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別れのために振り返れ

 言っとくが、おれは河野典生を読むよ、これからも。それから、生島治郎も読む――、そう宣言(?)した通り、生島治郎を読んでいる。読んでいるのは、久須見健三シリーズの内、雑誌に発表されたきりになっているもので、全部で何編あるのかは不明ですが、当の生島治郎は1976年に読売新聞社から刊行された『自選傑作短篇集』巻末の「私の推理小説作法」で「この主人公を登場させた中篇シリーズを十数篇書いている」と明かしており、その内、本になっているのは、おそらくは6編(『死はひそやかに歩く』所収の4篇と『熱い風、乾いた恋』所収の2篇)。残りが雑誌に発表されたきり、ということになるわけで、10+𝒳−6だから……いずれにしたって、結構な数、ではあるよね。で、こんなことを思うにつけても、久須見健三シリーズというのは、つくづく、不幸なシリーズだなあ、と。「男か? 熊か?」でも書いたように、久須見健三シリーズはある種の〝焚書〟の対象になってきたという現実がある。1984年、旺文社は生島治郎の短編集3冊を文庫化するに当たって久須見健三シリーズに属する作品を(1編を残して)削除した。その理由は、作中に含まれる「びっこ」「かたわ」「唖」などのかつては普通に使われていた言葉(ただし、おれの小学校時代の同級生に足の不自由な子がいて、当然のことながら綽名は「びっこ」だった。で、おれが彼を「びっこ」と呼んだら、先生から注意された、という記憶がある。多分、3、4年生ころのことだと思うので、1967、8年。奇しくも「淋しがりやのキング」(『別冊文藝春秋』1967年9月号)や「死にゆくもののために」(『オール読物』1968年6月号)が書かれたころ。その当時、既に「びっこ」を使用を控えるべき言葉とする価値観が台頭しはじめていた、ということだと思う。でも、まだ社会に定着するには至っていなかった――、そういう認識で間違いないだろう)が1980年代という時代の価値観にそぐわなかった、というのがおれが「男か? 熊か?」で披瀝した仮説ではあるんだが……

