PW_PLUS


来年、『逆賊の幕臣』を見るために③

 9月28日、倉本聰氏の訃が報じられた。報道によれば、亡くなったのは18日。だから、おれが「来年、『逆賊の幕臣』を見るために①」を書いていたときには既に亡くなっていた、ということになる。
 今日(29日)になって、藤竜也の追悼コメントが発表された。スポーツ報知が報じたその内容は――「脚本は“てにをは”まで神経を使って書いているから、セリフはその通りに」と徹底した指示が出ていた。ところが「私には当時の新選組がヤンキーのように思え、演じる上でどうしても崩したかった。本人の姿が見えなかったので本番で変えてやったんですよ」。
 「来年、『逆賊の幕臣』を見るために①」でおれは『勝海舟』で藤竜也が演じた土方歳三を評して――「藤竜也の土方歳三というのは、なんというのか、「土方歳三」を着崩したような感じ、とでもいうのかな」。だから、この見立ては当たっていたことになる。
 テレビが茶の間に君臨した時代の名脚本家と日活ニューアクションのスクリーンを生きてきた名優の邂逅。そのハレーションとしてのヤンキーふうの土方歳三の誕生。これもまた1970年代の奇跡。
 合掌。


○

 さて、「来年、『逆賊の幕臣』を見るために①」でも書いたように、こんなタイトルを付けたからってずーっと『逆賊の幕臣』やそれに関連することを書こうというつもりはなく、基本的にはこれまで通り――「これまで通り、本を読んだり動画を見たり。しかし、それらを「来年、『逆賊の幕臣』を見るために」という枠で括ることで、何かそれなりのことをやっているような気持ちになれる。そして、その方がただ「小さなこと」をやっているよりよっぽど充実した時間をすごせるような気がするんだ。この「来年、『逆賊の幕臣』を見るために」シリーズはそのためのものです」。ただ、そうは言っても、いざやり始めるとやっぱり『逆賊の幕臣』に関係することを書かなければならないような気になってしまって、ウィキペディアの「小栗忠順」とかを読んでネタを探しているような有り様で……これは、ヨクナイ。で、ここは、本来の趣旨に則って(?)『逆賊の幕臣』とは何の関係もないことを書く。実は、月額550円という激安価格に釣られてDMM TVというのに入ったんだよ。かつておれはU-NEXTというのに入っていたことがあって、こちらは月額2,180円。だから、DMM TVがいかに激安かがわかるだろう。で、昔から「安かろう悪かろう」と言うように、激安商品で品質が良いものなんてまずないと心得るべき。DMM TVで見られるコンテンツも高が知れているだろう……と思ってはいたのだが、やっぱり。U-NEXTとの差は歴然としている。U-NEXTでは見られるのに、DMM TVでは見られない。あるいは、見られるけれど、別途、課金されるとか。ただ、まったく食指をそそられるコンテンツがないかと言えば、そうでもない。それなりに、食指をそそられるコンテンツは、ある。で、とりあえず1か月くらいは試してみようかと思ってはいるんだが(なお、最初の14日間は無料トライアル期間なので、それ+1か月ということだね)、最初に見た何本かについてはスルー(特に書きたいようなことはなし。見たのはホラー映画です。ホラー映画に関しては、結構、コンテンツは揃っている)。ここは、昨日、見た3本についてまとめて書いておこう。

 見たのはすべて東出昌大の主演作品。おれは東出昌大にある種の恩義を感じていて(その経緯については、こちらの記事を読んでいただければわかってもらえるはず)、たとえどんなことがあってもこの人の味方でいようと心に決めているのだが、とはいえこの人が出演したドラマや映画はほとんど見たことがなかった。朝ドラの『ごちそうさん』は1回も見たことがないし、この人が久坂玄瑞を演じた(らしい)『花燃ゆ』はおれが完全スルーした数少ない大河の1つで、当然のことながら、東出@玄瑞の雄姿(?)にもお目にかからず仕舞い。そんな感じで、ほとんど見たことがないんだよ。それだけに『菊とギロチン』で東出昌大演じる中濱鐵に遭遇したときの驚きたるや。へえ、東出昌大ってこんな俳優だったのか! と。で、最近では彼がYouTubeで公開している動画を見まくっているような次第なんだが、とはいえ東出昌大は俳優なんだから。彼をリスペクトすると言うのならば、やっぱり彼が出た映画を見ないことにはね。

