興味深い本を読んだ。秦新二という人が書いた『文政十一年のスパイ合戦:検証・謎のシーボルト事件』(文藝春秋)というのがそれ。その名の通り、1828年(文政11年)に発覚したシーボルト事件の〝真相〟を追求した歴史ノンフィクションですが……シーボルト事件というと、おれのイメージだと、半ば幕府のでっち上げで、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが「伊能図」を持ち出そうとしたのは単なる博物学的な好奇心の延長――という感じ、でした。しかし、どうもそうではないらしい。そもそもシーボルトは国籍を偽って日本に入国しており(実はおれはシーボルトはてっきりオランダ人だと思い込んでいた。で、シーボルトの関連資料を多く所蔵する福岡県立図書館のこちらのページでシーボルトの主著である『日本』についての解説として「少しオランダ語も混じっているが、ドイツ語で書かれている」とされているのを読んで、へえ、シーボルトってフランス語ばかりではなく、ドイツ語も堪能だったのか、スゴイな……と、そんな感じだったのだが、何のことはない、ドイツ語はシーボルトにとって母語だったんだね。とにかく、そんな感じで、おれはシーボルトはてっきりオランダ人だと思い込んでいた。まあ、おれはシーボルトが現在のドイツ連邦共和国バイエルン州ヴュルツブルク生まれであることを知っていたわけで、その時点で気づくべき……だったんだが、当時はドイツ連邦という国家は存在せず、バイエルン州は神聖ローマ帝国の領邦であるバイエルン選帝侯領というよくわかんない〝国〟だった。この辺がおれをして〝真相究明〟を困難ならしめた理由ではあるんだが……)、まずここにシーボルトの来日目的を疑う理由がある。さらに、あえて国籍を偽って日本に入国を果たすに当って彼が有していた正式な肩書きは「外科少佐及び調査任務付き」だった。もとより日本側はシーボルトの身分がそのようなものであるとは承知していない。この肩書き、シーボルトがオランダ領インドネシアのバタヴィア(現在のジャカルタ)に駐在する蘭印総督ファン・デル・カペルレンに宛てた書簡に記されたものなのだ。この書簡、インドネシア国立公文書館及びハーグ国立公文書館所蔵とかで、これは秦新二氏による新発見ということになるんだが、実はシーボルトと交流を持った蘭学者の中にはシーボルトの来日目的について薄々気づいているものもいたようなんだよ。しかも、そのことは既知の文献で裏付けることができる。その文献とは『崋山全集』。崋山叢書出版会が渡辺崋山の著作を集成したもので、その中に収められた「客座錄」なる手記にこんなことが記されている――
高野長英云、シーボルトは獨逸人のよし申せどリユス人なることは其證あること多し、其一を言はば和蘭のことを聞くに其暗くリユスのことは其明なるを以ても知るべしある時其官を問ひしにコンデンスポンテーヲルテと答たり、其頃は何とも心付かざりしに後羅句語譯を見しに察機密官と云ふことなり、予も亦羅句原語書を検せしに、コンデンスと云は量度すること、ホンテヱと云は重しとも密とも云義ヲルデとは官と云こと也き。
これを読むと高野長英はシーボルトがドイツ人であることにさえ疑いを持っており、ロシア人(文中の「リユス」とはRusseつまりは「ロシア」のこと)ではないかと疑っていたことになるわけだが……そんな疑念を持っていた高野長英がシーボルトにしつこく肩書きを問いただしたところ、シーボルトはラテン語で「コンデンスポンテーヲルテ」と答えたという。シーボルトとしては煙に巻いたつもりだったんだろうが、高野長英はしつこい。自らラテン語の辞書に当って、それが「察機密官」という意味であることを突き止めた。で、そうとわかれば高野長英の行動は素早い。秦新二氏によれば「早速荷物をまとめて塾を後にした」。結果、高野長英はシーボルト事件では検挙を免れた(その後、蛮社の獄で囚われの身となり、火事で「切り放ち」となり、吉村昭が『長英逃亡』で精緻に描き出した逃亡劇が始まることになる)。
こうなると、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトがただの博物学的な好奇心から日本にやってきたとはとても信じられない。秦新二氏は上掲書でその「任務」は次の3つだったと断定している。
