いやー、マイッタ。よもや「国産ハードボイルドの嚆矢」をめぐるレース(?)にこんな大物が参戦してくることになろうとは……。
定説では「国産ハードボイルドの嚆矢」は『宝石』1955年1月増刊号「新人二十五人集」に掲載された高城高の「X橋付近」とされている。この「国産ハードボイルドの嚆矢」という表現、池上冬樹が『X橋付近 高城高ハードボイルド傑作選』(荒蝦夷)の巻末解説「原石の輝き」で使っているものなのだけれど(曰く「国産ハードボイルドの歴史を考えるとき、筆頭にあげられるのは大藪春彦(昭和一〇/一九三五年生まれ)であり、デビュー作の『野獣死すべし』だろう。だがしかし、この作品が同人誌を経て『宝石』に転載されるのは昭和三三年七月号で、高城高の「X橋付近」の三年半後となる。河野典生(昭和一〇年生まれ)のデビューが昭和三四年、日本テレビと『宝石』共催の原作小説コンテストで佳作入選した「ゴウイング・マイ・ウェイ」であることを考えれば、高城高が国産ハードボイルドの嚆矢と考えることも可能だろう」)、かねてからワタシはこうした見方に疑問を持っておりまして。いやいや、「国産ハードボイルドの嚆矢」が放たれたのはもっと早いんじゃないの? 1955年じゃ、いかにも遅すぎるでしょう……。
こんな書き出しで「国産ハードボイルドの嚆矢」について長々とした「考察」を繰り広げたのは「コルトのジョーさ。命は貰うぜ、親分!〜城戸禮と「国産ハードボイルドの嚆矢」をめぐる一考察〜」。その中でワタシは赤木圭一郎主演の「拳銃無頼帖」シリーズの原作者として知られる(と言っても、かくいうワタシは名前すら知らなかったんですけどね)城戸禮が1950年から51年にかけておそらくは「カストリ雑誌」の一種と思われる『青春タイムス』という雑誌に暴力描写などはかなり幼稚ではあるものの、当時の時代相をも反映したアクション性の強い小説群を発表していた事実を指摘、「国産ハードボイルドの嚆矢」について考えようとするのならこうした作品群についても視界には入れるべき――としたのだけれど、実は城戸禮よりもさらに早く、しかも明確にハードボイルド・タッチで記されたと言い得る作品を発表していた作家がいたのだ。一体誰だと思う? なんと、山本周五郎。そう、『樅ノ木は残った』の。『赤ひげ診療譚』の。『青べか物語』の。あの、山本周五郎。え⤴ そんな驚きと不審が入り混じった声が聞えてくるようですが、ここは論より証拠。まずは読んでもらいましょう。紹介するのは、山本周五郎が『新青年』1948年2月号に黒林騎士という変名で発表した「失恋第五番」という短編なんだけれど、ワタシが読んだ『山本周五郎探偵小説全集』第2巻「シャーロック・ホームズ異聞」の「編者解説」(末國善己)に曰く「海軍の青年将校として特攻隊員に出撃を命じた苦い過去を持つ若者たちが、祖国の平和復興を支えるため秘密組織「神酒倶楽部」を結成。「特攻隊くずれ」を名乗って凶悪犯罪に手を染める復員軍人を取り締まるため、危険な任務を買って出るというのが物語の基本」。そんな大藪春彦を思い起こさせないでもない(実際に大藪春彦は本作に触発されて『野獣死すべし』を書いたという話もあるらしい。そういうことを朝日新聞の担当記者として山本周五郎の信頼も厚かったとされる木村久邇典が縄田一男との対談「山本周五郎・人と作品――いつも、どう生きどう死ぬかを問いかけていた」で語っている。なお、ワタシが「失恋第五番」の存在を知ったのもこの対談によってであります)物語の中でワタシが特に強く「ハードボイルド」を感じた下りは↓かな。決して派手なドンパチが繰り広げられるわけではないんだけれど、もうどうしようもなく「ハードボイルド」――
曳舟を始めてから三十分以上も経つ。煙草の喫えないのが辛い。芝浦の岸壁へ向っている筈だから、向うに見える灯は川崎か鶴見だろう。ひどく寒い。西北の空にオリオンが光っている。――と、牽引船の上に人が出て来た。
