どうもね、タイトルが決まりすぎていて、はたしてこのタイトルに値する記事になるか一抹の不安を覚えないでもないんだけれど……このところ続けている未読の生島作品をターゲットとした「センチメンタル・ハードボイルド」を求めてのマイニングの最後はこの作品と決めていた。1969年に集英社のペーパーバック・ライン「コバルト・ブックス」から刊行された『ふりかえらずに、走れ!』。コバルト・ブックスというのは「ジュニアのための文芸書シリーズ」というのが謳い文句で、いわゆるジュヴナイル小説ということになるわけですが、生島治郎がジュヴナイル小説を? というのがまず誰しもが思うところだよね。でも、実は生島治郎は結構この手のものを書いていて、なんと『女学生の友』にも書いたことがある(こちらがその掲載誌です)。だから、驚くには当たらない。そもそも、『ふりかえらずに、走れ!』は初出は『ボーイズライフ』だから。ああ、『ボーイズライフ』ならば生島治郎が書いていてもさほどおかしくはないな――と、この少年雑誌を読んだことがある方なら思うはず。かく言うワタシは世代的にこの雑誌の愛読者だったとはとても言えないわけだけれど、ただワタシの6つ違いの兄が愛読者で。だから、ワタシも兄の部屋にあった雑誌を憧れを以て盗み見たもんですよ。なんかね、やたらに大人びた雰囲気がしていたなあ。だから、ワタシの印象としても、あの雑誌だったらば生島治郎が書いていても全然おかしくないなと。ちなみに、連載されたのは1966年11月号〜1967年12月号。生島治郎が直木賞を受賞したのは1967年7月なので、ちょうどこの連載中に受賞したことになる。直木賞受賞作家が現在進行形で連載中だったんだから、編集部としてもさぞや沸き立ったことでしょう。あわよくばこれを梃子に雑誌の売り上げ増につなげたい……、そんな思惑も働くだろうし。しかし、そういう余沢はなかったということか、『ボーイズライフ』は1969年8月には廃刊となってしまう。まあ、わずかにこの雑誌を盗み見た程度の印象で言うのもなんだけれど、ちょっと趣味的すぎたような気がするなあ。それに、対象年齢を13歳から17歳に絞り込んでいたというのも狭すぎる気がするし。でも、すごいよ、小説では生島治郎や大藪春彦、マンガではさいとうたかをや篠原とおる。もうハードボイルドな匂いがムンムン。少年向けメディアにこんなに「ハードボイルド」が盛られていた時代があったということ。
で、そんな男臭さもムンムンする少年雑誌に連載され、どういうわけか「コバルト・ブックス」という乙女チック(?)なペーパーバック・ラインから書籍化と相成った『ふりかえらずに、走れ!』をワタシはかねてから読みたいと熱望しておりました。しかし、これが、ないんだよ、本が。今日時点でいかなる古書販売チャンネルにも商品登録がないし、過去にも登録されたことがないのでは? 2015年以来のヤフオクの落札商品を検索できるAucfreeでは1点も確認できないので。同じように『ボーイズライフ』に連載された大藪春彦の『血まみれの野獣』(「東京競馬場に爆弾を仕掛けて擬装パトロールカーで現金輸送車を襲う筋書きが、1968年12月に起こった三億円事件とよく似ていたことから、「三億円事件の犯人がこの小説から着想を得ていた」と報道され、マスコミからの問い合わせが相次いだ」、とウィキ先生が解説する曰く付きの小説)は今でも手に入れようと思えば容易に手に入れられるのだけれど、『ふりかえらずに、走れ!』はそうはいかないのだ。多分ね、生島治郎の全著作の中で最も入手が困難なのはこの『ふりかえらずに、走れ!』でしょう。で、ここに書影を表示しているということは、そんな稀覯本をワタシは手に入れた……かといういうと、そうではなく、これは図書館の所蔵本。