(「ゴウイング・マイ・ウェイ」「陽光の下、若者は死ぬ」「狂熱のデュエット」)、第2作品集『アスファルトの上』所収の3編(「殺人者」「八月は残酷な月」「アスファルトの上」)、第5作品集『ガラスの街』所収の1編(「青い群」)、単行本初収録の1編(「海鳴り」)からなる、まあ、初期短編集ということになるわけだが……今、こんな短編集を編んで令和の本読みに提示することにどれほどの意味があるのだろうか? これは、おれの理解だけれど、河野典生という人は文学青年の尻尾を断ち切れないままミステリー作家になった人で、初期の作品にはそういう色が隠しようもなく滲み出ている。『八月は残酷な月』の表題作に選ばれた「八月は残酷な月」なんて、特にその色合いが濃い。ここまで純文学志向が強いんなら、純文学をやればよかったのに。まだ挫折するほどの年齢でもなかったのだから。しかし、どういうわけか彼は日本テレビと『宝石』が共催した「夜のプリズム」原作小説募集に応募して入選佳作第一位となり、そのままミステリー作家としてデビューした。しかし、ミステリー作家としてデビューはしたものの、文学青年としての尻尾は断ち切れておらず、初期短編の多くはミステリーとしては至って未熟で、そんなものを集めてあえて令和の本読みに提示する意味がどれほどあるのだろうか? たとえばだよ、吉田拓郎のエレック時代の作品――「やせっぽちのブルース」とか「自殺の詩」とか――をセレクトしたCDを作って(「昭和Jポップルネサンス」とでも称して?)発売して令和のリスナーに受け容れられるだろうか? それと同じことですよ。

 言っとくが、おれは河野典生を読むよ、これからも。それから、生島治郎も読む。でも、彼らを十代の頃に読んでいたおれだからこそこだわっているわけで、そうでなけりゃ読む理由なんてないだろう。だって、読むべき本は他にどれだけでもあるんだから。河野典生は、おれみたいな人間がこだわっていればいいんだよ。そして、おれの世代がいなくなれば、それきり忘れられる……、それでいいと思う。それじゃ、だめですか、山前さん?(あ、山前譲さんは1月に亡くなられているんですね。知らなかった。ここに慎んで御冥福をお祈りします。合掌)