「もういいだろう」こう云うのが聞える。「……ここまで来れば心配はない」
「危険区域は過ぎた、最後の五分ということもあるが」別の声がそう答えた、「……それにしても寒い、あがったらなにより先に一杯だな」
彼等はもう危険感から解放されたらしい、煙草の火を点けるのが見える。橋本がいたら怒るだろう、然しこっちも一服やりたいのは慥かだ。二郎は外套の衿を立てる。話し声が消え、牽引船でちーんと機関士への合図が起る、スクリュウが激しく水を噛む、と、荷足の舳先がとんと当った。速力をおとしたらしい、どうしたのかと覗こうとすると、牽引船からこっちへ乗移って来る者があった。例の武装警官だ。軽機銃を持ったのが先頭で、七人いた。
警官たちは船縁を歩いて艫へゆく、二郎は荷物の間から顔だけ出した。警官の一人が船頭部の室の引戸を明ける。中から射す灯火で拳銃と軽機銃がにぶく重げに光る。
「出ろ、声を立てるな」しゃがれた声だ、「……早くしろ、物を持つな、手を隠しから出せ、早く」
船頭が出る、人夫が一人ずつ出て来る。
「これで全部か、よし、向うへゆけ」
彼等の姿は暗くなり、見えなくなる、「綱を引け、静かに引くんだ」こんな声が聞える。
なにが起ったかを、二郎は諒解する。頭がじーんとなる。本能的に海上を見まわす。遠い沿岸の灯の他にはなにも見えない。既に隅田川の水がさしているのだろう、船側にぴちゃぴちゃと流れの寄る音がする。
「みんな向うへ乗れ、声を立てると、――」
船頭や人夫たちは次の荷足へ移されたようだ、「よーし」という声が聞える。牽引船の機関室でちんちんと合図が二つ鳴る。機関が唸りだし、ぐんと衝動がくる、同時にどこかで綱の切れる音がし、牽引船の船尾で滝のような水音が起った。
「ひでえ寒さだ」警官たちが戻って来る、「……爪先がばかになっちまった、なん時だ」
「十二時半だ、五分おくれてる」彼等は荷物の間へ入って来た、「……幾らか凌げるぜ」
二郎は背中をぴったり荷物へ押付け、右手をズボンのポケットへ入れた。拳銃を握ると掌が汗になっているのを感じた。
ね、「ハードボイルド」でしょ? 特に、ところどころで使われている現在形が緊張感を高めることに成功している。実はこのすぐ後にはこんな下りもあるのだけれど――
灯を点けない汽艇が辷るように荷足と並行し、どんと接着した。二郎は指で手首の脈拍を探った。人声はしない、足音が多くなる、汽艇の、いかにも柔らかい機関の響きを縫って、荷物を運ぶ音だけが続く。あたりは真っ暗だ、――二郎は体をそっとずらせる、心臓がひき裂けそうに激しく搏つ、もう少し身をずらす、外套の裾がなにかにひっかかる、彼はそっとそれを脱ぐ。
もうね、千田二郎(これが主人公のフルネーム。もしかしたら、ワレワレはこの名前を日本ハードボイルド史に刻みつけるべきなのかも知れない……)の心臓音が聞えてくるかのよう。これぞハードボイルド・タッチ! そして、これを書いたのが山本周五郎だという、この驚き。そして、書かれたのが1948年だという、この驚き。1948年というと、城戸禮が『青春タイムス』に一連のアクション小説を発表するようになる2年ばかり前。というか、「コルトのジョーさ。命は貰うぜ、親分!〜城戸禮と「国産ハードボイルドの嚆矢」をめぐる一考察〜」にも書いたように、ちょうどハメットの「死の商会」が『ウインドミル』に掲載された年に当たるわけだけれど、しかしあっちは7月号、こっちは2月号だから。つまりだ、山本周五郎はまだハードボイルドの翻訳紹介すら始まっていない内にハードボイルド・タッチの作品を世に送り出していたのだ。これは衝撃的ですよ。なんでも山本周五郎という人は質屋の徒弟時代にあの斎藤秀三郎(なにが「あの」? そう思われた方はぜひこちらをお読み下さい。