市川雷蔵主演の1965年製作の大映作品『赤い手裏剣』をうっかり見てしまったがために、アタマを悩ませている。この映画、ご存知の方はご存知だろうけれど、大藪春彦の『孤剣』(ちなみに、こちらが初版です。1965年10月には同じ桃源社からハードカバーとしても刊行されておりますが、このポピュラー・ブックス版は1964年9月の刊行。だから、こちらが初版ということになる)を原作としている。1965年といえば大藪春彦が拳銃不法所持で逮捕された年ですが、「大藪春彦年譜」(『問題小説増刊号 大藪春彦の世界:蘇える野獣』所収)によれば、逮捕されたのは3月1日。曰く「三月一日拳銃不法所持容疑で、高松署から派遣された係官によって逮捕される。/東京から高松まで護送される途中、名古屋駅で記者団に取り囲まれ、新幹線が三分間停車を余儀なくされた。当時の新幹線のダイヤは精確で、これは破格のことであった。高松北署に二十一日間留置後、釈放」。一方、KINENOTEよれば、『赤い手裏剣』が公開されたのは2月20日。だから、ちょうど映画の公開中に逮捕されたことになる。今だったら大変な騒ぎだろうね。ことによったら、上映打ち切りということにもなりかねない。調べた限りでは『赤い手裏剣』はそういうことにはなっていないようだけれど、まだまだ時代が大らかだった? そんなこともちょっと考えさせられる。もっとも、あの時代はトップの意向がすべてに優先していた。そして、大映はといえば、あの永田雅一をトップに戴く上意下達がひときわ行き届いた(?)映画会社。仮にもあのワンマン社長が勝新太郎と並ぶ自社の看板俳優(いわゆる「カツライス」)の主演作品の上映打ち切りを諾うとも思えず、逆に上映続行をトップの意向として命じた、という可能性も……と、こんなことを書きたいんじゃなかった、『赤い手裏剣』をうっかり見てしまったがために、アタマを悩ませている――と、そういう話で。
まず話の前段として説明するなら、この映画、ほぼほぼ西部劇なんですよ。それはタイトルバックからしてそうで、テキサスの山岳地帯かというような峨々たる山並みの前を市川雷蔵が颯爽と馬で駆け抜けるというね(映倫マークの左側に小さく写っている黒い影がそれであります)。

また音楽だってそう。バンジョーとか使ってるからね。完全に西部劇を意識して作られている。で、この点についてはKINENOTEの「みんなのレビュー」でも指摘はされているのだけれど、ここはより説得力あるソースという意味で縄田一男が徳間文庫版『孤剣』の解説で書いているところを引くなら――「本書は角川文庫に収録された際、『赤い手裏剣』と改題されたことがあるが、これは本書の映画化作品(監督田中徳三、昭和四十年、大映)のタイトルを踏襲したためである。同映画は「掟破り」を原作とし、伊吹新之介(映画では何故か名が違っている)を市川雷蔵が徹底した西部劇スタイルで快演」(一部をあえて太字表記にしたのは読者の注意を喚起するため。そのココロは……?)。だからね、『赤い手裏剣』という映画は、西部劇なんですよ。西部劇タッチの時代劇。それは、誰が見たってそう思うだろうというようなレベル。そういう映画が1965年に製作・公開されていた――というのは、それはそれでなかなかに興味をそそられるところで(日本で「マカロニ・ウェスタン」ブームを巻き起こすことになるセルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』が公開されたのは1965年12月25日。だから『赤い手裏剣』は決して「マカロニ・ウェスタン」ブームに便乗したものではないということ。それとは無関係に日本独自で和製ウェスタンが製作されていた、ということになる)、そういう観点でこの映画について論じるのもいいかとは思うんだけれど、そうであるならばなおさらこの件は避けて通れないというか……。実はですね、『赤い手裏剣』は大藪春彦の『孤剣』(ないしは「掟破り」。『孤剣』は連作短編集で、『赤い手裏剣』はその第2話「掟破り」のプロットを基本的に踏襲しつつ、第1話「町荒らし」や第3話「隠田騒動」からも一部エピソードを借用して作られている)を原作としたものではあるのだけれど、映画化に当って原作にある重大な改変を加えているのだ。それは、主人公(原作では伊吹勘之助、映画では伊吹新之介)が用いる武器。原作では、米国コルト社製の回転式拳銃、コルト・パターソンであるとされている――
