PW_PLUS


孤狼上海にあり
〜紅真吾と渡辺政之輔が出会うイリュージョン的空想〜

 9月25日にNHK BSで放送された『ストレンジャー〜上海の芥川龍之介〜』を見た。その映像美に魅了されるとともに(本当に魅了された。ずっとこの世界に浸っていたい――、そんな願望に囚われるほどには)、ハテ、制作陣はこのドラマを通して一体何を言いたかったのだろう? と。

 芥川龍之介が大阪毎日新聞特派員として上海を訪れたのは1921年(大正10年)なので、このドラマの「今」も1921年ということになる。当然、主人公(芥川龍之介)はその当時の日本人の眼で中国・上海を見るわけだけれど、当時の中国はいわゆる〝眠れる獅子〟。それに対して日本は日清、日露を制し、第1次世界大戦の戦勝国の末席(第1次世界大戦の主戦場はあくまでも欧州であることを踏まえるならば、そういう見方にはなる)にも連なって、政治的にも軍事的にもイケイケの状態だった。芥川の上海を見つめる眼にも、当然、こうした両国の関係性が反映することになる。それは、芥川がルールーとの筆談で伝えた「これからは君たちが、もっといい国にしていくんだ」という激励やドラマの最後でつぶやく「遠いなー、道は」という慨嘆に遺憾なく表されていると言っていいのだけれど……それを、今、芥川役の俳優(松田龍平。残念ながら好演とは言い難し。ハッキリ言って、出演者の中でただ1人、役になりきっていなかった。端的に一言で言うならば、「インテリ感」がゼロなんだよ。声にして語られる中国の現状に対する見解の1つ1つが深い知性から生み出された、という感じが全然しないんだ。ここはねえ、やっぱり高橋一生でしょう……)に喋らせて、何の意味があるのだろう? 今や両国の関係は完全に逆転している。若者が現状に満足してしまって怠惰を決め込んでいるのは日本の方ですよ。芥川のルールーに対する激励や最後につぶやく慨嘆は今の日本と日本人にこそ向けられるべき。いや、だから、そうなんだよ、それこそがこのドラマの狙い――とは、ワタシの眼には見えなかった。ワタシの眼には、こんなふうにかつて日本が中国を上から見おろしていた時代があったことを今さらながら思い返している、そんなドラマにしか見えなかった。ドラマの視線は、明らかに過去に向いていた。そして、その〝失われてしまった時代〟を極上の映像美で飾り立てている――と、そういうドラマだったというのが、ワタシの偽らざる感想であります。

 ただ、さは言いながらだ、映像は見事。上海を「魔都」と評したのは村松梢風だそうですが、本当に上海というのがドラマに描かれた通りの都市だったとしたら、そう言いたくなるのもわかる。そして、この「魔都」を舞台にドラマを作りたい、というのもね。ただ、制作陣は題材を間違えた。題材とすべきは『上海游記』ではなかった。上海については、金子光晴や横光利一も書いていますが、拙サイト的にはやはり生島治郎を推したい。さらに、生島治郎の数ある上海ものの中でも『ストレンジャー〜上海の芥川龍之介〜』の妖艶さに見合う作品ということで言えば、かの川島芳子も登場する『乱の王女』か? 主人公は竜宗好という日中ハーフの青年で(『乱の王女』というタイトルでありながら、意外にも主人公は川島芳子ではない。これ自体が一種の騙し絵とでも言うか。このタイトルから、川島芳子を主人公とする小説だと思って手に取ったものは、ほどなくその内容にビックリ……? まあ、当時はマギー・ハンが川島芳子を演じた『ラストエンペラー』や山田邦子が川島芳子を演じた『さよなら李香蘭』などを通してこの実在の女スパイに対する関心が高まっていた。だから、『乱の王女』というタイトルに釣られるものは少なからずいたはず。しかし、生島治郎が素直に川島芳子を主人公とする小説を書くはずがない。生島治郎というのは、本当にタフな作家なんだよ。そういうことが、十分、知られていないのが、ファンとしては何とも残念で……)、1932年(昭和7年)の上海を舞台に自らが組織した「白竜党義勇軍」を率いて日本の上海陸戦隊と戦うというね。日本人作家が日本の読者向けに書いた小説(しかも、連載されたのは『ベアーズクラブ』というマンガ雑誌なのだから、青少年向けに書かれた小説ということになる。これもスゴイよなあ……)でありながら、戦う相手が日本の軍隊。この倒錯ぶりこそは、上海という都市の迷宮性に見合っている、とは言えるだろう。上海を舞台にするなら、容易に解釈が可能なものではダメ。これくらい天地が逆さまになったようなものでなければ。ことさら、今、作るという必然性から言ってもね。