斎藤秀三郎の門下からはなぜか似たようなキャラクターの人材ばかりが巣立っており、山本周五郎に至っては「青は藍より出でて藍より青し」の類いか?)の正則英語学校に通うなど(奉公していた質屋の主人が通わせてくれた。ちなみに、その主人の名前が山本周五郎)、英語は堪能だったようで、木村久邇典によればノーマン・メイラーあたりは原書で読んでいたらしい。とするならば、ダシール・ハメットを原書で読んでいたとしても少しもおかしくない。そして、その文体に刺激を受け、自分なりに試してみたのがこの「失恋第五番」(ならびに「失恋第六番」。なんでも山本周五郎は「第十番」まで書くつもりだったものの、「第六番」で打ち切りとなったとか。いささか実験的すぎましたかねえ……)だったのではないか? いずれにしても「コルトのジョーさ。命は貰うぜ、親分!〜城戸禮と「国産ハードボイルドの嚆矢」をめぐる一考察〜」で長々と繰り広げた「国産ハードボイルドの嚆矢」をめぐる考察はこの「失恋第五番」の〝発見〟によって完全に振り出しに戻った。「国産ハードボイルドの嚆矢」を放ったのは、なんとなんと、山本周五郎という日本人なら誰一人として知らぬもののいない「国民作家」だったという……。いやー、マイッタ。
もっとも、よくよく考えてみるとまったく納得できない話でもない。というのも、「祝『日本ハードボイルド全集』刊行(と言いつつまたまたこんなことを書いてしまう。許せ)」でも紹介した月刊『噂』における生島治郎と五木寛之との対談「あーむずかしい日本のハードボイルド」(笑)。あの中で生島治郎がこんなことを言っているのだ――「山本周五郎さんは、ミステリーの構成をたいへんよくとったけれども、同時に、『樅ノ木は残った』はハードボイルド・タッチの作品だよ。『さぶ』なんかも、ミステリー的テクニックを、ひじょうによく生かしている」。実はこれに類することを生島治郎は他の機会にも述べていて、こちらは『小説推理』で行った連続対談「生島治郎の誘導訊問」でのこと。で、こちらの対談相手も五木寛之なんだけれど、五木寛之が「たいした事件もないし、たいしたストーリーでもないけれど、本当にハードボイルドの雰囲気が色濃くただよっている文体」として次々と海外の作品を列挙する。それを受けて生島治郎が「山本周五郎自身、かなり海外の小説を読んでいるんじゃないかな。そういうテクニックを使っているということですよね。『樅の木は残った』などそういう影響を感じるな。おれは彼がチャンドラーを読んでたような気がするんだけれども、そういうものを取り入れてこなくちゃどうしようないと思うんだよ」。ふふ。さすがは元名編集者。山周が海外小説を読んでいたことを元番記者(木村久邇典)の証言を待つまでもなく言い当てているというね。この辺もワタシが生島治郎をリスペクトしてやまない理由ではあるんだけれど――この際だ、では『樅ノ木は残った』のどのあたりがハードボイルド・タッチと言えるのか? それを生島治郎は具体的に示しているわけではないので、以下はワタシの見立てということにはなるのだけれど――たとえばこんなシーン。死の床に伏した伊東新左衛門(通称「小野」)が「云い遺したいことがある」と原田甲斐(通称「船岡」)を呼び寄せる。しかし、実は伊東新左衛門は云い遺したいことがあるわけではない。彼は聞きたかったのだ、原田甲斐の口から、「一ノ関を除く」という一言を。しかし、その一言を原田甲斐は言わないのだ――
新左衛門は言葉を切って、激しく喘いだ。残った命が、その一と呼吸ごとに消えてゆくような、激しい喘ぎであった。
「船岡はまだ、自分を韜晦している、これまで幾たびも問い詰めたが、いちども、自分の肚を割らなかった、そして、周囲に、一ノ関の与党だ、という印象をふり撒いている」と新左衛門は続けた、「私は船岡を疑った、七十郎はいまでも疑っている、だが、病状が急変し、死が、まぢかに迫っていると知ったとき、眼前に死をにらんだとき、私には船岡の肚がわかった、それで使いをやったのだ」
