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ハードボイルドの向う側
〜フランス書院の海外ポルノ小説シリーズ〜

 今年はアメリカで『ディープ・スロート』が公開されてからちょうど50年の節目に当たるんだそうだ。その当時の記憶なんて、もとよりワタシにあろうはずもないけれど、それから3年後、アメリカ初の「ハードコア」ポルノ第1号との惹句も賑々しく日本公開となった当時の記憶ならなんとなく残っている。ただ、映画そのものは見ていないわけだから、記憶と言ったって高が知れているけれどね。しかし、翌1976年に公開された『愛のコリーダ』(こちらは日本で制作――あくまでも「制作」であって「公開」ではない――された「ハードコア」ポルノ第1号)は違う。なにしろ、こちらの方は見ているので。1976年と言えば、ワタシは高校2年生ですよ。だから、年齢を偽って見たんだろうねえ、当然、18禁だったはずなので。で、「ハードコア」云々以前に18禁の成人映画を見たのがこれが初めてだったので、そりゃあ記憶には残りますですよ。そう言えば、吹聴したんだよな、学校で、『愛のコリーダ』を見てきたって。そして、興味津々の悪友連中に向かって「『愛のコリーダ』を「成人映画」として見てはいけない、「政治映画」として見るべきだ」とかなんとか。ま、それは全くのハッタリというわけではなく……。

 さて、昨年来、赤江瀑を読んだり朝松健を読んだり風見潤を読んだり――と、いろいろやっては見ているのだけれど、一向に解消される見込みがない。何が? 「さしあたって読みたい本がない」という本読みにとってのパラダイス・ロスト(?)とでも言うべき窮状が。これはねえ、わかってもらえる人がどれだけいるかわからないけれど、苦しいものですよ。そう言えば、尾崎放哉の句にこんなのがある――「淋しい寝る本がない」。しかし、遂に? ひょっとして? もしかしたら? ワタシは何かを見つけたのかも知れない……というお話を少しばかり。きっかけは、鏡明の『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた』(フリースタイル)を読んだことだった。鏡明の言う「この雑誌」とは第一義的には『マンハント』のことなんだけれど(実際、雑誌『フリースタイル』連載時のタイトルはストレートに「『マンハント』とその時代」だった)、そればかりではなく『笑の泉』だとか『100万人のよる』だとかかつてはその筋では相当に知られた(らしい。ワタシは全く知りません)雑誌のことも取り上げられていて、瀟洒な装幀の割には相当に香ばしい。で、第一義的には『マンハント』のことを書いた本がこんなテイストを醸し出すことになったのは、当の『マンハント』にそういう要素があったからで、これについては、一時期、同誌にはヌード・ピンナップが附録に付いていたという事実を指摘すれば足りるだろう。だから、第一義的には『マンハント』のことを書いた本がこんなテイストを醸し出すことになったのは、ある意味、当然っちゃあ当然なんだよね。ただ、ワタシの中には『マンハント』とそっち系の本(『笑の泉』や『100万人のよる』)を同列に論じるという発想はなかった。で、正直なことを言うならば、これってどーなのよ? という思いも。ただ、そう思う一方で、最近よく耳にする〝気づき〟というやつを与えられたのも確かで、そうだよなあ、そもそも久保書店(『マンハント』の発行元)ってあの高橋鐡がやっていた『あまとりあ』の発行元だったんだもんなあ(さらに山下諭一によれば「「マンハント」の編集部のとなりに別の編集部があって、そこで須磨(利之)さんという人が、「裏窓」っていうSM雑誌を編集していたんです」。えー、『裏窓』というのは1956年から65年まで発行されたSM雑誌で「奇譚クラブと並び戦後のSM文化の形成に重要な役割を果たしたと考えられている雑誌」――だそうです)。また『マンハント』ゆかりの面々の中にはその方面でも実績を残した御仁が少なくない。たとえば山下諭一は1969年に創刊された雑誌『えろちか』(三崎書房)で編集長を務めているし(これは当人が鏡明のインタビューに答えて述べている事実。ただし、『えろちか』の奥付で「編集山下諭一」となっているものは確認できない。もしかしたら「編集JUGEM」というのがそうなのかな?)、1970年にはその『えろちか』の版元である三崎書房から『禁断の絵本:幻想と美と陶酔と』という、かなり高尚ではあるけれど(カバー裏の「著者自身の広告」によれば「この本で僕は、おもに現代の画家たちが描いた幻想をとおして、現代におけるエロティシズムの意味を手探りしてみた。幻想の世界を飛びまわる画家のエロスに触れることで、人間復興への手がかりをつかんでみようと思ったのだ」)、とどのつまりはそっち系と思われる本を上梓している。また中田耕治はやはり1970年に『青い薔薇:世界の恍惚描写コレクション』(カメノコ・ブックス)という、これまたそっち系と思われる本を上梓。さらに小鷹信光は1971年には『めりけんポルノ:エロス世代の新文化論』(サイマル出版会)、『㊙ポルノ:アメリカ版禁じられた本』(明文社)、1973年にも『続㊙ポルノ:アメリカ版禁じられた本』(同)――と、これはもうガチでそっち系の本を連打。こう見てくると、相当だよね。