まあ、そう断定して間違いないとおれも思う。しかし、こうなると、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトというのは歴としたスパイだったことになるわけで、シーボルト事件に対する認識も改める必要があるなあ。既に述べたようにおれはシーボルト事件というのは半ば幕府のでっち上げだと思っていたんだが、そうではなく、むしろゾルゲ事件なんかと同等に扱うべきものなのかも知れない。もっとも、リヒャルト・ゾルゲは死刑となったが、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは国外退去(「日本御構」)で済んだ。さらに、1858年(安政5年)に日蘭修好通商条約が結ばれるや国外退去処分も解除され、翌年には再来日も果たしている。国禁である「伊能図」を持ち出した(持ち出そうとしたのではなく、現に持ち出した。それは、現在、ドイツ連邦共和国ヘッセン州シュルヒテルン近郊のブランデンシュタイン城博物館にある)人物を幕府は許したのだ。もしかしたら、この瞬間、徳川幕府の遠からぬタイミングでの瓦解は既定路線となったのかも知れない。国禁を犯したスパイを許しているようじゃ国家の存立は覚束きませんよ。もっとも、リヒャルト・ゾルゲを死刑にした大日本帝国もほどなく瓦解したけどね。スパイが大手を振って罷り通っているような国に未来はない……て、おれ、もしかして高市政権が進めるスパイ防止法の制定を後押ししている? ヘンだな、おれはアナーキストだったはずなんだが……。
ということで、本題に入ります(え、だったらこれまでは?)。6月4日からBS朝日で放送が始まった『破れ新九郎』は見ていて心配になる時代劇だ。そもそも、この時代劇、ハチャメチャなんですよ。時代設定は「天保初年」とされているのだが(そうハッキリとナレーションで語られている)、第2話「えん魔がくれた千両箱」では小松方正演じる悪徳商人が唐突に(本当に、唐突に。そんなもん持ってんならもっと早く出せよ!)回転式拳銃を取り出す。いいですか、回転式拳銃ですよ。時代劇と回転式拳銃をめぐっては前にも書いたことがあるので(こちらです)ここでは書きませんが、「天保初年」という時代設定の時代劇に回転式拳銃が出てきてはイケマセン。これがフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが持っていたような「短銃」(はこちらでご覧いただけます)なら話は別なんだけど。でも、ドラマに登場したのはコルト・パターソンのような長い銃身の回転式拳銃(シリンダーもハッキリと視認できた)。そんなものが「天保初年」のニッポンに! で、これだけでも相当なんだが、ウィキペディアで全25話のタイトルを一瞥したところ、第8話は「天保大地震」とあるじゃないか。でも、歴史上、「天保大地震」と呼び慣わされている地震は、ない。これはウィキペディアの「日本の地震年表」を見てもらえばおわかりいただけるはず。ただ、天保年間、日本列島が度重なる地震災害に見舞われたのは確かなようで、そのどれかを「天保大地震」と言っている――のかも知れない。ただ、このドラマの舞台は江戸の内藤新宿だからねえ。で、「日本の地震年表」に列挙されている地震の震源地はいずれも江戸以外。だから、どうストーリーにこじつけるコンタンなのかと……。あとね、このドラマには熱狂的なファンがいるようで、なんとなんと、『てめえら、寝てる場合じゃねえんだ!~TV時代劇「破れ新九郎」の世界~』なるパンフレットを編んで同好の士に配布していたツワモノがいることがわかった。で、その中で第25話「大爆破!夜空に消えた新九郎」の粗筋として――「浦賀に異国船が来航し、危機感を覚えた幕府は水車小屋を使って塩硝(火薬)の増産を始めた」。浦賀にモリソン号が来航して大騒ぎとなったのは天保8年なので、どうやら『破れ新九郎』というのは「天保初年」から天保8年までという結構長めのタイムスパンを有したドラマである、ということが見てとれるわけだけれど……でも、大丈夫? ドラマの中で7年も8年も時が流れるってことは、それに連れて登場人物も成長しなければならないわけだけれど……ちゃんとそんなふうに作ってる?
