いや、別に、タイトルに言うほど深刻な状態でもないんだけれど。しかし、何かやっていないことには、いろいろ考えてしまって、二進も三進も行かなくなってしまう、というのはウソ偽りのないところ。で、そうならないよう、このところずーっと映画を見ているわけだけれど、この際、テーマを設けようと。ただ見ているだけじゃ、却って虚しさが募ってしまうというか。やはり何か「目的」があった方がいいだろうと。そこで思い浮かんだのが『映画秘宝EX 鮮烈!アナーキー日本映画史1959~1979』(洋泉社)。2012年に刊行された本ですが、ワタシが購入したのは去年のことで、確認したところ、『映画秘宝』2011年5月号とともに去年の1月31日に購入している。それぞれお目当ての記事があって、『映画秘宝』2011年5月号の方は「男のエンタメ:東宝ニューアクション集中講義 第2夜」、『映画秘宝EX 鮮烈!アナーキー日本映画史1959~1979』の方は添野知生「東宝ニューアクション〜銃と車とジャズ」。要するに「東宝ニューアクション」のお勉強のため――だったわけだけれど、『映画秘宝』2011年5月号の方はともかく『映画秘宝EX 鮮烈!アナーキー日本映画史1959~1979』の方はそれだけには止まらない情報の宝庫で、時々、パラパラやっては「へえ」と。実際、この本を読むまでは興味を持つこともなかったような映画がとんでもない売り口上付きで紹介されていたりするのだ。たとえば増村保造監督『赤い天使』については――「中国戦線。従軍看護婦の西さくら(若尾文子)は派遣された野戦病院で負傷した兵士である患者たちに輪姦される。それでも献身的に看護を続ける西は、両腕を切断された若い兵士・折原(川津祐介)に性欲の処理を頼まれ、彼の〝手〟の代りをしてやる。ある日、許可を得て町へ出た西は、折原をホテルへ連れて行き、「一緒にお風呂に入るのよ。私の身体を見たいだけ見ていいのよ。やりたいことなんでもやりなさい」と全裸になる。そして、人生最後にして最高の幸せを味わった折原は、飛び降り自殺を遂げる……」。これを読んで、へえ、「異常性愛路線」は東映の専売特許ではなかったのかと……。それから、山下耕作監督『博奕打ち いのち札』については――「鶴田浩二と安田(現・大楠)道代の共演で、男はやくざ、女は旅役者で座長、二人は冬の日本海で出会い、恋仲になり、しかし男は刑務所へ。このあと、引き裂かれた「ラバーズの物語」は進退窮まっていき、ラスト、出入りの場面でついに〝道行き〟を選ぶ。そこで鶴田が叫ぶ言葉が「こんな渡世から出ていくんだ!」。実際、作品自体が「仁侠映画」というフォーマットから飛びだし、画面はスローモーションになり、盆茣蓙の両脇には突如(座敷にもかかわらず)血の池が広がる。(略)ただし重要なのはそれが、もう死に体の男の一瞬の妄想として描かれていること。〝血の池〟はスタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』の有名な回廊のシーン、エレベーターの扉から押し寄せてくるあの血の波みたいなものである」。なんと、1971年製作の任侠映画に1980年製作のホラー映画を彷彿させるシーンがあると……。でね、こうした売り口上にそそのかされるかたちでかねてから少しずつ見始めてはいたんだけれど、この際だ、この本にリストアップされている100本(表紙には「絶対に観るべき101本をセレクトした異色の邦画ガイド!」とありますが、実際にリストアップされているのは100本です)からワタシなりの「アナーキー日本映画選」を選び出すという前提で徹底的に見てやろうと。出来上がったものは「気がついたら夏が終っていた(ワタシだけの『日本ハードボイルド全集』を編んでみた)」でやったやつの映画版ということにもなるだろうし。時のうっちゃり方としては申し分なし?
