PW_PLUS


ある貸本作家の「正体」について

 かつて「〈殺し屋〉について考える」という通しタイトルで記事を3本書いたことがある。では「殺し屋」という言葉が文芸用語として使われるようになったのは意外と新しく、1958年以降であることを「国立国会図書館サーチ」の検索結果を元に示した。で、そのきっかけとなったのは前年に刊行された高村勝治訳『ヘミングウェイ傑作選』ではないか? と。同書には、傑作と誉れ高い「殺し屋」が収録されているのだが、原題のThe Killersに「殺し屋」という邦題をつけたのはこの高村訳が最初なのだ(1953年刊行の大久保康雄訳『ヘミングウェイ短編集』では「殺人者」とされていた)。で、当該記事でおれはこんなことを書いているのだけれど――「まあ、原題がThe Killersなんだから、邦題を「殺人者」としたっておかしくはない。でも、別に物語の中で例の二人組は殺人を犯すわけではないんだから。そういう触れ込みの人物であるというだけで。だから、タイトルが「殺人者」では重すぎるというか、物語の世界観とは微妙にずれている。その点、高村勝治が付けた「殺し屋」はこの物語に漂うそこはかとないウソ臭さ(つーか、ワタシは「殺し屋」ってシャギー・ドッグ・ストーリーだと思ってるんですが、どんなもんでしょう。「アンチクライマックス的もしくは意味不明な結末を迎える」というシャギー・ドッグ・ストーリーの定義に合致しているのは間違いないでしょう。もっとも、当の高村勝治の受け取り方は違うようで、「殺し屋にねらわれているかつての拳闘家は下宿の部屋のベッドに大きな身体を横たえ、壁に向って、もうどうにもならないのだ、とくりかえす。その姿は絶望そのものである」。へえ、そんなふうに読むのかあ。そんなふうに読んだ上でこの邦題を付けているのかあ……)まで感じられるようでハマっている。今日、この短編が「殺し屋」という邦題で流布しているのだって「殺し屋」という言葉につきまとう独特の作りものめいた感じ(軽み)がこの物語にはマッチしていると多くの人が受け取ったからではないか。「殺し屋」というのは、そういう抜群の邦題ですよ」。自分で書いた文章ながら、この〝読み〟には「いいね」を付けたいな……。

 ともあれ、こうして「殺し屋」は「世間の所有に帰した」(竹中労が好んで用いた語法。竹中労的な、あまりに竹中労的な……)。で、1958年には早くもこの3文字をタイトルに含む小説が刊行されることになる。それが青木義久『殺し屋は俺だ』(榊原書房)と大門正人『奴は殺し屋』(南旺社)なんだが、当時、おれは「青木義久と大門正人については全くの未知の作家で現時点でワタシが提供できる情報はありません。大門正人は他にも『戦慄租界』なんて本も出していて、タイトルからは大藪春彦のエピゴーネンという雰囲気も……?」。さらにでは「もしかしたら、貸本作家なのかもしれないなあ。なるほど、ハードボイルドのゆりかごとしての貸本小説、か……」。ただ、その後、青木義久については戦前から戦後にかけて活躍した映画人であることが判明した。松崎啓次という名前で製作、青木義久という名前で脚本を書くなどしていたらしい。青木義久が脚本を担当した映画の中には野口博志監督の『復讐は誰がやる』なんてのもあって(念のため、書き添えておくなら、野口博志は赤木圭一郎主演の『拳銃無頼帖』シリーズや小林旭主演の『銀座旋風児』シリーズかなどを手がけたアクション映画の名匠です)、映画ファンを自認するおれとしてはそんな人物を「全くの未知の作家」としていたことは反省が必要だなあ……。で、このことは件の記事にも追記として書き加えておいたんだけれど、もう一人の大門正人については、依然、不明のまま。そもそも、どう読むのかもわからない。国立国会図書館の「典拠データ検索・提供サービス」では「だいもんまさと」とされているものの、『探偵小説年鑑』では「おおかどまさと」とされていて……ここは江戸川乱歩に敬意を表する意味でも『探偵小説年鑑』の情報を信じるべきかねえ……。