 つーか、これだけでも相当なのに、『マンハント』ゆかりの面々とその筋との関りはこれだけでは止まらないのだ。これに加えて、翻訳がある。今も官能小説専門の出版社としてびんびんに頑張っているフランス書院が設立されたのは1975年9月(同社HPの「会社概要」による。ただし、多分、これは三笠書房の子会社として会社登記されたのが1975年9月ということであって、フランス書院というインプリントでの出版は1974年10月には開始されていた。下記「出版目録」参照)。で、このフランス書院は今でこそ日本人作家によるオリジナル官能小説を文庫本(フランス書院文庫)や電子書籍(フランス書院eブックス)で販売する出版社ではあるのだけれど、設立当初は海外の著名なポルノ小説を四六判のハードカバーで刊行していた。しかし、フランス書院なんだから、製本もフランス装にすればよかったのに……? で、そんなフランス書院が立ち上げた海外ポルノ小説シリーズの翻訳を手がけていたのがわれらが『マンハント』ゆかりの面々なのだ。ここは最初の30冊に絞ってその出版目録を紹介するなら――

  • ◦『ダーリン』 ハリエット・デイムラー著 山下諭一訳 1974.10
  • ◦『令嬢パトリシア』 ハリソン・ジェイムズ著 野村光由訳 1974.11
  • ◦『女教師』 トー・クン著 小鷹信光訳 1975.01
  • ◦『明日なんかいらない』 ドン・エリオット著 山下諭一訳 1975.03
  • ◦『女教師の秘密』 カート・アルドリッチ著 泉真也訳 1975.06
  • ◦『秘戯』 カトリーヌ・リュシエール著 中田耕治訳 1975.07
  • ◦『エミリアンヌ』 クロード・デゾルブ著 芦川光訳 1976.01
  • ◦『別れた女』 マルコ・ヴァッシー著 小鷹信光訳 1976.04
  • ◦『危険な旅 歓喜を求めて』 マーカス・ヴァン・ヘラー著 風間郁夫訳 1976.06
  • ◦『ビッグ・O』 R・J・セイント著 名和立行訳 1976.12
  • ◦『義母』 トー・クン著 泉真也訳 1977.01
  • ◦『恋人の日記』 リチャード・K・シャロン著 志岐豊訳 1977.02
  • ◦『芽生え』 フランク・ニューマン著 山根和男訳 1977.04
  • ◦『人妻』 H・C・ホークス著 名和立行訳 1977.05
  • ◦『トリプル』 マーカス・ヴァン・ヘラー著 秦野充訳 1977.07
  • ◦『恋人の秘密』 カトリーヌ・リュシエール著 中田耕治訳 1977.09
  • ◦『熟れた女』 クレマン・ブルノワ著 風間郁夫訳 1977.10
  • ◦『女友だち』 ブレイクリー・セント・ジェイムズ著 篠ひろ子訳 1977.11
  • ◦『生娘』 スティーヴ・サヴェージ著 山田順子訳 1977.12
  • ◦『覗き』 ロイ・カールスン著 山下諭一訳 1978.02
  • ◦『教え娘』 オリヴィエ・ブルー著 津島恵訳 1978.03
  • ◦『女教師の休暇』 カート・アルドリッチ著 佐藤肇訳 1978.04
  • ◦『十六歳の夜』 アン・テイラー著 宮祐二訳 1978.05
  • ◦『女主人』 チャールズ・バートン著 小鷹信光訳 1978.06
  • ◦『女生徒』 ジョージ・キンボール著 風間郁夫訳 1978.07
  • ◦『伯母』 ノーマ・イーガン著 宗像哲訳 1978.08
  • ◦『密室』 マーカス・ヴァン・ヘラー著 宮崎純人訳 1978.09
  • ◦『養母』 カート・アルドリッチ著 名和立行訳 1978.10
  • ◦『看護婦』 ジーン・マーチン著 小川静訳 1978.11
  • ◦『背徳牧師』 カート・アルドリッチ著 桂千穂訳 1978.12