でね、最初にルールを決めよう。何を以て「アナーキー」とするかは、こんなの、定義のしようもないと思うので、それぞれの選者がオノレの価値観に照らして「アナーキー」と見なした100本のラインナップを掴まえてどーこー言うことは避けたいとは思うけれど、1つだけ『映画秘宝EX 鮮烈!アナーキー日本映画史1959~1979』の編集方針に異議を呈したいと思う点があって。それはリストアップされた100本には『キネマ旬報』のベストテンに選出された作品が少なからずあること。中にはベストワンに輝いた作品もある(1971年の長谷川和彦監督『青春の殺人者』と1979年の今村昌平監督『復讐するは我にあり』)。同書ではリストアップされた100本について「教科書にも映画検定にも出てこない!」「だけど忘れてはいけない名作の数々!」と謳っているわけだけれど、『キネマ旬報』のベストテンに選出された作品が普通にリストアップされている状況でそんなこと言って説得力ある? ないよ。その惹句に説得力を持たせるためには、あえて『キネマ旬報』のベストテンに選出された作品は外す、というくらいの蛮勇は必要。それでこその「アナーキー」ではないのか? と。まあ、そういうことなので、ワタシなりの「アナーキー日本映画選」を選ぶに当たっては『キネマ旬報』のベストテンに選出された作品は外すと。それを(唯一の)ルールとして――さて、『映画秘宝EX 鮮烈!アナーキー日本映画史1959~1979』にリストアップされている100本はというと――
お手元に『映画秘宝EX 鮮烈!アナーキー日本映画史1959~1979』をお持ちの方は気がつかれたと思いますが、並びは必ずしも同書の通りとはなっていない。実は『映画秘宝EX 鮮烈!アナーキー日本映画史1959~1979』は相当に編集が甘いというか、一見、100本が時系列に沿って並べられているように見えて、そうはなっていない。1962年公開の『しとやかな獣』の次に1964年公開の『月曜日のユカ』が来たかと思うと次は1960年公開の『太陽の墓場』でその次は1962年公開の『危いことなら銭になる』。こういう混乱を正して時系列に沿って並べ替えたのが↑。表示しているのは公開年だけですが、すべて年月日も確認した上で時系列順としていることをお断りしておきます。で、言うまでもないことだろうとは思うけれど、黒で表示しているのが見た作品でグレーで表示しているのが見ていない作品。こうして見ると、まだまだ見ていない作品が結構あるなあ。ただ、中には配信はおろかVHSにもDVDにもなっていない作品もあって(たとえば森崎東監督『女生きてます 盛り場渡り鳥』とか)、この100本をコンプリートするのは至難の業ですよ。当然、興味をそそられない作品だってあるわけだし(佐藤肇監督『吸血鬼ゴケミドロ』とか坂野義光監督『ゴジラ対ヘドラ』とか。基本、ワタシは特撮には興味がありません)。だから、こんなもんじゃないかなあ。で、黒で表示している作品の内、太字表示した10本がワタシが選んだ「アナーキー日本映画選」ということになる。冒頭で紹介した山下耕作監督『博奕打ち いのち札』は、悩んだ末に、外した。これね、確かにスゴイ映画ではあるんだよ。例の『シャイニング』の回廊のシーンに準えられたシーンはこんな感じなんだけれど、常軌を逸している。これを「アナーキー」と言わずしてなんと言う⁉ とは思うんだけど、一方で計算のようなものも透けて見えるというか。実はこのシーンの前に鶴田浩二演じるやくざ(相川清次郎)が渡瀬恒彦演じるチンピラ(フーテンの猛)と一緒に田舎(長崎)に帰ることになった娘(恵美)から母の形見と言って十字架を渡されるというシーンがある。それを踏まえて最後のシーンを見ると、かの有名なセシル・B・デミル監督『十戒』の「モーセの海割り」が重なって見えるではないか。しかも、この時、鶴田浩二はこう叫ぶわけだから――「こんな渡世から出ていくんだ!」。だから、製作サイドが最後のシーンに『旧約聖書』の「出エジプト記」を重ね合わせているのは間違いない。そうなるとねえ……。