で、なんでおれがこんなハチャメチャな時代劇を見て(呆れるのではなく)心配になるかというと、この時代劇の制作に脚本家として関わっているのがある敬愛する小説家だから、なんだよ。その名を隆慶一郎と言うのだけれど……そう、あの『影武者徳川家康』で知られる、奇想の時代小説家――。おれはかつてこの人が書いた『一夢庵風流記』のあとがきをネタに記事を書いたことがある。しかも、2本も(こちらとこちら)。『一夢庵風流記』の本文をネタに記事を2本書いたってんならさもありなんだが、あとがきをネタに、だからねえ。まあ、『一夢庵風流記』はかの「傾奇者・慶次」として名高い前田慶次郎を主人公とする小説なので、おれはおれで「傾いて」みた、というところにはなるかな。ともあれ、おれは隆慶一郎という作家を敬愛しているんだが、『破れ新九郎』はそんな隆慶一郎がまだ作家に転身する前に本名の池田一朗名義で制作に関わった作品で、しかも単に雇われ脚本家として何話かを担当したという程度ではなく、企画段階から関わっていたようで、実は池田一朗はこのドラマのノベライゼーションも手がけているんだよ(ただし、実際に書いたのは池田一朗ではなく、池田一朗が日本放送作家組合が主催する放送作家教室(現・日本脚本家連盟スクール)で講師を務めていた頃の教え子である杉江慧子。ちなみに、杉江慧子は1980年に亡くなったそうです。自殺、だったそうだ。杉江慧子こと本名・渡辺祥子は池田一朗の薫陶よろしく1977年に晴れてデビューを果たしたものの、1980年になって「仕事に行き詰まった」として失踪。そして、1981年6月21日に北海道上川町の層雲峡黒岳で遺体となって発見されたという。さしずめ「層雲峡に果つ」だなあ……。で、これには池田一朗もこたえたようで、「教える罪」なるエッセイで「そして僕は教えるのをやめた」。以上、「時代劇スタッフ人別帳」より)。で、こうなるとおれの『破れ新九郎』への関心もいやが上にも高まるってもんだが……第2話の「えん魔がくれた千両箱」から見始めて、今日時点で第7話の「通り雨ならお命頂戴」まで。もう見ていて、心配で心配で。まかりまちがっても作家・隆慶一郎の名声に傷がつくことがないようにと願っているような塩梅なんだが……。
ただ、そんな『破れ新九郎』ではあるんだけどね、1つだけ、ほお、と思わせられる点があって。萬屋錦之助演じる主人公・新九郎は「生きもの一切醫療仕候/金魚小鳥ゟ牛馬迄但し人間御断り」という看板を掲げる獣医なんだが(だからと言って、ドリトル先生みたいな人物を想像してはイケマセン。新九郎はかの叶刀舟ばりに「てめえら人間じゃねえや!叩っ斬ってやる!」と言い放つ血の気の多い男デス)、それだけにたくさんの動物が出てくる。タイトルバックでは馬や牛を引き連れているし、第2話には、なんとなんと、セントバーナードが登場する! このセントバーナード、新九郎が飼っていることになっていて、新九郎が言うには「この犬は異国の犬でな、連れてきたオランダ人が本国へ帰っちまったんだよ」。で、名前は「バン」(多分、南蛮の「蛮」)。とするなら、新九郎は内藤新宿に姿を現す前には(第1話「砂塵の町に来た男」は新九郎がどこからともなくやってきて内藤新宿の「えんま長屋」に住みつくところから始まる――らしい、見ていないから確たることは言えないけど。なお、その前にはドラマ制作当時である1978年の新宿がヘリコプターからの空撮によって紹介されるという時代劇としては相当に攻めた構成になっていたらしい)長崎にいたということになる。――ということはだよ、そのオランダ人ってフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトだった可能性もあるんじゃないの? シーボルトは現在のドイツ連邦共和国バイエルン州ヴュルツブルク生まれのドイツ人なんだが、日本にはオランダ人と偽って入国していたことは最初にも書いた通りで、長崎でシーボルトに師事した蘭学者たちもオランダ人と思っていた(高野長英を除けば?)