 で、今日、書きたいのは、この「おおかどまさと」の正体について、です。実は、記事で言及した大門正人の2冊はどちらも国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧が可能なのだ(ちなみに、両書はとびきりの稀覯書で、現状、「日本の古本屋」には商品登録がないだけでなく、2015年以来のヤフオクの落札価格を検索できるAucfreeでも、過去、落札されたことを確認できない。ただ、いろいろ調べたところ、現在、某通販サイトに『戦慄租界』が商品登録されていることがわかった。売値は9,750円。それはいいんだけれど、この通販サイトがなんとも怪しい。で、念のためということで調べたところ、株式会社ネオブラッド(は「フィルタリング向けなどのデータを企業様に販売している会社」だそうです)が運営する「詐欺サイト/偽サイトの一覧速報」にこの通販サイトが載っているのだ。これは、アカン。ただ、この通販サイトが提供してくれている情報が一つあって、それは『戦慄租界』が「ミステリ貸本小説」と紹介されていること。多分、この本にも貸本屋のスタンプが捺されているんだろう。そうなると、ここは資料という意味でも手に入れたいところではあるんだが……仕方がない、諦めよう。ただ、画像だけは頂いておきました。それが、こちらです。これが、結構なインパクトでね。大藪春彦の本のカバーとかにも使えそう? もっとも、この装画も『戦慄租界』というタイトルも「看板に偽りあり」と言わざるを得ないだけれど……。あと、大門正人名義の本としては、もう1冊、『黒い影の男』というのがある。しかし、こちらは国立国会図書館にも所蔵がない。なんと、全国の公立図書館でも所蔵しているのは北海道立図書館だけらしい。実は北海道立図書館は青木義久の『殺し屋は俺だ』も所蔵していて、こちらも全国の公立図書館でも所蔵しているのはここだけ。スゴイな、北海道立図書館……)。で、読んでみたところ、『奴は殺し屋』はなかなかだよ。十分にハードボイルドと言っていい。一方、『戦慄租界』は短編集で、正直、玉石混交ではあるんだけれど、掉尾を飾る「愛憎メキシコ無宿」はこれまた十分にハードボイルドと言っていい。で、これだけのものを書ける作家が1960年刊行の『黒い影の男』というこれまたタイトルからしてハードボイルドな雰囲気が漂う一書を世に送り出したのを最後に文壇から姿を消しているわけですよ(1960年以降、大門正人名義の著書が刊行されていないのは間違いない。また、雑誌媒体への寄稿も『探偵倶楽部』1959年2月号に寄稿した「コキユ忘れ得べし」が最後で、まあ、知られていないだけで、それ以降も寄稿していた可能性がないわけではないんだが……)。

 これが、なんとも不可解というか。で、いろいろ考えて、大門正人は姿を消したのではなく、単に大門正人というペンネームでは書かなくなっただけなのでは? という仮説を立てた。あるいは、ここはこう言い換えてもいい――大門正人とはある著名な作家が一時的に使用した変名(pseudonym)だったのでは? そう考えると、いろいろ思い当たるフシがあるのだ。で、ちょっとした写楽論争みたいな話にはなるんだが……まず、大門正人の「正体」の候補を示す。


