おれが「アテンション・エコノミー」という言葉を知ったのは東出昌大が9月24日付けでnoteで公表したこちらの文章によってなんだが、語義としては「インターネットが発達するなどした情報過多の高度情報化社会においては、情報の優劣よりも「人々の関心・注目」という希少性こそが経済的価値を持つようになり、それ自体が重要視・目的化・資源化・交換財化されるようになるという実態を指摘した概念」(ウィキペディアより)。うーん、わかったようなわからないような(苦笑)。でも、最近のテレビ局が「人々の関心・注目」を惹くべくあの手この手で臨んでいるのは間違いなく、出演者を小分けにして発表するなんてのもその1つだろうね。つい最近も出演者発表の第8弾(!)として吉田松陰役に中村倫也、高杉晋作役に寛一郎などが発表されたところですが……一体、第何弾まであるんだ? まあ、それほどまでにNHKとしては「人々の関心・注目」を惹き続けたいと。で、第何弾まであるにせよ、きっとNHKは最後にとんでもない隠し球を用意しているに違いないとおれは思っている。それは、山﨑賢人ですよ。山﨑賢人といえば、再来年の大河『ジョン万』で主人公のジョン万次郎を演じることが既に発表されているわけですが、そのジョン万次郎は『逆賊の幕臣』にも出てくる(はず)。というのも、小栗忠順もその一員だった万延元年遣米使節団で通弁を務めたのがジョン万次郎こと中浜万次郎なのだから。で、どうせ万次郎を登場させるのなら山﨑賢人に演らせた方がおもしろいだろう。『ジョン万』のプロモーションにもなるしね。だから、おれは結構な確率で山崎@万次郎が出てくるんじゃないかと思っているんだが(一方、『ジョン万』に松坂桃李が小栗忠順役、大沢たかおが勝海舟役で登場するかはなかなかに微妙。そこまで彼らのスケジュールを押さえられるか、という問題があるので。『逆賊の幕臣』の撮影時に『ジョン万』の分も撮ってしまう、という荒技も考えられないこともないが、そのためにはもう『ジョン万』の脚本ができあがっていなければならない。さすがにそれはムリだろう……)、このことがアナウンスされた瞬間に喚起されるであろう「人々の関心・注目」はとてつもないものに……。
さて、「来年、『逆賊の幕臣』を見るために①」でも紹介した「小栗上野介の寺 東善寺(公式)」のこちらのページに小栗忠順がその発案に関わったとされる3つの「株式会社」のことが書かれている。それぞれに興味をそそられるものではあるけれど、おれが特に興味をそそられるのは3つ目の「小布施の船会社」。これだけは具体的な名前はなく、構想としてもごく初期段階だったことがうかがえるのだが、おれがこの「小布施の船会社」に特に興味をそそられるのはその構想にユージン・ミラー・ヴァン・リードが組み込まれていたため。ユージン・ミラー・ヴァン・リード――、はたしてどれだけの方がご存知ですかねえ。まあ、歴史に詳しい方ならば「高橋是清を奴隷として売り飛ばした男」としてご承知かも。ちなみに、今日時点でのウィキペディアでの記載は「高橋是清が慶応3年(1867年)に勝海舟の息子・小鹿と海外へ留学した際に、リードは学費や渡航費を着服した。さらに高橋のホームステイ先である彼の両親は、高橋を騙して年季奉公の契約書にサインさせ、オークランドのブラウン家に高橋を奴隷として売った」(なお、ユージン・ミラー・ヴァン・リードのファミリーネームを「リード」とするのは間違い。英米人の名前の場合、前置語は一律にファミリーネームに含まれる。レオナルド・ディカプリオの「ディ」とかロバート・デ・ニーロの「デ」とか。ユージン・ミラー・ヴァン・リードの場合は「ヴァン」がそれに当たる。