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ヒト、彼をワンマン社長と言う。
〜大蔵貢が作ったアナーキスト映画〜

 1960年に制作され、2021年にDVD化された小森白監督『大虐殺』を見た。この映画については「亡霊は甦る。〜中浜哲、100年目の高笑い〜」を書いている頃から気になっていて、見ようかどうしようか、ずーっと迷っていた。配信で見られれば躊躇なく見ているし、最近、利用しているGEO宅配レンタルでレンタル可能ならばやっぱり躊躇なくレンタルしていたと思うんだけれど、配信もされていなければレンタルもされていない。見ようと思うならメーカー指定価格4,180円のDVDを買うしかない――という状況がネックとなって、もう迷いに迷って。そもそもこの映画、よくわかんないんですよ。パッケージに記された梗概によれば「大正十二年九月一日。未曽有の大地震が関東地方を襲った。甚大な被害と流言蜚語が飛び交う混乱の東京に戒厳令が発令される。軍部はこの機に乗じて、反政府的な勢力の一掃を企てた。多くの社会主義者や無政府主義者、朝鮮民族の人々が逮捕・拘束されて、正当な審理も受けずに粛正されていく。さらに軍部は大杉栄を逮捕して殺害する。非道に憤る同志や門下生たち。中でも古川は、自身も辛うじて虐殺から逃れた事もあり軍部打倒の強い意思を固め、活動資金を得るために銀行員を襲う。そして、戒厳司令官・福田大将の爆殺を計画するのだった」――と、いわゆる甘粕事件を題材とした映画ということになるわけだけれど、そんな映画が1960年という時点で制作されていた、ということは、従来――とは「亡霊は甦る。〜中浜哲、100年目の高笑い〜」を書く前――ワタシの脳内データベースには登録されていなかった事実。つーかさ、竹中労は『断影 大杉栄』(ちくま文庫)でこんなことを書いているんだよ――「敗戦後氾濫した革命文献のなかに、アナキズムに関する書物を見ることは稀であった。『大杉栄全集』が復刻されたのは一九六三年、〝六〇年安保闘争〟に遅れること三年の後である。大杉栄の名がマスコミの所有に帰したのはさらに六年後、瀬戸内晴美(寂聴)『美は乱調にあり』が文藝春秋に連載され、吉田喜重監督『エロス+虐殺』が封切られた一九六九年」(15p)。要するに、戦後、大杉栄は久しく忘れられた存在だったと言っているわけですが、しかし1960年にこうして大杉栄も(仮名ではなく実名で)登場する映画が作られており、その復讐を果たそうとした古田大次郎(こちらは古川大次郎という名前に改められている)が主人公を務めていた――というのは、だから、ひょっとして竹中労も把握していなかった事実かも知れないなあ。そもそも、この映画、制作会社は新東宝で、言っちゃなんだけど、こんな映画を作るような会社じゃないんですよ。いわゆる「エロ・グロ」ものはさて措くとしても、やれ『明治天皇と日露大戦争』だの『明治大帝と乃木将軍』だの。しかも、この内の『明治大帝と乃木将軍』を撮ったのが『大虐殺』の監督である小森白(こもり・きよし)だってんだから、もうアタマが腸ねん転を起こすってんだ。だからね、4,180円という売り値もさることながら、はたして見るに値する映画なんだろうか? というのがあって。それで、迷いに迷ったわけだけれど……決め手はね、中川信夫監督『地獄』。この映画をワタシは「母恋いアナーキストのアナーキー日本映画選」に挙げたわけだけれど、この映画で主人公の大学生を演じているのが天知茂であり、死神を演じているのが沼田曜一。で、『大虐殺』で古川大次郎を演じているのが天知茂であり、甘粕正彦を演じているのが沼田曜一、なんですよ。だったらここは「見る」の一手かなあ……と、段々、そんな気にね。で、えいやっ、と(笑)。ま、2月に母を亡くして以来、ずーっと鬱々たる日々が続いていたんだけれど、最近になってようやく少ーしだけだけど元気が出てきたかな。

大虐殺