 ただし、このセオリーを雑誌に発表されたきりになっている10+𝒳−6に当てはめられるかというと、やや微妙。というのも、10+𝒳−6が書かれたのは1960年代後半から70年代前半にかけてなので。で、まずはその内の1篇について紹介すると、これだけは事前に読んでいて、それは「戦友たちの時代は終った」という作品。初出は『小説セブン』1969年11月号。なんでこれだけは事前に読んでいたかというと、この小説については新保博久が生島治郎の『男たちのブルース』が収録された『冒険の森へ 傑作小説大全 6 追跡者の宴』巻末の解説「追う者たちを追って」で言及しており、本作と『男たちのブルース』のテーマの相似を指摘した上で「生島氏にはこのテーマを描き足りない思いがあり、『男たちのブルース』に改作し、「戦友たち……」は廃作とする意識があったのかもしれない」。で、掲載号まで紹介してくれているので、国立国会図書館からコピーを取り寄せて読んでみた、という次第。で、確かにテーマ――というか、モチーフだな――の相似は認められる。それは短剣。日本刀を拵え直したもので、元は「妖刀」として知られる村正だったという。「村正は徳川家に不吉な刀とされ、古くは豊臣の遺臣、幕末には、倒幕の武士たちが好んで帯びたとされることから、勤王の志にあやかって、軍刀や短剣にこしらえ直して、前線へ持っていく軍人があった」――とは、久須見健三が語るその謂れ。で、これと同じものは、確かに『男たちのブルース』にも登場する。こちらでは、軍隊時代の泉一(いずみ・はじめ)が部下から託されたとされており、その謂れについては部下の言葉として――「これは、家代々に伝わる短刀を短剣にこしらえなおして、おやじが出陣のはなむけにくれたものです」。だから「『男たちのブルース』との相似は明らか」(新保博久)ということになる。でも、小説としては全然違うって。『男たちのブルース』は大沢在昌が「生島ハードボイルドの最高傑作」(同書巻末の「ハードボイルドの条件」)と言い切る純然たるハードボイルドだが、「戦友たちの時代は終った」はハードボイルドよりもスリラーに近い。実際、掲載誌では本作をどう紹介しているかというと――「メルボルンに暗躍する国際スパイの意外な内幕」。ストーリーにしてもそうで、久須見健三が軍隊時代の上官から訓練中に事故死した部下の遺品(それが、日本刀を拵え直した短剣)をオーストラリアのキャンベラにある戦争記念館に展示されている旧日本海軍の特殊潜航艇(1942年5月31日の「特殊潜航艇によるシドニー港攻撃」で使用されたもの)に奉納してくるよう頼まれ海を渡ったものの、現地に到着するや身の回りで次々と事件が勃発、最終的には短剣を奉納するというのは口実で、実際はあるスパイ組織(その重要な基地の1つがメルボルンにあるという設定)の片棒を担がされていたことが判明する――というような次第で、スリラーに近いというか、まあ、スリラーだよね、巻き込まれ型の。だから、本作を『男たちのブルース』に改作したという見立てはストーリーから言ったって成り立たないと思う。ただ、「戦友たちの時代は終った」の初出は『小説セブン』1969年11月号。それ以降、1975年までに刊行された生島治郎の短編集が6〜7冊あることを思えば(刊行順に列挙すると『脱落(ドロップアウト)』『日本ユダヤ教』『止めの一撃』『闇に生きる』『裏切りの街角』『火中の栗を拾え』『背をむける男たち』。この内、『背をむける男たち』は既刊の短編集からセレクトした傑作選のようなもので、そのためあえて6〜7冊という幅のある言い方をした)、なぜそれらに収録されることはなかったのかはなかなか回答を見出せない問となる。1970年代前半ならば、「びっこ」にしろ「かたわ」にしろ(いずれも「戦友たちの時代は終った」で使われている)、問題視されることはなかったはず。現に雑誌には掲載されていたわけだから。しかし、この時代に刊行されたいかなる短編集にも収録されることはなかった。特に1970年に東京文藝社から刊行された『脱落(ドロップアウト)』の表題作は『小説セブン』1970年2月号に掲載されたもので、同じ『小説セブン』に掲載された「戦友たちの時代は終った」が収録されることがなかったのは、つくづく、不思議ではある。この事実を重く捉えるならば、新保博久の言う「廃作」説もあながち否定はできない、とは言えるかな。もっとも、「戦友たちの時代は終った」に関してはそういう見立てが可能だとしても、残りは? ということになるわけだよ。それらについては、また別の見立てが必要となる。そして、その手掛りを得るためには、それらを読むしかない、ということになる。

 というわけで、現在、おれが読んでいる10+𝒳−6の〝残り〟をご紹介しよう。それは、次の4篇。


  • 別れのために振り返れ(『小説新潮』1972年5月号)
  • わが影よ……(『小説新潮』1972年8月号)
  • 終りなき夜のために(『小説新潮』1973年8月号)
  • 汐風は血の匂い(『小説新潮』1975年5月号)

 見てもらえばわかるように、すべて『小説新潮』に寄稿されたもの。実は『熱い風、乾いた恋』に収録された「誇りと殺人」(旺文社が文庫化に当たって唯一残した作品)も『小説新潮』1968年8月号に寄稿されたもので、こうなると新潮社はこれら5篇で1書を編んでもよかったはずなんだけどなあ……。ちなみに、新潮社からは生島治郎の著書はただの1冊も刊行されていない。新潮文庫版『昭和ミステリー大全集』中巻に「淋しがりやのキング」、同ハードボイルド篇に「死んだ男にこの唄を」が収録されているきり。この疎遠な関係も気になるところで……。