しかも、所蔵しているのは地元富山の図書館ではない。三重県立図書館。富山県立図書館も参加する東海・北陸5県の県立図書館間の相互貸借制度(週2回、定期便が図書館を巡回する。そのため、利用者は送料を負担せずに済む)を利用して取り寄せてもらった。なんと、東海・北陸5県の県立図書館でも所蔵しているのは三重県立図書館だけ。それほど、ないんですよ。だから、このいささか薄汚れた図書館所蔵本ではありますが、もう貴重な上にも貴重な「お宝本」であると(なお、あえて付記しておきますが、書影には若干の補正が施してあります。Photoroomという画像編集サービスを使って図書館の管理シールとヤケ(特にカバー上部に強いヤケがあって、はて、一体どんな管理がされてきたものかと、いささか疑問に感じるくらい)を除去した。いわゆる「消しゴム」ツールを使ったわけだけれど、あえてこういうことをせずにあるがままの姿を晒した方がいいのではという気もするんだけどねえ。最近、やたらと加工された写真が出回っているので。ただ、ググったってこの本の書影は1点も確認できないんだよ。ことによるとインターネットで閲覧できるのはこの1点限りで、その状況がこれからもずーっとつづくという可能性も十分に予想される。であるならば、少しでも良い状態で、という思いの方が上回りました。つーかね、一切、何の補正もなしだと、あまりにも薄汚れていて、描かれている二宮由佳が可哀想で……)。
さて、こっからはそんな「お宝本」の中身の話になるわけだけれど、ここまでワタシは何気に『ふりかえらずに、走れ!』をハードボイルド小説のように扱ってきた。しかし、『ふりかえらずに、走れ!』をハードボイルド小説とするのはややムリがある。なにしろ、カバーが↑だからね。ただ、ハードボイルドではないとしても、ハードボイルド未満、ないしは「ハードボイルドの未然形」とは言えるかなと。というのも、この小説の主人公・栗林武はすべての生島ハードボイルドのヒーローのプロトタイプと見なすことができるのだ。栗林武は都内のそこそこの進学校である城台高校の1年生で、ラグビー部ではフォワードをやっている(ただし、ここはちょっと微妙でね。武がラグビー部のキャプテン(草加一造。騒動の最初のきっかけを作った人物で、武とは対立関係にあるものの、最後には和解する。この発言もその和解の際に一造の口を吐いて出たもの)から「おまえはパスのコツさえ身につければ、すごいフォワードになれるぜ」と言われる場面があるんだけれど、その文脈なら「おまえはパスのコツさえ身につければ、すごいスタンドオフになれるぜ」とか「おまえはパスのコツさえ身につければ、すごいバックスになれるぜ」のはず。フォワードにパス出しのセンスを求めてもねえ。そもそもだ、小説の冒頭で城台高校ラグビー部の1年生は新人戦でぼろ負けを喫するのだけれど、そのスコアは18-6とされている。でも、ラグビーで18-6なら接戦ですよ。ところが、監督の言葉として「しかし、十八対六とは、また、はでに負けたもんだな」。もしかしたら生島治郎はそんなにラグビーに詳しくなかったのかな?)。で、スポーツマンらしく実に真っすぐな性格で、ラグビー部の上級生の理不尽な仕打ちにも真っ向から立ち向かって行く。それが遂には学校全体を巻きこんだ大騒動(自治会を組織しての全学ストライキ!)に発展して行くのだけれど……そんな青春熱血ドラマふうの小説のどこがハードボイルド未満、ないしは「ハードボイルドの未然形」かというと、最後、武は深刻な――おそらくは生涯消えることはないであろう――傷を心に負うことになるのだ。武のガールフレンドで、武に対して「あたし、何か決心した時の男の人って好きよ。男は、いったんこうと決めたことは、とにかく徹底的にやってみるべきだわ。ふりむかずに、全力をあげて走るのよ。