 さて、そんな感じで見た『大虐殺』だけれど……これは「問題作」だねえ。あるいは、すんでのところで大傑作になりそこねた「問題作」。そのココロは……? ともあれ、いろんな意味でこの映画には問題がある。まずは沼田曜一の甘粕正彦なんだけれど、実は竹中労は『断影 大杉栄』でこんなことを書いている――「彼(甘粕事件)の人格を、「アマカスかマメカスか知らないが」(山崎今朝弥)、「火事場の人殺し」(三宅雪嶺)、「機械人間」(新居格)等々、愚劣で野蛮な典型的職業軍人と、世の進歩的知識人は思いこみ、〝下手人〟であると疑わなかった」(268p)。本作で沼田曜一が演じている甘粕正彦がまさにそのパターン。もうね、本当に「愚劣で野蛮な典型的職業軍人」そのもの。小森白という人が竹中労が言うところの「進歩的知識人」に当るとは思えないんだけれど(小森白のフィルモグラフィには『大東亜戦争と国際裁判』とか『皇室と戦争とわが民族』とかタイトルを見ただけでも香ばしさを満喫できる作品が目白押し)、監督は、じゃなくって、この映画の制作スタッフはそういう政治的信条の持ち主だった、ということかな? ただ、ここで1つ疑問に思うのは、新東宝には満映ゆかりの人物っていなかったんだろうか? ワタシは「畜生の一味。〜ワレ、甘粕正彦を免罪せず〜」で竹中労や笠原和夫は甘粕正彦を「憲兵分隊長の甘粕正彦」ではなく「満映理事長の甘粕正彦」として見ており、そのため必要以上に甘粕正彦に同情的になっている、という趣旨のことを書いたわけだけれど、このことに関連して1つ情報を追加しておくなら、竹中労は『黒旗水滸伝』(皓星社)でこんなことを書いているんだ――「大杉殺し、甘粕ではないと、旧満映関係者の大多数は確信している。この連載に当って、京太郎は坪井輿(娯民映画処長、のちに東映専務)、伊藤義(配給部長、現東急リクリエーション社長)、大森伊八(第一回作品『壮士燭天』の監督・キャメラマン)、江守清樹郎(満洲演芸理事長、のちに日活専務)、八木保太郎らの諸氏にインタビューして、〝甘粕えん罪説〟に深く納得するところがあった」(下巻254p)。当時の映画界には満映ゆかりの人物が随所にいて、それが揃いも揃って甘粕正彦に同情的な立場を示していた――、そういう状況だったと言っていいと思うんだよ。しかし、『大虐殺』が甘粕正彦をかくも「愚劣で野蛮な典型的職業軍人」として描いているのを見る時、必ずしも竹中労が書いているような状況でもなかったのかなあ、と。確か内田吐夢も新東宝で撮っていたはずで……だから、新東宝にも満映ゆかりの人物はいたと思うんだよ。それでいて、甘粕正彦に対してかくも情け容赦ない態度で臨むとは……。いやね、ワタシは甘粕正彦を悪辣非道な人物として描くこと自体には賛成なんだよ。それは「畜生の一味。〜ワレ、甘粕正彦を免罪せず〜」に書いた通り。ただ、『大虐殺』における甘粕の描写がいささかステレオタイプに堕しており、ただの映画の中のキャラクターに過ぎないような印象を与えることになっているのは、やや問題かなと。実は『黒旗水滸伝』では甘粕を「五十四年の下天の夢を生きた英雄であった」と書いた竹中労だけれど、『断影 大杉栄』ではこう書いているのだ――「誤解のなきよう、甘粕を弁護しているのではない。〝敵〟をあまく見るな、彼を国家権力は切札として登場させた。軍人精神にこり固まった単細胞、うすら馬鹿にはつとまらぬ名演技を甘粕に期待したのだ」。うん、そういうことならばワタシも承服できるな。で、そういう眼で本編の甘粕正彦を見た時、とてもじゃないけれど合格点は上げられないなあ。沼田曜一の演技としても『地獄』の死神の方が全然いいよ。