  • 色川武大
  • 都筑道夫
  • 山下諭一
  • 城戸 禮
  • 大門正人

 最後の大門正人というのは、まあ、写楽論争における斎藤十郎兵衛説、というか、「写楽は写楽」説とお考え下さい。で、別におれは適当に著名作家の名前を列挙したわけではなく、それぞれに状況証拠となり得るものがあるのだ。まず色川武大なんだけれど、色川武大は1961年に「黒い布」で第6回中央公論新人賞を受賞する前、井上志摩夫名義で主に時代小説を書いていたことが知られているわけだけれど(ただし、すべてが時代小説ではなく、現代小説も含まれている。その中には「拳銃を討つまで」というちょっとだけハードボイルド風味の作品もあった)、実は大門正人が「男娼酒場殺人事件」(この小説は未読なんですが、おそらくは『戦慄租界』に収録されている「女が邪魔だ」と同一の作品だと思われる。たまたまネットで拾ったこちらの画像に「ゲーバーのマダムの情痴殺人の真相を知ったら」とあって、「女が邪魔だ」のストーリーと完全に一致する)を寄稿した『オール読切』にも井上志摩夫名義で「天和をつくれ」という麻雀小説を寄稿しているのだ(1959年3月号)。ソースが示されていないので真偽は不明ですが、出版元である共栄社で編集者をしていたという情報もある(こちらです)。その上で、『戦慄租界』に収録されている「その指を貸せ」と「脛の傷」が色川武大のよーく知られた変名(オルターエゴ)である阿佐田哲也名義の作品を彷彿させるのだ。たとえば「その指を貸せ」の主人公は本名・大屋健次郎、通称ヤマ健というスリなんだが、どうしたって『麻雀放浪記』シリーズの立役者・ドサ健を想起せざるを得ない。また「脛の傷」の書き出しに至っては――「ポーカー賭博ならともかく、カードを切ってオイチョをする世の中なのだ。タイプで打った喧嘩状が舞いこんだからといって、不思議ではあるまい」。これね、どこからどう読んだって阿佐田哲也でしょう。まあ、阿佐田哲也が色川武大のオルターエゴとして文壇に登場するのは10年ばかり後なんだけれど……。で、上述の通り色川武大は井上志摩夫名義で「拳銃を討つまで」(『大衆小説』1962年8月増刊号。『色川武大・阿佐田哲也電子全集』第16巻に収録されていますが、掲載誌には山野辺進による挿画があしらわられており、それだけを見るならば完全にハードボイルドですよ)という小説も書いていたわけだから、『奴は殺し屋』の作者であっても少しも問題ないのでは? 一方、否定材料もあって、それは他でもない、当時、色川武大は井上志摩夫というペンネームを使って「拳銃を討つまで」というちょっとだけハードボイルド風味の作品も書いていた、というこの事実そのもの。それでなんで大門正人という別名義を使う必要があったのか? というのがある。あと、色川武大と共栄社の接点は確認できるけれど、『戦慄租界』に収録されている作品の中ではおれ的にはいちばん推したい「愛憎メキシコ無宿」は『裏窓』というSM雑誌に掲載されたもので(!)、その出版元である久保書店との接点は知られている限りではないんだよ。これもねえ……。

 で、都筑道夫はその『裏窓』(なお、大門正人は同誌に全部で5編を寄稿していることがこちらのサイトで確認できる。実に貴重なサイトだと思います。多謝!)の出版元である久保書店とは密接な関係にあり(実は久保書店で性風俗雑誌『あまとりあ』の編集を行っていた中田雅久に本国版MANHUNTの存在を教えたのが都筑道夫)、自身、『裏窓』の増刊号という位置付けだった『耽奇小説』の常連の寄稿者だった(これについては、こちらで確認できます。戸田和光氏による労作。これまた、多謝!)。その上で、これは状況証拠としてもきわめて有力だと思うのだけれど、『奴は殺し屋』の出版元である南旺社からは都筑道夫の最初の師匠に当たる正岡容が本を出している。それは『灰神楽三太郎』という本で、奇しくも1958年に刊行されている。従って、正岡容の弟子であった都筑道夫は南旺社とコネがあった、ということになる。出版社のコネというのは、貴重ですよ。おれも某社(というか、某社で編集責任者を勤めていた人物)とコネがあったんだけれど、なぜかスルーされちゃってねえ……。一方、否定材料もあって、都筑道夫こと松岡巖は都筑道夫として有名になる前はもう本当に数え切れないくらいの変名を使っていたわけだけれど、後に彼はその事実をカミングアウトして、なんと変名で書いた小説ばかり集めた選集まで編んでいる。桃源社から刊行された『都筑道夫ひとり雑誌』がそれ。しかし、この中に大門正人名義の作品は収められていない。もうすべてをぶっちゃけて変名で書いた小説ばかりで選集を編んだくらいの男がなぜ大門正人については沈黙するのか? というアポリアがあって、大門正人=都筑道夫説はなかなか苦しいというのが率直なところで……。