 ところで、今回、おれはこの4篇をどうやって発見したかというと、何のことはない、国立国会図書館のデジタルコレクションが提供している検索機能によって。実は『小説新潮』はデジタル化が完了しており、しかも全文検索が可能になっている。で、閲覧こそ国立国会図書館内限定ではあるものの、検索結果として検索語を含む文字列がいわゆるスニペットとして表示される。これは画期的ですよ。だから、詳細検索でタイトルを「小説新潮」として、検索語に「久須見」とでも入れれば、検索結果として掲載号ばかりではなく、「久須見」を含む小説の本文が表示されることになる。たとえば、1972年5月号には全2件の該当箇所があり、110コマ目として「かしている。「きみが久須見健三さんだね?」うすいサングラスの奥から細い酷薄そうな眼で私を…」。さらに、「110コマ」がリンクとなっており、それをクリックすると、本文の閲覧こそできないものの、目次の閲覧は可能で、それによれば「競作・ハードボイルド 別れのために振り返れ--中華舶・司厨長の密輸の片棒を担いだのは彼との間に友情があると信じたからだが!/生島治郎/p200~215」の一節であることまでわかる。これを画期的と言わずして何と言う⁉ で、この機能を使って↑の4篇を見つけ出し、速攻で遠隔複写を依頼。それが、昨日、手元に届いて、今、まさに読んでいる最中、ということであります。なお、現状、デジタル化が完了しているのは(三大小説誌の中では)『小説新潮』と『オール読物』だけで、『小説現代』は未対応。また『小説セブン』や『小説宝石』のような1960年代後半になって創刊された小説誌も未対応。さらに『推理ストーリー』や『推理界』のようなミステリー専門誌も未対応。だから、久須見健三シリーズで雑誌に発表されたきりになっているものは↑の4篇ですべて、とは言い切れない。ただ、本になっている6篇+本になっていないけれど既知の1篇+新発見の4篇でトータル11篇にはなるので、生島治郎が書いている「十数篇」にはギリギリ届くかなと。

 で、問題は、この4篇を通読することによって、なぜこれら10+𝒳−6が書籍化されることなく、雑誌に発表されたきりになってしまったのか(その結果として、日本ミステリー史の〝埋蔵文化財〟と化してしまったのか)、その手掛りが得られるかどうか? なんだが……。



 まず、「戦友たちの時代は終った」について書いておこう。新保博久の言う「廃作」説は、正しいと思う。実は「戦友たちの時代は終った」と『男たちのブルース』にテーマ(モチーフ)の相似が認められるだけではなく、「戦友たちの時代は終った」と「別れのために振り返れ」にも相似が認められるのだ。「戦友たちの時代は終った」では久須見健三はそうとは知らずにあるスパイ組織の片棒を担がされるのだが、その方法というのは松葉杖にマイクロフィルムを仕込んでおくというもので、その松葉杖はわざわざ一芝居打って、普段、久須見健三が使っている松葉杖を使えないようにし(へし折り)、その代償として提供されたもの。久須見健三は、その松葉杖をついてオーストラリアまで行ったわけで――「びっこが松葉杖をついていれば、誰もあやしむものはない。それがやつらのねらいだったのさ。短剣は煙幕にすぎない」。でね、これとほぼ同じトリックが「別れのために振り返れ」でも使われているのだ。こちらでは松葉杖に仕込まれているのはマイクロフィルムではなくある結晶体で――「椅子のところへ歩いて行き、腰を下ろして、松葉杖を丹念に調べてみた。杖の先端にゴムがかぶせてある。それをはがすと、中に金属のネジ蓋がはめこんであって、杖の内部にくいこんでいる。かなりかたかったが、力まかせにネジ蓋をまわすと、次第にはずれてきた。ネジ蓋をとり去ったあとの杖の中は空洞になっていて、そこになにかがつまっていた。杖を軽くふって、私はそのつまっているものを掌に受けた。白い粉末状の結晶体がこぼれてきた。小指の先につけてなめてみると、案の定ヘロインであった」。久須見健三がそうとは知らずに運び屋となって運んだブツこそ違え、トリック自体は同じで、生島治郎に「戦友たちの時代は終った」は「廃作」という意識がなければこんなトリックの使い回しのようなことをするはずがない。だから、新保博久の言う「廃作」説は、正しいと思う。ここは、氏の炯眼に賛辞を捧げておきましょう。で、「戦友たちの時代は終った」はいいとして、残る4篇だよ。それがなんで雑誌に掲載されたきりになってしまったのか? まず、作中に「びっこ」「かたわ」「唖」などのコンプライアンス上、問題のある言葉が頻出するため、というのは、可能性としてもほぼ否定されるということを書いておこう。というのも、4篇の中では最も早く書かれた「別れのために振り返れ」にこそ「片輪者」という言葉が認められるものの、それもただの一回きりで、以後の作品ではそうした言葉は認められなくなる。強いて挙げれば「わが影よ……」で久須見健三が自らを「不具」と言い表す下りがあるのだが、まあ、これくらいならば当時の価値観では問題視されることはなかっただろう。むしろ、その一語を含む一節を読むならば、印象は相当に違ってくるはずで――「世の中には、私同様、片脚のない人や、あるいは、他の肉体的欠陥のある人でも、健全な家庭を持っている例はいくらもある。要するに、私が独り住まいに固執しているのは、肉体的欠陥のせいよりも、私の精神的な不具のせいであろう」。おれには、生島治郎なりに慎重に言葉を選んで書いているように読みとれるんだが、どんなもんだろう? いずれにしても、もう久須見健三は「びっこ」ではなかった(そう呼ばれることがない)。となると、「別れのために振り返れ」以降の4篇が雑誌に掲載されたきりになってしまった理由は別にあると考えざるを得ないんだが……