ころんだっていいじゃない。あたしたちは若いんだから」と檄を飛ばしたりする勝ち気な少女・二宮由佳(カバーに描かれた〝お女性〟。ちなみに、装画は吉田郁也)が、なんとなんと、ヤクザに刺されて死んでしまうのだ。なぜ学園ものにヤクザが出てくるかというと、最終的に紛争は武らの勝利に終わるのだけれど(その際、決定的な役割を果たすのが武の親友・眉村敬介の祖母(なぜか名無し。終始、「眉村の祖母」としてのみ登場)。この祖母が良い味を出していてねえ。眉村敬介というのはいわゆるいじめられっ子タイプで、体つきも華奢なんだけれど、祖母はと言えば対照的に「小型のタンク」みないながっちりとした体つきで、いつも「緑のおばさん」の恰好をしているというぶっとんだ設定。しかし、その外見とは裏腹に若い頃はドイツに行ってドイツ人の家で女中をしたり、中国に渡ったり。敬介の祖父と知り合ったのも中国で。そんな波乱万丈の半生にふさわしく、愛嬌もあれば肝っ玉もあるという。そうだなあ、『友よ、背を向けるな』を読んだことがある方なら、あれに出てくる藤村琴に似ていると言えば大体の感じは掴めるのでは? この肝っ玉ばあさんがPTA総会の最後に出てきて、学校の理事長で代議士でもある人物(片山浩二。なぜか二枚目ふう。ここはこってりと脂の乗った政治屋っぽい名前の方がよかったような?)がこの前の選挙でばらまいた金を学校を担保に高利貸から借りていたことを暴露。その借金を自分が肩代わりしたとして、担保物件である学校を差し押さえると。彼女は「高い石のへいにとりかこまれた邸宅」に住んでいるくらいだから、資産家なんですよ。多分、夫が中国で財を成した軍需成り金かなんかなんでしょうが、そこはハッキリとは描かれていない。でも、とにかく金は持っていて、ここではその金を見事に〝生き金〟にしてみせたと、そういうことかな。その上で「学校に金はだしたが、わたしは学問のないばばあじゃけん経営はみんなに任せんとどうしようもない。みなさんで相談してよろしゅうやってください」。こうして紛争は武らの勝利に終わるのだけれど)、それに納得できない理事長がヤクザを雇って武たちを監禁する。で、武たちを人質にして決定をひっくり返そうとするのだけれど、武は脅しに屈しない。理事長が雇ったプロ・ボクサーの大男とも真っ向から渡り合う。しかし、その混乱の中、由佳はヤクザの凶刃に斃れるのだ――「ジャックナイフは、深ぶかと由佳の背につき刺さっていた」。そして――
「由佳ちゃん!」
武はそっと由佳のからだを抱きあげた。
由佳はうすく目をあけ、武の顔を見ると笑おうとした。しかし、それは、途中からはげしい苦痛の表情に変わった
「由佳ちゃん。しっかりするんだ!」
と武はいった。
「苦しいわ」
切れぎれの声で由佳はささやいた。
「だんだん、力が……なくなって……ゆく。武さんの……顔が……見えない」
由佳はまたたきをくりかえした。
「武さん……見えなくなりそう。見えなくなっちゃいや。どこに……いるの。キスして……」
「ここにいるよ」
武は由佳のくちびるに自分のそれを押しあてた。由佳は満足そうに目を閉じた。からだじゅうの力がぬけ、武の腕の中でがくっとくずれた。
武は由佳のくちびるが冷えてゆくのを感じた。
小説は、最後、この衝撃の展開からどうにか立ち直った武が悲しみを振り払うように走り出すところで終わる、耳もとでささやきかける「走るのよ、武さん。とまってはだめよ。悲しみをふりとばして走りつづけるのよ。あたしといっしょに! ふり返らないで!」という由佳の声を聴きながら……と、『ふりかえらずに、走れ!』というのは、粗々、こんな小説なんだけれど……ワタシは「冬井礼二、またの名をブチ犬と言う〜湯豆腐やいのちのはてに読む本は②〜」でこう書いた――「記憶する限りでは、生島ハードボイルドで主人公の生い立ちが語られる、なんてことは(『国際誘拐』を除けば。