これはよく知られている事実だけれど、『博奕打ち いのち札』の製作チームである山下耕作&笠原和夫のコンビは1968年製作の『博奕打ち 総長賭博』で三島由紀夫から望外とも言えるお褒めに与った。曰く「私は、〈総長賭博〉を見た。そして甚だ感心した。これは何の誇張もなしに「名画」だと思った。何という自然な必然性の糸が、各シークエンスに、綿密に張りめぐらされていることだろう。セリフのはしばしにいたるまで、何という洗練が支配しキザなところが一つもなく、物語の外の世界への絶対の無関心が保たれていることだろう。(略)何という絶対的肯定の中にギリギリに仕組まれた悲劇であろう。しかも、その悲劇は何とすみずみまで、あたかも古典劇のように、人間的真実に叶っていることだろう」(『蘭陵王』所収「鶴田浩二論――〈総長賭博〉と〈飛車角と吉良常〉のなかの――」より。なお、初出は『映画芸術』1969年3月号)。要するに三島由紀夫は『博奕打ち 総長賭博』をギリシア悲劇に準えて〝絶賛〟したわけだけれど、それに気を良くした山下耕作&笠原和夫のコンビは今度は『旧約聖書』を持ち出してご贔屓筋の期待に応えようとした――と、そんな消息が容易に読み取れてしまうんだよね。だから、ワタシとしては、確かに凄いシーンではあるけれど、諸手を挙げて賛成とは行かないんだよ。それよりも、この映画で讃えるべきは「冬の日本海」の描写でしょう。「冬の日本海」なんて、別段、珍しくもないんだけれど、とはいえこれは格別。ほとんど東山魁夷ですよ……。まあ、そうは言っても、選出するのが10本なら選外とするしかない。所詮、「任侠映画」はワタシの専門外です。で、そうなると、1970年代製作の5本はすべて既に見ていた作品、ということになる(もっとも『白昼の襲撃』は見たのはつい最近だけどね)。一方、1960年代製作の5本は今回はじめて見た作品ばかり。多分、こんなことでもなければ、生涯、見ることもなかっただろう。ところが、これが名作揃いで。中川信夫監督『地獄』なんて、結構、見るのに抵抗があったんだけど。というのも、ワタシは神代辰巳が1979年に撮った『地獄』を見ているので。もうね、神代ファンとしては見ているのが辛くなるような愚作で。だから、『地獄』はなあ、と。ところが、見始めてほどなくこんなシーンに遭遇――

これは、ほお、ですよ。その前のタイトルバックもなかなかだし(こんな感じです)、登場人物の造形にしても、沼田曜一演じる死神(事実上のね。役柄の上では天知茂演じる仏教大学の学生・清水の学友だが、果たす役割は死神そのもの)だとか小野彰子演じるやくざの情婦だとか、ヴィジュアルからしてバエている。総じて、中川信夫版『地獄』には「美学」が感じられる。神代辰巳版に決定的に欠けていたものがこれで。ワタシは必ずしも1970年代映画が1960年代映画に劣っているとは思わないんだけれど、こと『地獄』に関しては神代版は中川版に完敗と言わざるを得ず……。
他の作品についてもザッと触れておこうかな。石井輝男監督『黄線地帯』は、今回、見た中では最も感心したというか。石井輝男って東映の「異常性愛路線」の頭目のような人で、ワタシにはその印象が強いんだけれど、一方で『網走番外地』シリーズの監督でもあって……要するに、よくわからない監督なんですよ。加えて『映画秘宝EX 鮮烈!アナーキー日本映画史1959~1979』ではこの映画についてこんなふうに書いていて――「(略)美術の宮沢計次によって造形された戦後の闇市や租界の雰囲気を残す酒場の迷宮が怪しくも美しいノワール・ムービーだ。ネオンと酒瓶で彩られた、すえた匂いの迷路を登場人物がすれ違いながら往来するサスペンスはカストリ雑誌のB級ハードボイルドを思わせる」。え、「カストリ雑誌のB級ハードボイルド」? それは一体何のことを言っているの? 城戸禮が『青春タイムス』に書いていたやつ以外にそんなのがあるんだったら教えて欲しいんだけど……? ともあれ、そんな感じで、食指をそそられるという意味ではこの映画がいちばんだった。で、実際の映画もその期待に違わないというか。