この「来年、『逆賊の幕臣』を見るために」シリーズを始めて以来、小栗忠順と安達奈緒子という組み合わせがどうにも得心が行かず、もしかしたら失敗作に終わるのではないか、という懸念を抱き続けてきた。これにはそれ相応の裏付けもあって、そもそもNHKは朝ドラに起用した(女性)脚本家を数年後に大河に起用するというパターンを繰り返しており、ザッと挙げれば田渕久美子(『さくら』→『篤姫』)、小松江里子(『どんど晴れ』→『天地人』)、藤本有紀(『ちりとてちん』→『平清盛』)、山本むつみ(『ゲゲゲの女房』→『八重の櫻』)、森下佳子(『ごちそうさん』→『おんな城主 直虎』)。これに安達奈緒子(『おかえりモネ』→『逆賊の幕臣』)が加わることになるわけだが、朝ドラで成功したからといって大河を書けるという保証は何もないわけだよ。実際、『八重の櫻』なんて、急遽、他の脚本家がサポートに入る、という形で制作サイドが梃入れするという事態に発展した。同じようなことは『花燃ゆ』でも起きていますが、こちらは、まあ、そもそも企画にムリがあったんだろうというのがおれの見立てで……。ともあれ、朝ドラで成功したからといって大河を書けるという保証は何もないわけで、ましてや題材との相性というのは絶対にあるはずで、それを無視して起用したってうまく行くはずがない。で、おれとしては安達奈緒子という脚本家を評価するがゆえに他人事ながら心配していた次第なんだが……もしかしたら、そんなおれの心配は杞憂に終わるかも知れない……もし安達奈緒子がそういう理由で起用されたのなら……。
で、まず告白しておかなければならないんだが、おれは安達奈緒子という脚本家を誤解していたようだ。おれは、この人は(『きのう何食べた?』のような例外もあるものの)基本的にはずーっと女性を描いてきた脚本家だと思い込んでいた。そんなわけで、「来年、『逆賊の幕臣』を見るために①」では「どうせなら、巴御前とか出雲阿国とか吉野太夫とか、まあ、誰でもいいんだけれど、女性が主人公の題材で勝負させたかったなあ、と」。ところが、ウィキペディアの「安達奈緒子#作品」を見ていて気がついたんだが、この人は『未解決事件』のホンも書いていて、おれも見た「File.09 松本清張と帝銀事件」と「File.10 下山事件」はこの人のホンなんだよ。どっちもおれは放送当時に見ているんだが、ホンを書いたのが安達奈緒子だってことは、すっかり失念していた。いや、もしかしたら、気がついていなかったのかも知れない。この2作、どちらも俳優陣の演技がすばらしくて(今回、NHKオンデマンドで見直しましたが、このことは再確認できた)、「File.09 松本清張と帝銀事件」だと大沢たかお演じる松本清張と要潤演じる田川博一(松本清張の担当編集者で後の『文藝春秋』編集長)がノンフィクションでやるか小説でやるかで激論を交わす場面がそうだし、「File.10 下山事件」だと渡部篤郎演じる馬場義続(下山事件当時の東京地検次席検事)が森山未來演じる布施健(下山事件の主任検事で後の検事総長)に捜査打ち切りを決断した検察の立場を説明する場面がそう。この際、「国家主義を捨て、国民一人一人の幸福を希求するのが戦後の理想だったはずです。それができないなら、それができないなら、アメリカが日本にもたらしたものは真の民主主義ではない!」と感情を爆発させる森山未來(多分、このとき、森山未來の血圧は200mmHgを超えていたはず)を渡部篤郎はこう言って諭すんだが――「(顔を振って)ものごとは複雑なんだよ。黒か白か、右か左か、敵か味方か、国か個人か、そんな簡単に線が引けたら苦労はしない。お前だってわかってるだろう。その渾沌の中にあって、辛うじていちばんまともだと思える線を探って行くんだよ。そして、今、最もまともな判断が、アメリカとの関係の継続なんだよ。違うか?」。こう言われて森山未來は反論できないんだよ(しばし沈黙を続けた後、わずかに頷く。そして、鼻水をすする)。いや、森山未來だけではなく、見ているおれもそうだった。それほど、その言葉には説得力があったんだが、その台詞を渡部篤郎は声を張って言うわけではないんだよ。むしろ、抑える。それでいながら、あの説得力。渡部篤郎の「人間力」があの台詞にあれだけの説得力を与えたんだとおれは思う。とにかく、そんな感じで、あの2作は俳優陣の演技に圧倒されるところがあって、それでついつい脚本家にまで眼が向かなかったのかも知れないなあ。もっとも、こんなのは言い訳にならないけどね。あの2作のホンを書いたのは安達奈緒子だってことを、当然、おれは知っているべきだった。で、今、そのことを知ったわけだが……