 次に、今、この映画を見た時、最も大きな問題点としてクローズアップされることになるのは、朝鮮人虐殺に関わる描写でしょう。関東大震災の混乱下で殺害された朝鮮人、中国人、ならびにそれらと誤認された日本人の総数は内閣府の「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書」によれば「正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない」(4章「混乱による被害の拡大」第2節「殺傷事件の発生」より)。震災による死者は約10万人とされているので、その1~数%ということは、1千~数千人ということになる。中でも多くの被害が出たとされるのが墨田区の荒川河川敷で、正確な数は不明ながら、当時の新聞報道として「○○死体百余名」(『読売新聞』10月15日)「○○○○體百個」(同10月21日)「百数十名の鮮人遺骨」(『国民新聞』11月13日)等々。で、『大虐殺』ではこの荒川河川敷での惨劇がもう情け容赦のないかたちで描かれているのだ。なんとトラック数台で運ばれた朝鮮人、中国人、ならびにそれらと誤認された日本人(その中には天知茂演じる古川大次郎もいる)が機関銃の掃射によって皆殺しにされ(ただし、古川大次郎だけは辛うじて川に飛び込んで難を逃れる)石油をかけて焼かれるという……。


黒煙濛々@大虐殺

 これね、世のネトウヨくんたちが知ったら黙っちゃいないだろうね。某密林のカスタマーレビューを見る限り、今のところはそういうことにはなっていないようですが、わからんぞ。既に現場近くとされる荒川放水路の木根川橋付近に建てられた追悼碑をめぐっては攻撃がかけられているようなので(詳しくはBuzzFeed Newsのこちらの記事を参照)、いつ発売元の国際放映株式会社が炎上しないとも限らない。ていうかさ、こんなことを書いているワタシも最初に映画を見た時は、いくらなんでもこりゃあないだろうと。やっぱり新東宝だなあ……と、そんなふうに思ったもんですよ。ただ、この後に出てくる大杉殺害のディテールが意外なくらいに史実――というか、甘粕正彦の予審訊問の供述内容――に忠実でね。たとえば、大杉らを検束する際に伊藤野枝が果物屋で梨を買ったとか、甘粕は背後から大杉の首を絞めたとか、甥の橘宗一(映画では「たちばな・そういち」と言っておりますが、読みは「たちばな・むねかず」が正しい)が憲兵たちに懐いていたとか。これらはすべて甘粕正彦の予審訊問の供述内容に合致する。で、ちょっと待てよと。大杉の殺害をこんなふうに然るべき一次資料に沿ったかたちで描いておきながら、荒川河川敷での朝鮮人虐殺はただの新東宝的センセーショナリズムでやるかなあ、と。で、ワタシなりの〝ファクトチェック〟を行なったわけですよ。するとBuzzFeed Newsの記事でも紹介されている一般社団法人「ほうせんか」のHPで住民の目撃証言というのが紹介されていて、たとえば、井伊(仮名)さんという方の証言では――「荒川駅の南の土手に連れてきた朝鮮人を川のほうに向かせて並べ、兵隊が機関銃で撃ちました。撃たれると土手を外野(そとや)のほうへ転がり落ちるんですね。でも転がり落ちない人もいました。何人殺したでしょう。ずいぶん殺したですよ。私は穴を掘らされました。あとで石油をかけて焼いて埋めたんです」。また浅岡重蔵さんは――「四ツ木橋の下手の墨田区側の河原では、10人ぐらいずつ朝鮮人を縛って並べ、軍隊が機関銃で撃ち殺したんです。まだ死んでいない人間を、トロッコの線路直上に並べて石油をかけて焼いたですね。そして橋の下手のところに3ヶ所ぐらい大きな穴を掘って埋め、上から土をかけていた」。これはね、ワタシにとっても衝撃で。ニンゲンて、そんなことができるものなのかと……。だからね、これらの証言を検証もせずに鵜呑みにする、というんではないんですよ。でも、そう証言する住民がいる、というのは事実なんだよね。それは、甘粕正彦が予審訊問で「私が大杉榮の腰かけて居る後方からその室に這入つて直ちに右手の前腕を大杉榮の咽喉部に當て左手首を右手掌に握り後ろに引きましたれば椅子から倒れましたから右膝頭を大杉榮の背骨に當て柔道の締め手により絞殺致しました」と供述しているのと同じことだから。大杉栄殺しをその甘粕の供述に沿って描くのがありなら、荒川河川敷での朝鮮人虐殺を現存する住民の証言に沿って描くのもまたありだとろうと。ま、そう言ってもネトウヨくんたちは納得しないでしょうがね。ただ、ワタシはといえば、この住民の証言を知った時点で、いやー、『大虐殺』というのはスゴイ映画だなと。パッケージで(あるいは公開当時のポスターで)「隠されていた暴虐事件の真相!」と謳うのも全然大袈裟ではないなあ、と。