。で、そんなシーボルトが国外退去(「日本御構」)になったのは文政12年(1829年)のこと。仮にナレーションに言う「天保初年」が天保元年(1831年)のことだとするならば、そのわずか2年後ということになる。だから、「バン」の前の飼い主はフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトだった――可能性もあるということ。こうした考証(?)の傍証となりそうな事実もあって、「えんま長屋」の住人の一人に若林豪演じる三田主水という浪人がいるんだが、ウィキペディアによれば「元公儀天文方の浪人」。で、シーボルト事件に連座して伝馬町牢屋敷に投獄され獄死した(ただし、遺体は塩漬けにされて保存され、翌年、罪状申し渡しの上、斬首刑に処せられた。このため、公式記録では死因は斬罪となっている)高橋景保という人物がいる。この人物の肩書きが書物奉行兼天文方筆頭。だから、三田主水は高橋景保の部下だった可能性があるのだ。こうなると、新九郎が「えんま長屋」にやってきたのには何らかの思惑があって……という仮説が成り立つ。なんでも第25話「大爆破!夜空に消えた新九郎」では新九郎は老中の爆殺を図るとかで……なるほど(と思いつつも、え、そこまでやっちゃっていいの? とも。そこまでやっちゃったら、土田邸小包爆弾事件とかと大して変らんのだけど……)。
てな感じで、『一夢庵風流記』の作家らしく、傾きまくっている。そういう意味で、心配はしつつも、この当世ではとても作られることはないであろう破天荒な時代劇を見守って行こうかな、と。
第8話「天保大地震」はタイトル詐欺だな。確かに地震は頻発しているという設定にはなっていて、ナレーションでもこう語られている――「江戸も天保に入ると、まるで天が人間の思い上がりを罰しでもするかのように急に天災が多くなった。日照り、長雨。農村は疲弊のどん底に落ち、町では地震の被害が増えた」。しかし、ドラマの中で起きる地震はせいぜいが震度5弱程度で、掘っ立て小屋同然のえんま長屋が倒壊することもない。だから「天保大地震」はタイトル詐欺。そもそも、ドラマの主題は地震ではなく、天変地異に乗じた新興宗教の台頭とそれをウラで操る悪徳政治家(寺社奉行)の黒い笑い。それをえんま長屋の5人組が成敗するという話。だから、本来ならば言葉的にもインパクトがある「三途川の御婆」(多分、「奪衣婆」のこと。三途川で亡者の衣服を剥ぎ取るとされる老婆の鬼。ドラマでは「三途川の御婆」を本尊とする寺が巧みなプロモーションもあって庶民の信仰を集めているという設定。ウィキペディアでも「江戸時代末期には民間信仰の対象とされ、奪衣婆を祭ったお堂などが建立された」とされており、こうした史実を踏まえたストーリーにはなっている。ちなみに、ドラマではコマーシャルブレイク前に閻魔像が大写しになるわけだけれど、この閻魔像は当時の内藤新宿である現在の新宿二丁目にある太宗寺という寺の閻魔堂に安置されている閻魔像であることがこちらのサイトで紹介されている写真で確認できる。で、こちらのサイトで紹介されている写真からは、閻魔堂には奪衣婆像も安置されていることが確認できる。なんでドラマでは奪衣婆ではなく御婆とされているのかは、この辺が理由だろうね。なにかとお世話になっている太宗寺にゆかりのある鬼を〝淫祠邪教〟のシンボルとはできないだろうから……)をタイトルに詠み込んだ方がよかったんじゃないのかなあ。それと、結局、中島ゆたかはなんだったの? 睦五郎演じる寺社奉行に飼われていたわけ? でも、えんま長屋の5人組に成敗される対象ともならず、有耶無耶になってしまった。