なお、『国際誘拐』は『小説推理』1995年2月号〜12月号に連載されたものなので『暴犬 あばれデカ』と執筆時期がほぼ重なる。ワタシは生島治郎は1995年頃から作家としての「終活」に入ったのではと見ていて、そのタイミングで書かれた作品で申し合わせたように主人公の生い立ちについて語っているという事実こそはそれを裏付ける有力な傍証ではないかと)なかったはず。志田司郎がどういう生まれでどういう過去を背負っているかなんて、誰も知らないし、知る必要もない。それは、ハードボイルド小説には必要のないもの――と、そうワタシなりに思い定めてきたりもしたものだ」。この認識を敷延して、その語られざる過去を物語ったのがこの『ふりかえらずに、走れ!』である、と考えることもできるのではないかと。そんなふうにイメージを膨らませるならいろいろ腑に落ちる点があるのは事実で、たとえば栗林武が転生して会田健になったという世界線だって考えられるではないか。会田健の過去も小説の中でハッキリと語られることはないのだけれど、彼にしたってなんらかの「傷痕」を心に負っているはず。それが生島ハードボイルドの法則(絶対にゆらぐことのない黄金律)なのだから。そしてそれは栗林武が経験したようなものなのかもしれない。それならばなぜ会田健があれほどまでにヤクザを憎み、あれほどまでに組織を嫌悪するのかも理解できるというもの(紛争は眉村敬介の祖母や二宮由佳の父の助力などがあって解決を見るものの、遂に城台高校のPTAが主体的に問題解決に動くことはない。問題を解決に導くのは「個」の力である、というのも生島ハードボイルドの隠れたテーマと言っていい)。ワタシが栗林武こそはすべての生島ハードボイルドのヒーローのプロトタイプと見なすことができると言ったのはそういう意味であり、『ふりかえらずに、走れ!』をハードボイルド未満、ないしは「ハードボイルドの未然形」としたのもそういうこと。そういう小説を生島治郎は1966年から67年にかけて書いて――そして、彼も走り出したのだ、まっすぐに前を向いて。ふりかえらずに……。
――と書いたところで、最初から読み返してみたんだけれど、やっぱり記事のタイトルと合ってないな。この小説の一体どこでオレは涙を誘われたのか? 由佳が死ぬところでは、涙を誘われるよりも、ビックリするだけで。ただ、涙を誘われるポイントが全くなかったかとなると……。この小説に涙を誘われるポイントがあったとすれば、それは生島治郎の「若さ」だろう。実は生島治郎は「作者のことば」としてこんなことを書いている――「この小説の中の登場人物たちも自分で考え、迷い、悩んだ末、自分の進むべき道を発見してゆく。それが正しいか正しくないかは、作者の私もわからない。それは彼らが何十年か経って大人になった時自分で判断するだろう。しかし、彼らも若いある時期に目標を定め、それに向ってまっしぐらに走ったということは後悔しないにちがいない。きみらも、今、自分自身で進むべき方向を決めるべきだ。両親や先生たちに相談をするのはいいが、そのために自分の気にそまぬ道へいやいやふみこんでいくことはない。失敗をおそれて、何度もふりかえるよりも、自分の生きていきたいと思った方向へまっしぐらに走れ! 走ることが生きているということだ」。この「若さ」には誰だって涙を誘われるだろう。生島治郎は、若かった。読者も、若かった。読者の弟も、若かった。もうね、「日本」が若かったんだ。この「若さ」に全自分が、泣く……。