 そう思う一方で、せっかく「オールド上海」(かつての欧米列強の「租界」として繁栄した上海を現在の上海と区別してこう呼ぶ由。ちなみに、漢字表記は「老上海」)を舞台にしたドラマを作るってんなら(そんなチャンスは滅多にないだろうということを前提にすれば)、ここはワタシ的には生島治郎の最高傑作であると信じる『夢なきものの掟』で行きたい、というのは、それこそが本音かもな。あの映像世界に紅真吾と葉村宗明が肉体を持った存在として立ち現れるってんだから、想像するだにヨダレが垂れる。例えば、紅真吾が蘇州川の川畔で青幇の手下に成り下がった(という疑いを紅は持っている)葉村宗明と対峙するシーン――

 あたりには人影もなく、ただ、ところどころに立っている街灯が、黒い水の上に淡い光を投げかけている。
 紅はその川のふちに立って、その黒々とした川の流れをじっとみつめていた。そうしているうちにうつろな思いが胸の底を吹きぬけていくのがわかった。まるで、自分の胸の底にも黒々としたわびしい川が流れているような気分である。
(果たして、葉村は来るだろうか?)
 彼と会い、ぜひ対決しなければならないと心に誓ってはいたが、女まで殺す殺人者になり下がった彼を眼の当たりにすることは耐えられなかった。(来ないでくれ)というかすかなささやきがどこからか聞こえてくる。
「いや、そうじゃない」
 そのささやきを打ち消すように、声に出してつぶやいてみた。
「おれはどうしてもあいつと逢う。たとえ、今夜逢えなくとも、何日、いや何十日かかろうとも逢わずにはおかん。やつがなぜ阿片中毒になり、売人になり、青幇の手下となって女まで殺すようになったのか、その理由を知りたい」
 しかし、そのつぶやきは人影のないあたりの闇の中にむなしく消えていくだけだった。
 彼は街灯の明かりにすかして、時計を見やった。時間はもう午前二時二十分になろうとしている。
 葉村らしい男があらわれる気配は全く感じられない。
 もう十分待ってから、ひきあげようと心に決めたとき、黄浦江側から蘇州川に沿って、こっちの方へ歩いてくる人影がみえた。
 紅は、そっちに身体の向きを変え、じっと眼をこらした。
 すべての感傷が心の中で凍りつき、ただ冷ややかな思いだけが、いま彼を支配していた。紅はそっと拳銃をベルトからひきぬき、右手に下げた。
 人影は次第にこちらへ近づいてくる。ほっそりした身体つきと、歩き方に見覚えがあった。
(葉村だ)
 紅は大きく息を吸った。
(やつにちがいない)
 二十メートルほど近づいたとき、その人影は紅の姿に気づいたのか、ふと足をとめた。
「葉村か?」
 そう訪ねながら、紅の方からその人影に近づいていった。
「おれだ。紅真吾だよ」
「やあ、紅さん」
 葉村のややからかうような口調の声が返ってきた。それがいつもの葉村のくせなのだ。
「意外なところでお目にかかりますな。まさか、ぼくを待っていたわけではないんでしょう?」
「いや、きみを待っていたんだ」
 紅は静かに答えながら、右手をあげて拳銃の銃口を葉村に向けた。

 これをね、『ストレンジャー〜上海の芥川龍之介〜』の映像チームの手で映像化すれば極上のチャイニーズ・ノワールができあがること間違いなし。うーん、見たい! 見たい! 見たい! しかし、厄介な願望に取り憑かれちまったもんだなあ。実際のところは、実現の可能性なんて1%もないのに……。

 ところで、紅真吾が葉村宗明と対峙する場所は具体的には「蘇州川が黄浦江と入りまじる交流点の近く」であり、かつその場所は「蘇州川に沿った北蘇州路に面していた」と説明されている。ということは、この辺りということになるわけだけれど、その北蘇州路(簡体字表記だと「北苏州路」)に北から呉淞路(簡体字表記だと「吴淞路」)という路が合流しているのがわかる。この呉淞路のどの辺りになるのかまではわからないのだけれど、かつては辰巳旅館という日本旅館があったらしい。実は、1928年9月、党務で上海を訪れた渡辺政之輔と鍋山貞親は最初の夜は辰巳旅館に泊っているのだ(なお、検索でこの記事にたどいついた方はなぜここで唐突に渡辺政之輔の名前が出てくるのか、不思議にお感じになるでしょうが、本稿は「「アナ」も「ボル」も。〜米騒動の地で思う『いつかギラギラする日』〜」以来の流れを引き継ぐもので、本稿の前にも「穴は真ん中にあいていた。〜映画目線で綴る渡辺政之輔の記〜」という渡辺政之輔をフィーチャーした記事を書いております。そういう事情であるとご理解いただければ……)。そういうことが加藤文三著『渡辺政之輔とその時代』に記されている。どうやら渡政らの上海での行動は相当程度明らかになっている模様で、同書には訪れた場所や会った人物が具体的に記されている。せっかくなのでその下りを引いておこう――

