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フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトのお陰

 それにしても、ハードボイルド派は、狼を好む、んだよなあ。主人公を狼に準えたものが本当に多い。過去、このブログで取り上げた作品に限っても『狼のブルース』とか『さすらいの狼』とか。でも、もしかしたらこんな小説は書かれるべくもなかったのかもしれない……というお話をしましょうか。

 で、まずはですね、歴史的実在としての狼の実像を明らかにしておきましょう。言うまでもなく日本では狼は絶滅したわけだけれど、かつては「狼害」が問題視される程度には普通にいた。その証拠としてここは富山県射水郡大門町(現・射水市大門)が1981年に刊行した『大門町史』の第6章「郷土の災害」から「狼害」について記したこんな一節を紹介しておきましょう。まずは「藩政時代、人畜に被害を与えるものとして、最も恐れられたのは狼である。狼は犬科の肉食動物で、野ねずみ、兎、魚などを食して山野に群をなして生息しているもので、明治時代に絶滅したといわれている。しかし、今日でも狼に関する伝説が残っていて、藩政時代には、山野に出現して幼児や少年を襲って害を与えたようである」とあって――

 加賀藩の家老であった前田貞親の手記には、元禄一〇年(一六九七)から同一三年にかけて、砺波郡・射水郡地方に狼の被害が多く、足軽を派遣して狙撃させたと書かれている。
 大門地方では元禄一〇年生源寺新村頭振のせがれが狼に喰い殺されたのをはじめ、相次いで被害が発生している。すなわち元禄一二年九月三日、円池新村百姓与兵衛せがれ左兵衛(一三才)が狼に喰い殺されたので、射水郡へ狼退治にかねて派遣されていた足軽南部源右衛門が、円池新村で一週間後、狼(長三尺三寸、たけ二尺三寸)を佐十郎谷でうちとめ、死骸を同村肝煎伝兵衛の屋敷内に埋めている。
 同じ月に水戸田村でも被害発生、頭振与蔵せがれ鍋(一四才)がくい殺されている。また西広上村百姓七右衛門甥がくい殺されたが、その狼を間もなく打ち留めている。
 翌元禄一三年には足軽による狼退治があり、七月には円池村領で狼二頭、八月には円池新村領大谷で一頭をうちとめている。
 同じ年一八日夜、大門村頭振弥兵衛せがれ岩松(一三才)が、家の大戸から侵入した狼に襲われたが、叫び声をきいてかけつけた人々によって狼は追いはらわれ、難を免がれたが、三か所の傷を受けた。このときも足軽を退治にさしむけたようである。
 また同一三年、狼出没の情報を得て串田村へ退治に派遣された足軽どもは、もはや狼を見かけないとのことで帰るよう命ぜられている。
 一時は続発した狼害の事故も、その後の記録にないのは、足軽の退治によって殆んど打ち留められて、近郷にいなくなったからであろう。

 ちょっと昨今の熊をめぐる状況と似ているな。で、最後の一節なんかは東出昌大が熊について心配していた「局所的絶滅」を思わせないでもない(東出昌大の発言についてはこちらをお読み下さい)。だから、彼が言うことも全く無視はできないんだけれど……ともあれ、こうしてかつては「狼害」が問題視される程度には狼は普通にいた。しかし、人間による「駆除」や犬ジステンパーウイルスによる「集団死」によって瞬く間に数を減らし(もともと狼は集団で狩りをする動物なので、集団を維持できなくなると滅びるのは早い)、明治38年に奈良県吉野郡小川村鷲家口(現・東吉野村鷲家口)で捕獲された1頭を最後として地上から姿を消した、ということになる(もっとも、その後も非公式な目撃情報がないわけではない。しかし、もともと集団で狩りをする動物である以上、集団も形成せずにどうして生き永らえるんだ、ということになって、およそ説得力を持ち得ない。狼は、間違いなく、滅んだんですよ)。で、そうなった場合にこの国で働くメカニズムがあって……そう、その名も凛々しきニホンオオカミは源義経とか楠木正成とか石田三成とか土方歳三とか……一言で言えば、日本史上の「負け組」がカルチャーシーンで享受しているのと同じような立場を享受していると言っていい。要するに、人気があると。