だから、ファミリーネームはヴァン・リード。そう言えば、マカロニ・ウェスタンでクールなガンマンを演じていたリー・ヴァン・クリーフて俳優がいたけれど、おれは好きだったなあ……。ウィキペディアでは、こちらについてはちゃんと「ヴァン・クリーフ」と書いている)。ただ、かく言うおれはユージン・ミラー・ヴァン・リードを「青い目の坂本龍馬」と思っており、そういう観点で記事も2つ書いた(「ある不良外国人に捧げる「時の娘」①」と「ある不良外国人に捧げる「時の娘」②」)。ハテ、なんで「高橋是清を奴隷として売り飛ばした男」が「青い目の坂本龍馬」になるんだ? と疑問に思われた方はとりあえず「ある不良外国人に捧げる「時の娘」①」を読んでいただきたいと思いますが……その「青い目の坂本龍馬」であるところのユージン・ミラー・ヴァン・リードが村上泰賢師が言う「日本初の郵船会社」であるところの「小布施の船会社」の構想に組み込まれていた。それを裏付けるのが記事でも引用されている信濃国上高井郡小布施村の豪農・高井鴻山が松代藩に提出した「船会社設立案」建議書(ただし、おれは後に述べる理由でこの文書を「建議書」とするのはやや問題があると思う。実際、引用元の『高井鴻山小傳』では「上申書」とされている。だから、以後は「上申書」と記載します)。記事ではその冒頭部分のみ現代文に改めて紹介されていますが、ここは全文を原文で紹介することにしよう――
上 申 書信越富豪之者、結㆑社造㆑艦、外國出交易の事、偶然に小栗上州御奉行より、御話有㆑之候處、官船拜借の義も可㆓相成㆒、又米利堅人ウエンリイと申豪商、御府内に在留候間、右の者を商船運轉賣買の指南に、被㆑遣候ても、可㆑然候間、彌右豪富結社の目論見可㆑為㆑致、右も武士は却て面目を出し不㆑申、蔭の周旋可㆑致旨、北澤織之助へ先月十四日被㆓仰含㆒候御内意の趣相達し奉㆓謹承㆒候。
信越と申内、信濃國には格別の豪富も不㆓相見㆒候得共、人物は心當りも有㆑之候。越後國には豪富も餘程可㆑有㆑之候。然處結社造艦は畢竟豪富貨殖の為而已に無㆓御座㆒、追々被㆓仰出㆒候御趣意に奉㆑体、富國强兵共に造船の上諸外國交易為㆑致候は、第一の捷徑に可㆑有㆑之、其先鞭嚆矢を致候譯柄に付、乍㆓農商㆒も、頗義勇の輩を相擇候儀に付、結社成就の上は、一廉御引立も被㆓成下㆒度候。積年考置候人物も御座候得共、近年來世上の形勢、朝夕に變化いたし候間、多分の者は、自然と趣向に迷惑いたし罷在候。是を能一途に歸向せめ、一勞永逸の長策を説諭いたし、今は一己の物數奇計にても貫徹方捗申間敷、或は疑惑をも可㆑生哉に被㆓氣遣㆒候得共、先、積年知音のものより説諭したし、試可㆑申、右に付ては左の趣早速相心得申度奉㆑存候
一、官船拜借並米利堅人を指南に相賴み候には、結社の内、總代一人、其鄕貫の役人一人差添、孰れの御奉行所へ願出候はば可㆑然哉
但官船拜借に付冥加上納有無多少、並指南に相願候ものへ、謝禮手取等幾干、運轉人夫等幾干、此雜費幾干。一、御國内より輸出の物品是迄の通の生産にては、何分乏敷候て、忽ち内地の物價に差響可㆑申處、右の御手充方如何㆑有㆑之歟。愚意には物産學を開き候には、萬國經歴目撃の上より手を下し候はば、捗り可㆑申と奉㆑存候。譬へば越後國頸城郡赤倉村と申山新田にて、十數年來瓜哇薯蕷を植付、追々地味に相應したり、近年は粉にいたし麵條に製し、或は菓子、蒲鉾のかてに大流行にて、僅かの場所へ、千金以上の産業を成し候様に相成り、又信濃國の養蠶抔も、纔に五六十年來の産業、方今は幾萬金と申事に相成り候。依㆑之而は差向き、此物産の學は専御世話有㆓御座㆒度奉㆑存候。