 また山下諭一も都筑道夫と同様、久保書店とは密接な関係にあり、『マンハント』では小鷹信光言うところの「特別補佐官のような重要や役割」を果たしていたし、2011年(東日本大震災があった年)に行われた鏡明によるインタビューでは――「「マンハント」の編集部のとなりに別の編集部があって、そこで須磨(利之)さんという人が、「裏窓」っていうSM雑誌を編集していたんです。ああいう雑誌でもよく穴が空くんですよ。須磨さんが、原稿のストックも欲しいし、なんか書いてくれんか、って言ってきた。しゃあないから「裏窓」のバックナンバー読んで、こんなんなら俺でも書けらあ、ってことで、「裏窓」にもけっこう書きました、覚えていないけど」。で、鏡明からペンネームについて尋ねられ、「神戸生まれだからっていうんで、神戸(かんべ)なんとかっていうのと、橘新太郎っていうのもあったな。もう一つぐらいあったけど、忘れました」(以上、鏡明著『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた。』より)。ここで彼が言っている「神戸なんとか」とは神戸裕一という、往年の流行歌手? というような名前(実はおれはその「往年の流行歌手」のコンサートに行ったことがある。母と光っちゃん(従姉)に連れられて。まだ小学校にも上がる前のことだったと思うけれど、場所は富山市公会堂だった。そんな記憶が、残っている……)で『裏窓』1958年12月号に「奇妙な自殺者たち」を寄稿していることが上述のサイトで裏付けられる。また橘新太郎は同じ12月号に「象牙の王座」を寄稿している他、1959年1月号には「海底のハレム」、2月号には「女に瓶はいらない」、3月号には「罪だぜ警部」……。で、さらに彼は「もう一つぐらいあったけど、忘れました」と述べているわけで、それが大門正人ではないか? という推定。で、そう仮定して『奴は殺し屋』を読むと、たとえばこんなシーンがあるのだけれど――

 京子は、オースチンに収まると、手にしてきた拳銃を、ボート・ネックのワンピースの襟もとから、さしこんでブラジャーの間につっこんだ。
 車を、めちゃくちゃにとばすうちに、ブラジャーから、次第にせりあがってきた、拳銃が、京子の胸で踊っていた。

 もうね、第一級の「通俗ハードボイルド」ですよ。この下りを読んだ瞬間、おれは大門正人=山下諭一と確信したくらいなんだが……ところがだ、これまた国立国会図書館にも所蔵がない、全国の公立図書館で所蔵しているのは、神奈川近代文学館だけ、とわかって、へえ……というようなプロセスを経て、神奈川近代文学館から『探偵倶楽部』(ちなみに、出版元は『オール読切』と同じ共栄社。色川武大が関係があったことは既に記したが、都筑道夫も『探偵倶楽部』には寄稿しており、そういう意味でのコネがあった)に掲載された「白い手の殺し屋たち」と「コキユ忘れ得べし」(については『探偵小説年鑑』で知った。使えるな、『探偵小説年鑑』)のコピーを取り寄せて読んでみたところ、これ、山下諭一じゃないだろうよ、と。全然、山下諭一らしさが感じられないので(山下諭一をご存知の方は同意していただけるだろうと思うけれど、この人、本当にスタイリッシュな文章を紡ぐんだ。で、田中小実昌は――「おかげで、われわれは注文がへるばかり。シャクにさわるので、山下諭一を消してしまう相談がまとまったが、さて、殺し屋のなりてがない。いっそ、曾根達也くんにたのんだら、なんていいだすやつまであらわれ、ぼくは、もう、ムクレっぱなしだ」)。かといって色川武大でもないし、都筑道夫でもない。なんていうか、読物調とでもいうのかな、独特のリズム(軽ーく七五調が入っている)があって、臭い。たとえば、「コキユ忘れ得べし」の場合だと――