伊吹はそこでニヤリと笑い、革袋の奥から重そうな鉄のかたまりをひっぱり出した。――それは、四寸ほどの銃身を持つ短銃だった。稲毛の唐犬組の屋敷で見張りから奪った銃だ。
天保六年というから、清水の次郎長が十六歳の少年であった頃に、米国で発明されたコルト・パタスン五連発の輪胴式。まだ用心鉄も考案されてなく、撃鉄を起こすと、隠れている引金が前にとびだすという物騒な短銃だ。金属薬莢を使用する後世の銃とちがって、こいつの弾倉の薬室は尻がふさがっていて、撃鉄が弾倉の上に五つ開いた火門を叩くことになっている。
「可愛い奴」
伊吹は呟き、撃鉄を半起こしにして、輪胴をまわしながら、ドンブリに残っていた火薬を、五つの薬室の前方から流しこみ、火薬がこぼれ落ちぬように、五発の弾丸をその上に詰めこんだ。そして印籠から小さな雷管をとり出し、短銃の輪胴についた五つの火門に押しこんだ。つまりこれで、発射準備が整ったわけである。
第1話「町荒らし」には「伊吹は知らないが、去年サム・コルトが発明したばかりのコルト連発小銃」という記載もあって、「天保六年というから、清水の次郎長が十六歳の少年であった頃に、米国で発明されたコルト・パタスン」という↑の記載も踏まえるならば、この物語の中の「今」が天保7年であることがわかるのだけれど、そんな時代になんで米国コルト社製の回転式拳銃が? と思われるのもムリはない。ただ、↑に出てくる唐犬組というのが清国との密貿易を手がけているという設定で――「奴等は港にはいってくる清国の唐船に禁制品を運んでこさしたり、送り出したりしてるんだ。ボロい儲けらしいぜ。大体が、和蘭と清の船は九州の長崎とかいうとこ以外にははいれねえことになってるそうだが、唐犬組と組んだ清の連中は、そんなこと平っちゃらさ。唐犬組が代官様にたっぷり鼻薬を効かせてあるし、問題になったときは難破船だと言いぬけるんだ。だから唐船は港にははいっても、埠頭までは来ねえで、いつも沖で積み荷の上げ降ろしをやる」。その唐犬組の見張りが持っていたわけだから、このコルト・パターソンも清国からの密輸品なんでしょう。つーか、そういうことで辻褄を合わせているわけですね、大藪春彦としては。それに納得するかどうかは偏にアナタのブンガク的キャパシティーにかかっている……。ともあれ、伊吹勘之助は連作短編の第1話「町荒らし」で唐犬組から奪ったコルト・パターソンを第2話「掟破り」ではもう自家薬籠中のものとしていて、なんと火薬も自ら調合し、弾丸まで自作する(そのための鋳型まで持っている!)。そして、三組のやくざが張り合う緊張状態(というのが物語の基本設定で、これは小説が書かれたのが1964年であることを考えるなら、当時の中ソ対立を踏まえ、米中ソの利害が複雑にからみあう三極構造に準えたと見なすことも可能ですが……ちょっと深読みのしすぎ?)に割って入ってコンチネンタル・オプさながらの大立ち回りを演じるわけだけれど、その過程ではコルト・パターソンがこれでもかとばかりに威力を発揮するというね、この『孤剣』という時代小説の最も特徴的で最も大藪春彦的な部分が映画では奇麗サッパリ消し去られているのだ。代って伊吹新之介は手裏剣(テレビの忍者ものなどでおなじみの「卍」型のやつではなく、「棒手裏剣」と呼ばれるもの)の名手であるとされている。そのグリップの部分が赤いので『赤い手裏剣』というタイトルになっているわけだけれど――これがわかんないんだよ。だってさ、この映画は西部劇なんですよ。西部劇タッチの時代劇。そういうモノとして作られている。それでいてなんで原作の最も特徴的で最も西部劇的でもある部分が変えられているのか? そのまま拳銃使いにすればいいじゃないか。何の理由があって手裏剣などという旧態依然たるものに変えなければならないのか? これがね、いくらなんでも天保年間に回転式拳銃はないだろう、という常識的な判断の結果だってんなら、それはそれで1つの見識としてね。原作の説明をそのまま受け入れるというのは、確かに相当のブンガク的キャパシティーを求められるコトガラではある。残念ながら『赤い手裏剣』の製作陣にはそこまでのブンガク的キャパシティーは備わっていなかった、ということならばね、まあ、そういう目でこの映画を見ればいいわけで、それなりの楽しみ方はあるわけですよ。つーか、そういうつもりでいたんだよ、『赤い手裏剣』という映画を見ることにした時点ではね。ところが、見はじめて19分ばかり経ったところで、え⤴ というのも、モデルまでは不明ながら、明らかに回転式拳銃と思われるものが登場するのだ。画面に映るのは一瞬なんだけれど、なんとかキャプチャーしました。