さて、未読の生島作品をターゲットとした「センチメンタル・ハードボイルド」を求めてのマイニングも一区切りついたことだし、ここらで「ザ・ベリー・ベスト・オブ・ジロー・イクシマ」と行こう。実は、これは当初から予定していたことで、生島作品を読むだけ読んでそれを元にワタシなりのセレクションを編もうと。イメージとしては北上次郎が集英社文庫版『薄倖の街』の解説で挙げている「生島治郎の10冊」ですが、ワタシの場合は「生島治郎の20冊」。どうもね、10冊だと当たり前のリストになってしまって、面白味がない。これをミュージシャンのベスト盤に置き換えると、選曲するのが10曲くらいだとただのシングル・コレクションになってしまう。でも、シングルになっていない、アルバム曲の中にもいいものはあるわけで、たとえば山口百恵の場合なら「I Came From 横須賀」とか「曼珠沙華」とか。そういうのも入っている感じのベスト盤。それを狙うならやはり20曲(冊)くらいはね。ということで、ワタシが編んだ「ザ・ベリー・ベスト・オブ・ジロー・イクシマ〜生島治郎の20冊〜」は――
ジュヴナイルあり「奇妙な味」の物語ありコージーミステリーあり――で、なかなかバラエティに富んでいる(と思う)。ワタシとしては『鬼 ゴースト』(1999年)も入れたかったのだけれど、そうすればファンタジーも加わることになる。ただ、あれは評価が難しいのでねえ。それに20冊という縛りがあるわけだし。で、最終的に『暴犬 あばれデカ』との二者択一で『暴犬 あばれデカ』を選びました。それ以外だと、志田司郎ものの短編集『脅喝者』(1973年)もなかなか捨てがたいものがあって(ワタシは同書所収の「謀殺」を私選『日本ハードボイルド全集』第1巻「生島治郎集」に入れている。詳しくはこちらをお読みください)迷うところではある。しかし、これについては『兇悪の門』との二者択一で『兇悪の門』を選びました。あと外したということで言うならば『傷痕の街』と『男たちのブルース』ということになると思いますが(どちらも北上版「生島治郎の10冊」には入っている)、これは前にも書いたことがあるのだけれど(こちらです)、ワタシは軍人ものが苦手で。軍隊時代の話とかが出てくるとそれだけで読むのが嫌になる。そういう意味では『ダイヤモンドはわが墓石』なんてそのものズバリの話……ではあるんだけれど、これは入れました。上下2巻の大作で、最初は気乗りがしなかったものの、途中からグングン引き込まれて行って、遂に最後まで読み通して、読み終えた時点では、これは『黄土の奔流』『追いつめる』と並ぶ生島治郎の代表作だろう、と。で、そう思ったんなら、入れないとね。なお、この作品のハードボイルド小説としての特異性を1つ挙げておくなら、作品の丸々ではないけれど、結構長い間(上巻の半分くらい?)、主人公(寒川光成)がベッドで寝たきりになるんだよ。しかし、ベッドで寝たきりになりながらも協力者の助力を得て敵を追いつめるための行動を続ける――。ベッド・ディテクティヴというのはジョゼフィン・テイが『時の娘』で編み出した手法ですが、さしずめこちらはベッド・タフガイないしはベッド・ハードボイルド。おそらくは、世界初のね。そういう意味でもこれは外せないかなと。
――と、まあ、そんな感じで、20冊、選び出しましたですよ。もちろん、すべての生島作品を読破したわけではないので、これで決まりということでもないけれど、とはいえ、このリストに割って入ってくる作品があるかとなると……多分、ないな。オレは、読み切った。残りは、プラスアルファ。そう断言していいと思う。中学生の時に初めて読んで(ちなみに、最初に読んだのは『薄倖の街』だった。買ったのは、当時、石金商店街にあった宮田という本屋で……歩いて行けば、今でも行けるような気がするんだけどなあ……)、あれから50年か。この間、ずっと生島治郎を読んできたわけではないけれど、最後はこうしてまた戻ってきた。これは、運命。そう思う。そして、最後にこう書いておこう。オレは、生きた!