 言うまでもなく太字表記したのが『マンハント』ゆかりの面々が翻訳を手がけた作品で、30冊中、13冊に上る。さらに最初の10冊に絞るなら実に7冊までが『マンハント』ゆかりの面々が翻訳を手がけた作品。その後、刊行点数が増えるにつれて『マンハント』ゆかりの面々の関与の度合いは減って行ったと見ることができるのだけれど、それでも3冊に1冊は『マンハント』ゆかりの面々が翻訳していたわけだからやはり相当なものですよ。しかも、面白いのはですね、その中には「翻訳」を装いつつ実は「創作」だったという作品が相当数(実数は不明なので「相当数」という言い方しかできない)紛れていること。それをハッキリと指摘できるのは1978年6月刊行の『女主人』。名義上はチャールズ・バートン著、小鷹信光訳となっているものの、鏡明のインタビューに答えて当の小鷹信光が語るところによれば――

 そういえば、ポルノもずいぶん翻訳してるよね。あれは生活のためにやったの? そういう感じでもないの?
小鷹 あれもおもしろいからやったんだよ。
 本当に裏街道好きだものね(笑)。
小鷹 金のためじゃないんだよ。本気になってやってるんだよ、あれもね。けっこう真面目にやってるんだよ。
 小鷹さん、ペンネームで書いて、要するに翻訳のふりをして、実は自分で書いてる本があるよね。俺、それをこの『私のハードボイルド』(注:2006年刊行の小鷹の著書『私のハードボイルド:固茹で玉子の戦後史』のこと)で初めて知ってさ――
小鷹 そうそう。
 ひどいやつだよねって見てたんだけど(笑)。
小鷹 そういうところで笑いたいのよ、俺は。
 チャールズ・バートン、聞いたことないよ(笑)。
小鷹 あとがきまで書いたんだよ。彼と手紙のやり取りをした、ってことで。
 本当に嘘つきだよねえ(笑)。
小鷹 そういうのが楽しいんだよ。

 ちなみに、小鷹信光が書いた「訳者あとがき」では〝作者〟とされているチャールズ・バートンについて――「この名前はもちろん本名ではなく(UCLAのある分校で講師をやっている)、ほかにもちょっと名の知られたペンネームで、ミステリを二、三作書いている若手作家」だと説明されている。そんなプロフィールまででっち上げてみせるんだから、鏡明ならずとも「本当に嘘つきだよねえ(笑)」。ただ、驚くべきはですね、どうやらそれは小鷹信光の専売特許ではなかったらしいこと。1975年7月に刊行された『秘戯』はカトリーヌ・リュシエール著、中田耕治訳とはされているのだけれど、鏡明ふうに言うならば「カトリーヌ・リュシエール、聞いたことないよ(笑)」。で、こちらも「訳者あとがき」より引くなら――「この作家について、簡単に紹介しておきます。まだ二十代の若い作家ですが、外国の女流作家の通例で生年月日を発表していません。彼女の存在を知ったのは一九七二年でしたが、翌年四月二十八日、東京で逢って親しくなりました。この日、お茶の水の付近の喫茶店で逢って、いろいろ話をしたあと、たまたま封切られていた「陽は昇り陽は沈む」という映画を見て、夜は山ノ上ホテルでてんぷらを御馳走したことをおぼえています」。これが全くの作り話だったとしたら、中田耕治という人、とんでもないファンタジスタ(?)と言わざるをえない……。この他、作者を同定できないという意味ではロイ・カールスンもそう。山下諭一は1978年2月刊行の『覗き』を含めて都合3冊もロイ・カールスン名義の小説を〝翻訳〟しているんだけどねえ……。