 ということで、昨日、1日で3本見た。見た順番で言えば『Winny』(2023年)→『草の響き』(2021年)→『寝ても覚めても』(2018年)となるのだが、ここはこの3本についての簡単な感想を公開順に書いて行くことにしよう。まず、『寝ても覚めても』は例の件のきっかけとなった映画で、内容もそれらしいもの。要は恋愛映画なんだが……ただ、ただの恋愛映画ではない。なにしろ、監督は濱口竜介なのでね。おれの見る限り『寝ても覚めても』というのは「超俗」と「俗」をめぐる物語、だと思うな。恋愛の構図としては一種の三角関係となっており、唐田えりか演じる朝子が2人のよく似た男(麦と亮平。これを東出昌大が一人二役で演じている)の間で揺れ動くんだが、2人が似ているのは外見だけで、キャラクターとしての属性は全然違う。麦(読みは「ばく」。ちなみに、おれが書いた『有合亭ストーリーズ』の主人公は大杉獏という名前なんだが、構想段階では大杉麦という名前だった。全くの偶然なんだけどね)というのは、ちょっと超現実的なところがある。登場の仕方がそうだったし、朝子の前から姿を消す仕方もそうだった。そして、再登場する仕方も。あれは超現実的存在と言っていいでしょう。あるいは「超俗」的存在。それは、出会った場所が牛腸茂雄(実在の写真家。おれは知らなかったんだが、1983年に36歳という若さで亡くなった鬼才だそうです)の写真展の会場、ということにも表れている。一方の亮平は全く以て世俗的人間で、こちらは出会った場所は会社の会議室(朝子は亮平の会社の隣にあるビルの1階に入居している喫茶店のウエイトレスで、店は会社にコーヒーを提供している。朝子は会議終了後にコーヒーポットを引き取りに行って麦にそっくりの亮平に出会う)。朝子はこの2人――あるいは、1つのイデーと1人の人間――の間で揺れ動くことになる。そして、「超俗」に惹かれつつも最終的には「俗」を選ぶ。映画の最後で亮平と朝子は2人が新しい生活を営むことになる家の前を流れる川(その名は天野川。不動産屋は淀川の支流と説明しており、確認したところ、実在の川であることがわかった)を眺めながら――


亮平「汚(き)ったない川やで」
朝子「でも、きれい」


 最後の「でも、きれい」は「超俗」と「俗」の間で揺れ動いたものの述懐と理解するならば、このダイアローグもストンと胸に落ちるだろう(なお、野暮を承知で書いておくなら、天野川という名称は天の川を連想させる。で、天の川が「超俗」の比喩なら天野川は「俗」の比喩。そして、その俗っぽい天野川が「きれい」だと言っている)。

 まあ、そんなわけで、さすがは濱口竜介だよ。国内外で評価されたのも頷ける。ただ、この映画には1つ弱点があると思う。それは、あそこまで(ケータイを走る車の中から投げ捨ててまで。この際、ケータイとは「今までの自分」ということになる)強い覚悟を以て麦についていったはずの朝子が東北地方の某所(麦は「仙台の手前」と言っているので、だとしたら名取あたり)で亮平のもとに帰ると言い出すこと。その心境の変化が急で、よく呑み込めないんだよ。麦がおよそ東北地方の現状に無関心と思われるような発言をしたこと(「腹へって、眠くなって、海が見たくなって(高速を)下りた。でも、全然見えない」「この(防潮堤の)向こう、本当に海なの?」。なお、映画では亮平が観劇中に東日本大震災に遭遇したり、朝子と2人で行った焚き出しのボランティア活動なども描かれている。その場所が名取だった)がそのきっかけではあるようなんだが、にしたってあんなに急にねえ。「夢から覚める」って、そんなに簡単なことじゃないだろう。おれが監督だったら、あそこでフラッシュバック(亮平と行っていたボランティア活動の回想)とかを入れてそれなりの説得力を持たせようとするだろうが、濱口竜介はあえてそういう「説明」を省いたということだろうか? だとしても、そもそも「夢から覚める」ってそんなに簡単なことじゃないはずから。あそこはこの映画の弱点だと思うな。