これ、なんですかねえ。コルト・パターソンではないよね。スミス&ウェッソンのいずれかのモデル? という気もするんだけれど、ワタシには判別できません。どなたかおわかりになる方はいらっしゃいますか……? でね、これは市川雷蔵演じる伊吹新之介が山形勲演じる仏の勘造が貸元となって開かれている賭場荒らしに行った際のエピソードで、障子の陰に隠れて新之介を狙っていた狙撃手を手裏剣で倒し、拳銃は空しく空を撃つ――という場面なのだけれど、これに類したエピソードは『孤剣』にもあるんだよね。それが第1話「町荒らし」で銭安組の用心棒になった伊吹勘之助が唐犬組の火薬庫(です。時代小説で火薬庫……)を襲撃した際のエピソードで――
その階段の上段に、洋式小銃を肩づけした男が一人腰をおろしていた。伊吹に銃口を向ける。
伊吹は素早く銃口のほうに楯をふりむけた。それと同時に銃口も火を吹いた。
距離が近いせいもあって、その小銃弾の威力は大きかった。伊吹の左手を痺れさせただけでなく、二分の厚さの楯を、ほとんど貫通しそうなほどであった。弾丸が当たった箇所の鉄は、大きくへこんで裏側にふくれる。
伊吹の喉は呻きをあげ、全身に脂汗が吹きでた。村正を捨てると、腹帯に差した手裏剣の一本を抜いた。
気力をふりしぼり、すばやく立ち上がると、発射の黒煙の蔭になったその射手に手裏剣を投げた。再び楯の蔭にかくれる。
三つ数えるほどの間があって、その男は小銃を持ったまま、階段の上から下の土間に転がり落ちてきた。左の眼窩に深く手裏剣が刺さっている。切っ先は脳に達しているのか、その男はもう動かない。そのそばに連発小銃が転がっている。
『赤い手裏剣』ではこのエピソードを借用して賭場荒らしの場面で使っているわけだけれど――え⤴ だったら、このまま原作通り行けよと。原作通りその連発小銃――コルト・パターソンを拾わせて、以後は拳銃使いとして描けよと。ここはどうしたってそういうことも言いたくなるところで――なんなんだろう? 原作通り連発小銃を登場させながら、主人公がそれを使うことはない。それでいて、映画は西部劇として作られているというね。その意図するところがワカラナイ……。
でね、いつまでもこんなことでアタマを悩ましているなんてバカバカしいのでテキトーに答を出してしまおうと思うんだけれど、この場合も(何が「も」であるかはぜひ「答はデータの中にある〜『夕映えに明日は消えた』がお蔵になった理由〜」をお読みいただければ。書いた本人は結構、自信を持っております……)著作権が関係しているのでは? と。要するに、市川雷蔵に回転式拳銃を持たせたのでは、ある作品との間で著作権法上の問題が生じかねない――。その作品とは、言うまでもなく、原作小説ではない。原作小説との間に著作権法上の問題が生じるのは、著作者の意に反して原作小説の改変が行われたような場合で、この場合は原作小説の著作者に認められた「同一性保持権」の侵害ということになる。『赤い手裏剣』の場合は原作小説の改変は行われているわけだけれど、その程度は……いや、わからんぞ、ことによったら「同一性保持権」の侵害ということにも……? ただ、まあ、ここで言いたいのはそういうことではなくって――ある映画との類似が理由で著作権法上の問題が生じかねないということ。その映画とは――もうお気付きになった方もいらっしゃるかな? そう、黒澤明監督の『用心棒』。この日本映画史上に残る傑作ハードボイルドで仲代達矢演ずる卯之助(ちなみに、二つ名は「新田の卯之助」。あの木枯し紋次郎と同じ上州新田郡の生まれ?)は六連発の回転式拳銃を持ってからっ風吹きすさぶ上州の宿場町に現れるわけだけれど、これは黒澤明の独創だったと言っていい、時代劇に単発式の小銃ならまだしも、回転式の連発銃を持ち込むというのはね。当然、荒唐無稽という批判が浴びせられることも予想はされたわけで、そのリスクを冒してまで黒澤明は時代劇に回転式拳銃を持ち込んだわけですよ。結果は大成功。仲代達矢演ずる卯之助は日本映画史に残るクールな悪役として今でも多くの映画ファンのリスペクトを集めている。