もしかしたら、NHKが安達奈緒子を『逆賊の幕臣』の脚本に起用したのは朝ドラに起用した脚本家を数年後に大河に起用するというパターンを踏襲したわけではなく、安達奈緒子が書いた「File.09 松本清張と帝銀事件」と「File.10 下山事件」のホンを評価したからでは? この2作を見た人なら当然おわかりのことと思うけれど、帝銀事件も下山事件も日本がGHQの占領下にあった時代に起きた事件であり、事件の捜査やさらには事件そのものにGHQが深く関与していた。2つの番組もその点に真っ向から挑んでおり、「松本清張と帝銀事件」では松本清張はまさにそういう観点で帝銀事件を小説化(当初はノンフィクションで書こうとしたものの、「フィクションを盾にすれば封じられていた言論も表に出せる」とする田川博一の説得で小説に変更した。このときの要潤の芝居がまた神がかっていてねえ。要潤はただのイケメン俳優ではない)しようとしたもののGHQの捜査への介入があったとする証言を得ることができず(実際にGHQから「要望」という名の「圧力」を受けた立場の人物に取材するところまで漕ぎ着けたものの、その人物――豊原功補演じる元『日本新報』社会部次長・福本征治は「今の日本は日本だけで成り立っているわけではない。国際社会の中で立場を保つことによって成り立っている」として証言を拒む)書き切れなかった、というスタンス。また「下山事件」では、布施健率いる「地下捜査班」はGHQ傘下のキャノン機関とそれに協力する旧陸軍特務機関の流れを汲むグループ(そのリーダーが児玉誉士夫)が反共謀略の一貫として事件を実行したというほぼ確実な事実を掴んだものの検察上層部の判断で捜査は打ち切りとなった、というスタンス。どちらもGHQが有形無形に関わっており、そのことをガッツリと描いていた。で、「明治維新」なるものにもそういう側面があるのだ。薩摩・長州の両藩がイギリスの支援を受けていたことは歴史的事実であり、薩摩も長州もイギリス人商人トーマス・ブレーク・グラバーの手引きで若手藩士をイギリスに留学させており(言うまでもなく、密出国です)、当然のことながら彼らは帰国後は「イングリッシュ・スクール」(この場合の「スクール」は「○○派」という意味で、つまりは「イギリス派」。今でも外務省では中国留学を経験した外交官たちを指して「チャイナ・スクール」と呼んでいる)としてふるまうことになる。一方、幕府は幕府で外国の支援を受けており、最初に和親条約を結んだのがアメリカだったため、当初はアメリカが最大の支援国だった。幕府外国方の役人が初代駐日領事であるタウンゼント・ハリスを人間的にも信頼したことはよく知られており、文久2年(1862年)にハリスが病気を理由に辞任の意向を示すと留任を求める書簡をアメリカ政府に送ったほどだった。ただ、そのアメリカは前年に勃発した内戦(南北戦争)で外交の手足を縛られることになり、急速に対日外交におけるプレゼンスを低下させることになる。そんなアメリカに代って幕府の強力なサポーターとして浮上してきたのがナポレオン3世統治下のフランスで、慶応元年(1865年)にはフランスの全面支援の下、当時はただの漁村だった横須賀に日本初の近代的な造船所を開設した。フランスはこの事業のためにフランス海軍造船工学学校で学び、レジオンドヌール勲章(ナポレオン・ボナパルトにより1802年に制定されたフランスの栄典。和訳は「名誉軍団国家勲章」)も受章したレオンス・ヴェルニーを日本に送り込んできた(その名は今も「ヴェルニー公園」として横須賀に残る)。そして、この造船所を所管する軍艦奉行を務めた人物こそは小栗忠順。また幕府はフランスから軍事顧問団も招いた。