 で、2番目(見た順でも公開順でも)の『草の響き』は昨日見た中ではいちばん心に残った作品と言っていい。正直、あのストーリー(は、ウィキペディアの「映画版あらすじ」を参照して下さい。よくまとまっていると思います。実はこの映画はとことん説明台詞を省いているのでよくストーリーが呑み込めないところがある。たとえば、ストーリーの本線とは別に高校生トリオのストーリーが進行するのだが、おれはこれを主人公の高校時代のエピソードと解釈しながら見ていたものだ。で、ストーリーが進行して行く内に2つがクロスオーバーする――主人公と高校時代の主人公(とおれが思い込んだ少年)が一緒にジョギングを始めるのだ。で、オモシロイ、と。ただ、この2人、かなり身長差があるんだよ。で、自分の見立てに一抹の不安を覚えた。で、視聴を中断して「映画版あらすじ」を読んだら全然違っていたことがわかった。でも、主人公を中心とする3人(本人・妻・友人)の関係性と高校生トリオの関係性は妙に重なる部分があって、そこは、多分、わざとそうなるように作っているんだろう。だから、和雄=彰と見なしてもいいような気もするんだが……)で、最後、ああなるというのは、腑に落ちない。しかし、なによりもかによりも、東出昌大の演技がすばらしいので。人の気持ちというのは、理屈じゃないから。強制入院に伴う拘束が解け、自由になって、「裸足で」草の上に立ったときに足の裏で感じた喜び、というのはあると思う。その喜びの表現が、スバラシイ。そして、あの最後の呼吸音ね。あれは、「生きている」、ということの端的な表現であり、そのすばらしさの表現、でもある。仮にストーリーとの間の矛盾があるとしても、最後をああいうふうに帰着させるというのは、あっていいと思う。理屈で計れる映画なんて、大した映画ではない。それを超えたところに、映画の愉びは、ある。『草の響き』の最後のシーンは、それを体現していた……。

 さて、問題は『Winny』でね。これは、難しいんだよ。難しいっていうか、Winny事件の評価が関わってくるんでね。で、ここは、あえてそういうところに深入りせず、面白い映画であることは間違いなので、無難に褒めて終わる、ということもできないわけではないんだが……そういう事なかれ主義が今のニッポンをダメにしているんだ――と自分を鞭打って、率直に思うところを書くとしよう。で、以下、Winny事件のあらましについてはご承知のものとして話を進めさせていただくこととしますが――おれは、金子勇は、Winnyが違法ダウンロードに使われることを承知していたと思う。わかった上でWinnyを作り、公開していた。それを、違法ダウンロードは本人の意思に反している、と言い張るのは強弁というものだよ。おれはね、要はネット民が望むものを作ってやったということだと思う。プログラマーである金子勇は、そういう形で己の承認欲求を満たしたということ。これはね、今、インスタなどで女優だとか女子アナだとかコスプレイヤーだとかが自撮り写真(相当にきわどいやつ)を晒すのが流行となっているけれど、あれと同じようなものだよ。それをプログラマーの自己表現と肯定的に評価するのはいいとしても(東出昌大演じる金子勇は、Winnyは私の表現なんです、プログラミング以外の言語で喋る術を知らないので、というようなことを言う)、弁護団が持ち出した「匿名性の保障」というのは完全な後付けだよ。映画ではWinnyで愛媛県警の裏金作りの証拠資料が流出したことを以てWinnyが作られた意義としていたが、それは違うと思う。それは、たまたまだって。そんなことを想定して金子勇はWinnyを作ったわけではないはず。また、仮に愛媛県警の件がWinnyを作ったことによる必然的結果だとしても、それでWinnyの犯罪性が稀釈されるわけではないだろう。改造拳銃で悪者を退治したからといって改造拳銃を作ったことが免罪されるわけではない。要するに、金子勇はジュリアン・アサンジとは違うということ(ちなみに、映画では担当弁護士の一人が「都市伝説の域を出ない」と断った上で金子勇が「某国のスパイではないかという噂まである」と語るシーンがありますが、かつて「反権力の英雄」として持て囃されたジュリアン・アサンジはロシアとの関係が表沙汰になるに及んで一転して「ロシアの利益を代弁するプロキシ」と見なされるようになった。もしかしたら、映画でジュリアン・アサンジないしはウィキリークスへの言及が一切なかったのはその辺の〝不都合〟を慮って、かも知れない。下衆の勘ぐり?)。そんなわけなので、おれとしては『Winny』が描き出す事件の見取図には同意できない。ただ、おれはこの映画を東出昌大という俳優に注目して見たので。そういう意味で言えば、東出くんがギーク(geek)というおれなんかにもおよそ正体を掴みにくい存在を見事に体現して見せてくれていて、これは並大抵のことではないよ。この人の演技者としての懐の深さはハンパない。それを確認できたという点で『Winny』を見た甲斐はあった。