 実は、久須見健三は「終りなき夜のために」でも「汐風は血の匂い」でも、飲酒運転をする。飲酒運転が危険だということは、当然、当人にも自覚はあって、「わが影よ……」では――「自分の車はスナックのすぐ横に駐めてあるのだが、酔っぱらったまま運転して帰るのは危険だと思った。特に、片脚しか使えない身では、なおさら慎重にならざるを得ない。酔っぱらっていても、それぐらいの配慮が働くぐらいの自覚はあった」。ところが、そんな危険な行為をやってしまうのだ。「終りなき夜のために」の場合だと「トゥームストーン」というかつて司厨長をやっていたメキシコ人が経営しているバーでウイスキーの水割りを呑んでいた久須見健三が、バーニイという、明日、食料品を届けに行くことになっている貨物船のボーイから声をかけられ、「おれはいま殺されかかっているんだ。十中八九、殺されることは間ちがいない」とか、穏当ならざることを言われた揚げ句、あるものを預るよう頼まれるのだが――

「それほど云うのなら、こいつは一応あずかっておくことにしよう。だがな、バーニイ、もう一度忠告しておくが、バカな真似をしようとしているのなら、もう一度よく考え直せよ」
 そう云い残して、立ちあがり、扉口の方へ歩きだした。
「アミーゴ、もう帰るかね?」
 背後から、アルメンデスの陽気な声が追っかけてきた。
「またちょくちょく顔をみせてもらいたいもんだな。あんたの顔をみると、以前の司厨長時代を思いだせるんでね」
「だからといって、また十パーセントのリベートがもらえると思ったら大間ちがいだぜ」
 ふりかえって、私はニヤッと笑ってみせた。
「もっとも、ここの酒代は十パーセントどころではないもうけが含まれているんだろうがな……」
「あんたの皮肉にはかなわんよ」
 アルメンデスは大げさに肩をすくめ、ウインクしてみせた。
「アディオス、セニョール」
「アディオス」
 と私も答えて、表へ出た。
 駐めてある自分の車に乗りこんでから、バーニイに渡された封筒をあらためて見直した。十センチ四方ぐらいのなんの変哲もない角封筒で、中にはうすい紙片が一枚入っているらしく、部厚いものではなかった。
 殺されるというバーニイの言葉が気にかかり、よっぽど、糊づけされた封を開けてみようと思ったが、彼との約束を思いだし、そのままにしておいた。それに、外の冷たい風に吹かれると、酔いどれの口走ったことをまともに受けとったのが、なんだかバカバカしく感じられてきた。
 封筒を運転席のシートの間につっこむと、私は車をスタートさせた。

 なんでも日本において飲酒運転が法律上明文で禁止されたのは、1960年の道路交通法改正の際とかで、それまでは飲酒運転を禁止する規定は存在しなかったそうだ(ウィキペディア情報)。とはいえ、それは1960年以前の話で、この小説が書かれたのは1973年なんだから、疑問の余地なく、改正道交法が適用される。従って、もし見つかれば、久須見健三には「二年以下の懲役又は十万円以下の罰金」が科される、ということになる。しかも、久須見健三は飲酒運転の常習犯だったようで、この2年後に書かれた「汐風は血の匂い」でも飲酒運転をしているのだ。この際は同乗者(荷役会社・木下組の社長・木下佐介)もいて、こんな会話が交わされる――

「なるほど、なかなか見事なものじゃないか。この分だと、事故を起す心配もなさそうだ」
「もう、二十年以上も片脚で運転しているんですからね。そうバカにしたもんじゃないですよ。ふつうのドライバーと競争したって負けやしない。なんなら、試してみますか?」
「いや、それには及ばない。そんなことをされたら、糖尿の発作を起す前に、心臓の発作を起しそうだ」