 ――と、これだけならばこの映画を(甘粕正彦の描き方には目を瞑って)大傑作としてもいいくらいなんだけれど、そうは行かないんだよ。というのも、この映画は最後の最後で異空間へと飛翔を遂げて行くのだ。この映画が概ね史実に沿った展開となるのは和田久太郎に相当する人物(役名は和久田進。和田久太郎の通称は「和田久」なので、それを並べ替えたんですね)が震災一周年に当たる1924年(大正13年)9月1日、震災当時の戒厳司令官・福田雅太郎大将を狙撃するも放ったのが空弾で(これについては異説がある。和田とともに現場にいた村木源次郎が放ったのは確かに実弾だったと語っているのだ。ただ、判決書には和田が使った拳銃は「五連発拳銃」と書かれており、とするならばアメリカ・コルト社製のコルト・パターソンだった可能性がある。その場合。安全装置は備わっておらず、何かの衝撃で暴発する危険性があった。「そのため装填済みで携行する時は、ハーフコックにするか、1発のみ装填しないでおく対処法が取られた」――と、これは前にも紹介したことがあるMEDIAGUN DATABASEの解説。要するに「初弾は安全のために空弾が装填されていた」という通説はそれなりに説得力があるということ)無念の涙を呑んだ、という場面まで。その後、史実では、なおも執拗に福田大将を狙った古田大次郎と村木源次郎ではあるが、メンバーの関係先・某の密告によって隠れ家が知れ(隠れ家が知れた経緯については江口渙が『続・わが文学半生記』で和田久太郎が警視庁強力犯係りの残忍で徹底的な拷問によって遂に自供に至ったという趣旨のことを書いておりますが、秋山清は『ニヒルとテロル』でメンバーの倉地啓司から聞いた話としてメンバーの関係先・某から警視庁に投書があり、これによって隠れ家が知れたとしており、本稿ではこちらの説を採用します。実際、和田久太郎が自供したにしては彼の獄中手記は朗らか過ぎる。もし彼が本当に拷問に屈して隠れ家を自供したのならばもっと罪悪感が滲み出ていてもおかしくないはず。もっとも、和田久は最終的に自死を遂げるわけで、その原因の1つにこの件があったという解釈もできないわけではない。辞世に曰く「もろもろの悩みも消ゆる雪の風」……)、9月10日、包囲した警官により逮捕され、ここに大杉の復讐を果たせぬまま、遂に事件は一件落着となる。一方、映画では、古川大次郎と村木源太郎は古川の恋人・京子の密告(その理由が切ない。これ以上、恋人に罪を重ねさせたくないという……)によって隠れ家が知れ、警官が急行するも、既にもぬけの殻。まんまと逃げおおせた2人は大胆にもダイナマイトを持って陸軍省に潜入(電気屋に化けて通用門から難なく潜入に成功する)、陸軍省の幹部を皆殺しにしようと図る。で、首尾よくダイナマイトも仕掛けた。幹部連中も会議室に集まってきた。さあ、いよいよ、というときになって、なんと陸軍省の職員が導火線に足を引っかけて、ダイナマイトが仕掛けられていることがバレてしまうというね。え、そんなコントみたいなことで……? で、ここまでも相当に荒唐無稽なんだけれど、こっからがさらにね。通気口を伝っての脱出劇に続いて缶詰め爆弾(そういうものを朝鮮独立派の義烈団の女メンバーに作ってもらう。古田大次郎らが朝鮮に渡って義烈団と接触し、拳銃と爆弾の入手を図るも……というエピソードは古田の獄中手記『死刑囚の思ひ出』に書かれている。しかし、映画で古川らが義烈団に接触するのは日本国内。まあ、1924年1月5日には義烈団メンバーによる二重橋爆弾事件が起きているので、一応、このあたりの史実を踏まえた描写ということにはなるんだろうけれど……)の投擲――とB級アクション映画さながらの展開となって、最後は捕まっちゃうわけだけれど……これ、なんなんだ? 和田久(和久田)が震災一周年に福田大将を狙撃するところまでは、まあまあ、史実に沿った描写になっていたと言っていいと思う。しかし、最後の最後になって映画は急旋回してリチャード・S・プラザー的(?)異空間へと飛翔を遂げていく……。