記事に言う「迷路」ってのは神戸のカスバという裏路地のことでこれが本場アルジェリアのカスバもかくやというような異国情緒あふれる〝人間の巷〟で、まあ、見事なんだ。所詮、作り物ではあるんだけれど、ここまで作ればホンモノですよ。しかもね、驚くべきは、これが1960年の作品ということ。1960年というと、鈴木清順ならば『けものの眠り』とか『密航0ライン』とか作っていた年に当たるんだけれど、この時点に限って言えば、石井輝男は鈴木清順に勝っている。「アナーキー日本映画選」から鈴木清順を外したのもそれが1つの理由ではある。それから増村保造監督『赤い天使』はワタシがイメージしたような「異常性愛路線」ではなく、一種の「世にも奇妙な物語」――、ワタシはそう見ました。「戦場」という異常地帯に紛れこんだ看護婦が体験した「世にも奇妙な物語」。だから最後に彼女だけが生き残る……。それから岡本喜八監督『殺人狂時代』はどうしたってチャールズ・チャップリン監督の同名映画との比較にならざるを得ないんだけれど、岡本版にはチャップリン版のような文明批評が含まれていない、というのがスゴイと思う。登場人物は純粋にゲームとして殺人に興じているんだよね。こんな映画、なかなか作れるもんじゃありませんよ。しかも「戦後民主主義」が幅を利かせた1960年代に。なんでもこの映画は危うくお蔵入りになるところだったそうですが(ウィキペディア情報)、ムリもない。ワタシだって、今だからこんなふうに書いていられるわけで、1967年当時、この映画を評価できたとはとても……。それから加藤泰監督『みな殺しの霊歌』については『映画秘宝EX 鮮烈!アナーキー日本映画史1959~1979』がちょっと面白いことを書いていて。この映画、「代理復讐」(有閑マダム5人組にいいように弄ばれたことを苦にして投身自殺した少年の復讐を同郷ではあるけれど赤の他人の佐藤允が果たす――という「代理復讐」)をモチーフとしているんだけれど、それに突き進む主人公の動機がイマイチ理解できないという声が当時からあったそうだ。で、「公開当時の映画論壇でも〝代理復讐〟に意味があるとする大和屋竺と、女とヤレるなんていいことだし、復讐なら少年本人がやるべきとする斎藤龍鳳の論争が起こりました」。もうね、大和屋竺と斎藤龍鳳の論争なんて、ヨダレが出てきますよ……。でね、これについてのワタシの見立ては、言うところの「代理復讐」なるものは多分にシンボリズムを孕んでいるのでは? と。というのも、佐藤允はハッキリとこう言っているんだ――「おれにはがまんできねえんだ。お前たちはよってたかっていちばんきれいなものをめちゃめちゃに壊しやがった。いちばん大切なものまでもぶち壊してしまったんだ」。要するに「少年」はシンボルなんですよ、「いちばんきれいなもの」「いちばん大切なもの」の。だから、リアリズムで男の動機を云々したって始まらないと思うんだけどなあ……。それから西村潔監督『白昼の襲撃』は――まあ、これについては既に書いたのでここでは割愛。それから伊藤俊也監督『女囚701号 さそり』は実は点数は至って辛い。山下耕作監督『博奕打ち いのち札』を入れてこっちを外してもいいくらい。でも、いきなり日の丸から始まる大胆不敵さと最後に登場する黒の鍔広帽子+黒のマキシコート+黒のパンタロンという梶芽衣子姐さんのカッコよさに免じて入れました。しかし、見ていてそれほど楽しい映画ではない。なによりもジメジメしているのがどうにも耐えられない。「野良猫ロック」シリーズのあのドライな遊び感覚とは比べるべくもない。しかも、このシリーズ、第2作、第3作と続くにつれて段々と「異常性愛路線」にシフトチェンジして行ったようなところがあって。そんな中で梶芽衣子姐さんが寄ってたかっていたぶられているような印象さえ持ったものです。その点、監督が長谷部安春に交替した第4作はまだしも楽しめる余地がある……。それから田中登監督『㊙色情めす市場』はワタシ的には1970年代映画の裏ベストワン(ちなみに、表ベストワンは長谷川和彦監督『青春の殺人者』)。なんでもこの映画はもともとは『受胎告知』というタイトルでATGで製作される予定だったとか(ソースはこちら)。