 ハナシはどうも、ウマすぎた。
 手数料(マージン)をだすから、女房を寝取ってくれ――と、いうのである。
(下手アすると、もの笑いのタネにされるのは、寝取られた亭主野郎じやなくつて、このおれさま――と、いうことになりや、しねえかな?)
 八田利一が、鼻をねじまげて、しばし逡巡したとしても無理はなかつた。
(えい! あとのことはあとだ。いつちよう請負つてやるか――)
 八田利一は、正面にむきなおると、
『いいだろう。ただし、手数料(マージン)は前金にしてくれよ』
『あゝ、たすかりました。コトがコトだけに誰かれの別なく頼むわけにいかないんで、弱つてたんですよ。前金――もちろんです。金額は、こんなところでどうですか……?』
 と、コキユの依頼者である木島寛夫は、親指をおりまげ残りの指を四本つきだしてみせた。
『フン! 満足たア、いいにくいけど、コトがコトだから、ウンということにするか。そのかわりな、一度、おれが手をだしたからには、完全無欠、あんたを日本で一番の寝取られ亭主にしてやらア。そんときになつて、文句をつけなさんなといいたいね』
 八田利一は、唇をゆがめて、悪ぶつてみせた。

 で、この感じ、誰かに似ているなあ、と思ったら……城戸禮だよ。で、あっ、となったんだけれど……実はね、『奴は殺し屋』の主人公・紺野武夫はこんなプロフィールの持ち主なんだよ――

 紺野武夫は、私立大学を中退している。戦争のためである。兵隊にひっぱりだされて半才もすると終戦になった。そのあいだに、横浜の山の手にあった彼の家は、灰燼に帰し、両親も妹たちも、空襲の犠牲となって他界した。九州の南端で、穴掘りをしていた彼だけが、生き残ったのだ。
 終戦になっても、大学にもどる気はおこらなかった。家族も家も失い、学費の出どころもなかった。
 進駐兵の充満した横浜もいやだった。いつの間にか、グレた仲間にはいっていた。
 そんな紺野武夫を、しゃんとした人間にしてくれたのは、寺田久作のおかげである。
 仲間うちの、トラブルが、傷害事件を引き起した。拘引された紺野の取調べに当ったのが、寺田久作だった。結局、不起訴処分として、その事件は落着した。寺田の温情が、多分に利いていたことは明白だ。
 いま考えると、れっきとしたヤクザの身内にしてもらおうと、郊外にある大きな工場の廃虚にいっては、拳銃の練習をしていたことが、おかしい。

 これね、城戸禮が『青春タイムス』1951年7月号に寄稿した「悲恋拳銃無宿」の主人公・志摩譲二と谷島刑事の関係と瓜二つと言っていい(志摩譲二と谷島刑事の関係についてはこちらの記事で書いております)。このことは『奴は殺し屋』を読んでいる時点で気がついてはいたんだが、当時は大門正人=城戸禮なんて考えもしなかったので、まあ、スルーしたというのかな。しかし、「白い手の殺し屋たち」と「コキユ忘れ得べし」を読んで、その文体の臭み(というか、古臭さ、だな、端的に言えば)にいささか閉口しつつ、卒然と大門正人=城戸禮説を思いついた瞬間、なるほど! と。大門正人=城戸禮だとしたら得心の行く点があって、要するに、なんで大門正人が城戸禮の変名であることが公にならなかったのか? 実は城戸禮は自分についてほとんど語らなかった。だから城田シュレーダーとの関係も謎のままとなった(この件についてはウィキペディアにも「城戸禮と城田シュレーダー」として書かれていますが、あれを書いたのはおれでね。同じようなことはこちらにも書いております。ぜひ参考にしていただければ)。それと同じように「城戸禮と大門正人」という謎も残して彼は旅立った、ということではないか?

 ということで、大門正人=城戸禮で決まりか、というと、そうとも言い切れないのだ。というのも、おれには『奴は殺し屋』を書いたのが城戸禮だとはどうしても思えないんだよ。城戸禮に「京子は、オースチンに収まると、手にしてきた拳銃を、ボート・ネックのワンピースの襟もとから、さしこんでブラジャーの間につっこんだ」なんて書けないだろう(他にも『奴は殺し屋』には城戸禮には書けそうもないフレーズがある。たとえば「スポットを浴びたバーレスクでの、フィナーレの舞台にも似た光景だ」とか「甚吉は、片方に女の腕をかかえ、もういっぽうの腕に、封の切ってないカナディアン・クラブの瓶をかかえて店をあとにした」とか。三四郎のセンセイには、こんなの、書けませんよ)。それから、「ボート・ネックのワンピース」もそうだけれど、大門正人は実に多種多様な服飾関係の用語を作品のあちらこちらにちりばめているんだよ。ここは、『奴は殺し屋』から、ざっと目に留まったものを書き出すなら――