 以上、昨日、DMM TVで見た東出昌大主演の映画3本についての感想としますが、いちばん心に残っているのはやっぱり『草の響き』のラスト。最後に、東出昌大が見せたすばらしい表情のキャプチャー画像を貼っておきます。おれがこの種の喜びを覚えたことがあっただろうか、と思いつつ……。


草の響き

○

 NHKオンデマンドで『花燃ゆ』の第27回「妻のたたかい」を見た。前半では禁門の変が描かれており、東出昌大演じる久坂玄瑞が鈴木伸之演じる寺島忠三郎と刺し違えて果てるという壮絶な回。いや、ホント、壮絶で……。↑でも書いたようにおれは『花燃ゆ』は完全スルーしており、正直、良い印象は持っていなかった。有り体に言えば、公共放送であるNHKが時の総理大臣の御機嫌取りのために作った大河、というのが当時のおれの認識で、これは、まあ、大筋で外れてはいないと思うのだが、ただ、完全スルーしたのはどうだったのかな、とも。今、冷静になってふり返ればね。で、そんな思いも持っていたところに東出@玄瑞への興味も加わって、この際、見てみようと。で、見るならば、やはり久坂玄瑞が果てる回だろうと。で、それが第27回「妻のたたかい」だったわけだが……見て、オドロイタ。実に正統派の大河ではないか! 当時は「おにぎり大河」と言われたり、キャッチコピーも「イケメン大河」だの「幕末男子の育て方」だの。で、なんとなく『花より男子』の幕末版みたいなものなのかなあ、という印象を持っていたのだが、いやいやどうして、堂々たる正統派の大河ですよ。これならば、見てもよかったんだけどなあ……。でね、東出昌大の久坂玄瑞なんだけど、当たり役と言っていい。そもそもヴィジュアルが似ているからね。これは見る前から思っていたことで、見てなおさら思った。絶対、久坂ってこういう男だったんだよ。こういう、思いがありあまってつい〝やらかしてしまう男〟。しかし、自分は「やらかす側の人間」と自虐したら開き直っていることになるのか? 開き直っているのは、匿名性に隠れて好き放題に書いている方だろう……。ともあれ、東出昌大にとって久坂玄瑞は当たり役だよ。で、来年の『逆賊の幕臣』でも……と思うんだが、多分、この人がNHKからお呼びがかかることはもうないんだろうな。淋しい。なお、禁門の変に関連して書いておくと、2000年に会津若松市から刊行された『幕末会津藩往復文書』にこの変における会津藩各隊の働きぶりをまとめた「二番部下始末大略調」が収録されており、鷹司邸包囲の状況は――「坂本隊ニ而ハ裡口を固め、生駒隊ハ表口を固居候処、砲火ニ而燃上り頓ニ一円火煙与相成候処、右火煙与不相成直前玄関ゟ入、敵を探行候処、手負之者も又割腹も余程有之候由ニ御座候」。ここに出てくる生駒隊というのは生駒五兵衛が「番頭」(会津藩の兵制では部隊を率いる隊長に相当)を務める隊なのだが、この生駒隊で「隊付御目付」を務めていたのが杤木大学(このときは初名の熊之助)。そして、この杤木大学こそは輪王寺宮擁立劇の最大のキーパーソンなのだが……こうなったら、仕方がない。実は、もし何かの奇跡が起きて『「東武皇帝」即位説の真相 もしくはあてどないペーパー・ディテクティヴの軌跡』が映像化されるならば(もちろん、そういう可能性は0だよ。それはちゃんとわかっているから。幸か不幸か、そこまでメンタルはいかれていない。これは、「見果てぬ夢」の話……)、杤木大学は東出昌大に演ってもらいたいと思っていたのだが、諦める。久坂玄瑞を演った男が、その最期の刻、相手側にいた男を演ってはイケマセン。それは、俳優としての信義に悖る……。