右の段早速大略なりとも相心得申渡奉㆑存候。武士は面目を出し不㆑申、蔭の周旋可㆑然と申御趣意は、乍㆑憚御尤至極に奉㆑存候處、去るにても彼輩を説諭いたし候にも、愚意の趣一應上州へ拜謁、篤と申上候て取掛り申度ものに御座候
卯八月(慶應三年)
一読、すこぶる意欲的だしすこぶる具体的。何しろ、「譬へば」として「越後國頸城郡赤倉村と申山新田にて、十數年來瓜哇薯蕷を植付、追々地味に相應したり、近年は粉にいたし麵條に製し、或は菓子、蒲鉾のかてに大流行にて、僅かの場所へ、千金以上の産業を成し候様に相成り」云々。ここに出てくる「瓜哇薯蕷」とは「ジャガタライモ」のことだそうで、つまりは今のジャガイモのこと。ウィキペディアによれば、日本への伝来は諸説あるものの「1598年にオランダ人によって持ち込まれたとされる」。ただ、普及し始めたのは19世紀に入ってからのようで「蘭学者の高野長英は、ジャガイモ栽培を奨励している。また江戸後期には、甲斐国の代官であった中井清太夫がジャガイモ栽培を奨励したとされ、享和元年(1801年)には小野蘭山が甲斐国黒平村(山梨県甲府市)においてジャガイモの栽培を記録している(『甲駿豆相採薬記』)」。おそらくは、そんな取り組みの一貫としてこの赤倉村における「瓜哇薯蕷」の栽培もあったのだろう。それにしても、「近年は粉にいたし麵條に製し、或は菓子、蒲鉾のかてに大流行」というのはオモシロイ。しかも、高井鴻山はそれを外国との交易における輸出品として提案しているわけだから、今のJAあたりよりよっぽど意欲的なんじゃないか? ともあれ、そんな感じなので、松代藩の上層部としてもこの上申書には心を動かされるものがあったのでは?
でね、この上申書におけるユージン・ミラー・ヴァン・リードの位置付けなんだが……多分、おわかりだろうとは思うけれど、 最初に出てくる「米利堅人ウエンリイ」というのがヴァン・リードのことで、「ウエンリイ」とヴァン・リードだと音写としても相当の違いがあると思うのだが、当時の史料ではもっぱら「ウエンリイ」とか「ウエンリート」とか。そう言えば、佐々木譲の『武揚伝』では「ウエンリー・リード」となっていて、つまりは「ヴァン・リード・リード」と……? ともあれ、ここに「ウエンリイ」ことユージン・ミラー・ヴァン・リードの名前が登場するわけだが、文章をそのまま受け止るなら「商船運轉賣買の指南」役として想定されていたことがわかる。実はヴァン・リードは日本初の定期蒸気船事業とされる稲川丸の運航にも関わっていた。ここは1892年(明治25年)に元神奈川奉行所の役人だった太田久好なる人物が著した『橫濱沿革誌』より引くならば――「(慶応三年)十月江戶小網町回漕問屋松坂屋彌兵衞橫濱辯天通三丁目鹿島屋龜吉等米國人ウエンリートヨリ小蒸氣船(拾五馬力)を購求シ稻川丸ト名付ケ橫濱ト江戶永代橋迄日々乘合往復ヲ始ム當時之ヲ便利トス」。だから、彼にはこの種の事業に対する意欲(それを悪く捉えるならば「野心」ということになる。端から「悪い奴」と決めつけて何でもかんでも悪く捉えればどんな人間だって「悪人」になる。今、光文社発行の媒体がやっているのはそういうことですよ)があったということだろう。ちなみに、稲川丸の運航開始は慶応3年10月とされているわけだが、おれは岸田吟香(あの「麗子像」で知られる岸田劉生の実父。稲川丸とは深い因縁があり……その因縁はあまりにも深くてとても一言では言い表せない……)が書いたある文章の記載を根拠に慶応4年2月が正しいと思っている。この件についてはこちらの記事で詳しく考証しているので興味のある方はご一読下さい。