そして新左衛門は、焦点の狂った眼をあげ、そこに甲斐がいることを慥かめるかのように、じっと眸子を凝らした。
「もうなにも訊く必要はない、ただ、最後にひと言、一ノ関を除くと云ってもらいたい、一ノ関のことは引受けた、それだけを、ひと言、聞かせてくれ」
「少しおちつくがいい」と甲斐が云った、「それでは苦痛が増すばかりだ、少し休んで、気をしずめなければいけない」
「云ってくれないのか」
「人間の力には、限度があるようだ」と甲斐はもの柔らかに云った、「小野は自分にできるだけのことをした、もうあとのことに心を労する必要はない、この世のつとめをはたしたら、あとは平安に死ぬことを考えるがいいだろう」
「云ってはくれないのだな」
「言葉が役に立つか」と甲斐は云った、「小野が求めるとおりのことを、私がここで誓言したとして、それで小野が満足するか、満足できると思うか」
新左衛門の眼が、甲斐をみつめたまま動かなくなり、甲斐はその眼に頷いた。心をかよわせるように、頷いて、それから、ゆっくりと首を振った。
「耳や眼は騙されやすい、真偽を晦ますことは、さしてむずかしくはない」と甲斐は云った、「だが騙すことのできないものもある、神、仏、そして魂、もし神仏があり、人間にたましいがあるとしたら、これらは騙すことも晦ますこともできない」
新左衛門の眼は、まだ動かなかった。
「死んで、たましいになれば、なにもかも見とおすことができる、小野もやがて、すべてを見とおすだろう、――ゆくところは同じだ、死ねばみな同じところへゆく、私もあとから追いつくだろう」
そして甲斐は囁くように云った、「つとめは終った、新左衛門、あとは安らかに死ぬことだ」
新左衛門はかすかに頷いた。すると、その眼から涙があふれ出て、枕へこぼれた。甲斐はふところ紙を出し、静かにその涙を拭いてやった。
言葉が役に立つか――。それは確かにそうだけれど、でも普通は言うよ、それが死の床に伏した友の望みならば。しかし、原田甲斐は言わないのだ。言わないでおいて、さらに引導を渡すように――「つとめは終った、新左衛門、あとは安らかに死ぬことだ」。これをハードボイルドと言わずして何と言う……。また、ハードボイルド・タッチということで言えば、こんなシーンもある。原田甲斐は国許では山中で猟師のような暮しをしているのだけれど、そんな甲斐が永年に渡って追いつづけている大鹿がいる。「くびじろ」の名で呼ばれているその大鹿は甲斐にとってゲーム(獲物)であるとともに久しい「なじみ」。そして、その「なじみ」と雌雄を決する時がやってきた。しかし、結果は彼の望んだようなものではなかった――
風はいま、右前方から吹いていた。雪帽子をすべって、粉雪がしきりに顔へかかる。だがそれを払っている隙はなかった。甲斐は吹きつける雪に正面して構え、弓をやわらかく、ゆっくりとしぼった。
くびじろは首を振りやめ、頭部を低くして鼻息をならした。するとその白く凍る鼻息が、くびじろの怒りと敵意を表白するかのようにみえた。
――いまだ、くびじろ、さあ。
ぱっと大鹿が雪けむりをあげ、つぶてのように走りだした。
――おちつけ、おちつけ、甲斐は充分にひきしぼった。
距離が約四間にちぢまった。呼吸が合った。しかし、まさに矢を射放そうとしたとき、弓弦が音を立てて切断した。
弦の切れる「びーん」という音を耳にした次の瞬間、襲いかかって来るくびじろの巨大なからだと、そのみごとな大角を、甲斐ははっきりと見た。
くびじろは甲斐に突きかかり、その角で、甲斐の躯をはねとばした。甲斐の躯は大きくはねあがり、雪をかぶった笹の斜面へ投げだされた。甲斐は自分の肋骨の折れる音を聞き、投げだされて、二間あまり斜面を転げ落ちると、すぐに腰の山刀を抜いた。