 渡辺政之輔と鍋山貞親は、二八年九月、上海でコミンテルン第六回大会に出席した市川正一らと協議するため、大阪から音戸丸に乗り、門司を九月一四日に出帆する原田丸に乗りかえ、一六日午前、青島に上陸し、日本人経営の松茂里旅館に一泊した。そこで紹介状をもらい、翌一七日、日清汽船の華山丸で青島を出発した。一九日、上海に上陸し呉源路(注:上海に「呉源路」なる路は存在しないので、呉淞路の誤記と思われる)付近の辰巳旅館に泊った。
 翌朝、二人は南京に行くと称して人力車で辰巳旅館を出発し、北四川路郵便局で自動車に乗りかえ、フランス租界のホテル・ブラザーに着き、渡辺は「堀」(または森)、鍋山は「北」という変名を使って投宿した。
 その翌日の午後、南京路波止場(注:「外灘(ワイタン)」のことを言っているものと思われる。かつては怡和洋行(ジャーディン・マセソン商会)や不動産王サッスーンの沙遜大厦(サッスーン・ハウス)といった商館、各国銀行などの主要な建築物が建ち並んでおり、当時として既に西洋の街並みのようだったという。しかし、一歩奥に足を踏み入れれば渾沌とした世界が広がっていたわけで、それがために「外灘」は「偽りの玄関(フォールス・フロント)」と呼ばれた――と『外地探偵小説集 上海篇』巻頭の「探偵小説的上海案内」には記されている)から入って左側のあるカフェーである中国人に会い、その夜、フランス租界と共同租界の境界にあるアベニュー・エドワード(注:おそらくは延安路のこと)のバリーというカフェーでその中国人と再会し、あるアメリカ人(注:同行した鍋山が1949年に著した『私は共産党をすてた』によればヤンソンという名の人物だったらしい)の家に自動車で連れていってもらった。そのアメリカ人は、四〇歳位の実業家らしい人で、妻君と中国人のボーイがいるだけだった。かれらはここに世話になることになったが、渡辺は、そのアメリカ人に自分たちが来た用件を話し、モスクワに電報を打ち、佐野学と市川正一に上海に来るようにしてもらいたいと頼んだ。そのアメリカ人はすぐ電報を打ってくれた。かれらは一〇日ほど外出を禁じられて、モスクワからの返事を待ったが、ついに何らの返電もこなかった。

 もしこの時、モスクワから何らかの返電があれば、その後の渡政の行動は違っていたわけで、あるいは彼が29歳で命を散らすこともなかったかも? ちなみに、鍋山貞親が渡政の死を知ったのはヤンソンの家で。『私は共産党をすてた』によれば――「あゝ、渡政死す。ちようど、ヤンソン夫妻と朝食をとつている最中であつた。ヤンソン夫人が泣き出した。私も泣いた」……。ともあれ、こうして渡政の上海での足跡は相当程度明らかになっているわけだけれど、北四川路にしろ南京路にしろ生島治郎の上海ものには頻繁に登場する。ちなみに、『黄土の奔流』の冒頭、紅真吾が性質の悪い「野鶏(ヤーチー)」に引っかかっていた日本人商社マン(沢井和彦)を助けたことが言うならば「紅真吾という物語」のそもそもの発端なのだけれど、その場所は南京路にある『紅楼夢』という料亭とされている。だから、もしかしたら渡政と紅真吾はどこかですれ違っていたかもしれない――と、そんなイリュージョンめいた空想をめぐらしたいところではある。しかも、偶然にも『夢なきものの掟』は1928年の上海が舞台なのだ。これは、ありうるぜ……と言いたいところだけれど、『渡辺政之輔とその時代』によれば、渡政は10月初旬には帰国の途に就いている。一方、「その夜は眼にもさだかではない、細い細い霧雨が絶え間なく降りつづいていた」という嫋々たる書き出しで始まる『夢なきものの掟』はその場所と時が明示されており、場所は「上海第一の夜の繁華街」とされる四馬路(というのは通称で、正式名称は福州路。しかし、生島治郎によれば「通称の方が上海人にとっては覚えやすく、本来の通路名より通称の方がなじみ深くなってしまった」とか)で、時は「もう十一月の半ばを過ぎて底冷えのする霧雨の夜」とされている。だから、2人はすれ違いなんだね。惜しかったなあ、紅真吾が約5年に渡って身を沈めていた上海城内から再浮上するのがあと1か月早かったら……。

 しかし、ワタシをしてこうした空想へと至らしめたものが『ストレンジャー〜上海の芥川龍之介〜』であることは間違いない。そういう意味では、すごいドラマだと言うべきなんだろう。あー、だから、やっぱりあの映像チームによって映像化された生島治郎の上海ものが見たい! 見たい! 見たい! そうだ、葉村宗明はあのルールーを演じた俳優にやってもらおう。で、紅真吾は……? ホントに、厄介な願望に取り憑かれちまったもんで……。