  • 黒いツー・ピース 黒のスエードのパンプス 9p
  • ナイロン・ジャンパー 10p
  • 黒いカシミヤのツー・ピース 12p
  • こげ茶のタイト・スカート 14p
  • 茶のスカート クリーム色のシャツ・ブラウス 15p
  • スカ(コ)ッチの合服 ファーの極上のソフト ストレート・チップの靴 16p
  • スコッチの上衣 28p
  • シャークスキンの粋な半袖シャツ 44p
  • 厚手のタッサー 54p
  • テトロンの上衣 85p
  • タータン・チェックのタイトスカート ポロシャツ風のブラウス 真っ白なパイルのブラウス 94p
  • ポロシャツ風のパイル地のブラウス 103p
  • 白いパンプス 104p
  • デニムの作業着 118p
  • 黒のスラックス タッサーで仕立てたジャンパー風なジャケット 201p
  • ボート・ネックのワンピース 252p

 城戸禮というのは、明治の人だから。生まれたのが明治42年。そんな「明治の男」に「ストレート・チップの靴」だの「ボート・ネックのワンピース」だの、書けるわけがない。少なくとも、昭和生まれじゃないと。

 ということで、みんなそれなりに肯定材料がある一方、無視できない否定材料もあって、あの人も違う、この人も違う、と。結果、最も有力なのは「大門正人は大門正人」という、写楽論争における「写楽は写楽」みたいなことになって、いささか自分でもげんなりしているという……。

 ただ、そんな状況ではあるんだけれど、現状、おれは、大門正人=都筑道夫説に傾いている。まあ、あくまでも「傾いている」ってだけなんだけれど……実はですね、都筑作品には大門正人の正体を突き止める上で有力な手がかりとなる一言が認められるのだ。その一言とは……「スコッチの上衣」。大門正人が作品にちりばめた多種多様な服飾関係の用語の中でも抜きん出て特徴的なのがこの「スコッチの上衣」と言っていい。これがどれだけ特徴的かというと、デジコレで検索してもヒットするのは62件しかない(対象を図書に絞った場合)。しかも、大半は翻訳書。イプセンとかフォークナーとかクローニンとかデュ・モーリエとか。日本人作家となると、北原武夫が『愛は抵抗する』の中で使っているな。それから、福田章二(先日、亡くなった庄司薫の別名=本名)が『喪失』で使っている。で、他にも使用例はあることはある。でも、いずれも純文学。こんなさ、「通俗ハードボイルド」まがいの小説での使用例なんてありませんよ。だから、この「スコッチの上衣」は大門正人の正体を突き止める上で有力な手がかりであるとおれは睨んだんだが……そんな「スコッチの上衣」を都筑道夫は使っているんです。それは1973年に刊行された物部太郎&片岡直次郎シリーズの第3作『最長不倒距離 スキー場殺人事件』(徳間書店)においてで――「畳に投げだしたスコッチの上衣から、ソブラニイ・ブラック・アンド・ゴールドの函をとって、金口の黒い紙巻を一本ぬきだしてから、「そいつを大いに発揮して、ご主人さまの話は、きみひとりで聞いてくれよ」と、太郎は漆仕上のデュポンを鳴らした」。で、実は都筑道夫も大門正人ばりに多種多様な服飾関係の用語を作品にちりばめているのだ。ざっと挙げるならば、ワンピース ツーピース タイト・スカート スラックス ポロシャツ ナイロン・ジャンパー シャツ・ブラウス パンプス タータン・チェック(の) カシミヤ(の) テトロン(の) デニム(の)……。一つ一つ取り上げればありふれた言葉には違いないだろう。でも、そんなものを作品のあちらこちらにちりばめつつ、「スコッチの上衣」という、これはもうとびきり特徴があると言っていいフレーズを繰り出しているわけで……これを最大の根拠として大門正人=都筑道夫説をぶち上げることは可能や否や? と、芋焼酎「こくいも」をちびちびやりながら考えているという……。