で、もし市川雷蔵が大藪春彦の原作通りコルト・パターソンを持ったら――それが原作通りだとしても、仲代達矢が『用心棒』で演じた卯之助のパクリと言われることは免れないのでは? いや、単にそう言われるだけならまだしも、東宝が法的な措置を取ってくる可能性だって否定はできない。これはよく知られている事実だけれど、東宝は『用心棒』を勝手にリメイクして作られた『荒野の用心棒』を盗作だとしてセルジオ・レオーネ監督らを告訴。結局、イタリアの製作会社が盗作を認め、著作権保有者の黒澤に『荒野の用心棒』の全世界での興行収入の15%を支払うことで決着したとされる。『赤い手裏剣』が作られたのはそんな騒ぎが起こる前なんだけれど、だからといって著作権法上のリスクに無頓着であったとは考えられない。事前に社内で検討した上で東宝との無用な摩擦は避ける――という判断に至ったとしても何の不思議もない。で、上からそういう判断が現場に下され、現場はそれを受けて原作小説の最も特徴的で最も大藪春彦的な部分は奇麗サッパリ消し去ることにした。ついでに主人公の名前も伊吹勘之助から伊吹新之介に変えた。勘之助だと卯之助に似過ぎているので(上記引用文中で一部をあえて太字表記にしたのはここにつながるわけです、ハイ)。こうして大藪春彦の唯一の時代小説を原作とする映画は大藪春彦らしさが微塵も感じられない摩訶不思議なスキヤキ・ウェスタンとして今も見るもののアタマを悩ましつづけている……?
読み返してみて、『赤い手裏剣』の原作である『孤剣』への言及が疎かになっていたので少しばかり追記的に書いておくと――これが大藪春彦が書いた唯一の時代小説ということになる。徳間文庫版の解説で縄田一男も書いていますが、なかなかの「快作」ですよ。つーか、ここまで善悪を超越できるってのは、スゴイよ。多分、一般的な読者が違和感なく読めるのは第1話の「町荒らし」のみでしょう。これだけは縄田一男も書いているように「大藪作品らしからぬ従来の時代小説に与したかに見えるくだりがあるのだ」。それが、結末部分、ということになるわけだけれど、多分、ここだけは、大藪春彦の方が読者に合わせたということになるのかな? でも、第2話「掟破り」以降はそんな軟弱さは微塵も見受けられない。主人公の伊吹勘之助はとことん大藪春彦的世界の住人で、ワレワレが後生大事に抱えている「常識」ってやつを逆撫でしつづける。正直、読んでいて不快に思う箇所がないではないのだけれど、でも「不快」も「快」の内(「非情」も「情」の内、というのとレトリックとしては同じなので、これでも文章としては成立するよね?)。ということで、これは「快作」であると。その上で、1つ思いついたことがあるんだけどね。本文で書いたように伊吹勘之助はコルト・パターソンを所持しているわけだけれど、これってそもそもが『用心棒』で仲代達矢が演じた卯之助を念頭に置いたものではないのか? と。卯之助は上州の宿場町・馬目宿を根城とする田舎やくざ・丑寅の弟ながら舶来(なんでもスコットランド製だそうです)のマフラーを首に捲いた伊達男で、かつ六連発の回転式拳銃を所持しているという設定。で、この回転式拳銃はスミス&ウェッソンのモデル2であるとされている。作中でそんなことが言及されているわけではないのだけれど、見るものが見たらわかるんだろう、多分ね。実際、「古今東西あらゆるメディアに登場した銃火器データベース」という触れ込みのMEDIAGUN DATABASEというウェブサイトでもモデル2と明記されている。でね、これはなかなかに微妙な話なんだよ。というのも、スミス&ウェッソンのモデル2が発表されたのは1861年だそうなので。もし『用心棒』が慶応年間の物語ならばギリギリでアリということになるんだけれど(よく知られているように、あの坂本龍馬もスミス&ウェッソンのモデル2を所持していた。高杉晋作が上海で入手したものを譲り受けた、という説があるようですが、さて……)、映画を見る限りはそういう雰囲気は感じないんだよなあ。むしろ、天保年間。あの飯岡助五郎と笹川繁蔵が争った『天保水滸伝』の時代。また『孤剣』が背景としているのも正にこの時代。『用心棒』だって、あのあたりの時代の話なんじゃないかなあ。ただ、そうなると、スミス&ウェッソンのモデル1だとしても時代が合わないだろう――と、大藪春彦ならば思うだろうね。で、どうするか? ここは自分の手で天保年間の北関東を舞台とする時代小説を書いて主人公にコルト・パターソンを持たせる――。