くびじろは斜面を駆けおりて来た。甲斐は立とうとしたが、激痛のために呻き声をあげ、雪の中へ横倒しになった。くびじろはそこへ来た。斜面を駆けおりて来る「くひじろ」の、みごとな大角を見ながら、甲斐は左の肱で半身を支え、右手の山刀の切尖をあげた。
右の肋骨の五枚めあたりから、血がなま温かく肌を濡らすのが感じられた。くびじろは雪しぶきをあげながら、甲斐の脇を駆けおり、斜面の下へいって、向き直った。脇を駆けおりるとき、その蹴たてる雪しぶきが、甲斐の上へばらばらと飛んで来た。
甲斐も向き直った。ゆるい斜面の下で、くびじろは激しく鼻息をならし、二度、三度、その大角を振りたてた。甲斐は山刀の切尖をさげた。
下から襲われては、勝ちみはない、殆んど勝ちみはない。こんどは小角を使うだろう、と甲斐は思った。大角の前にある小角は鋭利で、その一と刺しは致命的である。だが機会がなくはない、うまく大角に手が届けば、首へ組みつけるだろう。そうなれば勝負はわからない、投げるな、と甲斐は思った。
甲斐は右足を曲げた。くびじろの肢の下で雪けむりがあがった。甲斐は呼吸を詰めた。耳ががんと鳴り、視界が一瞬ぼうとかすんだ。くびじろは大角をさげ、後肢で雪を蹴たてながらとびかかって来た。しかし突然、その前肢を折り、なにかで殴られでもしたように、首を振りたて、するどくなき声をあげながら、右へだっと横倒しになった。そして、甲斐は銃声を聞いた。
雪のために反響がなく、どこかへ吸いこまれてゆくような、短くて鈍い、その銃声を聞きながら、甲斐は茫然とくびじろを眺めていた。
くびじろは悲しげになき、首を振りあげ、立とうとして四肢でもがいた。雪しぶきが飛び散って、ずるずると斜面を滑り、大角がなにかにひっかかって、頭部を上にして停ると、もういちど高く、なき声をあげ、そして動かなくなった。そのとき甲斐は「対等だって」という声を聞いた。くびじろの最後のなき声が、そう云ったかのように、感じられたのであった。
甲斐は「くびじろ」と一対一の戦いを挑んだつもりだった。しかし、(当人が図ったわけではないけれど)甲斐には加勢がいた。四千余石を領する館主が一人ということはあり得ないのだ。そして、その加勢の手によって「くびじろ」は倒された。「対等だって」。この甲斐の脳裏に木霊した声は甲斐自身のものだったろう。しかし、それはまた「追う者と追われる者」とのリアリズムでもある。物語の最後で甲斐は今度は自分が「追われる者」となってそのことを思い知ることになる――。ちなみに、ワタシはこのシーンを読んで稲見一良を思い起こしたものです。きっと稲見一良も山周を読んでいたんだろう。そして、その魅力に強く惹きつけられていた……。
ともあれ、こうして『樅ノ木は残った』にはハードボイルド・タッチを味わえる個所が随所にある(もっとも、ハードボイルド・タッチとは対極のいわゆる美文調で綴られた個所などもあって、全体としては必ずしもハードボイルド・タッチの作品とは言いがたい。特に、おみやが関係するパートはねえ……。ほとんど別の小説ですよ。また、原田甲斐は藩存続のためにあえて不忠不臣の汚名を甘受することを選ぶ人物として描かれているわけだれど、その行動の根底にあるのが「忠義」であることはなんら変りはない。そういう意味では至って古風な物語と言っていい。このことはちゃんと書いておく必要がある。五木寛之との対談ではあそこまで山本周五郎を持ち上げた生島治郎も結城昌治との対談では「それはあなた、山本周五郎のエッセイを読んでごらんなさい。(略)やはり古い作家なんですよ。そういった意味で、ぼくたちの意識と食い違っていますよ」。なんか山本周五郎の作品を「あれこそがハードボイルドである」と言う人がいるらしいんだけれど――縄田一男が木村久邇典との対談でそういうことを言っている――もし本当にそんなことを言っている人がいるとするなら、それは違う――と、ここは釘を刺しておきましょう。