それがどういう経緯で日活ロマンポルノとして製作されることになったのかは承知しておりませんが、ATGで撮らなくて正解だったのでは? もともと独立プロだったわけではない映画会社所属の監督がATGで撮って成功した試しがないので。中島貞夫監督『鉄砲玉の美学』然り、山口清一郎監督『北村透谷 わが冬の歌』然り。「表現」というのはある程度の制約の中でこそ輝きを放ち得るもの、なのかも知れない……。それからその中島貞夫が『鉄砲玉の美学』と同じ渡瀬恒彦主演で撮った『狂った野獣』は『映画秘宝EX 鮮烈!アナーキー日本映画史1959~1979』では町山智浩のお勧めの1本ということになるのだけれど――「劇中で流される三上寛の「小便だらけの湖」の歌詞は一生、オイラのテーマソングだ。/♪なんでもいいからブチ壊せ! なんでもいいからさらけ出せ!」。しかしね、ワタシのこの映画に対する(唯一の)不満は音楽なんですよ。確かに三上寛の「小便だらけの湖」の歌詞はこの映画のテーマに照応している、とは言える。しかし、ギター一本で歌う「小便だらけの湖」じゃパワーが足りないんだよ。それほどこの映画にはパワーが満ちている。もしこの映画の音楽が映画に見合うパワーを孕んだものだったら――たとえば、坂田明とか――もしかしたら『狂った野獣』は1970年代映画を代表する1作になっていたかも知れない。音楽というのはそれほど大事で、その力をまざまざと見せつけたのが若松孝二監督『餌食』。音楽としてクレジットされているのはピーター・トッシュ(Peter Tosh)とマトゥンビ(Matumbi )で、前者はジャマイカのレゲエ・ミュージシャン、後者はイギリスのレゲエ・バンド。それが日本映画の音楽を担当しているわけですが、とはいえ使用楽曲はこの映画のために作られたわけではなく(さすがにね)、既存のアルバムからの流用。ピーター・トッシュの場合は1978年リリースの『ブッシュ・ドクター(Bush Doctor)』に収録された「スーン・カム(Soon Come)」と「クリエイション(Creation)」、マトゥンビの場合も同じく1978年リリースの『七つの封印(Seven Seals)』に収録された「死の罠(Hook Deh)」が使われた(らしい、いろいろ情報を収集したところ)。これらの楽曲が選ばれた経緯まではわかりませんが、おそらくはこの映画で主演を務めた内田裕也の推薦でしょう。なんでも内田裕也はアメリカでレゲエに遭遇して衝撃を受け、この映画のアイデアと思いついたとかで、事実上、彼のプロデュースと言っていいかも知れない(ただし、クレジット上は企画製作は向井寛)。そして、この映画以降、内田裕也は『水のないプール』(1982年)、『十階のモスキート』(1983年)、『コミック雑誌なんかいらない!』(1986年)――と1980年代映画を代表する作品で立て続けに主演を務めることになるわけで、そういう意味でも『餌食』は重要。ただし、興行的には散々だった。この映画、神代辰巳監督『地獄』との併映だったのだけれど、ウィキペディアによれば「併映『餌食』との組み合わせで興行が不安視された予想通り、東映三角マーク史上、未曾有の不入りを記録した」。しかし『地獄』はいざ知らず『餌食』は今やとびきりのコレクターズアイテムで1987年リリースのVHSにはウン万円の値がつけられることも。従って、この映画だけは見ること能わず公開当時の記憶に頼って書いております。だから、使用楽曲の情報とかは曖昧。ただ、当時、受けた「印象」はいささかも曖昧ではない。ワタシにとっても、1970年代のドンジリで遭遇した衝撃の音楽体験、ではありましたよ。
ということで、『映画秘宝EX 鮮烈!アナーキー日本映画史1959~1979』にリストアップされている100本から10本を選び出した「アナーキー日本映画選」。これでワタシの(映画)人生にケジメがついた気になっているのは――いささか危険な兆候と言えなくもなく……。