 しかし、おれが思うに、ニホンオオカミがそういう立場を享受できているのは、あのシンリンオオカミやネブラスカオオカミと同種と見なされているから、なんだよ。シンリンオオカミについては前の記事で書いたのでここはネブラスカオオカミについて書くなら、かのアーネスト・トンプソン・シートン(ただし、一歩間違えればファミリーネームは「セトン」になっていたかも知れない。それは↓の内山賢次による日本初訳を読んでいただけばおわかりいただけるはず。出典は『動物文學』第九輯)が「ロボー物語」に描いた「カランボーの王」こそはネブラスカオオカミとされているのだ。そう、あの誇り高き最期を遂げた「老ロボー」の――

 放牧地に着いて、ロボーは頸輪と丈夫な鎻に縛られた上で牧草地の杭に繋がれた。縛(いまし)めの綱は除かれた。かうして初めて、セトン氏はロボーを仔細に調べて見た。ロボーが頸には黄金の輪があるとか、肩には惡魔と結んだことを示す逆樣の十字架がついてゐるとかいふ俗評は勿論嘘であつた。だが、片方の腰には大きな、太い傷痕がまざまざと殘つてゐた。タンナリーのウルフ・ハウンドの大將ユノーの牙の痕だ――ユノーが谿谷の砂上に最期を遂げる直前にロボーに與へた牙の痕だ。
 セトン氏はロボーの傍に水と肉とをおいてやつた。だが、ロボーはそれを見向きもしなかつた。彼は靜かに腹這ひになつたまゝ、嚴かな力の籠つた黄色い眼で、セトン氏の肩越しに、谿谷(キヤニオン)の門口から廣く開けた平原を、彼が多年の間領してゐた平原を睥下してゐるのだつた。セトン氏が手を觸れても、筋肉一つ動かさなかつた。陽が落ちても、彼はまだ凝つと大平原(プレアリー)を見渡したまゝだつた。夜になつたら、彼が一團のものを呼び集めるのではないかと期待され、その用意がとゝのへられた。だが、彼はたゞ一度絕體絕命の窮地にあつて叫んで、誰もその救援に來る者はなかつたのだ。彼は二度とその助けを呼ばうとはしなかつた。
 力をもぎ取られた獅子、自由を奪はれた鷲、妻を失つた鳩は、何れも傷心のあまり死ぬるといふ。では、この獰猛無比の兇獣がその三重の痛傷を敢然と堪へ通し得ると、どうしていへやう?
 翌日夜が明けて見ると、ロボーはやはり穏やかな休息の姿勢のまゝ横たはつてゐた。その肉體は傷つけられてゐないが、併し魂は最早藻抜けの殻だつた――老ロボーはそのまゝ死んでゐるのであつた。

 なんと見事な最期であることよ……。で、ニホンオオカミがそんな「老ロボー」のモデルとされるネブラスカオオカミに似ているかというと、似ていない。断じて、似ていない。だって、ネブラスカオオカミというのはこれですから。これと国立科学博物館が所蔵しているこれを見較べてアナタは似ていると思いますか? 思わないよねえ。ところが(経緯はいろいろあったものの、現在は)ニホンオオカミはシンリンオオカミやネブラスカオオカミと同じようにイヌ科イヌ属タイリクオオカミの一種とされており、リンネ式階層分類において同じ階層上に亜種として肩を並べる存在なんですよ。これがなんとも面妖で。念のため、ここはオランダ国立生物多様性センター(旧オランダ国立自然史博物館)が所蔵しているタイプ標本とされるものも見てもらおう。これがなんでシンリンオオカミやネブラスカオオカミと同種になるわけ? でも、「高深度ゲノム分析の研究によると」ってんだから、一般市民から選ばれた陪審員としては信じるしかないわけで……。

 もっとも、これは「高深度ゲノム分析」ってやつが発達した現代の話であって、かつては違っていた……かというと、そうでもないんですよ。実は、ニホンオオカミは初めてヨーロッパの学会に紹介されたときから既にネブラスカオオカミの「子孫」とされていたのだ。ニホンオオカミが初めてヨーロッパの学会に紹介されたのはかのフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが著した『日本動物誌』によってですが(利用可能なデジタルライブラリはいくつかありますが、本文を読みたいならInternet Archive、図版を見たいなら福岡県立図書館のデジタルライブラリがお薦めです)、その中でニホンオオカミはどう記されているかというと――

Le loup du Japon forme une espèce différente du loup d’Europe, comme il l’est essentiellement du loup d’Amérique, Canis nubilus, dont il s’éloigne beaucoup par la taille et le peu d’épaisseur de la queue; il est remarquablement bas sur jambes; il a la queue grêle, et son museau est plus obtus que celui de notre loup. Nous le désignons sous le nom de Canis hodophilax.