 言っときますが、この2人、ドライブに出る前はホテル・ニューグランドの「ルーフ・ガーデン」で赤ワインを2本空けた上にブランディまで呑んでいるんだから。その上で酔いざましも兼ねて山下埠頭まで行こうということになって、こうしてドライブをしているわけで、これまた明々白々たる道交法違反です。

 で、さらに言うならば、久須見健三は『死はひそやかに歩く』においても飲酒運転をしている。しかも、同書を構成する4話の内、3話において(第一章、第三章、第四章)。だから、もう本当に常習犯なんだよ。もっとも、「別れのために振り返れ」以降の4篇が雑誌に掲載されたきりとなっているのは、これが理由――とは言い切れない、『死はひそやかに歩く』は本になっているわけだから。また、「終りなき夜のために」も「汐風は血の匂い」も本にはなっていないけれど『小説新潮』には掲載されているわけだから。要するに、当時はさほど問題視されていなかったということ。実際、テレビの刑事ものでも普通に飲酒運転をしていた、『太陽にほえろ!』とか『西部警察』とか。いや、あの国民的ドラマとされる『北の国から』でさえそうだった。黒板五郎(田中邦衛)がスナックで大酒を呑んで軽トラックを運転して帰るということが何回もあった。それが当時の価値観だった。だから、なんとも言いがたいところではあるんだけれど……

 しかし、新潮社には、泣く子も黙る校閲部がある! 仮に、新潮社出版部としては『死はひそやかに歩く』に続く久須見健三シリーズの連作短編集第2弾の構想を持っていたとして(じゃなけりゃ、同シリーズの作品がこれほど集中的に『小説新潮』に掲載されるということは考えにくいでしょう)、実際に『小説新潮』に掲載された4篇で1書が編まれ、校閲部に回された――と考えた場合、あの「決して間違いを許さない」とされる校閲部がこれほど明々白々たる法令遵守違犯に目を瞑るだろうか? おれには、とてもじゃないが、考えられない。そういう意味で、新潮社の校閲部というのは、鬼門なんですよ(まあ、それをソフトに言うと「神部門」ということになる、こちらの記事のように)。そして、久須見健三シリーズはその鬼門を通過することができなかった――というのが、まあ、現時点でのおれの仮説というか……。



 それにしても、新潮社からは生島治郎の著書はただの1冊も刊行されていない――とは、どういうことなんだろう? 実は、生島治郎が『小説新潮』に寄稿した作品自体は決して少なくない。おれがデジコレで調べた限りだと、1967年9月号に寄稿した「檻の中の微笑」(生島治郎が好んで書いたボクシングをモチーフとする小説の第1号。生島治郎はあの「キンシャサの奇跡」と謳われたモハメド・アリvsジョージ・フォアマン戦を描いたノーマン・メイラーの傑作ノンフィクション『ザ・ファイト』も翻訳するなど、ボクシングにはことのほか関心が高かった。なお、「檻の中の微笑」は1968年に徳間書店から刊行された『淋しがりやのキング』に収録されている)を皮切りに、1970年代いっぱいに区切っても、以下の通りになる。


  • 檻の中の微笑(『小説新潮』1967年9月号)
  • 黒い流れの中に(『小説新潮』1968年3月号)
  • 誇りと殺人(『小説新潮』1968年8月号)
  • エウゲニイ・パラロックスの怪(『小説新潮』1969年1月号)
  • ショウ・ビジネス(『小説新潮』1969年3月号)
  • 白い炎(『小説新潮』1969年7月号)
  • 男一匹(『小説新潮』1970年1月号)
  • 電話が鳴る(『小説新潮』1970年7月号)
  • 薄倖の街(『小説新潮』1971年3月号)
  • 虚業家が嗤う時(『小説新潮』1971年12月号)
  • 暴発(『小説新潮』1972年1月号)
  • 別れのために振り返れ(『小説新潮』1972年5月号)
  • わが影よ……(『小説新潮』1972年8月号)
  • ハート・ブレイク・ビジネス(『小説新潮』1972年9月号)
  • 夜歩く者(『小説新潮』1973年4月号)
  • 終りなき夜のために(『小説新潮』1973年8月号)
  • 共犯者にはなりにくい(『小説新潮』1974年10月号)
  • 汐風は血の匂い(『小説新潮』1975年5月号)
  • 脱走者(『小説新潮』1975年12月号)
  • ドボンの神様(『小説新潮』1976年4月号)
  • 蜘蛛の巣(『小説新潮』1976年10月号)
  • 他力念願(『小説新潮』1977年9月号)
  • 頭を冷やせ(『小説新潮』1978年5月号)
  • アル中の犬(『小説新潮』1979年5月号)