白煙濛々@大虐殺

 でね、この件に対するワタシなりの「考察」ということになるのだけれど……多分、名にし負う「ワンマン社長」として知られる大蔵貢の現場介入があったんじゃないのかなあ。じゃなきゃ、突然、映画のトーンがこんなに変ることはないでしょう。想像するに、元々の脚本では京子の密告によって古川らの隠れ家が知れ、急行した警官に逮捕されて一巻の終わりとなっていたのでは? それが史実に近いわけだし、京子が涙を流して古川らの潜伏先を密告するというこの決断がね、生きるじゃないか。そして、彼女は一生負い続けることになるんだよ、恋人を売ったという事実の重みを。その痛みを描いて終わっていれば、ことによると『大虐殺』は日本映画史に残る名画となっていたかも知れない……。ただ、これで終わりじゃあ盛り上がらんだろう、というのが、おそらくは大蔵貢の見立てだったんですよ。で、お得意の現場介入があった……。以下、2019年に刊行されたダーティ工藤編『新東宝1947-1961:創造と冒険の15年間』(ワイズ出版)より若干のエビデンスを提示することにしたい。まずね、今やこんな本が刊行されるくらいには新東宝の〝再評価〟が進んでいるんだねえ。ワタシにとって新東宝は「どこかでやってる新東宝」というからかい半分のクリシェに尽きるんだけれど(昔、キネ旬で読みました。「いつでも座れる松竹映画、どこかでやってる新東宝」だったかな?)、そーですか、「創造と冒険の15年間」ですか……。でね、この本には『大虐殺』の監督である小森白と脚本を書いた内田弘三のインタビューが収録されている。実に貴重だし、労作だと言っていい。ワタシ的には☆☆☆☆☆です。で、小森白はインタビューで『大虐殺』についてどう語っているかというと――「脚本が面白かったんで、みんなそれぞれツボにはまってやってたね」。なんか、素っ気ない。インタビュアー(ダーティ工藤)が「『大虐殺』は掛け値なしの傑作ですね」とこの上ないくらいの誘い水を向けているにもかかわらず。では、脚本を書いた内田弘三はどうかというと、これが一転して饒舌で。インタビュアーの「『大虐殺』は『東海道四谷怪談』と『黒線地帯』と共に大蔵時代を代表する三大傑作だと思います」とこれまたこの上もない誘い水を受けて――「そう言ってもらえると嬉しいです。これは宮川一郎(笠根壮介)の企画になっていますが、元々は僕の企画なんです。朝鮮人の虐殺、アナーキスト大杉栄の虐殺など、当時としてはかなり過激な内容のものでしたが、意外とすんなり企画は通ったんじゃないかな。企画が通った段階で小森白がこれをやりたがってね。これは自分でも好きな作品で、自分の代表作の一つだと思っています。役者はみんないい芝居をしてくれたんだけど、特に天知茂がいい演技をしてくれましたね。今じゃこんな企画はとうてい無理でしょうね」。こっからわかるのは、この映画の監督を小森白が自ら買って出たということ。『大東亜戦争と国際裁判』や『明治大帝と乃木将軍』の監督が関東大震災下での軍部の暴走とそれに怒ったアナーキストたちの報復にスポットを当てた映画の監督を……。さらに内田弘三は気になることを言っていて――「監督の小森ってのは、大蔵の一派でしたね。小森さんは今、どうしてるんでしょうね。別に会いたいわけじゃないけど(笑)」。なんか小森白には遺恨があるような口ぶり……。で、内田弘三は小森白を「大蔵の一派」と言っているわけだけれど、かの有名な「女優を妾にしたのではない、妾を女優にしたのだ」――の名言(?)で知られる大蔵貢のことはどう思っていたのか? それをこのインタビューではハッキリと語っているわけではないのだけれど、大蔵貢が新東宝の社長に就任した時の印象を訊ねられ――「あまりないんですね。何しろ突然入って来ちゃったからね。ただ、撮影所の雰囲気が変ったのは確かです。それも悪い方へですけど(笑)」。まあ、答としては十分でしょう。