ニホンオオカミはヨーロッパオオカミとは別種であり、本質的にはアメリカオオカミ(Canis nubilus)の子孫である。体格や尾の細さにおいて大きく異なり、脚が非常に短く、尾が細く、鼻先もヨーロッパオオカミより鈍い。本種はCanis hodophilaxと命名する。

 上は原文(フランス語。シーボルトは現在のドイツ連邦共和国バイエルン州ヴュルツブルク生まれですが、フランス語も堪能で、『日本植物誌』と『日本動物誌』をフランス語で著している)、下はGoogle翻訳によって得られた訳文(『日本動物誌』はなぜか翻訳されていない。そのため、やむなくGoogle翻訳に頼りました)。これを読むとシーボルトはニホンオオカミをアメリカオオカミ(ネブラスカオオカミ)の「子孫」と見なしていたことがわかるわけですが……これが、何としてでも腑に落ちない。だって、全然似ていないわけだから。ここは当時のヨーロッパ人がネブラスカオオカミをどうイメージしていたかを知っていただくために1829年にロンドンで出版されたFauna Boreali-Americana or the Zoology of the Northern Parts of British Americaに掲載されているネブラスカオオカミの挿画を見ていただきましょう。その上で今度は『日本動物誌』に掲載されているニホンオオカミの挿画を見ていただいて……どうですか? この2体が似ているって思いますか? もうね、シーボルトはどうかしていると言わざるを得ませんよ……。

 でね、おれならば、だよ。おれならば、ニホンオオカミを、当時、ヨーロッパ人が知っていたであろうどの動物に「似ている」と思うか、なんだが……ズバリ、かつてはヨーロッパにも生息し、現在は中央アジアから南アジアにかけて限定的に分布しているドールですよ。ドールの兄弟とか従兄弟とか、まあ、そんな感じで捉えると思う。特にスマトラドールに似ているかな。そんな印象を抱かされるのがイギリスの生物学者セントジョージ・マイヴァートが1890年に著したDogs, Jackals, Wolves and Foxes: A Monograph of the CANIDÆに掲載されているスマトラドールの挿画(描いたのはオランダの博物画家ヨン・ゲラルド・キューレマンス)。これと『日本動物誌』に掲載されているニホンオオカミの挿画を比較すれば……ね、ソックリでしょう?

 ドールというのは分類学上、イヌ科ドール属という独立した属を形成しているそうです。一方、ニホンオオカミはイヌ科イヌ属に分類される(これは「高深度ゲノム分析」とやらが発達する前も後も変わらない)。だから、ニホンオオカミをドールの兄弟or従兄弟と位置づけることはできない、ということになる。でも、外形的に見るならば、ニホンオオカミはネブラスカオオカミなんかよりもドール、特にスマトラドールに酷似と言っていいレベルで似ている。だから、シーボルトがニホンオオカミをスマトラドールの兄弟or従兄弟と見なしたって全然おかしくなかったと思うんだよ(実はニホンオオカミをCanis hodophilaxと命名したのはシーボルトではなく、ライデン博物館のコンラート・ヤコブ・テミンクなんだけれど、ウィキペディアによれば「同名の父親のヤコブ・テミンクがオランダ東インド会社の収入役であったこともあり、若い頃にその支配下にあったスマトラ島に住んでいたこともある」。ということは、スマトラドールを見ていた可能性もあるわけで、それでいてなんでニホンオオカミをスマトラドールの兄弟or従兄弟と見なす発想を抱かなかったんだろう? つくづく不思議だ)。そして、仮に彼(ら)が『日本動物誌』でそんなふうに書いていたとしたら……おそらくニホンオオカミのイメージは今とは全然違うものになっていただろう。ニホンオオカミのやれ「凶暴」だの「孤高」だのはては「悽愴」だのといったイメージの由って来たるユエンがウルフの一種だってことにあるのは明かで、もしここが変っていて、ドールの一種だったとしたら……おそらく『狼のブルース』とか『さすらいの狼』とかいう小説は書かれるべくもなかっただろう(あと『風は悽愴』もね)。