 ともあれ、こういう次第なので、フランス書院と『マンハント』ゆかりの面々との関りは単に翻訳者としてその立ち上げに協力したという以上のものがある。今日、同社は日本人作家によるオリジナル官能小説を専門にしているわけだけれど(その理由について「入社30年を超える同社取締役でフランス書院文庫編集長のY氏」は「80年代に入って、海外作品の質が目に見えて下がってきました。特に米国のポルノ小説は70年代後半に性の解放が進むほど、パワーを失っていった。やはり性文学というのは、抑圧された状況下でこそ妄想と鬱憤が蓄積され、エロティックなものになっていくんです」。なるほど、そういうものですか……。詳しくはこちらの記事をお読み下さい)、その路線は既に1970年代に『マンハント』ゆかりの面々によって敷かれていたということになるわけだから。こうなると、極端なことを言えば、今あるフランス書院を作ったのは『マンハント』ゆかりの面々だったという言い方さえできるかも知れない。それほど彼らの貢献は大。ハッキリ言って、こんなことは、従来、考えてもみなかったことで……。

 で、問題はだ、何が彼らをそうさせたか? だよね(ちなみに、金子文子の獄中手記は『何が私をこうさせたか』。もちろん、本稿とは何の関係もありませんが……)。普通に思うのは、「食べるため」、だよね。で、これに関連して1つ参考情報をご紹介するなら、1975年3月に刊行された『明日なんかいらない』。その著者であるドン・エリオットというのはある著名なSF作家の変名であることがわかっている。そのSF作家とは……ロバート・シルヴァーバーグ。これについてはWeb東京創元社マガジンのこちらの記事が詳しい。それによると、「高収入が得られるのと、ライターとしてのプロ意識から、数々のペンネームを駆使し、一九五九年から一九六〇年代にかけて、大量のポルノを刊行していた」。また、ロバート・シルヴァーバーグ以外にもハーラン・エリスンやマリオン・ジマー・ブラッドリーなどが変名でポルノ小説を書いていたことが知られているそうだ。まあ、SFで食っていくというのも大変だろうし……。それと同じように、ハードボイルドで食っていくというのも、なかなかでしょう、この国ではね。というわけで、『マンハント』ゆかりの面々がポルノ小説の翻訳(や創作)に手を染めたのもつまりはそういうこと――と思いがちなんだけれど……しかし、鏡明に「あれは生活のためにやったの?」と問われた小鷹信光はこう答えているわけですよ――「あれもおもしろいからやったんだよ」「金のためじゃないんだよ。本気になってやってるんだよ、あれもね。けっこう真面目にやってるんだよ」。ワタシは、その言葉に嘘はなかったんだろうと思う。そう思う理由? それは、名義。そう、小鷹信光は堂々と「小鷹信光」名義でそれらの仕事をやっているのだ(なお、小鷹信光は「名和立行」名義でも翻訳を行っているものの、同時に「小鷹信光」名義でも翻訳を行っている以上、「名和立行」名義の使用が素性を晦ます目的ではないことは明らか。多分、ドナルド・E・ウェストレイクとリチャード・スタークみたいな感じだったのでは?)。これは山下諭一や中田耕治や泉真也も同じ。もし彼らがポルノ小説の翻訳(や創作)をただ金のためだけにやっていたのなら決してこういうスタンスで臨むことはなかったはず。そこは、ロバート・シルヴァーバーグやハーラン・エリスンやマリオン・ジマー・ブラッドリーなどとの決定的な違い(ま、↑の「出版目録」をよーく見ると翻訳者が「篠ひろ子」というよくわからない本もあるにはあるんだけれどね)。かくなる上は、読むしかないでしょう。しかも、今年はアメリカで『ディープ・スロート』が公開されてからちょうど50年の節目に当たるそうだし。タイミングとしては申し分なしでしょう。加えて、本の数もハンパない(多分、新書判で発行された「フランス書院ノベルズ」も含めるなら総刊行点数は100冊を超えるはず)。もしかしたら、ワタシは「さしあたって読みたい本がない」という本読みにとってのパラダイス・ロストを一気に解消してくれる〝宝の山〟を見つけたのかも知れない……?



 ということで、突如として始まった「フランス書院の海外ポルノ小説シリーズを読む」(本稿はそのための前説のようなものであると書いている本人としては思っております)。一応、ラインナップはこうなっておりますです。



 なお、ドン・エリオット著『明日なんかいらない』もぜひ読みたいとは思っているのだけれど、某オークションサイトで裸本が3,000円ですよ。しかも、現状、見つかるのはこの1冊だけっていうんだから……。ともあれ、突如として始まった「フランス書院の海外ポルノ小説シリーズを読む」。ハードボイルドの向う側でワタシは何を見つけるのだろうか……?