追記 本稿を公開したのは2024年6月。今、この追記を書いているのは2025年11月。だから、17か月経っているわけですが、この間、未見だった映画も何本か見て(安田公義監督『新座頭市 破れ!唐人剣』とか、三隅研次監督『子連れ狼 三途の川の乳母車』とか。いずれも視聴はBS)、その都度、グレー→黒に表示を変更する修正を施してきた。で、今日、それとは逆に黒→グレーに表示を変更した映画がある。内藤誠監督『番格ロック』。実は、この映画は見ていなかったのだ。見ていなかったのに見たことにして黒で表示していた。言っておくけど、こんなことをしたのはこの映画だけだからね。なぜこの映画だけそんなウソをついたかというと、この記事を書く少し前に同じ内藤誠監督の『ネオンくらげ』について書いていて(こちらです)、記事の中では『番格ロック』にも言及している。たとえば、こんな感じ――「山内えみこの代表作といえば、おそらくは『番格ロック』ということになるでしょうが、中野貴雄曰く「「アラブの鷹」が敗北した段階で彼女の青春も終わったはずなのに、まだジタバタするユキがいい。演ずる山内えみこは100分間以上、ずーっとふくれっ面で、でもそれがいい」(『映画秘宝EX 鮮烈!アナーキー日本映画史1959~1979』より)。そんなね、100分間以上、ずーっとメンチを切っているような〝芝居〟が成り立ち得るのもあの目力があったればこそ」。おれが『番格ロック』を見ているかどうかについては微妙に言質を取られない表現にはなっているんだけれど、この記事ではおれは山内えみこを評して「ワタシの青の時代の女神」と書いているんだよ。そんな「女神」の代表作を「見ていない」というのはいかにも具合が悪い、ということで、本稿ではつい出来心で(?)見たことにしてしまった。もちろん、この映画が簡単に見られるものなら、記事を書いた時点でそうしているさ。でも、ご存知の方も少なくないと思うけれど、『番格ロック』は見ようと思っても見られない映画なんだ。なぜか? これについては、ウィキペディアに詳しく書かれていて――「2011年秋に内藤誠監督『明日泣く』の渋谷ユーロスペース公開と合わせて、本作のDVD発売も予定され、東映ビデオから見本盤も作られていた。しかしキャロルの権利を所有する矢沢の事務所から強硬な反対があり、DVDは発売中止となり、公開と合わせてシネマヴェーラ渋谷で本作の上映も予定されていた内藤のレトロスペクティブも中止になった」。なんでも矢沢事務所がDVD化に横槍を入れた理由は「本作の主題歌にジョニー大倉のソロパートが多いことに不仲の矢沢が嫉妬」したからとかで、内藤監督などは「わけも分からない理由で発売中止」になったと慨嘆したとか。ちなみに、つい最近、木村拓哉が所属するレコード会社からの独立・移籍を模索しているのでは? という記事がヤフーニュースになっていた。で、記事では「ロールモデルとなったのは木村がもっとも尊敬するアーティストのひとり、矢沢永吉(76才)だという」。これを読んで、将来的にSMAPの音源がどうなるのか、心配になったのはおれだけではないのでは? キムタクが永ちゃん化して「新しい地図」のメンバーがソロをとる楽曲の再発に横槍を入れる……。ともあれ、そんな映画なんだから、事実上、見る手段は断たれている。ということで、本稿執筆時点では、まあ、簡単に言うと、見栄を張っちゃったわけだね。でも、もうそれはやめる。おれは『番格ロック』は見ていない。
で、今ごろになってこんなことを書く気になった理由だけれど……実は、先頃、ヤフオクでちょっと珍しいものを手に入れた。東映が映画の公開に合わせてマスコミに配布した『番格ロック』の宣材写真。この種のものは他にも出回っていますが、おれが手に入れたのは「東映株式会社」とプリントされた袋入りで、つまりはマスコミに宣材として配布された初期の状態のままのもの。昭和レトロのおもちゃだって箱入りかそうでないかで全然値段が違ってしまうわけで、この袋入りの宣材写真(集)もなかなかでしょう。で、中には6枚のモノクロ写真が入っている。ここでは、その中の1枚だけを公開しますが――

この宣材写真(集)を入手したことを以て映画を「見た」ことに代えられませんかね。まあ、黒にするのは欲が深すぎるというのなら、80%グレーくらいで……?