 だからね、シーボルトがわが国のカルチャーシーン――中でもハードボイルドに与えた影響は本当に大きいんですよ。もしかしたら、わが国のハードボイルドはフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトのお陰を以てこの世に憚るその非嫡出子なのかも知れない……。



 ニホンオオカミがわが国のカルチャーシーンにあってある種のプレスティージを享受するに至ったもう一人の恩人(?)がいた。それは、ジェームス・カーティス・ヘップバーン。一般的には「ヘボン先生」として知られている。ヘップバーンが1867年(慶応3年)に出版した『和英語林集成』は日本最初の和英辞典とされているわけだけれど、この中で狼(オホカミ)はA wolfと訳されているのだ。でも、シーボルトが1842年(天保13年)の時点で「ニホンオオカミはヨーロッパオオカミとは別種であり、本質的にはアメリカオオカミ(Canis nubilus)の子孫である」と書いているわけだから、ヘップバーンが狼(オホカミ)をA wolfと訳すのは当然では? と思われるだろうが、実はそうでもないんだよ。というのも、シーボルト(とテミンクらライデン博物館の館員らかなるチーム)はニホンオオカミをアメリカオオカミ(Canis nubilus)の子孫とは見なしたわけだけれど、分類上は別種としてCanis hodophilaxと命名しているわけだから。要するに、リンネ式階層分類で言えば、同じイヌ属(Canis)の下でアメリカオオカミ(Canis nubilus)とニホンオオカミ(Canis hodophilax)は仲よく肩を並べていたということ(なお、現在はアメリカオオカミもニホンオオカミもイヌ科イヌ属タイリクオオカミの亜種と位置づけられていることは本文にも記した通り)。でね、重要なのはイヌ属には他にもキンイロジャッカル(Canis aureus)やコヨーテ(Canis latrans)も含まれているということ。つまり、当時の分類ではニホンオオカミはジャッカルやコヨーテと(も)兄弟だったということ。であるならば、ヘップバーンが狼(オホカミ)の訳語としてA jackalやA coyoteを当てても何らおかしくなかったということになる。特にヘップバーンはペンシルベニア州ミルトン出身なのでコヨーテについてはよく知っていたはず。そして、その体長などの特徴はニホンオオカミと酷似していると言っていい。少なくとも、アメリカオオカミよりもコヨーテの方がずっとニホンオオカミに似ていますよ。だから、狼(オホカミ)の訳語としてA coyoteを当てるのもなんら不合理ではなかったはず。ちなみに、タヌキのことを英語ではraccoon dogと言うんだけれど(少なくとも、研究社の『リーダーズ』ではそうなっている)、raccoonはアライグマのことで、分類上はアライグマ科アライグマ属アライグマ。一方、タヌキはイヌ科タヌキ属タヌキ。だから、全然違う。で、ヘップバーンはタヌキをどう訳しているかというとA badger。これはアナグマのこと。で、アナグマはイタチ科アナグマ属アナグマ。だから、こちらも科からして違う。でも、タヌキという日本固有種をアメリカ人になじみのある動物に準えるようとするなら、こういう工夫も必要だということでしょう。で、そのセオリーをニホンオオカミにも当てはめるならば……狼(オホカミ)の訳語としてA coyoteを当てるというのは全然アリだったと思う。で、もしそうなっていたら……。なんでもアメリカ先住民族のほとんどの部族はコヨーテを「トリックスターとして崇めている」(ウィキペディア)とかで、日本におけるキツネのイメージに近いんじゃないだろうか? だから、ニホンオオカミもキツネに近い狡猾な生き物としてイメージされていた可能性が見てとれるわけで……この場合もやっぱり『狼のブルース』とか『さすらいの狼』とかいう小説は書かれるべくもなかっただろう(あと『風は悽愴』もね)。

 というわけで、ヘップバーンがわが国のカルチャーシーン――中でもハードボイルドに与えた影響は大きいと。まあ、わざわざ追記する必要があったかどうかは別として。