 これ以外に『別冊小説新潮』に寄稿したものもあるわけで(『別冊小説新潮』はデジタル化の対象外で、正確なところは掴めないものの、1967年夏季号に寄稿した「永い休暇」を皮切りに5〜6篇は寄稿していることが確認できる)、決して生島治郎と新潮社の関係が疎遠だったようには(表面的には)思えない。にもかかわらず著書はただの1冊も刊行されていない――ということになる。でね、ここにはやっぱり生島治郎の〝思い〟が横たわっていると見なさざるを得ないんだよ。じゃなけりゃ、こんなことにはなっていないはず。ということで、こっからは想像を交えた話にはなるんだが……生島治郎は1993年に刊行された戦後ミステリー史の貴重な証言『浪漫疾風録』で『傷痕の街』でデビューするに至った経緯をこう振り返っている――

 この生原稿を最初に読んでくれたのは結城昌治だった。彼は忙しいにもかかわらず、眼を通してくれた上に、ある一流出版社へ推薦してくれた。
 しかし、しばらくして、その出版社からはノーの返事があったと、言いにくそうに越路(注:本作における生島治郎のオルターエゴ。『浪漫疾風録』は戦後ミステリー史を彩った綺羅星のごとき才能が実名で登場する実名小説だが、主人公である生島治郎だけは越路弦一郎という役名で登場する)に告げた。
「いや、この作品がわるいんじゃないんだよ。おれが前に推した作品の売れ行きが今いちだったんだ」
 と結城は慰めてくれた。
「他の社だったら、間ちがいなく出すと思うから気を落とすなよ」
 そう言われて、結城の好意は身に染みたが、気を落とさないわけにはいかなかった。自分の才能にノーという烙印を捺されたようなものだった。

 ここに出てくる「ある一流出版社」とは、ズバリ、新潮社ではないか? 結城昌治は、当時、新潮社が出していたペーパーバックライン「ポケット・ライブラリ」から『罠の中』を出している。だから、新潮社とはコネがあった。そのコネを生かして新潮社に働きかけたものの、新潮社がリジェクトした、ということではないか? 確証はないが、結果として生島治郎は新潮社からはただ1冊の本も出すことはなかった、という事実から逆算して考えるなら、生島治郎の〝渾身の〟デビュー作をリジェクトした「ある一流出版社」とは、新潮社、というのが、まあまあ、ドラマツルギー的には適っているかな、と。で、当然のことながら、生島治郎としては、なにくそ、と思うよね。その〝思い〟は『傷痕の街』が佐野洋の「強力な推し」もあってこれまた新潮社と遜色ない「一流出版社」である講談社から晴れて四六判の上製本として出版されても『追いつめる』で第57回直木賞を受賞しても日本推理作家協会の理事長となっても変ることはなく、それが結果として新潮社からはただ1冊の本も出すことはなかった(ただし、『昭和ミステリー大全集』は生島治郎が理事長時代に刊行されている。一体、どんな交渉を経て刊行が決まったものやら。もしかしたら、生島サイドと妥協を図りたい新潮社側が持ちかけた可能性も? そうだとするなら、新潮社側の懐柔策だったということに……?)、という事実となって、今、ワレワレの眼の前に提示されているのでは? そんな作家の心中をうかがわせる記載が『浪漫疾風録』の続編である『星になれるか』にある。この中で生島治郎は徳間書店の創業者・徳間康快について記す流れでこんなことを書いているのだ――「編集者たちも個性的な人材が多く、ここもどっちかといえば正規軍というよりゲリラの匂いがした。/自分が小さな出版社出身であるだけに、越路はこういう編集者たちの個性が好ましく思われ、徳間書店の雰囲気は好きだった」。実にこの人らしいな。そして、徳間書店が「ゲリラ」に比定されるなら、その対立軸としての「正規軍」に比定されるべきは――もう新潮社以外にはありえんだろう。そして(幻の「久須見健三シリーズの連作短編集第2弾」の構想があったとしても)結果として生島治郎は新潮社からはただ1冊の本も出すことはなかった、ということは、彼自身、終生、「正規軍」とは交わることはなかった、ということを意味している……。