コルト・パターソンならば天保年間でも時代考証的にはOKなのだから。もしかしたら『孤剣』はこのことを言いたいがために書かれたものでは? 言うならば『孤剣』は大藪春彦なりの『用心棒』へのダメ出し――。しかし、そうなると、大映は著作権法上の懸念なんて持つ必要はなかったんだよ。堂々と伊吹勘之助(伊吹新之介ではなく)にコルト・パターソンを持たせて、それを以て『用心棒』のパクリ説を一蹴する。返す刀で同作の時代考証上の不備も指摘する……。もっとも『赤い手裏剣』の制作スタッフがこうしたモロモロのことを了解していたとは思えないけどね。なにしろ、田中徳三監督以下の制作スタッフは賭場荒らしの場面で仏の勘造の手下にスミス&ウェッソンと思われる拳銃を持たせているわけだから。これじゃあ、大藪春彦が『孤剣』を書いた意味がない! と、まあ、今さらこんなことを言ってもしょうがないんだけどねえ。
あとね、前の記事との関連でもう1コだけ書いておくと、生島治郎が1972年に書いた時代小説『さすらいの狼』に上海帰りの七蔵なる人物が出てくる。人呼んで「幕末ガンマン」(生島治郎は後に『幕末ガンマン』という時代小説も書いていますが、内容的には全く無関係)。その「幕末ガンマン」が自分が所持する拳銃について説明するくだりがあるのだけれど、こう述べている――「いま、このあたりでみかける短銃は旧式で、とても短銃なんていえる代物じゃありゃしねえ。ところが、こいつは江戸にだって――いや、国中どこを探したって手に入りっこない新式の短銃ですぜ。異国人でなければ持ってねえって珍しいものなんだ。いまその辺にある火縄銃なんてこいつにくらべりゃあ、子供だましみたいなもんでね。第一、火縄銃は一発しきゃ射てないが、こいつだと、つづけて六発の弾丸が発射できる。ま、あなた方はご存知ねえでしょうが、これはメリケン製のコルト・パターソンという短銃なんですよ」。ワタシはハードボイルド読みを自認している割には銃についてはとんと疎くて、これを読んだ時点では特に何の違和感も覚えなかった。まあ、時代小説にメリケン製の銃が出てくるなんてずいぶん攻めてるなあと、それくらいのもので。ところが、『さすらいの狼』に続いて『孤剣』を読んだところ、こちらにもコルト・パターソンが出てきて、こう説明されているわけですよ――「天保六年というから、清水の次郎長が十六歳の少年であった頃に、米国で発明されたコルト・パタスン五連発の輪胴式。まだ用心鉄も考案されてなく、撃鉄を起こすと、隠れている引金が前にとびだすという物騒な短銃だ」。生島治郎は「つづけて六発の弾丸が発射できる」と書いているのだけれど、大藪春彦は「五連発の輪胴式」と。ハテ、どっちが正しいのだろう? と、そんな疑問にかられたのは一瞬で、すぐに、いやいや、こと銃に関しては大藪春彦が正しいに決っているよなあ、と。実際、MEDIAGUN DATABASEでもハッキリと装弾数は5と明記されている。だから、生島治郎は『さすらいの狼』でハードボイルド作家としてはありえないミスを犯した、ということになる。そもそも「国中どこを探したって手に入りっこない新式の短銃」というのもどうなのかな? 既に1847年にはコルト・パターソンをベースにしたコルト・ウォーカーが、1851年にはそのコルト・ウォーカーをベースにしたM1851が開発されており、これらはいずれも六連発。装弾数5のコルト・パターソンは既に旧式ということになるんじゃないだろうか? またMEDIAGUN DATABASEによれば、M1851は「幕末のペリー来訪の際、20丁の本銃が献上された記録がある。当時尊王攘夷を唱えていた徳川御三家水戸藩主の徳川斉昭にも渡り水戸藩でコピー生産されていたようで、コピーされた本銃が水戸藩の尊王浪士によって持ち出され桜田門外の変で使用された」というしね。既にコルト・パターソンより新式のM1851が日本国内に流入していた以上、「国中どこを探したって手に入りっこない新式の短銃」というのはねえ……。ま、前の記事でワタシは生島治郎を思いっきり持ち上げたのだけれど、瑕疵のない人間なんていないわけだから。こんなミスを犯していたからと言って、ワタシの生島治郎へのリスペクトはいささかもゆるぎません。人呼んで「日本ハードボイルド界の最澄」。ちなみに「日本ハードボイルド界の空海」が大藪春彦であります……ン?