しかし、もったいないよなあ。だって、キャラは立ちまくっているもの。第8話は、睦五郎ではなく、あの中島ゆたか演じる女行者をラスボスとした方がよかったのでは? で、もしかしたら、池田一朗の脚本でもそうなっていたのかも知れない。しかし、萬屋錦之助が女を斬るのを嫌がった……というような理由で書き換えられてしまったとか? ついでにタイトルも「三途川の御婆」ではなく「天保大地震」というタイトル詐欺と言われても仕方がないようなものに差し替えられた……と、そんなことを妄想してみたり。
第18話「血涙、地獄の子連れ狼」まで見てわかったことは、やはり本シリーズは相当に長めのタイムスパンを有したドラマであること。第3話「ねずみ小僧獄門首」では萬屋錦之助の実弟である中村嘉葎雄が鼠小僧次郎吉を演じているのだが、ドラマの最後では次郎吉が獄門に処せられたのは史実では天保3年であることが吉岡晋也のナレーションによって言明されている。だから、この第3話の時点では、ドラマの中の「今」も天保3年であることがうかがえる。で、その後も時代を特定できる材料を提供してくれている話があって、第9話「新九郎西伊豆へ走る!」では登場人物が大塩平八郎の乱に言及するという場面がある。だから、この時点で天保8年と見てまず間違いない。本文ではおれは第25話「大爆破!夜空に消えた新九郎」の時点で時代が天保8年に達しているのではないかと予想したわけだけれど、それよりも時代の流れが速い、ということになる。ただ、その割には登場人物たちが「成長」しているようには見えないんだが……。ともあれ、ドラマの中の「今」は第9話の時点で天保8年に達していることは確実。で、そうであるならば、一つ説明がつくのは、第18話にも回転式拳銃が登場すること。本文でも触れたように、第2話「えん魔がくれた千両箱」には小松方正演じる悪徳商人が唐突に回転式拳銃を取り出すという場面がある。しかし、第3話の時点でもドラマの中の「今」は天保3年なんだから、第2話の時点で回転式拳銃が出てくるというのは、歴史考証に反している。リボルバー機構を備えた連発式小火器としては初めて民間向けに販売された拳銃はコルト・パターソンというモデルで、このコルト・パターソンについて大藪春彦は彼が書いた唯一の時代小説である『孤剣』の中で――「天保六年というから、清水の次郎長が十六歳の少年であった頃に、米国で発明されたコルト・パタスン五連発の輪胴式。まだ用心鉄も考案されてなく、撃鉄を起こすと、隠れている引金が前にとびだすという物騒な短銃だ。金属薬莢を使用する後世の銃とちがって、こいつの弾倉の薬室は尻がふさがっていて、撃鉄が弾倉の上に五つ開いた火門を叩くことになっている」。これがコルト・パターソンをめぐるファクト。だから、まだ天保3年にもなっていない第2話の時点でコルト・パターソン(と思われる回転式拳銃)が出てくるのは全く以て歴史考証に反している、ということになる。で、そのコルト・パターソン(と思われる回転式拳銃)が第18話にも出てくるのだが、第9話の時点で天保8年に達しているわけだから、時制という点では、歴史考証に適っている、ということにはなる(なお、参考情報として書いておくなら、大藪春彦の『孤剣』には「伊吹は知らないが、去年サム・コルトが発明したばかりのコルト連発小銃」という記載があるので、こちらは天保7年の物語、ということになる)。ただ、それでも第18話に登場する回転式拳銃には問題があって、それは件の拳銃にはトリガーガードが備わっていること。トリガーガードというのは指や物がトリガーに触れて誤射が生じることを防止するための機構で、大藪春彦が「用心鉄」と書いているもの。このトリガーガードが第18話に登場する回転式拳銃には備わっていることがハッキリと視認できる。