シャルル・シャノワーヌ大尉以下15名が日本の土を踏んだのは慶応2年12月のことだった。このフランス軍事顧問団の指導の下に誕生したのが「来年、『逆賊の幕臣』を見るために①」でも言及した「幕府歩兵隊」で、小栗は軍艦奉行に加え歩兵奉行も兼務してこちらでも日本側の責任者となった。ただ、そこまで強力に幕府を支援する姿勢を打ち出していたフランスだが、公使がレオン・ロッシュからマキシミリアン・ウートレーに代わるとにわかに態度を薩長寄りに変え、いかにもナポレオン3世らしい変わり身の早さを見せつける。すると、再びアメリカのターンがやってきた。足掛け5年に及ぶ内戦が終結するとウィリアム・スワード国務長官(あのエイブラハム・リンカーンの右腕と言われた男)は対日外交の建て直しに乗り出す。その担い手となったのが第3代駐日公使ロバート・ブルース・ヴァン・ヴァルケンバーグ。1965年まで連邦議会下院議員を務め、南北戦争が勃発するや自らも従軍して南北戦争中盤の最大の激戦とされる「アンティータムの戦い」を戦い、除隊後は准将に名誉昇進した。ウィリアム・スワード国務長官の信頼もことのほか厚かったとされる(ロバート・ブルース・ヴァン・ヴァルケンバーグのより詳しいプロフィールについては『「東武皇帝」即位説の真相 もしくはあてどないペーパー・ディテクティヴの軌跡』の第4章「准将」をお読み下さい)。そんな〝大物公使〟がレオン・ロッシュに代って徳川幕府を強力に後押しすることになったのだ。
そんなロバート・ブルース・ヴァン・ヴァルケンバーグと当時の幕府高官が一緒に写った写真がある。ウィキペディアで公開されているものですが、左から2番目の人物がロバート・ブルース・ヴァン・ヴァルケンバーグ(ウィキペディアでの表記は「ロバート・ヴァン・ヴォールクンバーグ」)。
で、ロバート・ブルース・ヴァン・ヴァルケンバーグが幕末政局で果たした役割を説明する上であえて↑の写真に写っている1人の人物に注目することにしたいのだが、それは右から3番目の人物で、一体誰かというと……勝海舟ですよ。おれが大嫌いな勝海舟(なぜ嫌いか? それについては「来年、『逆賊の幕臣』を見るために②」をお読み下さい)。で、この写真が撮影されたのは1867年9月22日とされますが、この時点で一緒に記念写真に収まるくらいにはロバート・ブルース・ヴァン・ヴァルケンバーグにべったりだった勝だが、機を見るに敏なこの男はほどなくイギリス公使のハリー・パークスに急接近する。それを裏付ける密書が現存する。幕府外国方からアメリカ公使館に派遣されて公使館付きの通弁官として働いていた尺振八(せき・しんぱち)が慶応4年4月23日付けで外国方時代の上司に当たる川勝広道に宛てて送ったもので、慶応4年(明治元年)にこの国で起きたことを分析する上できわめて重要な密書と言っていいと思うのだが、その内容については詳しくは触れません。この密書を収録した『川勝家文書』はデジコレでも公開されているので、興味のある方はぜひ自分で読んで分析して下さい。そうすれば、この密書が書かれた以降に起きたことがどういう意味を持つのかがなんとなく見えてくるはずです。ともあれ、そんな重要な重要な密書にはこんなことも記されている――
今日ゟ凡九日以前勝安房守英人「サトウ」と本牧之山に逍遙し内話致居候を或人慥に見請申候右は御軍艦未た江戸に歸津不致前之事故右御軍艦之義に付相談致居候事と被疑候
今日よりおよそ9日前、勝安房守がアーネスト・サトウ(イギリス公使館付きの通訳官)と本牧あたりを「逍遥」しながら何やら「内話」しているのを目撃した人物がいる。まだ軍艦(おそらくは4月11日に品川沖から脱走した榎本武揚率いる旧幕府艦隊のこと。勝の説得により品川沖に戻るのは4月17日)が江戸(湾)に帰る前のことなので、おそらくはそのことについて相談していたものか――、粗々そんなような内容。で、その内容はともかく、勝がアーネスト・サトウと何やら「内話」していたのは間違いないだろう。そして、もしかしたらその「内話」は別の軍艦にも及んでいたかも知れない。その軍艦とはストーンウォール号。慶応3年、徳川幕府がアメリカで買い付けた当時、最新鋭の装甲艦(木造の船体を鋼鉄で蔽った〝不沈艦〟。