一方、そんな内田弘三から「大蔵の一派」と見なされていた小森白はどうかというと、これについてはダーティ工藤のインタビューでもそれなりに答えてはいるのだけれど、1985年に刊行された『文化の仕掛人:現代文化の磁場と透視図』(青土社)という本でもっと率直に語っているのでこちらから紹介するなら――「この時期、大蔵社長の有名なエピソードで「女優を愛人にしたのではない、愛人を女優にしたのだ」という発言があるが、私は、はっきりそう言いきった社長の方に好感を持った。とかくこういったことは、興味本位や白い目で見られがちだが、ともすれば己れの所業をひたかくしにする人間が多い中で堂々と「愛人を女優にしたのだ」といえることは、社長の発言としては不適当であるかもしれないが、一人間としては、むしろ立派であると思う。一代で事を成しそれなりの成功をした人達には個性の強いところがあり、その強い個性があったればこそ自分の意志をつらぬいてこれたのである。怪談物、毒婦伝物、講談種物を低俗な企画と解釈し、見世物興行師的と誹謗することは誹謗のための誹謗であり、少しも建設的であるとはいえない。私は大蔵社長がこうした言葉の渦にまかれればかまれる程、そうした無責任な発言をする人々に反抗心が湧きおこった」。これを読めば、内田弘三が小森白を「大蔵の一派」と称したのも頷ける……。でね、こうしたことどもを踏まえて、小森白が『大虐殺』の企画が通るや自分で監督を買って出たという話に戻したいんだけれど――『大東亜戦争と国際裁判』や『明治大帝と乃木将軍』の監督である彼が関東大震災下での軍部の暴走とそれに怒ったアナーキストたちの報復なんて話に興味があったとは思えない。にもかかわらず彼は監督を買って出ているわけで、これは歴とした1つの謎ですよ。で、その謎を解き明かすのは、ズバリ、彼が「大蔵の一派」だったという事実では? つまりですね、小森白が『大虐殺』の監督を買って出たのは『大虐殺』を大蔵貢の直轄とするためだったのでは……? 大蔵貢は現場に口出しする社長だった。これについては『新東宝1947-1961:創造と冒険の15年間』でもさまざまなエピソードが紹介されている。ただ、そうは言ったって、現場を仕切るのは監督。その監督の頭越しに現場に指図するわけにはいかない……となった時、考えられるのは、監督に自分の息のかかった人物を据えること。そうすれば、間接的に現場をコントロールすることができる……。こういうストーリーを想定するならば、なんで小森白が『大虐殺』の監督を自ら買って出たのかも説明がつくし、なんで映画が最後の最後になって急にB級アクション映画のような乗りに変調するのかも合点が行く。大蔵貢は大蔵貢なりの興行師のカンで最後に見せ場が必要と判断したんですよ。で、小森白を呼び寄せて事細かに指示を出した。そうして出来上がったのが最後のフィクション・パート。これねえ、内田弘三としては頭に来たと思うんだよ。でも、抵抗のしようもないから。なにしろ、本来、現場に寄り添ってくれるはずの監督が「大蔵の一派」なんだから。

 ――と、ことによったら日本映画史に残る名作になっていたかも知れない映画がなぜ「問題作」に止まることになったか? についてのワタシなりの考察ではありますが……とはいえこの問題をめぐって必要以上に大蔵貢を叩くのは間違っていると思う。なんと言っても彼は『大虐殺』の制作にGOサインを出したのだから。関東大震災下での軍部の暴走とそれに怒ったアナーキストたちの報復を描いた「アナーキスト映画」の制作を――。その真意をうかがわせる記載はテキストとした2冊の本にも認められないんだけれど、ただ『大東亜戦争と国際裁判』の制作に当たっては内外の批判に怖れをなして制作中止を進言するプロデューサーもいる中で断乎としてこう言ったというのだ――「人道に立って太平洋戦争、東京裁判を見つめるという製作意図によって作るものであるから干渉があろうとも中止することは絶対にない」(『文化の仕掛人』150p)。それと同じ思いが『大虐殺』の制作にも込められていたのでは? と、必ずしも正当に評価されているとは思えないこのワンマン社長の思いを忖度するならば……。