ただ、それはそれとして、『樅ノ木は残った』にはハードボイルド・タッチを味わえる個所が随所にある――ということで)。そんな小説を1950年代に書いていた作家が1940年代に「失恋第五番」のようなハードボイルドそのものと言ってもいいような短編を世に送り出していたとしてもさほど驚くに当らないのかもしれない。いや、やっぱり驚くか。なにしろ「国産ハードボイルドの嚆矢」を放ったのが山本周五郎という日本人なら誰一人として知らぬもののいない「国民作家」だったという話なんだから。これで驚かない方がどうかしている。
ということで、最後にもう一回書いておこう、「コルトのジョーさ。命は貰うぜ、親分!〜城戸禮と「国産ハードボイルドの嚆矢」をめぐる一考察〜」で長々と繰り広げた「国産ハードボイルドの嚆矢」をめぐる考察はこの「失恋第五番」の〝発見〟によって完全に振り出しに戻った。「国産ハードボイルドの嚆矢」を放ったのは、なんとなんと、山本周五郎という日本人なら誰一人として知らぬもののいない「国民作家」だったという……。いやー、マイッタ。
追記 木村久邇典が『幻影城』1975年9月号「特集 山本周五郎探偵小説集」に寄稿した「山本周五郎のミステリー」のコピーを国立国会図書館経由で入手。「失恋第五番」&「失恋第六番」についても触れられており、この両作が「ハードボイルドふうの文体」で綴られたものであることもきっちり記されている――
この作品のもっとも注目すべき点は、早いテンポで、現在形のセンテンスを積み重ねるハードボイルドふうの文体であって、当時の文壇には類例をみないものだったことであろう。それが、激しく乱雑に流動する当時の世情を表現するには、まったくうってつけのリズム感をもっていたのであった。
まさしく、後日のアクション小説の先駆的な意義をもっていたという意味でも、こんにち再評価されてしかるべき作品、といえるのではあるまいか。作品全体にながれる一種不気味な雰囲気は、これもまた後年(昭和二十九年)の『樅ノ木は残った』の「断章」へとひきつがれてゆくのである。
まさしく、後日のアクション小説の先駆的な意義をもっていたという意味でも、こんにち再評価されてしかるべき作品――というのは、全く以てその通りで、むしろ問題は、なぜこういう指摘が1975年という時点でなされていながら、わが国のハードボイルド業界(?)はこれまで無視を決め込んできた(んだよね? じゃなけりゃ、「失恋第五番」&「失恋第六番」より7年も後に発表された「X橋付近」があたかも「国産ハードボイルドの嚆矢」であるかのような主張がまかり通るなんてことはありえないわけだから)のか? ということになるはずで、ここは本稿の姉妹編とも言うべき「裏をかかれるな、彼は賢いぞ。〜山周が日本初のスパイ小説作家であるこれだけの理由〜」に記したことをもう一度くり返すことになるのだけれど――木村久邇典は『日本百科全書』の「山本周五郎」の記事で「初めは劇作や童話、少女小説の執筆を主としていたが、32年(昭和7)5月号『キング』に時代小説『だゝら團兵衛』を発表して以後、大人向けの大衆娯楽雑誌を作品活動の舞台とするようになる。ために一般からは大衆作家とみなされ、新進、中堅時代には純文学作者や批評家からはほとんど黙殺された」――と、山本周五郎が文壇のエスタブリッシュメントからは「黙殺」されてきた実態を明かしているのだけれど、山周を「黙殺」してきたのは純文学作者や批評家だけではないのではないか? 探偵小説の書き手や論じ手たちからも同様に「黙殺」されてきたと言うべきなのでは? そうした禁をオレが破ってやるぜ――と、そんな大それた思いで本稿ならびに「裏をかかれるな、彼は賢いぞ。〜山周が日本初のスパイ小説作家であるこれだけの理由〜」を書いたわけではないけれど――と、一応、口では言っておきましょう。でも、腹の内は、別……(笑)。