で、そうであるならばこの上申書に「ウエンリイ」という名前が出てくるのはなんら不思議ではない、ということになるのだが……ただ、この上申書を書いたのが信濃国上高井郡小布施村の豪農・高井鴻山であることを思うならば、かなり不思議。だって、高井鴻山はどうやって「ウエンリイ」のことを知ったんだ? しかも「右の者を商船運轉賣買の指南に、被㆑遣候ても、可㆑然候」(右の者を商船運転売買の指南役として遣わされ候ても然るべく候)だよ。要するに、ユージン・ミラー・ヴァン・リードを事業のアドバイザーとして(松代藩に)派遣してもいい――と、そう言っているわけだよ。高井鴻山って、そんな立場の人? 違うよね。しかし、上申書には確かに「右の者を商船運轉賣買の指南に、被㆑遣候ても、可㆑然候」と書かれているわけだから、この一節が意味が通るように上申書の解釈に補正を施す必要があるわけだが……おれは「官船拜借の義も可㆓相成㆒、又米利堅人ウエンリイと申豪商、御府内に在留候間、右の者を商船運轉賣買の指南に、被㆑遣候ても、可㆑然候」は上申書にも名前の挙がる「小栗上州御奉行」こと小栗忠順の言葉だと思う。それならば「右の者を商船運轉賣買の指南に、被㆑遣候ても、可㆑然候」は意味が通る。さらに「右豪富結社の目論見可㆑為㆑致、右も武士は却て面目を出し不㆑申、蔭の周旋可㆑致」は北澤織之助の言葉(北澤織(幟)之助という名前は慶応4年版の『大武鑑』にも載っている。身分は「御城使」。なんでも留守居役のことを言うらしい)。だから、話の流れとしては、小栗忠順→松代藩某(この上申書の宛て人。氏名不詳ながら、おそらくは松代藩の家老クラスの人物)→北澤織之助→高井鴻山。で、この上申書は、高井鴻山が北澤織之助を介して下命があった件に対し「謹んで承り奉る」と返答した、その上申書、ということになる(だから、村上泰賢師がこれを「建議書」とされているのはちょっと違うと思う。建議したのはあくまでも小栗忠順だと思う)。そう考えた場合、興味深いのは、その建議の内容にユージン・ミラー・ヴァン・リードが組み込まれていること。しかも、「又米利堅人ウエンリイと申豪商、御府内に在留候間」だよ。要するに、「ウエンリイ」は、当時、江戸府内に「在留」していたということ。で、これは「兵庫商社・築地ホテル・小布施の船会社」にも書かれていることですが、ユージン・ミラー・ヴァン・リードの商館は横浜の外国人居留地にあった(『橫濱沿革誌』によれば、住所は「橫濱九十三番」)。加えて、当時、外国人はよほどのことがない限り居留地内から外に出ることができなかった。にもかかわらずユージン・ミラー・ヴァン・リードが江戸府内に「在留」していたとするならば、その「よほどのこと」があったと考えるしかない。たとえば、時の勘定奉行である小栗忠順に招聘されたとか……。
おれは「ある不良外国人に捧げる「時の娘」②」でユージン・ミラー・ヴァン・リードの生涯を概ね(ザックリとはあるけれど)跡付けたつもりなんだが、彼が小栗忠順と親交があったということは把握できていなかった。実際、それを明確に裏付ける史料は存在しない(と思う)。でも、この上申書の解釈を意味が通るように補正した場合、そういう可能性が見てとれる、ということになる。これは、おれにとっては結構な発見で。これによって、来年、『逆賊の幕臣』を見る理由が1つ増えた(要するに、おれの中の「関心・注目」が高まった)というもので……登場するかなあ、ユージン・ミラー・ヴァン・リード。ちなみに、年齢は坂本龍馬とタメなので、この上申書が書かれた慶応3年当時は33歳。おれとしては『ばけばけ』でヘブン役を演ったトミー・バストウというのもありかなあ、と思ってはいるんだが……。