しかし、コルト・パターソンにはトリガーガードが備わっていなかった。これはコルト・パターソンの特殊な機構によるもので、これついては大藪春彦も書いてくれているけれど、ここは専門サイトであるMEDIAGUN DATABASEの説明を引用させていただくなら――「パターソンは後の多くのリボルバーと違い、フォールディングトリガーという本体内蔵式のトリガーを備えている。これはハンマーをコックすると、本体に折り畳んであるトリガーが下がり使用可能になるユニークな機構である」。つまり、通常、トリガーはボディーに折り畳まれているので、誤射を防止するためのガードも必要ない、ということになる。ところが、ドラマで須賀不二男演じる高遠藩江戸詰め家老が手にする回転式拳銃にはトリガーガードが備わっている。だから、同じコルトでもM1851とかに近い。しかし、M1851が開発されたのは1851年(嘉永4年)。だから、どうしたって辻褄が合わない……というようなことをくどくどと書いているおれって(ドラマ制作者からするならば)相当に面倒くさい視聴者なんだろうなあ……。
参ったな。第20話「殴り込み!破れ軍団」で時間が天保3年に巻き戻されてしまったぞ。今話では新九郎の発案で伊吹五郎演じる公儀隠密を死んだことにして一切の問題を処理してしまうんだが、そのために作られたダミーの卒塔婆に忌日が記されていて、それは「天保参壬辰年拾壱月四日」と読める。「壬辰」は「みずのえたつ」と読み、天保3年に当たる。要するに、第20話に至って時間が第3話の時点に巻き戻されたわけで……もう知らんわ、このドラマ。
結局、新九郎の正体は明らかにならず、か……。第23話「流転!夕陽の父子唄」ではシーボルト事件への言及があったし、高橋景保の名前も出てきた。しかし、新九郎はもとより若林豪演じる三田主水さえ事件との関係はなかったよう(三田主水は「天文方の昔の同僚に聞いてみたが」みたいなことは言っていたが、その天文方をなぜ辞めたのかは語られず仕舞い。従って、シーボルト事件との関係も不明。それでいてなんで元公儀天文方という設定にしたのか? そこがどうにも合点が行かず……)。ただ、最終話「大爆破!夜空に消えた新九郎」ではモリソン号事件への言及があったので、時制に関しては、最終話の段階で天保8年に至っているのは間違いなさそう(いや、三田主水が春一番がいつ吹くかと聞かれていたので、天保8年が明けた9年の早春なのかな?)。にもかかわらず第20話「殴り込み!破れ軍団」で時間が天保3年に巻き戻されてしまっていたのは……もしかしたら、時系列に沿った流れとはなっていない? 確か司馬遼太郎の『新選組血風録』もそうだったはずで……全25話が必ずしも時系列に沿った流れとはなっていない――と解釈するならば、それなりに説明はつくのかな。もっとも、どうにもこうにも説明のつかないエピソードもあって、それは第22話「曲芸女太夫騒動記」でとび出した新九郎の「チンパンジーは人間の先祖」云々という台詞。だって、ダーウィンが『種の起源』を著したのは1859年(安政5年)なんだから。天保年間と言えば、ちょうどビーグル号に乗って地球(主に南半球)をグルリと一周していた頃。そんな頃に「チンパンジーは人間の先祖」と言ってのける新九郎って、スゲーな……と、こんなことをいちいち論うおれもどうかしているんだけどね(苦笑)。
ただ、最終話の結末は痛快だった。そして、ふと思ったんだが、えんま長屋の5人(あるいは、大家のおきん、呉服問屋の娘でありながら男装して蕎麦屋の出前持ちをやっている竹之助ことおさとを加えた7人)は天保年間のギロチン社だったのかも知れないなあ、と。やつらがやったことは、古田大次郎や村木源次郎がやろうとしたこととほとんど変わりないんだから。だから、やつらは天保年間のギロチン社だったんだよ――と、全25話を見終わった夜に。