英語ではironclad、日本語では装甲艦と呼称される)で、南北戦争終結以来、ワシントンの海軍工廠に係留中だった同艦がメンテナンスを終えバージニア州ノーフォークの海軍基地を出航したのは8月下旬のこと。その後、アメリカ大陸東岸に沿って南下、南アメリカ大陸南端のマゼラン海峡を迂回して太平洋側に出、そこから今度は西岸沿いに北上、ペルーのカヤオまで行ってそこで舵を西に取り、ハワイ島のホノルルを経由して日本にやって来たのは年を跨いだ慶応4年4月2日のことだった。そして、実はこのストーンウォール号の取り扱いは、この後、重大な政治問題となる。ストーンウォール号は徳川幕府が買い付けたものではあるのだけれど、日本に到着した時点で既に幕府はなく、その帰属は宙に浮く形になる。はたして所有権は明治新政府にあるのか、それとも旧徳川幕府(徳川家)にあるのか。ストーンウォール号は当時、最新鋭の装甲艦だっただけにその帰趨は戊辰戦争の帰趨にも影響を与えると考えられていた。では、ロバート・ブルース・ヴァン・ヴァルケンバーグはどうしたか? 彼はストーンウォール号をアメリカ公使館の管理下に置き、いずれへの引き渡しも拒否したのだ。これに納得しなかったのが明治新政府で、ロバート・ブルース・ヴァン・ヴァルケンバーグが本国へ宛てた報告書を読むと、明治新政府は都合3度に渡ってアメリカ公使館を訪れストーンウォール号の引き渡しを要求していることがわかる。しかし、ロバート・ブルース・ヴァン・ヴァルケンバーグはことごとく拒否。日本が内戦下にあり、アメリカ政府としては厳格な局外中立で臨む――というのがその理由だった。厳格な局外中立とはいえ、明治新政府の要求を3度に渡って拒否している以上、外形的には旧徳川幕府寄りの姿勢を取ったと言ってよく、事実、尺振八の密書もアメリカ公使館の意向を内々に旧幕府側に伝えるものだった(実は密書ではストーンウォール号の取り扱い方針についても言及されており、「亞之鐵船之義は既に公使ゟ本國政府江右船之義に付取計方問合せ書簡差出候間右政府ゟ指圖有之候迄は如何樣之事出來致候共何人江も相渡候事相叶不申」云々。要するに、明治新政府に引き渡すつもりはないと)。有り体に言うならば、ロバート・ブルース・ヴァン・ヴァルケンバーグは幕末政局にあって誰よりも強力に旧幕府側を支援した外交官だった。従って、結果として彼は外交的な敗者となった。このことは、当時の横浜在留の外国人の眼にも見えていて、1862年にチャールズ・ワーグマンにより創刊された『ジャパン・パンチ』にはこんな風刺絵が掲載されたこともある。菊の紋章が描かれた切り札(トランプ)を高々と掲げて得意満面なのがイギリス公使パークス。その右隣でやはり満足気な表情を見せているのがオランダ公使ポルスブルック。さらに向かい側の席にはフランス公使ウートレーが座っている。これ以外の3人は床の上に落ちた三葉葵の紋章が描かれたカードを探して右往左往していて、いちばん右のロバート・ブルース・ヴァン・ヴァルケンバーグなどは地団駄踏んでいるようにも見える。これを見るだけでもいかに彼が徳川幕府へ肩入れしていたかがわかるだろう。
――と、あえて勝海舟センセイにスポットを当てることでこんな幕末政局の知られざる一面についても知っていただいたわけだけれど――要はこの風刺絵に見られるごとく外国使臣団にも「勝者」と「敗者」が生じるくらいには欧米列強は日本の内戦に深く関わっており、「明治維新」なるものはそんな状況下で為されたということ。そして、『逆賊の幕臣』の制作陣が脚本家として安達奈緒子に白羽の矢を立てたのは、こうしたこれまで大河ではほとんど描かれることがなかった「明治維新」の一面にもスポットを当てるという意図があるからでは? それは、かなり難しい仕事にはなるだろうけれど、「File.09 松本清張と帝銀事件」と「File.10 下山事件」であれだけいい仕事をした安達奈緒子ならば、できるはず――そんな期待から。もしそうならば、おれが抱いていたような心配は杞憂になる。むしろ、おれが『逆賊の幕臣』(と安達奈緒子)に期待する理由も十分、ということになるわけだが、はたして……。